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ピーク・エンド・ラバーズ  作者: 月山 未来
Cheek Dyed Beginners
7/25

7

 


 冬休みの間、勉強に集中しながら出した結論は、やっぱり変わらなかった。


 私は津山くんのことを、好いてはいない。そして恐らく、津山くんは私のことを好いている。

 だとしたら好きじゃない相手に気を持たせるのは良くないし、あの日帰ったのは間違いじゃなかったと思う。もうその前から色々と、反省すべき点はあるのだけれど。


 困ったな、という感想は相変わらずだった。


 私は今まで津山くんを友達だと思っていたからそれなりに仲良くできていたし、優しくできていた。

 でも、もうそうはいかない。その気がないからきっぱりと、線引きをしなければ。



「羊の次は加夏かー。寂しいなぁ、加夏の過保護になっちゃう気持ち、分かるかもしれない」



 休み明け、怒涛のテスト週間がようやく終わり、みんな伸びきっているところだった。

 灯がそんなことを言い出すから、思わず顔をしかめる。



「……何が?」


「分かってるくせに。津山、あれバレてないつもりなのかな」



 意地悪な顔をして私の背後に視線を投げた灯が、頬杖をついた。

 私は振り返るつもりなどない。というか、振り返らずともひしひしと感じる。――ああ、見られてるなあ、と。



「ねえ、灯。変なことしないでよ」


「わーかってるって。加夏がいっちばん嫌がるもんね、噂とかそういうの」



 ご名答だ。

 津山くんと二人で出掛けたというのがバレたら、次の日には噂になっているだろう。だからいつも周囲を執拗に確認して、場所にも注意して、万が一見られた時のために言い訳も完璧に用意して。


 それなのに、津山くんは軽率すぎる。

 冬休み明けの初日に、いきなり教室内で話しかけてきた。その時は何とか誤魔化せたけれど、家に帰ってからメッセージで「学校では話しかけないで」と彼に送って、それからずっとこんな調子だ。

 話しかけられてはいない。でも、見られている。ひたすらに。



「でもちょっと可哀想じゃない? ずーっと『待て』くらってる犬みたいだよ、あいつ」


「いいの。『よし』するつもりないから」


「辛辣~」



 灯の手前、強気で宣言したはいいものの、正直そろそろ限界だ。何がと言われれば、私の良心が。


 さすがに可哀想かな。きつく言い過ぎた。確証はないけど、多分私のことを好いてくれている人に、申し訳ない。

 ぐるぐるとそんな気持ちが湧き出てきては、いやいや、これで正しい、だって私は彼に返せるものがないんだから、と意地が前面に出てくる。私は津山くんと違って、中途半端なことはしたくないのだ。





 ***





「つまりここに形容詞を入れることによって、『the percentage』から『question』までが主語になる。となると……」



 六時間目の英語の授業が終わろうとしていた。

 文章問題の解説を聞いていると、それまでつらつらと話していた(もり)先生が突然、顔を上げる。



「津山ぁ! お前、また寝てるな!?」



 途端、教室内でどっと笑いが起こった。森先生の授業で彼が脱落するのは、もはや日常茶飯事である。

 ああ、これはまた津山くんに答えさせて、結局長引くやつだ。そう思い、少々げんなりしていた時だった。



「……すいません」



 教室の奥から聞こえたのは弱々しい謝罪で、以前のように、先生に対しても舐め腐った口調でおちゃらける彼の声はない。



「あー……顔色悪いな、お前。大丈夫か」



 森先生が言うなり、みんな振り返る。

 私も恐る恐る彼の方に視線を向けると、確かに。津山くんは元から白い方だけれど、今は更に顔が真っ白だった。


 そのせいもあってか、授業は少し早めに切り上げられて、そのまま帰りのホームルームになった。

 いつもは羊と一緒に帰るのだけれど、今日は委員会がある日だから、私は先に帰る。



「カナちゃん、明日ね」


「うん。ばいばい」



 羊に手を振ってから荷物をまとめていると、何やら教室の後方が騒がしい。

 どうやら津山くんが机に突っ伏したまま、起き上がらないようだった。



「おい岬、大丈夫か?」


「……うん」


「俺らもう部活行くけど、お前今日休みってことにしとくよ?」


「うん、頼んだ」



 バスケ部の友人だろう。そんな会話をして、彼の「大丈夫」を信じたのか、教室を出て行く。


 教室掃除の当番の人が、津山くんの様子を窺って、それから顔を見合わせる。心配していないわけではないのだろうけれど、正直今は掃除の邪魔になるから、ここではなくて別の場所に移動して欲しそうだ。


