第35話:2008年9月5日
雅典は考え事をしていた。
「課長?どうしたんですか?もうとっくに昼休みですよ?飯行きましょうよ。」
「え?ああ…ありがとう。今日はやりたいことがあるから一人で食べるよ。」
いつのまにか仕事の手も止まってしまっていたようだ。
これではいけないと思った雅典は、同僚の誘いを断って独り、会社の外に出た。
――どうしたもんかな。
あの衝撃のライブから、もう半年。
ファンレターを装って事務所に送った手紙に、返事はなかった。
もしかしたら読んですらいないのかもしれない。
もう、手立てはなかった。
雅典に出来るのは、気休め程度の行動のみ。
親子連れが訪れそうなスポットに、週末のたび出向くのだ。
限りなく可能性は低いが何もしないよりはましだと思えたし、何かしていないと気が済まなかった。
かなり遠出もしたが、美菜のレコード会社の近くを最も重点的に回った。
しかし奇跡はおこらないまま。
―ピリリ、ピリリ…
雅典の携帯電話が音を出した。
――しまった。マナーモードにするの忘れてた。
本当に、今日の自分はどうかしている、と雅典はため息をついた。
メールの返信をすると忘れずにマナーモードに設定し、店を出た。
会社に向かいながら、再び雅典は考えていた。
――とりあえず、明日はどこに行こう。
もうとっくに、行ける限りの場所は全て網羅した。
――やっぱり明日もあの公園、かな。
そこは最も美菜の事務所に近いこともあるが、雅典はその公園の雰囲気が好きでよく訪れていた。
「あれ、ナベさん?」
背後から名前を呼ばれ、雅典は振り向いた。
「おう、悟か。会社に戻るところか?」
「はい。ナベさん今日は、みんなと一緒じゃないんですか?」
雅典がいつもは同僚たちと社員食堂に行くことを知っている奥田悟が、そう尋ねた。
そういう悟も雅典の部下で同じ課の係長だが、ここ最近、昼は彼女と会っている。
「ああ。ちょっと考え事があってな。」
「なんかあったんですか?」
「いや、その逆。何もないんだよ。」
「…?」
訳が分からないという顔をした悟に、雅典は力なく笑うだけだった。
その顔を見てようやく、雅典が何を、誰のことを考えているのかに気付いた悟は、思わず雅典の肩を掴んでいた。
「ナベさん!今日暇ですか?久々に飲みに行きましょうよ!花金ですよ、花金!」
「?暇だけど、彼女はいいのか?」
「たまには男同士の語らいも必要ですって!」
「本当かよ。…ま、お前がそう言うなら、久々に行くか。」
「そうしましょう!」
「他にも誰か誘うか?」
「いえ、今日は二人だけでとことん飲みましょうよ。」
この会社で、雅典の事情を知っているのは悟だけ。
その悟とて、詳しい事情を知っているわけではないが。
それでも雅典と美菜の幸せな姿を見たことがあるだけに、今の雅典が痛々しい。
「…ふっ。サンキューな、悟。」
悟の気遣いに、雅典は素直に感謝した。
「何がですか。こっちこそ、ゴチになります。」
「は?おごるなんて、一言も言ってないけど。だいたいそっちから言い出したんだろ?」
「課長のくせにケチんないでくださいよ!」
「仕方ないな…。」
口ではそう言いながらも、雅典は笑っていた。
明日も頑張れそうだ。
そんなことを思いながら。
次回、最終話。




