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ピーク・エンド・ラバーズ  作者: 月山 未来
Seek Right Vagrans
16/25

6

 


 汗をタオルで拭いながら座り込む。ドリブルの振動が床から伝わって、それが心地良い。


 週に一度のサークル。軽くゲームをしただけで疲労困憊な私とは対照的に、男子たちはまだまだ体力が有り余っているようで、今もボールを奪い合いながら走り回っていた。


 バスケサークルに入ろうと思ったのは、完全に津山くんの影響だった。

 もともと大学から何か新しいことを始めたいとは思っていたけれど、彼が「一緒にやろうよ」と誘ってくれたのが大きな要因である。男女混合で和やかに活動できるというのが、決め手ではあったけども。



「あいつ、今日も来なかったなー」


「てか講義でもあんまり見かけなくね? 俺同じやつ結構取ってるけど、先週から全然来てねえわ」



 壁際でだらりとしゃがみ込み、水分補給の傍ら、同期の男子がぼやいている。

 あいつ、というのは津山くんのことだ。先週のサークルに来なかった時は別段気にはしていなかったけれど、二週連続で休まれると、私に会わないようにしているんだろうか、と考えてしまう。


 それに、講義にも行っていないとはどういうことだろう。

 津山くんは高校の時こそ勤勉とは言い難かったけれど、ここへ入るには物凄く勉強したはずだ。そこまでして受かったのに、遊び呆けているとも考えにくい。



「さすがにそろそろやばくね? お前、連絡してやったら?」


「いや……してんだけど、こないだから全然返信こないんだわ。機種変したとか?」



 知らず知らずのうちに、男子の会話に耳をそばだてている自分がいた。


 連絡が取れない? 姿も見えない?

