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ピーク・エンド・ラバーズ  作者: 月山 未来
Seek Right Vagrans
15/25

5

 


「……加夏ちゃん」



 壁に預けていた背中を起こして、津山くんがこちらに歩み寄ってくる。


 半ば助けを求める思いで芽依を見やると、彼女は珍しく神妙な顔をして私の肩に手を置いた。



「芽依、」


「ちゃんと話した方がいいよ。……お互いのためにも」



 帰り気を付けてね、と最後に気遣いを付け足し、芽依がケースケくんに視線を移す。二人は黙ったまま連れ立って歩き出した。

 その背中を引き留めたい衝動に駆られたけれど、この状況でさすがにそれはできない。私は唇を噛んで俯いた。



「加夏ちゃん、ごめん」



 すっかり芽依とケースケくんの気配がなくなってから、津山くんが切り出した。

 見なくても彼が許しを請うような表情をしているのは分かる。ひたすらに地面を見つめたまま、私は口を開いた。



「……ごめんって、何が?」



 まるで拗ねた子供みたいな声が出た。自分も大概面倒だな、とうんざりしながらも、取り繕う余裕はない。



「え――と、俺が何かしたから、怒ってるんだよね?」


「は、」


「俺のせいでごめん。でも、連絡つかないと心配になるから……」



 たまらず彼の顔を見上げた。一体どんな表情で物を言っているのかと、確かめたくなる。

 しかし予想と大して相違ない。津山くんは情けなく眉尻を下げて、いかにも困り切っているといった様子で。少し、不服そうにしながら。



「……津山くんさ、いま私に対して『何で』謝ってるのか、自分で分かんないの?」



 俺が何かしたから、怒ってるんだよね?

 怒っている私も理不尽だ、というニュアンスが絶妙に混じったその言い草に、かちんときた。


 おおもとを辿れば飲み会でのことが原因なのだけれど、それに関しては正直さほど怒っていない。むしろ、その後のしつこい連絡に嫌気がさしたくらいだ。

 それなのに、いま彼から放たれた言葉で完全に火がついてしまう。



「それ、ただ私の機嫌取りたいだけじゃん。よく分かんないけど、とりあえず謝っとけばいいかって、そんな感じなんでしょ」


「違う、」


「何が違うの? 全然分かってないじゃん」



 津山くんは前からそういうところがある。ごめんってすぐに謝るくせに、「何が」ごめんなのか、全く理解していない。

 私に嫌われるのが怖いから? 自分を悪者にしたくないから? どっちにせよ、八方美人でい続けたい津山岬の悪い癖が出ていると思う。



「そんなんで、よく私に今まで文句言えたね」



 男の人に話しかけられてた、とか、俺といる時あんまり笑わないね、とか。

 当たり前だ。笑えるか、ばか。あんたの周りにいっつも可愛い女の子がいて、私は嫌でもそれが目に入って、ずっとずっと、平気だとでも思ってるのか。


 学校ですれ違う時、女の子と楽しそうにいつも笑ってて。わざわざバイト先にまで押しかけて、綺麗な子と仲良く隣に座ってるところを見せつけられて。挙句の果てに、飲み会でも普通に絡まれてて。


 なに、なんなの。嫌がらせなの。

 私は必死に心の奥にしまい込んで蓋をして、やきもちも不満も何もかも、わけが分からなくなりそうなのに。


 津山岬の彼女として、精一杯、余裕そうな女を演じることへのプライドを、ただそれだけを守ってきたのに。



「津山くんも人のこと言えないじゃん。散々女の子と話しておいてさ、」



 ずるい。悔しい。私ばかりがいつも恥ずかしくて情けない。

 津山くんは色んな女の子を知ってる。キスもデートもお手の物で、きっと手を繋ぐくらい、どうってことないんだろう。


 でも、私は。私は津山くんしか知らないから、それが時折本当に辛くなる。

 私にとって心臓が爆発するくらい緊張することも、津山くんにとってはほんの戯れでしかない。簡単に手をさらって、笑って、それが「経験値」なのだと、毎回思い知らされる。


 そのくせ私の心臓をくすぐるのは上手なんだから、もうどうしようもないのだ。



「津山くんだって……」



 もっと言ってやりたい。文句をぶつけてやりたい。津山くんのくせに、くせに、くせに。

 どれだけ頭の中で文章を組み立てても、喉の奥に詰まって出てこなかった。さっきから目頭が熱くて、鼻がつんとする。津山くんの輪郭がぼやける。


 全然分かってないよ、ばか。

 こんなに腹が立って気に食わないのに、機嫌を直してくれるのは津山くんしかいないんだよ。



「加夏ちゃん……」



 津山くんが一歩、二歩と近付いてくる。彼の手が伸びてくる気配がして、私は身を捩った。



「触ん、ないで」


「え、」


「そういうの、いらない」



 優しくされたら結局許してしまう。絆されてしまう。

 今までため込んできたものが零れて、思考がぐちゃぐちゃだった。外でみっともなく泣いている自分の方がやっぱり下手くそで、彼には永遠に敵わない。


 こんなことうじうじずっと考えなきゃいけないのかな。津山くんと付き合ってたら、これから色んな女の子と自分を比べて落ち込んだり惨めになったりするのかな。


 恋ってそんな感じだっけ? そんなに面倒で悲しくて疲れるものだっけ?

 もういいや、もうよくない? 好きより疲れるの方が勝ってるし、こんなんで好きとか言ってる私の方がおこがましくない?


