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ピーク・エンド・ラバーズ  作者: 月山 未来
Weak Point Sharers
19/25

1

 


「まあなんてゆーか、良かったね? 拗れる前に戻れて」



 津山くんとの一部始終を伝えた後の芽依の感想はそれだった。

 思いのほかあっさりと片付けられてしまって、こちらとしては少し拍子抜けだ。



「いやーだって正直、別れないと思ってたし。ていうか加夏、気付いてる? いま私に話してくれたの、全部惚気だから」


「なっ、」


「まあいーよ。加夏の可愛い顔に免じて許すわ」



 まさかの逆襲に遭ってしまい、言葉を詰まらせたまま固まる。

 ほら出るよ、と立ち上がった芽依は、私の腕を引っ張り上げた。



「今日も津山氏と帰るんでしょー? 早く行ってやらないと可哀想だぞ」



 慌ててトートバッグを掴み、芽依に引き摺られるようにして講義室を出る。窓の外はじっとりと湿度が高く、今にも雨が降り出しそうだ。


 一階まで下り切ったところで、壁にもたれかかりながら人混みに目を滑らせている「彼」を見つける。なぜだか無性に走り出したくなるような、くすぐったい気持ちが胸中を満たした。さすがに実行には移さないけれど。



「津山くん」



 近付いていって声を掛ければ、弾かれたように彼が振り返った。途端に表情を和らげ、その唇が「加夏ちゃん」と動く。



「全然気づかなかった。今日そっちの階段から来たの?」


「うん。混んでたから」



 そっか、と浮ついた声で返した彼の顔色は、もうすっかり健康的だった。


 津山くんの体調が悪かったのは、純粋に食事と睡眠を怠っていたからだ。

 彼の部屋で過ごす間、一緒にご飯を食べて眠くなったら寝る、といった具合に、かなり欲に忠実な生活を送った。といってもそれは、たった一日半の出来事だったけれど。



「……昨日寝れなかった?」



 彼の目がほんの少し眠そうに垂れ下がっていたので、下から覗き込むようにして確認がてら問いかける。



「え、バレた?」


「うん。なんか、ぽやっとしてる」



 まじか、と照れ臭そうに津山くんが頬を掻き、私に視線を寄越した。



「……電話できたの嬉しすぎて、切った後も寝れなかった」


「え、」



 実は昨日の夜、彼と電話を繋いだのだ。

 特に用事があったわけではない。思い出すだけで気恥ずかしいのだけれど、津山くんが「声を聞きたい」とか言い出すものだから。


 もともと彼は連絡がマメな方だなとは思っていた。返信が遅いのを直して欲しいと言われたし、私も彼に合わせてなるべくメッセージを返すようにはなったのだ。

 ただ、メッセージのやり取りにしろ電話にしろ、以前よりも遥かに糖度の増した口調や声に翻弄されている。



「おーおー、見せつけてくれんじゃーん」



 背後から芽依の揶揄いが聞こえて、びくりと肩が震えた。



「津山氏、デレデレしすぎだっつの。鼻の下伸びてんぞ」


「うっせ。邪魔すんなよー」



 つか伸びてねえし、と津山くんが軽く笑い飛ばす。いや伸びてたわ、と芽依も負けじと言い返した。


 ……もしかしなくても私、いま一瞬、芽依のこと忘れてた?

