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ピーク・エンド・ラバーズ  作者: 月山 未来
Weak Point Sharers
25/25

7

 


 しっかり過去形になった想いを受け取り、途端、押し込めていたものが溢れ出す。



「…………ごめん、私、」



 突き放した時の相良くんの顔を、今でも鮮明に覚えている。


 きっと彼はあの後、何度も私の誤解を解こうとしていた。最初は教室、それから休み時間、放課後。

 私はその度に傷つくのが怖くて逃げて、挙句の果てに「もう話しかけないで」と怒鳴った。彼の悲しみに歪んだ表情を見て、そんな顔をしたいのはこっちの方だと、憤ったことも。


 苦くて痛い初恋の記憶。苦くしてしまったのは、自分のせいだった。



「ごめん……ちゃんと、相良くんの話、聞けば……」



 咄嗟に俯くと、テーブルに水滴が落ちる。グラスから滲んだものじゃない。まごうことなき、自分の、後悔の雫だった。


 どれだけ苦しかっただろう。どれだけ痛かっただろう。

 私が彼を憎んできた五年間、彼はただ苦いだけではなく、罪悪感も抱えながら、一人で過ごしてきたんじゃないだろうか。


 こんな臆病者のために、ずっと。



「ごめんなさい……私、相良くんに沢山ひどいこと、」


「西本、いい。いいよ」


「良くないよ……!」


「いいんだって!」



 初めて聞く彼の荒々しい声色に、驚いて息を呑む。


 いいんだ。

 静かに息を吐いて、もう一度、相良くんがそう呟いた。



「確かに、西本に嫌われたままなのはきつかったけど……俺だって、最後まで分かってもらおうと努力すれば良かった話だし、結局振られるのが怖かった」


「相良くんは悪くない」


「ありがとう。……でも、本当にもういいんだ。そのおかげで、大事な人と会えたから」



 大事な人。それは恐らく、今の相良くんにとって一番優先するべき存在なのだろう。彼の瞳は随分と凪いでいた。



「……そっか」



 良かった、と。思わず零してしまう。

 私のために一人でずっと悩んで――そんなの、自意識過剰だったみたいだ。でも、それでいい。そっちの方がいい。


 傷つくくらいなら一人の方がマシ。いくらそう強がっていても結局、愛しい温度を知ってしまえば、一人はどうにも寂しくなってしまうから。



「西本も、できたんだな。大事な人」



 良かった。

 私の呟きに返すようにして、相良くんが噛み締めながら言う。



「うん。そうだね。……大事だよ、すごく」



 臆面もなく他者にそんなことを惚気ている自分自身に、私が一番驚いていた。


 認めたくなかった恋。意地を張り続けた恋。

 面倒で可愛くなくてダサかった私を、「彼」はひたむきに追いかけてくれた。


 今ならちょっと、解明できるかもしれない。私が津山くんから――岬から逃げたかったのは、彼の気持ちを確かめようとしていたから、なのだろうか。

 どれだけ突き放しても追い続けてくれる。彼の気持ちがどれだけ本当なのか、私はきっと、不安でたまらなかった。



「この先ずっと、一緒にいると思う」



 これは、私の見解。個人的意見。そして、ずっと怠り続けてきた顕在化への対処法。


 私は真面目で、常に正解を選び取って生きてきた。間違わない。今まではもちろん、これからも。

 だから、今日も選ぶ。選んでいく。岬と一緒にいる、これが今の私が見つけた「正解」だ。


 断言した私に、相良くんが小さく笑う。



「それなら心配ないな」



 コーヒーを一口含んだ彼に、先程から感じていたことを伝えてみる。



「……相良くん、少し変わったね」



 どこが、と問い詰められても、正確に全て答えられる自信はないけれど。



「自分じゃよく分かんないな。久しぶりに会った西本が言うなら、そうなのかもしれない」



 私たちを縛り付けていた制限はなくなり、ようやくゆっくりとした時間の流れの中に身を置いて呼吸ができているような気がした。

 今ならきっと、過去を過去だと割り切って進んでいける。そんな確信がある。



「俺はもう少しここにいるよ。西本は?」


「私は……」



 ふと窓の外を見やれば、雨が降り始めていた。

 岬にはこのカフェの場所を一応伝えてはいるけれど、まだ電車に乗っているんじゃないだろうか。


 スマホを取り出す。メッセージを送ろうとして――やめた。



「私は、もう出るね」


「分かった」



 傘を忘れたな、と思う。きっとこれから本格的に降り出すだろう。

 それでも特に焦らないし悔いることもないのは、岬が傘を持って迎えに来てくれるという変な自信があったからだ。



「これ、私の分」



 代金をテーブルに置くと、相良くんは「いいよ」と遠慮する素振りをしたけれど、それを押しとどめて立ち上がった。借りを作りたくないのは相変わらずだ。



「西本」



 呼び止められて振り返る。てっきり代金のことだと思ったので、相良くんもなかなかにしつこいな、という感想が浮かんだ。



「西本も、変わったよ。結構」



 告げられたのはそんな言葉で、それがお世辞でも嘘でもないことが分かったから、私は軽く笑って、一口も飲まなかったカフェオレに背を向けた。







 外の地面は色濃く濡れ、頭上には分厚い雲が広がっている。雨足は強くなる一方だ。

 カフェを出てから足早に歩いていたけれど、とうとう駆け足で駅へ向かわざるを得なくなった。


 もう少しで駅に着くといったところで、見覚えのある人影が目に入る。住所と現在地を照らし合わせているのか、スマホ片手に周囲を見渡していた。



