40話_閑話_妹と愛とカプチーノ
天界からソフィアを救って数日経った頃のミュウのお話──。
その日、私は機嫌が良かった。
姉さまが無事天界から帰ってきたこと、シオリと前よりも距離を縮められたこと。
気掛かりだったことが一気に解消されたからだ。
鼻歌を歌いながら、喫茶店の中をモップで掃除する。
「ミュウちゃん、今日は随分と機嫌がいいね」
コップを拭きながら店主である源十郎が話しかけてくる。
「あら、そう?」
「そうだよ。鼻歌を歌うなんて珍しいじゃないか」
源十郎に言われて、初めて自分が鼻歌を歌っていたことに気付く。いつの間に浮かれていたのかしら。
「たしかに、そうね」
ふふっと笑いながらモップで掃除を続ける。
天界での数日は、私が生きてきた中でも衝撃的な出来事の連続だった。
第二層上層以外を間近で見たのもそう。天界の大宮殿という存在も、今回初めて目にした場所だった。
天帝という存在には心底がっかりしたが、逆にシオリにはすっかり心を奪われてしまった。
サキュバスが虜になるというのはなんともおかしな話だけれども、そうなってしまったのだから仕方がない。優しくて強くていじりがいがあって、シオリと一緒にいるとなんでも楽しかった。
シオリのためならなんでも出来る気さえした。当の本人は何も要求してこないけれど。
一度気になってしまったら止められないのがサキュバスの性。姉さまのことは気になりながらも、シオリに猛アタックしていた。姉さまもシオリのことが好きみたいだし、少しくらいは遠慮するけれど、でもやっぱり好きなものは好きなのだ。
開店時間になり、常連が何人か入ってくる。
顔ぶれはいつも同じ、注文の内容も同じ。私は顔を見ただけで、注文を取らずに源十郎にオーダーをする。常連も、注文が勝手にされることが顔を覚えてもらっているというひとつの指針になっているようで、わりと好評みたい。
その中で、今日は1人見慣れない客がいることに気付いた。長身でガッチリした体格の髪をオールバックにして紺のスーツに身を包んだ男性。どこかで見たことあったかしら?
「ご注文は?」
男性にメニューを出し注文を聞く。
喋ることなく、メニューのカプチーノを指さす男性。耳が真っ赤になっている、そんなに暑いわけでもないのに不思議、と思いながら源十郎にオーダーをする。
その後は、各常連とお喋りをしながら注文の品を出していく。
今日も、チョコやクッキーや珍しい陶器のコップなど色んなプレゼントを貰う。私はお店がそれなりに繁盛すればいいのでプレゼントは必要ないのだけれど、常連はまわりと競うように珍しいものを持ってきたがるので段々と保管する場所がなくなってきた。なので、食べ物系は姉さまの家に持っていくといった流れが出来つつある。
別に必要とされることが嫌なわけじゃない。元来、サキュバスの気もあることだし、チヤホヤされる気持ちよさはある。
けれど、それよりも、その気持ちが少しでもシオリにあったら、私はもっと幸せだろう。
好きな人と気持ちが通じた時には、これとは比にならないくらいの感覚が全身を駆け巡る。これを味わってしまうと、もう他の人など見ていられない。
シオリが私のことを好きと言ってくれたらどんな気持ちになるのかしら…。耳元で直接囁いてほしいわ。それを考えただけで、ドキドキが止まらなかった。
「ミュウちゃ~ん、こっちおかわり~」
「は~い、待ってなさい」
コーヒーのおかわりを頼んだ常連にコーヒーを運んでいく。
◆◆◆◆◆
ついに、ここまで来てしまった―――。
私は、内心ドキドキが止まらなかった。
いつもはロケット越しの写真を眺めるだけであったが、店主の薦めもあり、今日初めて店を訪れてみることにしたのだ。予想よりも近い距離に彼女が来ることに衝撃を受ける。ウエイトレス姿が似合っていて、可愛いなんてものじゃない。あの時命を賭けて守った甲斐は今ここにて果たされた、そう感じたのだ。
常連の人間達も妙に優しい。自分の得には一切ならないというのに、彼女についての情報を惜しげもなく教えてくれる。まるで同志が1人集まることをとても喜ぶかのように。静かなる祝福を私は受けたのだ。
「ミュウちゃん可愛いよな~」
コーヒーを飲みながら、うっとりミュウを眺める常連。
私と同じように、無言で彼女と同じ空間にいられる余韻に浸る常連。同志といっても楽しみ方は様々だ。
私も注文したカプチーノを飲みながら、彼女が他の客と話をする姿を眺める。
こちらの世界は天界とは違い、身分の差はそれほど影響していないようだ。
私のような異国の者でも、わりとすんなりと職に就くことができ、今では営業としてそれなりの結果が出せて暮らせるようになっている。
周りからは称賛の声が上がるが、私としては部下の話に耳を傾けることと同じくらい容易いことだった。ただ話を聞いて、困っている内容について提案する、それだけのことだった。
にしても、その甲斐あってこういった自由な時間もつくることができ、私は満足だった。