 よそのカップルがいちゃついているのを見てげんなりするくせに、自分がいざその立場になると本当に周りが見えなくなってしまうものなのか。


 さっそく恋愛脳になっている。駄目だ、もっとこう、自分のペースを崩さない程度に――



「加夏ちゃん、行こ。早く二人になりたい」


「えっ、……な、」


「手繋ぐね」



 一応断りは入れてくれたものの、不意打ちであることには変わりない。

 ああでも、もうちょっと手は繋ぎたいって言われたっけ。ぼんやりとそんなことを考えて、振り払うことはせず、彼の手を握り返した。


 津山くんは一瞬驚いたように目を見開いて、それからすぐに頬を赤く染める。そんな反応をされると私の方が恥ずかしい。



「……な、なに」



 ぶっきらぼうに問うと、彼が首を振った。



「ううん。……めっちゃ嬉しくて、死にそうなだけ」





 ***





「加夏っち、そういえばもう新しいバイトくんと会った?」



 土曜日の従業員室にて、退勤時間が同じだった栞さんにそんな話題を提供された。

 いえ、と短く否定して、結んでいた髪を解く。


 最近新しくバイト仲間が増えたのは知っていた。その影響もあってか、土曜日は夕方までの勤務で済むようになったので、密かに感謝している。



「大学一年って言ってたから、加夏っちと同い年だよ。普通にいい子」


「そうなんですか」



 同年代なら比較的話しやすいだろうし、シフトが被っても特に問題なさそうだ。人に何かを教えるという作業も、実は結構好きだったりする。


 栞さんはこのあと友達と落ち合ってご飯に行くそうで、しばらくここで時間を潰すとのことだった。

 じゃあお先に失礼します、と会釈をしてドアを開ける。


 裏口から出て階段を下っていると、下から男の子が一人、上がってくるところだった。恐らくバイトの誰かだろう。しかし、見覚えのないシルエットだ。もしかして噂をするとなんとやら、新入りくんかもしれない。


 第一印象は大切だ。自分は愛想がないのだから、誤解を与えないようにせめて明るく挨拶を――と、そこまで思考を巡らせていた時だった。

 不意に顔を上げた彼は、私を見るなり足を止める。その目が少しずつ見開かれていき、瞬間、私もまた呼吸を忘れていた。



「……西本?」



 耳に届いたのは想定よりずっと低い声で、それもそうか、と腑に落ちている自分もいる。――だって、あれからもう五年以上も経っているのだから。


 週末の街は雨に濡れ、しっとりとした風が通り過ぎていく。

 重たい沈黙が続いた。脱する術も分からないまま、ただ今は立ち尽くしている。



「久しぶり」



 当たり障りのない再会の決まり文句を吐き、彼が目を伏せた。


 久しぶり――そうか、やっぱりそうなんだ。

 声はすっかり低くなって、身長もぐんと伸びて、顔つきだって随分と大人びた。人違いかもしれない。そう思ったけれど、そう思いたかったけれど、現実はなかなかうまくいかないようだ。



「初めまして。西本です」



 震える喉をぐっと堪えて、背筋を伸ばす。私の言葉に、相手が息を呑んだ。



「私、平日の夜は結構シフト入ってるので、一緒になった時はまたよろしくお願いします」



 早口で言い募り、頭を下げる。顔を見る余裕はなかった。

 そのまま逃げるように階段を駆け下りた後、傘もささずに駅までひた走る。小雨でも、まともに受けてしまうと被害は甚大だった。


 電車に乗り、スマホの画面を灯す。メッセージの履歴の一番上にある「津山 岬」を開こうとして、どこからともなく襲ってきた罪悪感に気力を削がれ、何も送らずアプリを閉じた。





 ***





「飲み放題のメニューはこっちで、この限定ドリンクは飲み放題に入らないです。そこをあんまり分からないで注文するお客さんが結構いるので、最初に説明して下さい」



 努めて平坦に、淀みなく喋り倒す。相手の顔は見ない。視線をメニューに固定して、私は指さしながら説明を終えた。



「分かった。ありがとう」



 未だ聞き慣れない声が頷いて、礼を述べる。


 退勤後、足早に従業員室へ向かっていたところを、彼に引き留められた。反射的に身構えてしまったけれど、彼はどうやら、純粋に業務内容についての質問をしたかったらしい。


 他に聞ける人はいたはずなのに、とか、どうしてこのタイミングで、とか、文句は沢山あった。実際に言ってやりたかった。

 でも彼の前では、自分はどうしたって強く出られないのだ。



「……あのさ。俺たち同い年だよね」


「そうですね」


「何で敬語なの?」



 何で――それをそっちが聞くのか、と若干辟易する。

 そんなの、距離間を保ちたいからに他ならない。あくまでもアルバイトの一員同士。その線引きをしっかりしたかった。


 つと僅かに顔を上げれば、相良(さがら)と彼の苗字が印字されたネームプレートが目に入る。



「同期二人しかいないし、仲良くしたい……かなって」



 その言葉通り、私と彼以外はみんな年上だ。

 先輩方はたまにふざけることがあるけれど、基本的には優しい。だから同期がいないことに、あまり不満もなかった。


 目の前の彼から放たれた要望に、思わず眉根を寄せてしまう。

 仲良くしたい? どの面をさげて、あなたがそれを言うの?