 乾いた笑いさえこみ上げてくる。どこまでも自分本位で身勝手な絶望だった。



「……距離、置きたい」



 ずっと何かから解放されたいと思っていたのかもしれなかった。

 告げた後はどこかほっとしたような気持ちに襲われて、小さく息を吐く。



「え――なに、言って、……何? 何で急に、」



 酷く動揺した彼の声が耳朶を打った。

 急になんかじゃない。もうずっと、津山くんといる時はずっと、私は苦しかった。



「しばらく一人で考える時間が欲しい。だから、」


「しばらくって……考えるって何? 俺とじゃだめなの?」



 静かに頷いて、目を伏せる。

 しかし、それで大人しく引き下がる津山くんではない。



「何で……? 言ってよ。俺、馬鹿だから言ってくれないと分かんなくて、ほんとにごめんって思ってるけどさ……加夏ちゃんが嫌なこと、もう絶対しないから。だから、……ていうか普通に、距離置くとか、俺がやだ」


「うん。でも、私も距離置かないと、嫌なの」



 支離滅裂になりかけている彼の主張を毅然と制する。

 津山くんの傷ついた音が、聞こえた気がした。



「加夏ちゃん」



 立ち尽くす彼の横を通り過ぎてから、空っぽな声が私を呼んだ。



「……別れるとかじゃ、ない、よね?」



 振り向いたけれど、津山くんは私の方を見ていない。ただ呆然と前を向いたまま、まるでそこに私の幻影をみているかのように。



「ごめん」



 それだけ言い残して、あとは駅までひたすら歩いた。

 ごめん、なんて便利な言葉だろう。津山くんを詰ったけれど、きっと私だってこの「ごめん」の意味を、解剖できやしない。





 ***





「結局さー、昨日どうだったの。ちゃんと話せた?」



 翌日、講義の合間に芽依が尋ねてきた。彼女は私の返事を聞く前に「あ、そういえば」と声色を変える。



「ケースケがごめんって言ってたわ。なんかー、空気悪くしちゃったの気にしてるみたいよ?」



 まあ自分で言えって感じだけどね、と肩を竦める芽依に、私は首を振った。

 彼に謝られるようなことは何もない。むしろこちらのゴタゴタに巻き込んでしまって、申し訳なさまである。



「……しばらく、離れることにした」



 一つ前の発言に答えようと、正直に打ち明ける。

 芽依は気怠そうについていた頬杖をやめ、「まじ?」と眉をひそめた。



「津山氏になんか言われたん? ぶっ飛ばしに行くけど」


「だ、大丈夫。普通に、私がそうしたかっただけ」



 昨日の様子からして、津山くんが納得していないのは明白だ。

 でも意外なことに、昨晩から今朝にかけて一つも連絡は来ておらず、彼なりに私の意見を尊重してくれたんだろうか、と思い始めたところだった。



「ふうん……なんか、そうなるとは思ってなかったわ。経験上ってか、あくまで私の話で言うけど、拗れると元に戻すの大変だよ。あんまりずるずる延ばさない方がいいと思う」



 珍しく――と言ったら怒られるかもしれないけれど、芽依がいつになく真面目な顔で諭してくる。

 彼女の憂慮は人間関係全般に通ずることだろう。友達と喧嘩した時だって、さっさと解決してしまった方が上手くいく。


 そんなこと、頭では分かっていた。

 一人になりたい、考えたい、と言ったって、結局は逃げ出したようなものだ。あれ以上自分の情けない部分を認めてしまうのが嫌で、怖くなって目を背けただけだ。



「……昨日、ケースケくんに『岬が可哀想』って言われて、何か目が覚めたんだよね。私、結構最低だなって思って……」



 全然好きになれていなかったんだな、と思った。不満は一人前に抱くくせに、私は津山くんの悪いところを受け入れる努力は全くしてこなかった。

 何か嫌なことがある度に逃げて、でも彼自体を嫌いにはなれないから、また平然と隣を歩く。それの繰り返し。


 自分のペースを乱されるのが怖かった。恋愛をして、自分が自分でなくなっていくのが嫌だった。

 だって私は、本能の奴隷になりたくない。理性的に、健全な恋愛をしたいのだ。


 でもそんな自分本位な考え方は、津山くんを傷つけるだけだった。

 感情が大きく振れることのない、穏やかな恋。私が望んでいたそれは、彼を毎秒「好きじゃない」と突き放しているようなものだったのかもしれない。



『加夏ちゃん的には、同じ気持ちってどういう基準?』



 好きという気持ちに「大きい」も「小さい」もないと、そう聞いた。

 それでも、津山くんから貰っていた気持ちに、私の気持ちは全然つり合っていないと思うのだ。


 私は本当に、津山くんのことが好きだった? 同情ではなくて? 返報性の法則じゃなくて?

 考えれば考えるほど泥沼で、分からなくなっていく。きっと、今までさぼっていたツケが回ってきたのだ。自分の気持ちにも、津山くんの気持ちにも、向き合うのを逃げ続けてきた怠惰が。



「ちょっと、正直いま津山くんのこと、好きって言えるか分かんなくなってきて……こんな感じで一緒にい続けるのも、悪い気がするから」



 せめてその線引きくらいはしなければと思った。


 芽依は数秒私の顔をただじっと見つめて、それから口角を上げる。



「そーゆーことなら、私は遠慮なく加夏のこと独り占めするけどね。気ぃ済むまで考えればいーんじゃない?」


「……うん」



 その日はいつもなら、津山くんと一緒に帰っているはずだった。私も少しだけ、迎えに来るんじゃないかと思ったりもした。

 けれども、メッセージは届かない。彼の姿も見えない。そこでようやく、私は「自分事」として捉えられたような気がした。



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