「岬――――!」



 私が叫んだ瞬間、その場にいた人たちが一斉にこちらを見て、ぎょっとした顔をする。


 ぬかるんだ地面を蹴って走り出す。全速力で、真っ直ぐに。



『西本さん、好き!』


『ほんとに、めちゃくちゃ好きだから! ごめん、もっかいちゃんと顔見て言いたいから! お願い!』



 あの日、彼は人目を憚らず私を走って追いかけてきた。みっともなく泣いて、泣き腫らして、「好き」のたった二文字を伝えるために、恥を捨てて。



『私はね。多分なんだけど、津山くんのこと好きだよ』



 あの日、私は彼にそんな中途半端な気持ちしかあげられなかった。彼みたいに全身全霊で人を好きになったり愛したりすることは、自分にはできないと思っていた。


 今更かな。何年、何か月かかったのって話なんだけれど、私は今やっと、「なりふり構わず」をやれているみたいだよ。



「えっ、加夏ちゃん――うわっ」



 私に気が付いた岬の体に腕を伸ばして、走ってきた勢いそのままに、思い切り抱きつく。

 雨の日特有の湿った土の匂いと、それから一番安心する匂い。彼の胸元に頭を押し付けて、深く息を吸った。



「な、え……どうしたの、大丈夫?」



 酷く動転したような岬の声が耳朶を打つ。私の肩を気遣わしげに抱いて、温かい手が頭を撫でてくれた。



「加夏ちゃん、あの……とりあえず移動した方が、」


「やだ」


「や、やだって……」



 濡れちゃうよ、と諭すように促してくる彼に顔を上げれば、私が抱きついた拍子に驚いてしまったのか、足元に傘が転がっていた。開きっぱなしの一本は、彼がここに来るまでに使っていたものだろう。そして、もう一本は――


 ああ、やっぱり。わざわざ買って、二本持ってきたんだ。

 そうだね。そういう人だったね、津山岬は。



「……ちゃんと、話せた?」



 羞恥心を諦めたのか、私の背中にしっかりと腕を回して、岬が問う。



「うん。……帰ったら、岬にもちゃんと話すから」



 ごめんね。

 そう伝えると、彼は緩く首を振って弱々しく微笑んだ。



「いーよ。戻って来てくれただけで、嬉しい」



 健気で謙虚で、一途な人。私は彼に、これから何を返せるだろう。



「だめ」


「え?」


「岬しか好きじゃないってちゃんと伝えたいから、帰ったら話すの。だから聞いて」



 途端、彼の顔が真っ赤に染まった。その目が少し潤んでいるのは、雨のせいではないと思う。



「……うん、聞くよ。全部聞く。教えて」



 私の肩に顔を埋めながら、岬は声を震わせた。そこに、雨が降る。

 きっと、彼がずっとずっと欲しかった言葉だ。私からの「好き」を、おんなじ「好き」を、岬は切望していた。



「岬」


「うん?」



 嬉しくて仕方がない、といったような声色が、甘く体を蝕む。

 程よく高い位置にある彼の肩に両手をかけて、背伸びをして。耳元でそっと打ち明けた。



「好き」


「え――」


「岬が、好き」



 こういう時、自分は意外と照れずに言えるらしい。開き直ったからだろうか。それとも、彼の前で恥はかききったからだろうか。



「…………もー……何でここでそんなこと言うの」



 半ば苦情のように嘆いた彼は、「我慢すんのしんどいじゃん」と口を尖らせる。そして私の腰を引き寄せると、お返しとばかりに、そっと囁いた。



「好き。加夏ちゃんが好き。……絶対、誰よりも俺が、大好き」



 彼の耳はやっぱり朱色で、何度言ってもいつになっても、彼にとって「好き」の一言は大切なのだなと思う。


 涙なのか雨なのか、はたまた両方か。岬の顔がぐしゃぐしゃだったから、それを指摘すると、「加夏ちゃんもだよ」と言われてしまった。そこでようやく体を離して、傘を拾う。


 彼が差し出してくる傘を受け取ってから、それでも私はそれを開かなかった。



「わざわざ買わなくても、一本で良かったのに」


「えっ」



 彼の傘に入る。隣から岬の顔を見上げて、小首を傾げてみせた。

 うん、相合傘も、悪くない。前に人がやっているのを見た時は、うんざりしていたけれど。自分事となると、恥も外聞もどうでも良くなってしまうものなんだ。



「加夏ちゃん」


「ん?」


「……手は、繋いでも、いいですか」


「いいですけど、傘持ちながら、どうやって繋ぐんですか」


「気持ちで」


「気持ちで」



 思わず最後はオウム返ししてしまった。どうやら、心の中の手を繋ぐらしい。

 可笑しくて吹き出したら、咎めるように彼が肩をこつん、とぶつけてくる。こつん、こつん。何度か繰り返して、駅に着いたら傘を畳んで、今度は本物の手同士を繋ぐ。


 そうして彼の家まで辿り着いてから、岬がふと思い出したようにこちらを振り返った。



「おかえり」


『いってらっしゃい』



 数時間前までここにいた私たちとは似ても似つかないくらい、いや――もしかしたら、さほど変わっていないかもしれない。

 でも、こんなことを何度も積み重ねながら、ただのすれ違いや喧嘩の枠におさめておくにはどうしようもないことを経験しながら、「ずっと」をつくっていく。


 不器用で歪で、苦くて愛しい恋の形。それが私たちの、幸福論だ。



「ただいま」



 ここにいるのは私と君。それなのに、彼は今日も恥ずかしそうに、内緒話をするように愛を囁く。


 私がその四文字を返すと、ずるくて可愛くて時折ウブな恋人は、眩しいくらいの笑みを浮かべて、玄関の鍵を開けた。



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