 いつも津山くんにじゃれているスカート丈の短い女の子たちは、もう既に帰ったのか、ここにはいなかった。



「西本さん、机下げちゃっていい?」


「あ、ごめん。今出るね」



 慌てて鞄を持って、立ち上がる。津山くんは、顔を上げない。


 ――ああ、もう。何でこういう時に、あんたの周りには誰もいないんだ。



「津山くん」



 彼の近くまで歩いていって声を掛ければ、その背中がぴくりと揺れた。ゆっくり顔を出した津山くんが、血色の悪い唇を小さく動かす。



「……西本さ、」


「立てる? ていうか、歩ける? ここだと邪魔になるから、保健室行った方がいいよ」



 しゃがんで彼の顔を覗き込む。本当に具合が悪そうだ。

 となると話は別だな、と自分の中で勝手に結論付けて、津山くんの背中をさすった。



「気持ち悪いの? 吐きそう? 大丈夫?」


「……違、あたま、痛くて」


「そっか。ちょっとごめんね」



 彼の後ろに回って、脇に腕を差し込む。そのまま何とか立たせてあげられないかな、と思ったけれど、津山くんが焦ったように声を上げた。



「え――な、に」


「何って、補助。立てる?」


「ま、待って……立つ、立つから……」



 私を緩く押し退けて、彼が力なく抵抗する。津山くんはのろのろと立ち上がって、それから縋るようにこちらを見やった。


 あー、もう。本当に、あー、もう、だ。

 目で喋るのをやめてくれないだろうか。言ってくれないとあんたが何を考えてるのか、何をして欲しいのか分からないじゃん。


 でも、あいにく私は、人の気持ちを汲むのが得意な方だ。そして津山岬に関しては、なぜだかいつも彼の求めているものが分かってしまう。



「……肩貸すから、ちゃんと歩いて」



 あくまで事務的にそう言い渡し、私は彼のすぐそばに立って腕を引いた。



「いいの?」


「ふらついてるくせに遠慮しない。ほら、もうちょっと体重預けて。しんどいんでしょ」



 でも、とか何とか口ごもっている津山くんの腰を引き寄せれば、彼は観念したのか、少しだけ体の力を抜いた。

 自分から促したけれど、そうされたらされたで結構重い。津山くんはかなり細い方だと思っていたのに、やっぱり男子と女子では根本的に違うのだろう。


 何とか保健室まで辿り着いて、先生に手伝ってもらいながら津山くんをベッドに寝かせた。



「重かったでしょう。大丈夫?」


「はい、大丈夫です。彼、ほとんど自分で歩いてたようなものなので」



 それなら良かった、と先生は頷いて、小さく息を吐いた。



「あとは私の方で対応するから、もう帰って大丈夫よ。ありがとう」


「分かりました。お願いしま――」



 す、と最後の一文字が空気の抜けるような音だけで終わったのは、私のせいじゃない。

 何気なく津山くんの方に視線を向けた瞬間に、彼の目に捕まった。ただ純粋に訴えかけてくるその瞳からは、私への非難すら滲んでいる気がする。


 ――逃げるの?

 まるで、そう問われているようだった。



「……あの、すみません。少しだけ彼と話してもいいですか。用事があって」



 逃げないよ。別に、そういうわけじゃない。確かにあの日は、逃げてしまったけれど。



「あら。私、外した方がいい?」


「いえ……」


「あなたなら心配なさそうだから、ちょっとだけ出るわね。ゆっくり話して」



 無情にも先生は変な気を利かせて、立ち去ってしまった。ぱたん、とドアの閉じた音が、静かな保健室に響き渡る。


 どうしよう。それが率直な所感だった。

 何となく、津山くんとはこのままではいけないような気がしなくもなくて、しかも異常なまでに見られるから、つい口走ってしまったはいいものの。具体的にどうすればいいのか、どうすべきなのかはまるで見当がついていない。


