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ピーク・エンド・ラバーズ  作者: 月山 未来
Cheek Dyed Beginners
6/25

6

 


「え~! 岬ぃ、髪色変えたの?」



 朝のホームルーム前の教室。

 甲高い話し声が飛んできて、思わず振り返ってしまう。冬だというのにスカート丈を短く細工している女子クラスメートが、登校してきた彼に駆け寄っていた。



「あー……まあちょっとね。変えてみた」



 珍しく歯切れの悪い返事を寄越し、津山くんが苦笑する。



「何で? もったいなーい。岬といえば校則ギリギリのゴールドブラウンでしょ」


「はは、俺のトレードマーク?」


「そーそー」



 確かに、今までの彼の髪色は、ちょっと眩しいくらいに明るいブラウンだった。先週の金曜日まではそのトレードマークが保たれていたのに、週が明けてみると、少し暗いグレージュに変わっていたのだ。


 ずっとほぼ色を変えることなく過ごしてきた彼が、いきなり髪色を変えたとなると、その日は他クラスからも訪問者が絶えなかった。津山くんはもともと友達が多いから、尚更だ。



「つまんなー! お前ピアスまで外したの? どうしたんだよ突然」



 休み時間、通りすがりにうちの教室に顔を出した男子が、津山くんに絡んでいる。

 普段は冗談を言ってみんなを笑わせるのに、その日の津山くんはあまり元気がなかった。







 津山岬が、女の子と遊ぶのをぱたりとやめた。

 こんな噂が広まったのは、それから二週間と経たないうちのことだった。


 彼女ができた、とか、好きな人ができた、とか。噂は好き勝手に脚色されて、今では美人女子大生と結婚を前提にお付き合いしている、という設定まで生まれた。

 人気者って大変だな、とちょっとだけ同情したのは内緒だ。


 まあそれもこれも、あくまで「噂」として人づてに聞いただけで、本当のことは何も分からない。

 というのも、津山くんとは最近一切連絡を取っていないし、学校でも話していなかったからだ。


 私自身も三年生に進級する手前、そろそろ進路のことを真剣に考えなければいけない時期だったし、それより何より、最近また羊と狼谷くんの仲がぎくしゃくしているようで、正直それどころではなかった。


 そう、それどころではないはずだったのだけれど。



「もしもし、津山くん?」



 あと一週間ほどで冬休みという時に、その電話は突然かかってきた。

 一ヶ月前に二人でたい焼きを食べに行った日の「今日はありがとう」的な文章で、メッセージのやり取りは終わっている。それが急に、今日になって「いま電話しても大丈夫?」と彼からコンタクトがあって。



