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ピーク・エンド・ラバーズ  作者: 月山 未来
Weak Point Sharers
22/25

4

 


「――西本さん、聞いてる?」



 目の前で呼びかけられ、我に返った。

 瞬きを繰り返す私に、店長はシフト表をひらひらと掲げながら首を傾げる。



「あ、……すみません。ええと、来週の水曜日ですよね」


「そうそう。出雲の代わりに出て欲しいんだけど、どうかな」


「はい。大丈夫です」



 了承の返事をすると、店長は「ほんと? 助かるよ」と苦笑した。早速シフト表に訂正の二重線を引いて、私の名前を書き込んでいるようだ。


 それはそうと、ゆっくりしている場合ではない。

 今日のバイトを終え、着替えに行く途中で店長に捕まってしまったのだけれど、私はまた人を待たせている。人、まあつまり、津山くんだ。


 毎度申し訳ないな、という感情がないわけではなくて、しかしそれも段々と薄れてきてしまっているのが現状。どちらかというと、私も彼との帰り道を楽しみにしていた。


 手早く準備を済ませ、階段を駆け下りる。



「西本!」



 と、そこで突然追い縋る声が響いた。

 声の主は分かっている。ここ最近、同じ時間帯で働くことも少なくないから、だいぶ耐性はついてきた。



「……何?」



 あの時と同じように。余裕があるふりをして、私は緩慢に振り返る。

 ただ同じじゃないのは、冷めきった心臓と落ち着いた鼓動だ。



「いま、帰り?」


「そうだけど」



 淡々と返して、下り損ねていた階段を二つ進む。

 待って、と懇願するように零した相良くんも、私に倣って階段を下りてきた。



「今日も、一緒には帰れない?」


「うん」


「じゃあ、次のシフト被った時とか」



 どうかな、と。緊張した面持ちで問うてくる彼に、私は小さく息を吐いてから述べた。



「相良くんと一緒に帰ることは、ないよ」


「……西本が俺のこと嫌いっていうのは、分かってるけど……一回でいいから、話すチャンスくれない?」



 なかなか引き下がらない相良くんが、一歩詰めてくる。

 私は首を振って、下から真っ直ぐ彼の目を射抜いた。



「相良くん。私、こないだも言ったけど、もう相良くんと話すことなんて何もないよ。この意味、分かる?」



 僅かに眉根を寄せた相手に、きっぱりと告げる。



「あなたとは話したくもない。――そう言ってるんだけど、ちゃんと伝わってるのかな」


「……西本」


「もう別に気にしなくていいよ、五年も前のこと。私も忘れるから、相良くんも忘れて」



 でも、と付け足す。



「傷つけられた方は、五年経とうが十年経とうが忘れない。私はずっと、相良くんのことが嫌いだったわけじゃない」



 大っ嫌いだったんだよ。

 努めて事務的にそう言い放てば、とうとう相良くんは口を噤んだ。


 嫌いになるって、相当なエネルギーを使うんだよ。でも、私はそのエネルギーを使ってでも、相良くんのこと、許したくなかった。

 初めて好きになって、告白されて、舞い上がって。頷いた私に、どう思ってたんだろう。優しい顔をしておきながら、馬鹿にしていたのかな。


 相良くんは私にとって、最初に好きになった人。それから、最初に、――最初で最後に、嫌いになった人だ。

 もうこれ以上、私の初めてをあげたりなんかしない。きっとあなた以上に嫌いになれる人、存在しない。



「俺の彼女に何か用?」



 背後から一際低い声が飛んできた。そんな声色は聞いたことがなくて、思わず足が竦む。

 振り返った先、普段は和やかな垂れ目をつり上げ、眉間に皺をつくった津山くんがこちらに近付いてくる。



「加夏ちゃん、ごめん。来んの遅れた」


「あ……ううん、大丈夫」



 即座に答えれば、津山くんは少しほっとしたように表情を柔らかくして、私の手を引いた。彼の背中に隠されるような状態になり、それから津山くんが問いかける。



「あんた誰? ナンパなら他当たって」



 どうやら、相良くんのことをそういう風に捉えているらしい。

