第9話:2000年12月3日
あれから5日間、美菜は毎日考えていた。
答えが出ていない以上、雅典に連絡することはできない。
こうなってからはじめて、今まで雅典と3日以上連絡を取らなかった日がないことに気付いた。
一方で悠馬とは相変わらず毎日連絡を取っていた。
雅典と連絡が取れないのを寂しいとも思うし、悠馬との毎日の連絡を楽しいとも思う。
美菜は自分の気持ちがわからなくなっていた。
そんな気持ちのまま、悠馬のアパートへと来ていた。
「はい、東京のおみやげ。」
「おっ、サンキュー!」
美菜は土産に、悠馬の好きな東京銘菓を買ってきていた。
悠馬はあんなに東京行きを反対していたのをすっかり忘れ、無邪気に喜んでいる。その姿が微笑ましかった。
「ねえ、悠馬?」
「どした?」
「悠馬はさ、あんなにやきもち妬くくせに、どうして私にハルのこと紹介したの?」
悠馬のこと、悠馬とのこれまでのことをじっくりと考えているうち、そんな疑問が出てきた美菜は、今日会ったときに聞こうと決めていた。
悠馬はなんでそんなことを聞くのか、不思議そうにしながらも、話し出した。
「あのころはさ、俺夏休みで実家帰ってただけだったし、大学始まったらまたこっちに戻ってこなきゃならなかっただろ?」
「そうだね。」
出会った頃、大学生だった悠馬は、このままいけば私が受験する予定の「こっちの大学」に通っていた。
「付き合ってすぐに離れ離れになるのも不安だった。
それに、年の差のせいでミナも色々不安だろうなと思って。
信頼してるハルに頼んでおけば、いろんな面で大丈夫かなって。」
確かに、あのまま離れ離れになっていたら、携帯電話だけのつながりでは安心できなかったかもしれない。
悠馬の親友である晴彦ともつながることで、自分が彼女とまわりにも宣言してくれているのだと思えた。
「そっかー。そんな風に考えててくれたんだね。うれしい。」
「でも、今考えたら、失敗だったかもなー。」
「えー、なんで?」
「まさかミナとハルがこんなに仲良くなると思わなかったし。」
「後悔、してるの?」
「後悔っていうか、んー…後悔、なのかな。」
「そう…」
その言葉を聞いて、美菜は答えがわかった気がした。
少なくとも、悠馬に対しての自分の気持ちが。
「悠馬。私ね、悠馬のことすっごく好き。」
「俺もミナのこと、すっげー好き。」
「うん。
でもね、私が好きなのは、3年前の悠馬で、…今の悠馬とは結婚できそうにない。」
悠馬は、今聞いた言葉が受け入れられなかった。
あまりに突然であったことと、そうじゃなくても受け入れたくない内容だったから。
「ミナ。それは、」
「私と別れて欲しいってこと。」
最後まで聞かなくても、悠馬が何を言おうとしているのかわかった美菜は、簡潔に、結論を述べた。
3年という長い付き合いが、そんなふうに阿吽の呼吸として現れていて、少し寂しく思った。
「無理。ダメ。別れない。」
悠馬は即答した。考えるまでもない。
そのような選択肢は、悠馬の中には存在しなかった。
「ゆうま、」
「聞きたくない!」
悠馬は部屋を出て行こうとした。
「じゃあ私、もうここへは来ない!」
美菜は、悠馬の背に向けて叫んだ。
それを聞いた悠馬が慌てて戻ってきた。
「ミナ!なんでだよ?どうしたんだよ?」
「私、悠馬と一生一緒にいるんだって思ってた。だけど、今すぐ結婚だとかは考えてなかった。」
「だから、結婚は高校卒業するまで待つから。」
「ううん。それだけじゃなくて、婚約してからの悠馬の態度もちょっとだけうっとおしかった。」
「うっとおしいって…」
信じられない、という顔をした悠馬に、罪悪感を覚えながらも美菜は続けた。
「ハルとか、学校の男の子とか、挙句の果てには女の子の友達にまでやきもち妬いて。
私はこれから、ずっと悠馬と2人だけで生きていくわけじゃないんだよ?
それなりに友達づきあいだってするし、大学に入ったらまたいっぱい新しい出会いだってあるの。
その度にそんな態度取られたら、私だって嫌な気持ちになるの。」
「それは!ミナのことが好きだからだろ?
それに、ミナは自覚ないのかもしれないけど、お前めちゃくちゃモテるんだよ。」
「でも誰が私のこと好きになったって、私の気持ちは悠馬に向いてるんだから、それを信用してくれてもいいんじゃないの?
最近の悠馬は、自分の気持ちしか考えてない。」
「そんなことない!」
「さっき言ってくれたみたいに、私のことを考えて、ハルを紹介してくれるような、そんな気持ち。
悠馬はもう忘れちゃったんでしょ?」
「ッ…」
「もう、ダメだよ。私、悠馬のこと本当に好きだったけど、私の運命の人は悠馬じゃない。」
「ミナ、なんで急にそんなこと言い出すんだよ。なんかあったのか?」
美菜は、雅典のことを話そうか迷った。
だがすぐに、隠し事はすべきでないと思った。
「知り合いの人に、言われたの。今の私は幸せそうに見えないって。」
「男、か?」
「…うん。」
「そいつ、ミナのこと好きなのか?」
美菜は黙ったまま、頷いた。
「で、ミナはそいつのこと好きなのか?
誰が好きになっても、ミナの気持ちは俺に向いてるんじゃなかったのか?」
悠馬は早口で、美菜に詰め寄った。
「まだ、自分の気持ちはわからない。でも、その人に言われて、改めて考えたの。
それまで悠馬といるのが当たり前だと思ってたけど、…」
そこまで言って、美菜は続きを言うのをためらった。
これを言ったら、どれだけ悠馬を傷つけるだろう。
でも、それくらいしないと悠馬は別れを承諾しないだろうから、嘘でもなんでも言うしかない。
「…悠馬と別れて、自由になってこれから生きていくことを考えたら、そっちのほうが楽しく思えた。」
美菜の予想通り、悠馬はこれ以上ないくらいに傷ついた顔をしていた。
いつもの癖で悠馬の頭をなでようと伸ばした手を、寸前で止め、力なく下ろした。
「悠馬、ごめんね。私、これから先も、ずーっと悠馬のこと好きだし、付き合っていきたい。
だけどそれは、恋人でも旦那さんでもなく、友達としてなんだよ。」
「ミナが、たとえ友達としてでも、俺のこと好きでいてくれるなら俺はそれで構わないから。
絶対に別れたくない。また、恋人として俺のこと思えるようになるまで頑張るから。」
「悠馬、もう無理だよ。」
「無理じゃない、頼むから…」
悠馬は涙を流していた。
予想はしていた美菜だったが、いざ目にするとやはり辛かった。
でも、もう後戻りは出来ない。
「とにかく、急な話だったから、今日はこれくらいにしよう。
私の気持ちは、もう変わらないから。悠馬もよく考えてみて。」
それだけ言って、美菜は逃げるようにアパートを出て行った。