「無理に仲良くしなくても、仕事はできると思うけど」



 苛立ちに任せて吐き捨てれば、随分と冷たい口調になった。と同時に敬語も外れてしまって、軽く唇を噛む。



「……じゃあ、私、もう着替えるので」



 強制的にこちらから会話を切り上げ、踵を返す。

 追い縋る声はない。私の意思表示は伝わっただろうか、と一人ため息をついた。


 以前のように、相良くん、と呼ぶ気になれるわけはなく、じゃあどう呼べばいいのかも結局よく分かっていない。そもそも、彼の記憶を抹消したかった。


 憂鬱な気持ちで私服に袖を通し、結び跡のついた髪を少し整える。ちょっと前まではバイト後の見た目なんてさほど気にしていなかったくせに、と自分自身に野次を入れて、気恥ずかしくなった。


 先輩方への挨拶もそこそこに、従業員室を出る。――と、



「……あ」



 階段脇で壁に寄りかかっていた彼が、私の姿を目視して口を開く。



「あの、……一緒に帰らない? 途中まででもいいし……」



 沈黙を誤魔化すように動く、骨ばった手。当時と全く変わっていない、固そうな黒髪。唇の少し下、顎にあるほくろも。

 やっぱり、どうしたって彼は――相良くんは、私の初恋の人なのだ、と認めざるを得なかった。



「ごめん」



 それだけ告げた私に、相良くんが視線を左右に振る。



「……西本。俺のこと、覚えてる?」



 あまりに私が他人行儀だから、不安になったのだろうか。

 そんな質問を投げかけられて、――投げかけられる前から、答えは決まっていた。



「さあ。何のこと?」



 彼の目を見据えてはっきりと返せば、再び沈黙が訪れる。

 意地になっているのか何なのか。お互い目は逸らさないまま、真正面から向き合っていた。


 心の中で、十秒は数えたかもしれない。

 ちょうどそのとき私のスマホが震えて、メッセージを受け取ったらしかった。



「じゃあ、お疲れ様」



 送り主は開かずとも分かる。返信するより、いま彼とのやり取りを切り上げて下に降りた方が手っ取り早いな、と判断して、私は足を動かした。



「西本、」



 刹那、腕を掴まれた。流石にそれは想定外で、心臓が大きく跳ねる。



「覚えてるよな? だからそう言うんだろ」


「……離してくれる?」


「俺、ずっと西本とちゃんと話したくて、」


「離してよ!」



 声を張り上げ、彼の手を振り払った。触れられたところを庇うように自身の手で抑えつけてから、相手を睨む。



「“ちゃんと話したい”? 笑わせないで。私は今更、相良くんと話すことなんて何もない」



 わざわざ人の傷口を抉って楽しい? ああ、そっか、楽しいんだね。だからこうやって構ってくるんだよね。

 相良くんって残酷だ。人畜無害そうな顔をして、いとも簡単に心の畑を踏み荒らしてくる。


 私の空気に尻込みしたのか、彼が息を呑んだ。言い返しては、こないみたいだ。

 今度こそ、引き留められることも振り返ることもなく、階段を駆け下りた。


 心音が近い。呼吸のリズムが定まらない。

 自分が今の今までいたところはあんなに空気が重たかったのに、仕事終わりの人々が行き交う路地はまるで別次元のように明るく陽気だ。


 ようやく落ち着いて息を吸えるようになり、左右を確認する。それでもメッセージの送り主の姿は見当たらなくて、おかしいな、と首を傾げた時だった。



「今の人、誰?」



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