 じゃあ会話の内容までは聞かれていなかったかな、と胸を撫で下ろした。苦い記憶だし、相良くんにも「忘れて」と言ったわけだし、もう掘り返したくはない。



「いや――俺は、西本とバイト先が一緒で……」



 津山くんが私の顔を振り返る。ほんと? とその唇が動いたから、一度だけ頷いた。

 相良くんに軽く頭を下げた津山くんは、「すんません」としおらしくなる。



「あの、相良くん。そういうことだから。私、彼氏いるし、一緒には帰れない」



 影から顔を出して、そう伝える。そろそろ気まずさも限界だ。


 繋いだ手を今一度しっかり握って、「行こう」と津山くんを引っ張る。戸惑ったように相良くんを見やった後、津山くんは私の隣に並んだ。



「……加夏ちゃん」


「うん?」


「あの、……いいの? なんか、大事な話してた感じ?」


「ううん。何でもないよ」



 もう相良くんとは別れたんだから、その話はしたくない。

 ぎゅう、と津山くんの手にしがみつくようにしていると、「どうしたの?」と聞かれてしまった。



「繋いでたらだめ?」


「え? いや……だめなわけない、嬉しいけど……」


「岬が嬉しいなら、いいじゃん」



 今日は強請られるよりも先に、名前を呼んでみる。

 津山くんは分かりやすくうろたえて、視線を左右に振った。頬が赤い。



「……なんか、今日の加夏ちゃん、変」


「変じゃないよ」


「変だって。いつもなら、絶対こんなことしないのに……」



 自覚はあった。だけれど、その上で私はやっていた。


 思い出してしまった記憶に蓋をしたい。あれから私は恋に随分と臆病になって、そのせいで色々と遠回りをした。ようやく津山くんと誠実に向き合おうと決意したのに、今更昔のことなんて出てきて欲しくないのだ。


 今はただ、目の前にいる彼のことを、ちゃんと好きでいる自分でいたかった。



「私がこうなったら、嫌?」



 ずるい質問をしてみる。返ってくる答えなんて分かりきっていて、津山くんが照れたように、困ったようにするのも分かっていて。



「……嫌じゃない……可愛すぎて、しんどい」



 その火照った頬に心臓が疼くのも、心地良いと思える程度には、私は彼が好きだ。

 そうだよ。私は津山くんが好き。恋って本来、こういうものだ。甘くてふわふわしていて、幸せなもの。



『俺、西本のことが好きです』



 だから、あんな苦いものは、もういらない。



「津山くん」



 忘れさせてよ、なんて、傲慢だけれど。少なくとも、この恋に溺れてみたいとは、思っていた。



「デートしよ」





 ***





 待ち合わせ場所には十分前に着いた。

 知り合いに見られるのが嫌だから、と高校生の時のように街中を避けることはせず、比較的人通りの多い駅で落ち合う。



「あ、おはよ」



 こちらに気が付いた津山くんが、片手を挙げて微笑む。


 思えば、彼と二人で出掛けるのは、付き合ってから初めてのことだった。

 それこそ私が「デート」なんて単語を持ち出した時、津山くんはしばらくフリーズしてしまったくらいだ。彼に告白された日以来に「ちょっと俺の顔、殴ってくれない?」と言われたので、「夢でもないし耳鼻科も行かなくて大丈夫だよ」と教えてあげた。


 まあつまり、それほど私の言動がらしくなかったということなのだろう。


 ごめん待った? 全然。

 意図せず定番のやり取りをしてしまって、内心むず痒くなる。



「じゃあ行こっか。今日ちょっと歩くけど、大丈夫?」



 昨日の時点で同じようなことを聞かれていたので、彼の質問にためらいなく頷いた。

 履き慣れているスニーカーに視線を落とし、靴紐が解けていないか確認する。


 今日も今日とて、津山岬は憎たらしいくらいカッコいい。……なんて、本人には絶対に言わないけれど。

 モカ色のカットソーから伸びる白い腕が案外たくましくて、妙にどきりとしてしまった。


 休日の喧騒も、路地に入るとさほど気にならなくなる。

 二人並んでアスファルトで舗装された道を歩きながら、目に入ってきた店や看板をダシに、時折たわいもない会話を交わす。


 そこに別段甘さはなく、大学からの帰りやバイト後のやり取りもこんな調子だった。あまり普段と変わり映えしない時間が流れているような気もするけれど、私は穏やかな空気が好きだ。