天帝に不義を働いてしまったことについては謝罪する他ないが、愛する人を失わずに済んだことについては感謝しかない。出来れば、彼女のいろんな表情を見てみたい。
凛々しい表情の奥にある、好きなひとだけにみせる表情を──。
◆◆◆◆◆
今日は随分と常連が盛り上がっているみたいね。初めて来た人も随分と馴染んでいるみたい。
忙しさもひと段落したので、私はカウンターに座りながら源十郎が淹れてくれたカフェオレを飲む。
「ミュウちゃんのおかげでこの店もだいぶ明るくなったよ」
源十郎がニコニコしながらこちらを見る。
「そう言えば、ミュウちゃんの想い人は今日は来ないのかい?」
「ブフッ!!」
源十郎の予想外の質問に、思わず吹いてしまった。(常連がすかさずタオルを持ってきてテーブルを拭いてくれる。)
「な、なにを言い出すのかしらいきなり」
「ほら、前に鳴海が連れてきたじゃないか。なんて言ったっけな、あ~っと…」
「思い出さなくても大丈夫よ。彼なら今日は来ないわ」
いたって平静を装ってそう返す。まさか源十郎からシオリの話題を振られるなんて。驚いてカフェオレを吹いてしまうなんて不覚だわ。
私が取り乱したことで騒めく常連界隈。普段見せない対応をすると喜ぶ変態たちなので、今のでも、なにかしら歓喜したのだろう。
「そうか、それは残念だ」
「そんな残念がらなくても、またいつか来るわよ」
その時、カラーンと扉が開いた。
「こんにちわ~」
振り向くとそこには、シオリと姉さまが立っていた。
ズコーッ。
往年のギャグコントのように頭からスライディングする私。キャラが違うわ。
「なんでここにいるのよ!!」
「なんでって、ソフィアが寄りたいっていうからさ」
しばらくは来ないだろうと話をしていたのに。タイミングが良すぎるにもほどがある。
「ミュウに似合いそうな服を見つけたから。はい、良かったら着てみて」
姉さまから白い紙袋を渡される。袋の中には、純白のワンピースが入っていた。
「可愛い……」
「あなたなら似合うと思って。白い服はあまり持ってなかったでしょ?」
「ええ、そうね…着てみてもいいかしら」
「もちろん!着て見せて」
私はワンピースを持って、2階へと上がる。
下の方ではなにやら常連が盛り上がる声が聞こえてくる。姉さまが私のために何かを買ってきてくれたことは素直に嬉しかった。シオリと同じくらい、姉さまのことも大好きなのだ。ウエイトレスの服を脱ぎ、ワンピースに袖を通す。柔らかい布地が体にフィットする。
着替え終わって、階段を下りる。
「お~~~っ!!!!」
常連達から上がる歓声とシャッター音。狂喜乱舞する常連の姿も見える。
「可愛いわ、ミュウ!!」
姉さまがギュッと抱きしめてくる。
「今度、家にいらっしゃい。この角も治してあげるから」
姉さまが私の角を優しく触る。
「…そうね、今度お邪魔するわ」
私は、ワンピースの両裾を持ってシオリの方を振り返る。
「どうかしら?」
「うん、よく似合ってると思うよ」
よく似合ってると思うよ。
その言葉を聞いた瞬間、私の心はいとも簡単に撃ち抜かれた。
常連の歓声よりも、なによりも、その一言を聞いただけでなにもかも良くなってしまった。
「そう、」
「おっとストップストップ!!」
ワンピースの裾を上に上げようとするとシオリが慌てて止める。
「見たくないの?」
「ここじゃまずいだろ!!」
「じゃあ、あとで2人きりになったら、」
「ならないよ」
シオリは私の手を下に下ろさせると、頭をポンと撫でた。
「ソフィアを助けた時にミュウにも世話になっただろ。だから、そのワンピースは僕とソフィアからのプレゼント。大事に着てくれよな」
「そ、そうなの。ありがたくいただくわ」
私は、顔が赤くなるのを抑えきれなかった。不思議なこの感覚、これはやはり彼でなければ味わうことはできない。
私は、その後今日一日をそのワンピースを着て客の相手をした。常連からは大好評で、喜びのあまり失神するものがいたと、後から源十郎から聞いた。
店も閉まる時間になり、片づけをする。
「ミュウちゃん、今日もありがとう」
「源十郎も、お疲れ様」
「良かったね、お姉さんに新しい服を貰ったみたいで」
「ええ、姉さまが私のために用意してくれて嬉しかったわ」
くるりと一回転すると、ふわりと揺れる白いワンピース。
「はい、今日も頑張ってくれたから」
源十郎がテーブルにホットケーキを置いてくれる。
「…いただくわ」
私はナイフでケーキを切り分けると、ひとかけらを口に放り込んだ。
いつもより甘く感じる優しいホットケーキの味、それを味わいながら、今日1日も楽しく過ごせたことに感謝するのであった。
◆◆◆◆◆
喫茶店の帰り道、私は新たな感動に打ち震えていた。
普段見ることのできない表情というものがこれほどに心に刺さるとは。彼女が白いワンピースを着て店内に戻ってきたときの衝撃は計り知れない。何人か見たことのある人間がいたような気がするが、喜びのあまりその記憶を無くしてしまっていたほどだ。
「良いものだな…」
私は、またいつ喫茶店に行くかを考えながら、夜の街へと消えていくのだった。