 私は腹を括って、津山くんの横たわるベッドの近くにある椅子に腰を下ろした。

 なるべく彼の方は見ない。見てしまうと、捕まってしまうと、逸らし方が分からなくなるから。



「……西本さん、ありがとう」



 津山くんは弱り切った声でそう告げた。

 うん、と私はそれだけ返して、床に視線を落とす。



「約束破って、ごめん」


「約束?」



 彼の謝っている理由が分からず、首を傾げる。



「学校では話しかけないって、約束」


「え――そ、れは、私が先に声掛けたから、」


「うん。でも、ごめん」



 何で? そもそも津山くんは私に対して返事をしただけだし、非常事態だったんだからノーカンだし。津山くんが悪い要素も、謝らなければいけない理由も、何一つないのに。



「今だけ、西本さんと話してても、いい?」



 何でそんなに一生懸命、私に媚びるの。

 津山くんならわざわざ下手に立ち回らなくたって、いくらでも持ち上げてくれる人はいるよ。私なんかに気力も体力も割く必要、微塵もないよ。


 それなのに、どうして。どうして、私なんだろう。



「……体調悪いなら、あんまり喋らない方がいいよ」


「だって、西本さんと話すの久しぶりだから」


「別に……学校ではだめっていうだけで、電話とか、……すれば」


「電話していいの?」



 まずい。違う。私が言いたかったのは――というか、望んでいたのはそういうことじゃない。



「だ……だめ。やっぱり、だめ。なし」



 必死に訂正して、頭を振る。

 冷静に。落ち着いて。津山くんのペースに乱されちゃいけない。私は、彼との関係にしっかりと線を引くために話をしようと思ったんだ。



「何で? 俺、長電話とかしないよ」


「そういう問題じゃないの」


「電話だったら誰にも聞かれないじゃん。……誰にも、邪魔されないじゃん」



 拗ねたように付け足された最後の言葉が、僅かに甘さを含んでいて。

 認めたくない、受け入れたくない。そうやって突っぱねてきたのを、少しずつ剥がすように侵食していく。



「じゃあ、一個だけ教えて。何であの日、帰っちゃったの」



 彼の顔を見ずに帰ったあの日。ごめん、としか言えなかったあの日。


 津山くんといると、正しい自分じゃいられない。冷静に、後になって考えれば普通に分かることも、彼と一緒にいると思考が鈍って流されて、とんでもないことを平気でしてしまう。


 そんなの私じゃない。私は本能とか、欲望とか、そういう汚れたものに負けたくない。

 真っ直ぐ堅実に正しく、歩いていたいのだ。



「……ごめん。あの時はちょっと、急用思い出して」


「冬休み中、メッセージ送っても全然返信くれなかった」


「忙しかったの。親戚の家行ったり、ばたばたしてて……」


「急に話しかけないでって言われて、悲しかった」


「だって、それは……!」



 咄嗟に顔を上げて彼の方を振り返ってしまう。

 分かっていたのにやってしまった。彼の目に捉われたら最後、逸らせない。



「それは、なに?」



 いつの間に起き上がっていたのか。津山くんは憂うように眉尻を下げて、私を急かした。

 そのいかにも苦しくて辛くて悲しい、といった顔が苦手だ。強く言えなくなってしまう。



「俺、すごい悲しかった。何でだろうってめっちゃ悩んで、寝れなくて、ずっと頭痛くて」


「……うそ」


「ほんと。頭痛くなるくらい、西本さんのこと、ずっと考えてる」



 じゃあ何だ。彼はずっと、私のせいで眠れていなかったとでも言うのか。この一週間、ずっと?



「……意味、分かんない。それで寝不足とか、そんなの聞いてない」


「だって話しかけないでって言うから」


「そういうことじゃなくて!」



 思わず声を張り上げた私に、津山くんは目を丸くする。



「寝れないくらい悩んだなら、私に無理やりでも聞けばよかったじゃん。状況が違うよ。今だってそのせいで体壊してるんだから」



 何でそこまでして、私のちっぽけな言いつけを守ったんだ。ふらついて頭が痛くてしんどくて倒れそうだったのに。



「そんなの、私のせいじゃん……」


「西本さん、」


「もうやめよ。こういうの全部、リセットしようよ」



 戻りたい。純粋に親友の恋路を見守るだけだった、淡泊な関係に。

 津山くんは適当に女の子を引っかけて遊んでて、私も別にそんなのどうでもよくて。お互い誰と何しようが干渉しないしされなかった。


 私のせいだ。本当の津山くんはこんなんじゃないとか、勝手に押し付けて余計なことをして、彼の大事なところに土足で踏み入った。

 津山くんなんてどうでもいいし勝手にすれば、なんて見栄を張っていたくせに、知ったかぶりをして一番の理解者を装って。姑息で卑怯なのは、私の方だ。



「やめるって、なに」



 いつになく低い声が彼の口から漏れた。

 剣呑な顔つきになった津山くんに、意図せず背筋が伸びる。



「だ、……だから、今までみたいに普通にしよ。別に前は学校でも大して話さなかったじゃん」


「普通って? 前と今では違うよ。俺ら、前より仲良くなったよね?」


「普通は普通! そこまで仲良くない!」



 全ての雑念を振り払って、必死に断言した。


 私が言い放った途端、津山くんが黙り込む。落胆と悲哀の混じった瞳がこちらを見つめてくるけれど、これでいいんだ、と私は固く唇を噛んだ。

 そんな顔をしたって無駄。もう逸らさないし負けない。同情なんかしない。



「……西本さん、俺のこと、嫌い?」


「嫌いじゃないよ。普通」


「もう話しかけちゃいけないの?」


「どっちでもいい。用があるなら駄目とは言わないけど」



 意地になっている。それは分かっていても、後には引けなかった。


 津山岬を嫌いになることも、諦めようと思う。きっと一番心を乱さずに済むのは、好きでも嫌いでもなく、無関心に、無感動に接することだ。



「分かった」



 意外にもすんなりと了承した彼が、でも、と最後にとんでもない爆弾を仕込んでいった。



「俺、西本さんに嫌われてるわけではないんだもんね?」



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