「あ、西本さん? ……ごめん、急に」



 それは別にいいけど。そう返しながらも、本当に急だな、と内心思っていた。

 よくよく考えれば、彼と電話をするのは初めてかもしれない。


 あと少しで終わりそうだった課題を諦め、シャーペンを手放す。

 気付けば部屋の中は既に薄暗く、スマートフォン片手に立ち上がって電気をつけた。



「何かあった?」



 向こうからかけてきた割には、なかなか進展のない会話である。言いづらいことなのかもしれない。

 私はなるべくなんてことない口調を装って、彼に尋ねた。



「あ……うん。西本さんに、用事があって」



 そりゃそうだ、用事がないのに電話をかけないで欲しい。

 小学生のような彼の返事に、そう言いたいのをぐっと堪えて「うん」と軽く頷く。



「西本さん、さ。…………クリスマス、空いてたりする?」


「クリスマス」


「あ、いや、空いてないなら全然いいんだけど、空いてたらその、嬉しいかなって思って……」



 全く予想していなかった流れに、咄嗟に返す言葉が浮かばなかった。

 ああ、そっか、クリスマス。そういえばもうそんな時期だ。今年の冬休みはしっかり勉強しないとなって、それしか考えていなかった。



「ごめん。クリスマスは多分、家族と過ごすと思う」



 昔から毎年そうだった。両親と弟と、四人でパーティーをする。

 母と私で料理を作って、父がケーキを買ってきて、弟がツリーの準備。家族の仲はいいと思う。それが自慢だった。


 だから他の家も当然そういうものだと思っていたけれど、クリスマスは友達や彼氏と過ごす人が意外にも多いことを知って、結構驚いた。



「あー……や、うん。そうだよね。何か逆にごめん」



 通話口越しに、津山くんの気まずそうな声が響く。それを聞いてから、「これってもしかしてそういうことか」と気が付いた。



「……イブでも、いい?」


「え?」


「だから、二十五日は無理だけど……前の日でも、」


「いいの?」



 食い気味に確認を取ってきた彼に若干おののきながら、「いいよ」と返事をする。


 勘違いじゃなければきっと、津山くんは私と二人で出掛けたかったのだと思う。その誘いを受けることはつまり、私も彼に対して無関心でいられているわけではないことを指していた。


 それとは別に、人の誘いを断ることは昔から苦手だ。

 あからさまに残念そうな顔をされると、多少こっちが無理をしてでも都合をつけてあげたいなと思ってしまう。



「まじか。……どうしよ、いいって言ってくれると思ってなかった」



 津山くんがそんな弱気なことを呟いている。



「何で? 自分から言ったくせに」


「いや……だって、絶対断られると思ってた」


「断った方が良かった?」


「うそ! 嬉しい、めっちゃ嬉しいよ」



 素直に言われても、それもそれでむず痒い。

 ありがとう、と本当に嬉しそうに、噛み締めるように彼が告げるから、今度こそ我慢できなくて通話を終わらせる。何で切っちゃうの、ねえ、とその後スタンプと共にメッセージが送られてきたけれど、無視して私は逃げた。


 でも、全然逃げ切れなかった。


 次の日学校へ行くと、朝から津山くんと目が合って。周りに誤解されて噂になるのは面倒だから、私はずっといつも通り振舞うように努めた。

 津山くんからの視線は途切れない。ふとした時、見られているのが分かる。視線が、刺さっている。でも学校で彼から話しかけてくることは一度もなかった。



『約束覚えてる? 明日、そのまま帰らないでね』



 二十三日の夜、津山くんからのメッセージ。明日は終業式で、普段より早めに下校できる。

 一週間前の彼の誘いはただの気紛れだったんじゃないか。その間あまりにも音沙汰がなさすぎてそう思い始めていた、私の心を読んだかのようなタイミングだった。





 ***





 学校が終わってバスに乗る。駅に着くまでの間、スマートフォンは頻繁に震えていた。



『西本さん、もう学校出た?』


『今どのあたり?』


『あと何分くらいで着きそう?』


『着いたら教えて』



 バスを降りる直前に確認したら、津山くんからメッセージが大量に届いていた。いや、もちろんそれは分かっていたのだけれど、面倒で放置していたのだ。

 もうそろそろ着くよ、と返せば、即座に既読になる。またメッセージが来そうなところでアプリを終了し、席から立ち上がった。


 今日は終業式もとい、クリスマスイブ。

 津山くんと出掛けることに了承したはいいものの、相変わらず知り合いに見つかるのだけは避けたかった。学校から一緒に帰るだなんてもってのほか。待ち合わせは街中より少し手前の駅だ。


