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後日談:報告


後日談。

お世話になったあの人に、報告を。




「で?このくそ忙しい俺と尾崎を呼び出してまで、なんの話だ?」


鵜飼が椅子に踏ん反り返って、目を細めた。

尾崎がその横で、苦笑している。





レコード会社の会議室。


美菜の隣に並ぶ、ひとりの男を見た時点で。


鵜飼も尾崎も薄々気付いてはいた。


それでも。


これまで散々美菜の事情に、否、我侭に振り回されてきて。


ここですんなりと祝福する気持ちにはなれない鵜飼なのだった。

そしてそんな鵜飼の気持ちがわからなくもない尾崎は、かと言ってここで不機嫌そうに振舞うほど意地悪ではなく、苦笑するしかないのだった。





美菜が口を開こうとした時、雅典が美菜の手を握ってそれを遮った。

そして自己紹介も済んでいない相手に向かって、頭を下げた。


「美菜が、ご迷惑をおかけしました。」


それを聞いて鵜飼は、益々機嫌を悪くした。


「別に、おたくに謝っていただく必要はない。」


まるで娘の交際相手に対して言うような、そんな口調だった。


「まあまあ、鵜飼さん。そのくらいにしておきましょうよ。」


大人げのない鵜飼に尾崎は笑いを堪えきれず、張り詰めた空気は一気に緩んだ。

鵜飼はようやく、仕方がないというようにため息をついた。


「ミナ。報告があるんだろう?話してみろ。」





「結婚することになりました。今まで散々ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。」


美菜が先程の雅典よりも深く、頭を下げた。

でもそれが逆に、鵜飼の気に障った。


「迷惑なんて一度もかけられてない。」


美菜は少し考えて、もう一度、言い直した。


「…じゃあ、散々ご心配おかけして、すいませんでした。それと、ありがとうございました。」


今度は、鵜飼も納得した。


「そうだな。ミナのおかげで、ただでさえ長くない俺の寿命が更に縮まったよ。」


「ははっ。本当に、鵜飼さんは伊吹のこと気にかけてますからね。」


それはもう、金儲けのための商品としてではなく、美菜個人を。

実際に鵜飼に娘はいないのだが、それでも娘がいたらこんな感じだろうと思っていた。




「で、その相手のことは、いつになったら紹介してくれるんだ?」


雅典のほうに一瞬目をやってから、美菜を促すように片眉を上げた。


「あ、はい。渡辺雅典さんです。雅、こっちが例の鵜飼さんで、こっちがマネジャーの尾崎さん。」


「おい、例の、ってなんだよ。」


「スカウトされたときのことを、昨日話したんです。」


「ああ、カラオケね。俺はあの時から、マサっていう名前だけ聞かされて、今日になってようやくそのマサなる人物と対面できたわけね。

俺にとっちゃ彼のほうこそ、例の渡辺さん、なんだけど。」


鵜飼が鼻で笑った。


「…すいません。」



美菜が逃げ出すと決めたとき。

美典を身篭っていることがわかったとき。


誰よりも心配したのは、誰よりも雅典のことを持ち出したのは、鵜飼だった。


そんな鵜飼の気持ちを跳ね除け続けたことに、美菜はもう一度、謝罪した。



「すいませんでした。」


「…そう何度も謝るな。だいたい、謝る必要なんてないだろ。」


「そうそう。今日はおめでたい話をしにきたんだから、ジメジメしたのは抜きにしよう。」


尾崎が手を叩いて、場の空気を変えた。


「ありがとうございます。」


美菜は、自分の手を握る雅典の力が強くなったのを感じて、隣を見た。

雅典の、全てを包み込むような笑み。

それを見て、美菜もようやく微笑むことが出来た。





「さて、そろそろ本題に入ろうか。」


そう言った尾崎に、美菜は首を傾げた。

今日は報告をして終わりだと思っていたのだ。



「勿論、伊吹の結婚に反対なんてしないから安心して。」


「あ、そっか。」


そこで初めて、そういう可能性もあったのだということに気付いた。

一応、芸能人の端くれであるのだ。未だに馴染めない美菜だったが。



「いい加減慣れろよ。お前は立派な芸能人なんだから。」


「だって…。私なんにもしてないですし…」


言い合いをする鵜飼と美菜を尻目に、尾崎は雅典に向かい話しだした。



「渡辺さん。我々は彼女があなたから離れると決めた際に、当初の契約内容を大きく変更しました。」


「はい。」


「それがなければ、覆面アーティストなんて言われることもなかっただろうし、そもそも伊吹だなんて芸名をつける必要もなかったと思います。」


