第5話:2000年9月17日
悠馬の家に一泊し、日曜の夜に帰ってきた美菜は早速雅典にメールを送った。
〔こんばんは!今日も休日出勤?
だめだよー、もう若くないんだから体は大切にしないと(笑)
今日、彼氏と話してきました。んー、やっぱり堂々巡りって感じ。
高校卒業するまでは待ってくれると思うけど、あまりにブーブー言うからちょっぴりうんざりでした。〕
雅典は、風呂から出てビールを飲みながら考え事をしていた。
ちょうどそのとき、いちいち変えるのが面倒でマナーモードにしたままの携帯が震えて、メールの着信を伝えたのだった。
この年になると、プライベートでメールをする相手など、数えるほどしかいない。
送信者がちょうど今考えていた人物だと知ると、すぐさまメールの本文に目を通した。
そしてそのまま相手に電話をかけた。
―プルルルル…
ワンコールで、美菜が出た。
『もしもし、ナベさん?』
「おう、メール見たよ。今電話して平気?」
『うん、わざわざありがと。私からかけ直すよ!』
「いや、いいよ!それより、彼氏との話どうだった?」
『んー…私もいつもより力説したつもりだったんだけど、結局いつも通りで結論出ずって感じ。』
「そっか。」
『悠馬はさ、私との関係を世間に認められたいんだって。
でも私は世間に認められるなら、しっかり奥さんとしての生活ができるようになってからがいいの。
だいたいさ、世間に認められなくても、自分たちと周りの人が認めてくれてるんだからそれでいいと思わない?』
「そうだなー。まあ、彼氏の気持ちもわかるけどな。
結婚すれば、自分がいないところでも「こいつは俺のもの」って周りの男に牽制することができるわけだし。」
あまり美菜の肩を持つばかりではよくないと思い、彼氏の弁護というよりは、雅典自身の男としての意見を言ってみた。
『そんなの自己満じゃん!だいたい牽制って何?
誰が言い寄ってきたって、私は悠馬が好きなんだから関係ないのに。
悠馬は私のこと、ちっとも信じてくれてないんだよ。
学校の男の子たちにも、ハルを通じて牽制してるんだもん!それなのにそのハルにまでやきもち妬くし。』
「へー…」
美菜は少し興奮しているようだった。
――そんな男、早く別れちまえよ。
そう口についてしまいそうだったが、すんでのところでとどまった。
『私、高校に入ってから今日まで、あっという間だったんだよね。』
少し落ち着いた美菜が、声のトーンを僅かに下げた。
「うん?そりゃそうだろ。高校なんて、俺だって気付いたら卒業だったぞ。」
『そうなんだけど、そうじゃなくて。
悠馬は、この1年半がすっごく長かったんだって。
悠馬だって就職したばっかりで、新しい出来事の連続だったのに。
私が卒業するまでの、このさき1年半の時間も耐える自信がないんだって。
それくらい、今日までが長く感じたんだって。』
「…」
『悠馬がそんなに私のこと想ってくれてるのに、私って薄情な人間なのかな?
学校も楽しいし、悠馬に会えないのは寂しいけど毎日連絡は取ってるし、それで満足しちゃう私って、おかしいのかな?』
「ミナ、ちゃん…そんなことない。」
美菜は泣いていた。
年齢こそ若いが見た目はかなり大人っぽく、ものの考え方だって大人顔負けの美菜は雅典にとって、対等な存在だった。
その美菜が泣くところなど、想像もできなかったのだが、事実電話の向こうで泣いている。
あまりに驚いて、とりあえず否定の言葉を言うことしかできなかった。
『好きだけど、それだけで結婚するのはよくないって思うのは、相手のこと考えてないことになるのかな。』
「ミナちゃん!それは違うよ。
相手のことを考えてないのは向こうだって…、ミナちゃんの気持ちを考えずに突っ走ってるだろ。」
『好きだから、分かり合いたいのに。
悠馬の気持ちが、私には理解できない。』
美菜が、悠馬のために泣いている。
しかし皮肉なことに、雅典は美菜への愛しさを一層と募らせた。
「ミナちゃん、東京おいでよ。」
気付けば、雅典はそう口に出していた。
『えっ?急になに?』
美菜はきょとんとしている。
その様子が声にありありと出ていた。
おかげで涙は止まったようで雅典は安心した。
「気分転換にさ。あんまり思いつめるのもよくないと思うし。
土日でもいいし、2、3日くらいなら学校休めるだろ?俺も有休溜まってるし、案内してやるよ。」
『学校休むって…いい大人がそんなこと勧めちゃダメじゃん!』
そう言いつつも、美菜は乗り気なようだった。
「別にズル休みじゃないだろ。このままじゃ勉強も手につかないんだから、かえって学業のためになるぞ。」
『ナベさん、ありがとね。
じゃあ、お言葉に甘えようかな。しょうがないから、ナベさんの有休消化に付き合ってあげるよ!』
「態度でかいな、みーすけのくせに。」
『みーすけ言うな!』
「はいはい。もう元気でた?」
『うん。東京行って買い物しまくってやるー!!』
「買い物かよ?ま、荷物持ちしてやるよ。」
美菜の学校の都合やバイトの予定もあり、結局東京へ来るのは、再来月ということになった。
――東京で気分転換をしたら、また彼氏と楽しく過ごすのかもな。
雅典は、複雑な気持ちで電話を切った。