 津山くんは既に駅のコンコースにいるということだったので、中に潜って彼の姿を探す。

 カップルが腕を組んで歩いていくのを何度か見送った。今日は人が多くて大変だ。


 仕方なくスマホを取り出し、電話を掛ける。彼はワンコールで出た。



「西本さん? 良かった、やっと連絡取れた……今どこ?」


「ええと、コンコースだよ。津山くんがそっちにいるっていうから」


「メッセージ見てない? もう俺移動しちゃって……あ、いやそっち行くね。待ってて」



 一方的に彼が言い残し、通話が途切れる。

 履歴を確認すれば、確かに数分前、「寒いから奥のコンビニの前にしよう」とメッセージが届いていた。


 津山くんがせっかちなのか、私がマイペースなのか。噛み合わないやり取りに早くも先行きが不安だ。


 待っている間、小さい女の子が近くをうろうろと歩いていて、声を掛けたすぐ後に母親と思しき女性が現れる。

 良かった良かった、とその子に手を振りながら呑気に思っていたら、突然後ろから肩を掴まれた。



「西本さん!」



 ぎょっとして振り返ると、津山くんが息を切らして私を捕まえに来たところだ。寒暖差で鼻先が赤くなっている。



「びっくりした……そんなに急がなくても良かったのに」


「だって、急がないと……西本さん、どこ行くか分かんないんだもん」



 なんだそれ。人を子供扱いしないでいただきたい。

 む、と少しだけ頬を膨らませて不満をアピールする。



「私、迷子じゃないよ」


「今だってどっか行こうとしてたじゃん……」


「してないよ。あの子のお母さんが見つかったから、連れて行ってただけ」



 こんな人通りのあるところで言い合いをするのも邪魔になる。

 とりあえず奥の方に移動しよう、と促すと、彼は数歩進んだ私を引き留めるように前へ出てきて、それから振り返った。



「……手、繋いでいい?」


「え、」



 突然、何なの、本当に。

 自信なさげに首を傾げて、私の顔色を窺うように確認してくる。


 意味が分からなかった。私の知っている津山岬は、手を繋ぐくらい平気で何とも思わずにできる男の子だ。

 手どころか、デートもそつなくこなして、キスもそれ以上も。へらへら笑って、お互い楽しいならそれでいいじゃん、とか軽々しく言ってのける人間なはずで。


 じゃあ、いま目の前で私の答えを待っているこの人は、誰?



「はぐれたくないし、西本さんに逃げられるの、結構ショックだから」


「な、に」


「繋ぎたい。だめ?」



 だめ。だって、困る。遊び人の津山岬でいてくれないと、私が困る。

 今更そんな、普通の男の子にならないで欲しい。断る理由が何もなくなっちゃうじゃない。



「……西本さん、お願い」


「わ、分かったから……ちょっと離れて」


「離れたら繋げないから、やだ」



 やだとか言うな、可愛いから!

 もうさっきから断る理由と、動揺していることへの言い訳ばかりが頭に浮かぶ。


 必死に抗う私に、とどめとばかりに彼の手がちょんと触れた。



「ごめん。嫌?」


「…………も、好きにすれば」



 それ以上聞くな。私に決定権を委ねるな。最終的に合意みたいな雰囲気にするな。

 羞恥でどうにかなりそうだったけれど、投げやりに手を差し出す。



「ん」


「……ありがと」



 目を逸らしたら負けな気がしたから、下から緩く彼を睨みつけた。

 それなのに、津山くんは目を細めて、遠慮がちに微笑む。そんな笑い方は知らない。いちいちくすぐったくなる心臓が、鬱陶しかった。


 津山くんの手は思ったよりもずっと熱くて、はぐれないようにと言った割には、今にも振りほどいて逃げられるような、弱い力だった。

 いっそ無理やり引っ張ってくれれば文句を言えるのに、これじゃあ無下にもできない。



「そこ段差あるから、気を付けて」



 駅の奥の方に特設会場があった。大きなツリーが立てられていて、夜になるとライトアップされる。

 人混みの中、津山くんは少しだけ手に力を込めて、私を気遣ってくれた。こういうのは、女の子の扱いに慣れているからできるのか、もともと彼が気が利く人だからなのか、それは未だに判断がつかない。