「はい。…すいません。」


「尾崎さん!雅は何も悪くありません。」


美菜が身を乗り出して言った。


「わかってるよ。別に責めてるわけじゃなく、真面目な話をしてるだけださ。」


「なら、いいですけど。」


「だいたい彼が悪くないことなんて、最初から知ってるよ。伊吹が意固地になって逃げ続けているのを、ずっと見てきてるんだから。」


そうだった。


美菜は目に見えるほど、しゅんと肩を落とした。



「いや、美菜は悪くないんですよ。」


今度は雅典が美菜をかばった。


尾崎は笑って、鵜飼は呆れていた。


「…似た者同士なんだね。まあ今は、誰が悪いとかは置いておくとして。」


顔を真っ赤にした美菜。

雅典はそれを見て少し笑ってから、すぐに真面目な顔で続きを促した。


「すいません。続けてください。」


「うん。だから、今のような特殊な契約になってしまったのは、全て、あなたから身を隠すためだったんです。えっと、契約の中身は?」


「話しました。というより、契約書を見せました。」


美菜が答えた。雅典も黙って頷いた。


「そっか。かなり特殊な契約だっていうのはわかっていただけたと思うんですが。」


「ええ。本題というのは、…今後のこと、ですね?」


「その通りです。良かった、渡辺さんは話が通じる人で。どうも伊吹ってそういうところ、鈍いんですよね。」


「はは。頭はいいんですけどね。自分のことになると、急に鈍感になるんです。」


「ちょっと!今、関係ないでしょ?話を戻そうよ。」


「そうだな。今後のことだ。」


「俺は、美菜がしたいように。」


「そうですか。伊吹は?どうしたい?」



「え…どうしたい、って?」


美菜は助けを求めるように、雅典を見た。

だが雅典は笑うだけで、何も答えてくれない。


「ほら。言ったそばから、話わかってないじゃないか。」


尾崎も、勿論鵜飼も笑っていた。



「だって、今後のこと、って。…今後もできれば歌手は続けていきたいです。」


「美菜、そうじゃないよ。もう、正体を隠す必要はないだろうってこと。」


やっと、雅典が説明をした。

しかし散々馬鹿にされたのが悔しい美菜は、素直にお礼を言うことができなかった。


「…わかってる。」



尾崎は笑いをかみ殺していた。


美菜のこんな姿、初めて見たなと、嬉しく思いながら。



「で?渡辺さんは伊吹の好きなようにって言ってるけど、伊吹はどうしたい?」


美菜は少し考えてから、目の前の二人を見た。


「…尾崎さんと鵜飼さんは、どうするべきだと思いますか?」



「僕は、伊吹のその容姿を利用しない手はないと思うよ。それは雑賀さんたちだって言っていただろう?

…でも、ねえ?鵜飼さん。」


そう言って、尾崎は鵜飼に話を譲った。


鵜飼はもったいぶるように笑ってから、言った。


「ああ。ミナはもう、今のままでも十分に一流アーティストの地位を獲得してくれた。

だから、ミナの好きにしろ。」




美菜は考えた。

その間、会議室は静まり返っていた。



そして、答えを出した。


「じゃあ…これからも、テレビとかにはあまり出たくないです。」


「美菜?俺に気を使わなくたっていいんだぞ?」


そう言う雅典を見つめて、美菜は自分の偽らざる気持ちを口にした。


「違う!本当に、雅とみのりとの生活を、大事にしたい。やっと、手に入れたものだから。」


「美菜…」


もう一度、雅典に向かって頷いた。



そして雅典から正面に目を移すと、決意に燃えた目で言った。


「でも。顔を出すのは構わないですし、子育てに影響のない程度のお仕事であればできる限りやらせていただきたいです。」




「そうか。じゃあ、そうしよう。」


鵜飼が大きく頷いた。


「そうですね。じゃあ、契約変更ですね。早速、契約書を作り直しますよ。」


立ち上がった尾崎が、歩き出す前に、悪戯っ子のような目をして言った。



「もう、契約書を書き直すのは御免だから。今度は別れたりしないでくださいよ?」



美菜と雅典は顔を見合わせて、照れ笑いを浮かべながら同時に答えた。


「「はい。」」



会議室に、平和な笑い声が響いた。





雅典が隣にいるだけで。


美菜が隣にいるだけで。



それだけで、日常のヒトコマがこんなにも輝く。




もう絶対に、離れない。




二人はもう一度、目を合わせて微笑みあった。









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