現実世界の世迷い言
ブレイン省秘密情報部へと続く長いエスカレーターは亀の歩みのように遅く、モーター音から察するに金属片には既にガタがきていた。
近頃の役員共の迷いの種ときたら、現実世界における人間の生活レベルをここまで退化させるほどに深刻らしい。
俺はこの先、奴等に吹っ掛けられるであろう無理難題を思って深い溜め息を吐いた。
人類の歴史的偉業、遠い旧世紀のアポロ月面着陸、K2東壁制覇、第三次世界対戦の敗北、何もない火星の地へと降り立った第六世代型アンドロイドたち、精神世界の開拓、集合的無意識、中華帝国主導による夢社会の開発、ソース・コード開発情報の漏洩、民間人によるハッキング騒ぎ、政界からの不信、オセアニア各国との軋轢、我らサード・チャイナのこれから……
くそったれが!
俺はこの国に尽くす為に生まれてきた。少なくとも、この仕事に就いた時はそう思っていたし、そう信じ込んでいた。だが今や、かつて俺が守ろうとしていた物は腐敗しきったハリボテ、沈みかけの泥の舟に過ぎない。
夢社会? そんな戯れ言は犬に食わせろ、だ。トランスの適正? どうせ俺のDNAルーツが今となればこの国で稀少な縄文系だからだ。
この肌の下に流れる赤い血のせいで、俺は生まれた頃から録な目に遭わなかった。思えば12歳で初めて人を斬ってからというもの、俺はただの殺しに大義名分の付加価値を追い求めていただけだった。
一人殺せば犯罪者だが、百万人殺せば英雄となるわけだ。そうして中華帝国から流れてくる不法移民アンドロイドたちを、お国の為だといって処理し続けた。
今ではブレイン省のお偉いさんたちと一緒に椅子に座って、荒廃した現実世界の都市を眺めながらお茶を啜っている彼等を。
ドーム内に光輝く立体掲示板から軍服の女が俺の目の前に飛び出してきて、午後二時の時報を知らせた。俺はそれにふっと息を吹き掛けて掻き消した。
俺はエスカレーターの階段を一段ずつ派手に蹴り飛ばしながら、本日の召集ルームへと急いだ。ビルディング全体を覆う排ガスが肺の奥底まで染み入るのを感じた。