「西本さん、首とか寒くない?」



 あと十五分くらいでツリーが点灯するから、ということで、それまで待つことにした。


 さっきから津山くんは、前を見るか、私を見るかの二択な気がする。

 せっかくだから周りの景色をもっと楽しめばいいのにと思いながら、私は「大丈夫」と頷いた。



「でも、まだちょっと時間あるし……俺のマフラー使う?」


「いいよ。津山くんが寒いでしょ」


「いや、いま暑いからちょうどいいかな」


「何で暑いの……」



 真冬日なんですが。彼の感性にやや心配になる。



「使って。なんか、見てる俺の方が寒そうで……ちょっと」


「あ、ありがと」



 謎理論で言いくるめられ、渋々彼のマフラーを受け取った。

 いざ首に巻いてみると、ふかふかで温かい。今日はうっかり自分のマフラーを忘れてきてしまって、実を言うとやせ我慢をしていた。


 少し心の余裕が生まれて、隣の顔を窺う。



「……津山くん、寒い?」


「いや、大丈夫」


「寒いよね、絶対。震えてるもん」


「大丈夫」



 この人、馬鹿なのかな。暑いとか絶対嘘だ。



「津山くん、ちょっとだけ屈める?」


「ん?」



 内緒話でもされると思ったのか、私の方に耳を寄せて屈んできた彼に、「違うよ」と頭を軽く叩く。



「そうじゃなくて、これ」



 マフラーを半分解いて、片端を彼の首に巻いた。自分の方は前が少しだけはだけて、冷たい空気が入ってくる。

 でも、一人で呑気に温まっているよりは、こっちの方がマシな気がした。



「え、ま……待って、いいよ、西本さんが使って」


「やだ」


「やだって……」



 戸惑ったように口ごもる津山くんが、私の耳元で弱音を吐く。



「待って、ほんと……何でそういうことすんの」


「だって津山くんも寒そうだったから」


「寒くないって……」


「あー、もう。動かないで。取れちゃうじゃん」



 緩まった布を手繰り寄せ、彼に文句をぶつけて気を紛らわせた。そう、後悔はしているのだ。

 思ったよりも距離が近くなってしまうし、よくよく考えればこれってカップルがすることじゃない? と、大反省タイムである。



「……もっと寄らないと、寒いよ」



 言い訳みたいに述べて、津山くんが肩をくっつけてくる。

 ごめんなさい、謝る。謝るから許して。もう恥ずかしすぎて死にそうだ。周りから「バカップルじゃん」と思われていそうで、本当に居たたまれない。



「ねえ、あの時の質問、もっかいしていい?」


「なに?」


「西本さん、彼氏いる?」


「……いたら今ここに来ないでしょ、普通」



 一ヶ月前とは違って、薄っぺらさも何もない、真面目なトーン。



「じゃあ、好きな人は?」



 そう言って私の瞳を射抜いた彼の頬が、赤い。真剣な顔をして、不安で揺れる目と縋るような声と。


 私は馬鹿でも鈍感でもないから、変な勘違いをしていない限りは、この人が私に対して抱いている感情を、分かっているつもりだった。でも、それを認めたくないという気持ちがあるのも、正直な部分だった。


 何で? 何で私なの?

 津山くんならそれこそ選び放題じゃん。自分のことを確実に好いてくれている女の子を選んだ方が、百倍いいと思う。



「……いないよ」



 だって、私は津山くんのこと、好きじゃない。手放しで彼にそんな気持ちを向けられるほど、私は馬鹿じゃない。


 嫌いになりたいけど嫌いになれなくて、好きになりたくないけど嫌いじゃない。

 こんなプライドまみれで強がりだらけの虚勢を恋と呼ぶには、あまりにも空しいし、誰に対しても失礼だと思う。



「そっか」



 津山くんの相槌は、悲しい色をしていなかった。むしろ安堵したかのようなそれに、ほんの少しむかついてしまう。


 私に聞くくせに、自分は言わないんだ。保身に走る彼の態度が気に食わない。

 臆病なふりをしたって、今更遅いよ。私は全部知ってる。今まで散々女の子で遊んできたもんね。気を持たせて、期待させて、適当に躱してきたんだもんね。



「……あ、」



 点いた、と誰ともなく声が上がって、目の前のツリーが光り出す。


 ロマンチックな光景に、急に嫌気がさした。マフラーを分け合って浮かれている自分にも、隣にいる津山くんにも、全部。



「ごめん。帰る」


「え、」


「ごめん」



 マフラーを解く時間も鬱陶しくて、津山くんの顔を見る余裕はなかった。

 人混みを掻き分けて、迷惑がられながら、私は必死に彼から逃げたかった。


 分からない。分からなくなる。

 自分は常に正解を選び取って生きてきたと思っていた。友達も、部活も、進路も何もかも。間違ったことなんて一度もなかった。


 津山くんを好きにはならない。私の中で、それが唯一彼に対しての正解だった。


 最低、最悪、軽くてチャラくて薄っぺらい。軽蔑する。軽蔑している。

 笑わせないで欲しい。そんな人から貰う気持ちなんて、一つも信用できないのだ。



『ごめん』



 その日寝る前に一つだけ届いていた彼からのメッセージは、私の言葉を反芻しただけの、ただの当惑だった。



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