 私は完全に彼と連絡を絶っていたから、そんな状況になっているとはもちろん知らなかった。もし仮にいま津山くんへ電話を掛けても、繋がらないということだろうか。


 まだ彼と顔を合わせて話す勇気はない。考えもまとまっていない。

 津山くんと次に会う時は、連絡を取る時は、私が彼と「付き合い続ける」か「別れる」か、自分の中で決断を下したその時だ。


 でも、いざその時が来て彼にコンタクトを取っても、もう繋がらないかもしれない。それはちょっと、いやかなり困る。曖昧なまま終わりというのは、絶対にしたくない。



「西本さん」



 ふと呼ばれて顔を上げれば、ケースケくんが隣に腰を下ろすところだった。隣といっても、私と彼との間には妙な間隔が空いていて、親しいとは言い難い距離感である。



「お疲れ。名倉は?」



 問われて視線を移し、コート内で男子に交じり談笑している芽依を指さす。

 ケースケくんは「ああ」と頷いて、私に顔を向けた。



「……あのさ。こないだ、色々ごめん。俺がとやかく言うことじゃなかったわ」



 律義に謝りに来てくれたらしい。もう済んだことだと思っていたので、少し驚いてしまった。

 ううん、と即座に否定してから、私は口を開く。



「ケースケくんが言ってくれなかったら、多分私ずっとあのままだったと思う」


「あれから岬と会ってないって、ほんと?」


「うん」



 まじかあ、と項垂れた彼が、自身の髪をがしがしと掻き回した。



「それ、俺のせいじゃんね」


「いや、そうじゃなくて……会わないって決めたのは私だから」


「うーん……」



 なおも唸り続けるケースケくんは、「ごめん!」と唐突に背中を伸ばした。すぐにばつの悪そうな顔になったかと思えば、目を伏せて話し出す。



「実は……一昨日、岬の家に行ったんだよね。いつも割と一緒に講義受けてんだけど、最近学校来ないからさ。連絡もつかないし」



 津山くんはこの春から一人暮らしだ。行ったこともなければ見たこともないけれど、何となくの場所は知っている。

 スマホが無意味になると、家に突撃訪問という原始的な方法に頼るしかなくなるらしい。ケースケくんは一週間分のレジュメやら資料やらを持って、津山くんを訪ねたそうだ。



「で、まあ結論から言うと会えなかったんだけど。インターホン越しでちょっと話したんだよね。岬、だいぶ弱ってたわ」



 とりあえず部屋にあげろ、と冗談めかして言っても、津山くんはドアを開けなかったという。

 それで、とケースケくんが眉尻を下げた。



「多分あの様子だと、ろくに飯も食ってないんじゃないかなーと思って。普通に具合悪そうだったんだよ。あいつ一人暮らしじゃん? ちょっとやばいなーと……」



 まあ確かに、それはよろしくないと思う、非常に。

 ケースケくんにそのつもりはないんだろうけれど、遠回しに私のせいだと言われているようで、返す言葉に詰まった。



「それでその、西本さんにお願いなんだけど……あいつに会ってくんないかな。割とがちで死にそうだから」


「……私が行っても、会えない可能性もあるわけでしょ?」


「それはない。てか、俺じゃ無理、会ってくれなかった。西本さんじゃないと、あいつ開けてくれないわ」



 どうしたものか。ケースケくんにまで迷惑かけないでよ、と八つ当たりのようなことを思う。

 とはいえ、さすがに死なれたら洒落にならないので、あくまでもケースケくんのために赴くことに決めた。



「分かった。……じゃあ、とりあえず来週くらいに行ってみる」


「え、いや――待って。来週はちょっとやばいかも。その間にあいつ死ぬって。なんなら明日にでも行った方がいいくらい」



 そんなに切羽詰まっていたのか。

 いや、でも明日は無理だ。バイトがあるし、金曜日は特に忙しいから絶対に休めない。今週の日曜日は幸いにも休みだけれど、気持ちの整理をつけるには期間が短すぎる。



「うーん……うん。じゃあ、明後日行ってくる」


「頼むわ。人命救助だと思って何とかお願いします」



 土曜日は午前中に講義があって、バイトは夕方には終わる。その後に行ってみよう。外出してそのままの足で行った方が、まだ勇気は出そうだ。

 日曜日の方が丸一日休みで時間はあるけれど、どうせ結論を出せないまま会うなら、一日でも早く会った方がそれこそ人命救助としては適切だろう。


 思わぬ形で降ってきたハプニングに、私はタオルを握り締めたままため息をついた。





 ***





 労働でかいた汗は悪くないな、と思うあたり、自分は従順な日本人なのだろう。

 バイトが終わり、すぐに電車に乗り込んだ。ちょうど帰宅ラッシュと被ってしまい、混雑の中をやり過ごす。


 ケースケくんが送ってくれた住所を確認しつつ、電車を降りてからコンビニに寄って、飲み物とゼリーを買った。


 向かうべきは他でもない、津山くんの家である。

 学校のすぐ近くのアパートに住んでいるらしい彼は、毎朝電車を乗り換えて登校する私としては、羨ましい以外の何物でもなかった。



『……別れるとかじゃ、ない、よね?』



 あれから本当に、一度も会っていない。少なからず緊張しているし、誠実な答えを持ち合わせてもいなかった。


 目的のアパートに辿り着いて、躊躇しながらも階段を上っていく。彼の部屋は三階だ。

 ここで間違ってないよね、と最後にもう一度確認して、インターホンを押した。


 押した後、心臓がばくばくと動き出して、冷や汗も出てくる。

 鼓動が速いからか、僅かな時間も酷く焦らされているような気持ちになって、二度目の呼び鈴は随分と早めに鳴らしてしまった。


 五秒待ち、静寂。十秒待ち、静寂。

 もう五秒待つ前に、留守だろうか、と結論付ける。今日この時間に行く、と連絡をしたわけではないし、まあ当たり前かもしれない。


 急に恥ずかしくなってきて、コンビニの袋をドアノブに引っ掛け、踵を返した。

 階段を二段ほど降りた時、背後で物音がして振り返る。



「…………加夏、ちゃん?」



 小さく呟いた声が、憔悴しきっている。

 真っ白を越えてもはや真っ青な津山くんは、目の下に隈ができていた。一目見れば誰でも分かるくらいに、やつれている。



「え、本物……?」



 黙って彼の様子を観察していたら、勝手に幻覚扱いされてしまった。


 玄関から一歩出た津山くんが、ドアから手を離した途端に大きくよろめく。

 慌てて駆け戻って、私は彼の腕を掴んだ。



「ちょっと、大丈夫?」



 聞いたくせに、全く大丈夫な気がしない。

 これは重症だな、と内心独りごちて、彼の背中に腕を回した。



「とりあえず横になりなよ。ご飯は? ちゃんと食べてる?」



 ドアノブに掛けっぱなしだった袋を回収して、扉を閉める。今は緊急事態なので、靴を脱いで勝手に部屋にあがらせてもらうことにした。


 私の質問に緩く首を振った津山くんを支えながら、よたよたと歩く。何とかベッドに彼を横たえた。



「ちょっとごめんね」



 断りを入れてから津山くんの額に手を当てると、彼の肩がびくりと震える。



「……うん。熱はないね。水飲める? 飲んだ方がいいよ」


「え、あ、」



 彼の頭を持ち上げるように手で支え、軽く上体を起こす。

 おずおずと口をつけた彼の様子からして、摂取する意思はあるらしい。飲みやすいようにペットボトルを少し傾けて、流し込んでやる。



「ゼリー買ってきたけどいる?」



 袋を漁りながら問うた私に、津山くんは眉尻を下げ、ごめん、と唇を動かした。



「……あんまり、いらないかも」


「何か食べたいものある?」


「いや……」



 食欲はなし、と。それでも何か食べた方がいいだろう。

 彼に許可を取って冷蔵庫の中を見せてもらい、しばらく考え込む。ご飯と卵はあるから、玉子粥なら作れそうだ。お粥は作ったことがないけれど、ネットに頼ればまあどうにかなるはず。