 遊び人でもなく、みんなの人気者でもなく、ただの一人の男の子として、彼が隣にいてくれるような感覚がするから。



「……あ」



 不意に津山くんが声を上げたかと思えば、そのまま立ち止まった。

 つられて私も足を止め、彼の視線の先を辿る。



「加夏ちゃん、覚えてる? 前にたい焼き食いに行った時のこと」



 店先にさげられた提灯が印象的だった。あの時入った店とは外観も雰囲気も随分と違うものの、そこには確かにたい焼き屋がある。



「……うん。覚えてる」


『好きじゃないのに期待させるって、津山くん見かけによらず残酷だよね』



 人を傷つけた記憶を、そう簡単には忘れない。私の中ではあまりいい思い出とは言えなくて、むしろ苦い思い出に分類されていた。



「俺さ、あの時だったよ。加夏ちゃんのこと、ああ好きだなって思ったの」



 まだ制服を着ていた自分たちの姿を脳内でなぞっていたら、津山くんから放たれたのはそんな言葉だった。

 さすがに想定外だ。え、と気の抜けた声が喉から漏れて、私はひたすらに瞬きを繰り返す。



「あんな風に怒られたこと、今までなかったっていうか……加夏ちゃんは怒ったつもりなかったのかもしんないけど」


「いや――あれは、普通に私の八つ当たりみたいな感じだから」


「うん。……まあ、ほんとはその後」


「その後?」



 津山くんからこんな話を聞くのは新鮮だった。

 どうして彼が私のことを好きなのか、好きになったのか。未だに細かい部分は分からないままだ。



「必死になってる俺は、嫌いじゃないよって。加夏ちゃんが、言ってくれたんだよ」



 確かに、言ったかもしれない。それは今でも思う。余裕のない津山くん、照れて恥ずかしがっている津山くん。そっちの方がずっと可愛くて、心臓がぎゅう、と苦しくなるのだ。



「……俺、中学の時に初めて付き合った彼女に、余裕なくてダサいって言われちゃってさ。ダサいのって、俺の中では絶対に『だめ』だったんだよね、その時から」



 でも、と私の瞳を視線で掬い上げて、彼が笑う。



「ダサくていいよって、加夏ちゃんが言うからさ。もうそれだけで、ほんとは泣きそうなくらい、嬉しかった」


「……津山くん、」


「まじで加夏ちゃんにはカッコ悪いとこばっか見せてるけど、許して」



 許すも何も、私はカッコ悪い津山くんが好きなんだけれど。

 心の中だけでこっそりそう付け足すのがやっとだった。ストレートに紡がれた彼の本音は、遠回しにずっと「好き」と言われているみたいで、意図せず顔が熱くなる。


 そろそろと視線を上げれば、たい焼き屋の近くにまた看板が見えた。



「津山くん、覚えてる?」


「え?」



 私が指さしたのは、「肉まん」の文字。それを見た彼の顔が、親しげに歪んだ。



「あー……ちょっと正直、ダサすぎて忘れたいけど」


「すっごい色んな人に見られて、私の方が恥ずかしかった」


「すんません……」



 ちょうど受験期。一人教室で落ち込んでいた津山くんを無理やり引っ張って、コンビニの前で肉まんを頬張ったこと。あんなに泣く彼を見たのは当時初めてで、さすがに若干困ったのを覚えている。



「まあ、あのまま一人で泣かれるよりは、全然マシだったけど」



 自分のおかげで、とか、そんなことは思わないにしろ、魔が差して正解だった。

 あの時教室に踏み入らなかったら、津山くんに声を掛けなかったら。きっと彼は今頃、違う大学に行っていたんじゃないかと思う。



「……やっぱ、優しいよね」


「は?」


「俺、加夏ちゃんがいなかったら、ほんとに腐ってたわ。まじで俺の人生の転機に立ち会いすぎじゃん?」


「……たまたまでしょ」


「はは、そういうことにしとく」



 せっかくだから、と、たい焼きと肉まんを一つずつ買うことにした。何がせっかくなのかさっぱり分からないけれど、津山くんと半分ずつ分け合って、甘いのとしょっぱいのを両方食べられたのは、結構お得だったな、と思う。


 路地裏を進みながら、途中で気になったお店に入ってみたり、津山くんが野良猫に威嚇されていてちょっと笑ってしまったり。

 ゆっくりと流れる時間が、最近ささくれ立っていた心を少しずつ癒していく。


 うん、大丈夫。私はちゃんとこの人を好きになれる。好きになっている。もう、理不尽に傷ついて臆病だった自分はいない。



「加夏ちゃん」



 こじんまりとした書店を出たところで、津山くんが私を呼んだ。



「貸して。持つよ」



 たったいま買った、数冊の本が入った袋。私が持っているそれを奪おうとした彼に、首を振る。



「いいよ。大丈夫」


「でも、」


「いいって」



 津山くんの片手は既に荷物で埋まっている。私のものを持つと、両手が塞がってしまうから。



「……こうしたら、手繋げるでしょ」



 空いた片手同士、引き合わせるように。

 彼の手に触れた途端、相手の足が止まった。



「えー…………ちょ、待って……」



 はあ、と盛大なため息をついて、津山くんが俯く。それでも手は力強く握られたままで、私も立ち止まるほかなかった。



「ずっる……それは反則」


「な、何が」


「俺よりかっこいいことすんのやめて。心臓出るかと思った、危な……」



 かっこいい、はちょっとよく分からないけれど。

 反則なわけがない。正攻法じゃん、と抗議の意味も込めて、彼の手を握り返す。



「待って、ほんとに。どうしたの最近」


「別にどうもしない」



 もっと手を繋ぎたいって言ったのは、津山くんだ。欲しがったのはそっちだ。

 私はただ、自分の枷みたいなものを取っ払っただけ。想った分を、言葉と行動に示そうと思っただけ。


 ちゃんと真っ直ぐに、人の気持ちを信じられる恋をしたいだけで――。



「……加夏ちゃん、さ。やっぱりあの人と何かあったんじゃないの?」



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