メイビーストアのレジ教育
『メイビーストア』シリーズの第5弾です。
メイビーストアの制服を新たに作ろうかという天橋店長の提案には、全力で遠慮させて頂いた。
此処はコンビニチェーン店だ。たとえ俺が、今まで見たことも聞いたことも無かった店だとしても、チェーン店というからには、此処の他にもメイビーストアが何店舗もあるということである。
俺の地元で見かけなかったというだけで、もしかしたら何万店舗もあるのかもしれない。そんなチェーン店の制服を新たに作るとなったら、一体幾らのお金が掛かるのか。想像するだけで恐ろしいのに、その発端になれるはずも無い。
ここは、誰かメイビーストアのお偉いさんが制服を作ろうという気になるのを気長に待つ所存である。
◆◆◆
郷に入れば郷に従えとも言うし、メイビーストアの店員は私服で働くのが常だというなら、俺もそれに従おう。
広大な衣裳部屋に来た時と同じく、また、あの妙なエレベーターに乗り、バックヤードまで戻ってきた。
此処に辿り着くまで、メイビーストアの制服着用化に乗り気な天橋店長を宥めるのに随分と苦労したが、此処で力尽きる訳にはいかない。何しろ、初アルバイトの勤務開始から、まだ30分も経っていないのだから。
俺は、大学の入学祝いとして貰ったばかりの腕時計から視線を上げると、気持ちを改め、店長の後に続いた。
◆◆◆
「教育係の瀬山くん、今日お休みなんだよね~。どうしよっか?」
などと話す天橋店長と共に、店内に入る。出勤した時には一人もいなかったお客さんだが、今は2~3人程、店内を見て回っているようだ。
「どうしよっか?」なんて、バイト初日の俺に聞かれても答えようが無い。
「あ!綿貫さんだ!彼女にレジ操作を教えてもらおう」
何と答えようか俺が悩んでいる内に、天橋店長は自ら答えを出したようだった。
明るい表情で振り返った天橋店長が示す先には、カウンター内で作業をしているお婆さんの姿があった。
◆◆◆
カウンターの上にはレジが2台と、揚げ物等が入ったショーケースが2つ置いてある。
カウンターに向かって右側に、小さなスイングドアがあり、そこからカウンター内に入れるようだ。
綿貫さんというらしいお婆さんがいる一番奥のレジの所まで、天橋店長の後についていく。
「やあ、綿貫さん。彼、新しいアルバイトの竹林君っていうんだけど、ちょっとレジのやり方教えてあげてくれないかな?」
話しかけられて、こちらに気付いた綿貫さんは、上品に目元を和らげるとふんわりとした笑顔を浮かべた。
◆◆◆
綿貫さんは、綺麗に整えられた黒いショートヘアーをしていて、年は60代~70代。
天橋店長と同じくらい身長が低く、第一印象は小柄で上品なお婆さんといったものだ。
綿貫さんもやっぱり私服を着ていて、孔雀の羽のような青とも緑とも付かない色の風通しのよさそうなチュニックに、黄土色をした7分丈のパンツを履いていた。胸元には大きめのペンダントが掛けられており、何故かショルダーバッグを下げている。
「こんにちは。初めまして。綿貫久美子と申します」
丁寧な挨拶と綺麗なお辞儀に一瞬見惚れていた俺は、一拍遅れて慌てて挨拶を返した。
「初めまして、竹林透です!よろしくお願いします」
◆◆◆
「僕は裏で仕事をしてくるよ」と言って、天橋店長はバックヤードに戻っていった。
俺のレジ教育が始まる。
「いい?接客で一番大切なのは、笑顔で挨拶をすることよ」
「笑顔で挨拶されたら嬉しいじゃない。また来ようって思ってもらえるわ。それが大事なの」
「ただし、草那町の鷺沼さんが来た時だけは笑っちゃ駄目よ。お通夜の時の様に沈痛な面持ちで接客してね」
「鷺沼さんがどんな人か分からない?大丈夫。鷺沼さんが来た時は、周りの人が教えてくれるわ」
「次に大事なのは、自分の仕事をしっかり果たすことよ」
「まずは、レジの操作を覚えましょう。間違ってしまうとお客様にご迷惑が掛かるから、しっかりね」
◆◆◆
途中、妙な注意事項があったような気もするが、俺は素直に相槌を打ちながら綿貫さんの教えをメモに記していく。
綿貫さんと俺のすぐ前のカウンターには一台のレジ。そして、そのすぐ横には買い物カゴに入った商品と袋詰めされた商品が置いてあった。
「これが、商品登録画面よ。このハンドスキャナーでバーコードを読むと商品が登録されていくの」
そう言って、綿貫さんはカゴに入っていた商品を掴むとハンドスキャナーでバーコードを読みこんだ。
「ピッ」と、音が鳴る。
「128円が一点。…こんな感じに、画面を確認して、値段と個数を読み上げながら登録してね。1個なら一点、2個なら二点よ」
◆◆◆
「商品を登録しながら、袋詰めもするのよ。重いものや硬いものは下に、軽いものや潰れやすいものは上になるように袋に入れてね」
「お客様が持ってきた商品を全部スキャンして、袋詰めしたら、『合計2382円でございます』というように合計金額を伝えてお支払いしていただくの」
「お札や小銭の事を【現金】というのだけど、現金払いの時は、此処にお金を入れて、このボタンを押すとおつりが出てくるわ」
「電子マネーの時はこのボタンを押して、この機械にスマホやカードをかざして頂いてね」
「お客様がお財布を忘れた時とか、登録したデータを全部取り消ししたい時はこのボタンよ」
と言いながら、綿貫さんはそのボタンを押す。
◆◆◆
「じゃあ、やってみましょうか」
データを取り消し、袋詰めされた商品をカゴにもどした綿貫さんはそういって俺をレジ前に立たせた。
挨拶から始まり、読み上げながらのスキャン登録と袋詰め、お会計までの流れを、カゴの中の商品を少しづつ使って、何パターンも練習する。
お会計の段階では、綿貫さんがバッグから出した財布やスマホを使って支払っていた。
多少違和感を抱きながらも、俺の練習の為に綿貫さんが支払う筈もないし、後で返金されるのだろう…と、思っていたのだが。
カウンターの上の商品を全て会計し終わると、「じゃあ、がんばってね」と言って商品の入った袋を持ち、綿貫さんは去っていったのだった。
◆◆◆
「君、ついてるね~。綿貫さんはレジ接客のスペシャリストなんだよ。コンビニからスーパー、デパートやパン屋まで。あらゆるレジを使いこなす彼女は、この業界ではちょっとした有名人なんだよ」
いつの間にか戻ってきていた天橋店長が、自分の事の様に誇らしげに語る。
「いや~、彼女が買い物に来てくれててホントよかったよ。僕、教えるの上手くないんだよね」
「ちょ、ちょっと、待ってください!綿貫さん、お客様だったんですか!?」
「そうだよ。近所に住んでる常連さんなんだ。分からないことがあったら聞いてみるといいよ」
そう聞いた俺は、約30分前、メイビーストアの制服着用化を全力で回避した自分を悔やんだのだった。
「何故?」という疑問がいろいろあるかと思いますが、キーワードに「ミステリー」を入れているのは、この為です。今後徐々に謎を明らかにしていく予定。