「津山くん、キッチン借りるね」



 手早く髪をまとめて、鍋に水とご飯を入れてから火にかける。しばらく煮てだしの素と卵を加えたら、匂いも見た目もそれっぽくなってきた。

 白い器を拝借して、それに盛り付ける。湯気がふわりと舞った。


 それを持って戻ると津山くんは少し眠たそうに瞼を薄く開いていて、私にゆっくり視線を移し、目尻を和ませた。



「お粥作ったんだけど、どうかな。ていうか私も食べるから、津山くんも食べて」



 ちゃっかり二人分作っていた図々しさは許して欲しい。そろそろ夕飯時だし、バイト終わりだし、お腹が空いていたのだ。



「うん。……ありがと」



 半ば強制的に押し付けたけれど、津山くんは静かに頷いて、器を受け取った。のっそり起き上がり、湯気が立ち上る様をじっと見つめている。


 一応味見をしたとはいえ不安になって、私は彼より先に一口含んだ。

 それを見て津山くんも「いただきます」と、か細い声で食べ始める。



「……加夏ちゃん」


「なに?」


「美味しい」



 こちらを凝視して真顔で伝えてくるものだから、少し面食らってしまった。

 そっか、と私が返すと、津山くんは更に一口食べて飲み込み、また「美味しい」と言う。



「全部食べれそう?」


「うん。美味しいから、大丈夫」


「食べたら寝た方がいいよ」



 美味しいのはもう分かったから、それ以上は勘弁して欲しい。気恥ずかしいし、そこまで何度も言われてしまうとお世辞に聞こえる。


 津山くんは突然手を止めて、不安げに私を見やった。



「……俺が寝たら、帰るの?」



 帰って欲しくない、というニュアンスが滲んでいるのは嫌でも分かったけれど、私だって津山くんの体調を確認できたらすぐに帰るつもりだったのだ。

 質問には答えず、私は鞄からファイルを取り出した。



「これ、ケースケくんから」



 もはや分厚くなったレジュメの束を手渡し、何となく気まずくて目を逸らす。

 津山くんはそれを受け取って、やっぱり、と小さく零した。



「やっぱ、ケースケから言われて来たんだ」


「うん、まあ」


「本当は来たくなかった?」



 急に核心をつくようなことを言われてしまい、息が詰まる。ゆっくり顔を上げると、寂しそうに微笑む津山くんがいた。



「ケースケから連絡来て……加夏ちゃんが今日俺ん家来るっていうから、突然何の冗談だよって思ったけど……」



 かた、と脇のテーブルに器を置いて、彼が息を吐く。



「本当に来てくれると思わなかった。インターホン鳴って、まさかって……まさか来るわけないよなって、でももしかしたらって思って、そしたら、ほんとに」


「……津山くん」


「だけど、来たくなかったんでしょ。帰んの早すぎ……もうちょっと待ってくれたって良かったじゃん」



 苦笑から、次第に詰るような口調に変わっていく。津山くんは自身の前髪をくしゃりと掴んで、私の目を射抜いた。



「俺、ずっと考えてたのに……飯もバイトも学校もどうでもよくなるくらい、ずっと……ずっと、どうしたら加夏ちゃんが許してくれんのか考えて、寝れなくて」



 彼の瞳は酷く空虚だった。ただ私をじっと見つめて、穴が開くくらい見つめて、私の薄っぺらい心の中を覗き込まれているようで怖かった。



「でも、加夏ちゃんは俺のこと、どうだっていいもんね」


「違っ、」


「分かるよ。分かってる。今だってただの病人の看病くらいにしか思ってないんでしょ」



 どきりと心臓が跳ねる。

 図星とまではいかないまでも、私が津山くんと会って冷静でいられたのは、看病に集中していたからだ。


 未だ結論を出せずにうじうじとしている自分の考えまで見透かされてしまうのではないかと、どこかで怯えていた。


 巣食うような目で、津山くんが薄く笑う。



「――加夏ちゃんは俺のこと、全然好きじゃないもんね」



 瞬間、全身に鳥肌が立った。たまらず反射的に立ち上がる。



「……帰る」


「え、」



 バレた、と本能的に思った。

 いや、確かに私は彼を好きだったのだ。そのせいで悩んだり落ち込んだりしたはずで。


 でも、なぜか、なぜだろう。その時、彼の求めているものを、私は持ち合わせていない、あげることができないと思った。

 津山くんみたいに、「好き」に日常生活まで振り回されるような大きい気持ちを、質量を、私は自分の中のどこを探したって見つかりっこなかった。



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