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第26話:2005年12月20日


過去に戻ります。

24話から1ヶ月ほどあとのお話。




佐喜子の一件は争いの種にこそならなかったものの、やはりしばらくはぎこちない関係が続いた。


しかしそれもほんの少しのことで、あれから一ヶ月ほどが経過した今ではすっかり元通りだ。





学生にとって期末試験前で慌しいこの時期、残る単位は卒業論文だけとなった美菜には忙しいことなどなにもない。


美菜は高校時代からの友人で、同じく東京の大学に通う亜梨(あり)と会っていた。

亜梨と美菜は「カラオケ仲間」という少し特殊な関係だ。




美菜は歌手になりたいだなんて考えたこともないし、なれるとも思っていなかったが、歌うことが好きだった。


しかし高校生になり学校の友達とカラオケボックスに行く機会が増えると、とにかく大騒ぎするだけのカラオケに次第に物足りなさを感じ始めた。


盛り上がっている最中にバラードを選曲すれば非難されるし、自分しか知らないマイナーな曲は遠慮しなければならない。

そうでなくて美菜はもっと純粋に、ただ歌うことを楽しみたかった。



そんな折、同じような考えを持っていた亜梨と偶然二人だけでカラオケをする機会があり、それ以降美菜は亜梨以外の人とカラオケに行かなくなった。

今でも二次会などでどうしても抜け出せないとき以外は断るようにしているし、やむを得ないときは歌わずに聞き役に徹している。



だから今では亜梨以外で美菜の歌声を聞いたことがある者はほとんどいない。

むしろ美菜はカラオケ嫌いだと認知されているが、都合がいいので否定しないでいる。

ただひたすら自分の歌いたい曲を本気で歌う、かといってひとりで寂しく歌うのではなく知らない曲でも真剣に聞いてくれる相手がいる、そんなカラオケ以外には興味がなくなったのだ。


二人は他の場所で遊ぶことが滅多にないが、互いに唯一無二の存在だと思っていた。







「そんなあっさり許しちゃってよかったわけ?」


理解不能、といった表情を見せる亜梨に美菜は笑って頷く。


前回会ったのは合宿の直前だったので、電車の中で美菜は例の出来事を報告していた。



「だって雅のせいじゃないし。」


「雅のせいじゃないにしても、酔っ払ったらまた同じことするかもよ?」


美菜との付き合いは長いが雅典との面識はない亜梨は、美菜の真似をして「雅」と呼んでいる。



「もう飲みすぎないって言ってたし。なにより雅も相当ショック受けてるんだもん。」


「まあねえ。雅よりも問題はそのさっちゃんとかいうふざけた名前の女だけど。」


「ふざけた名前って…」


「だってその女二浪ってことはもう24ってことでしょ?そんな年してさっちゃんってどうなの?」


「年と名前は関係ないでしょ。」


亜梨は口調もきつく、思ったことははっきりと口に出すタイプだ。

しかしその実、友達思いの優しい性格なので安心して相談も出来る。



「名前はともかく、そのさっちゃんとはそのあと話したの?」


「それが…サークルに来なくなっちゃったんだよね。」


「なにそれ、逃げたってこと?」


「逃げたのかわからないけど大学にも来てないみたいだし、それ以上こちらから呼び出すのも変な話かなと思って。」


サークル内では一番仲の良かった真希も、最近は連絡を取っていないと言っていた。



「ミナ、あんたいつからそんなお人好しになったのよ?」


「そうじゃないよ。でも、さっちゃんの4年間の片想いを知ってれば誰だってそうなると思うけどな。」


「だからってやり方が汚すぎる。正面から告白できないなんて、ほんと腹黒い女だね!」



電車が目的の駅に到着し、改札を抜けながら話を続けた。


「正直、それは私も思うけど。

でも私が言うのもなんだけど、正面から告白したって100%振られるのは目に見えてるもん。なかなか勇気がいると思うよ。」


「そうなの?」


「うん。サークル内でも雅の態度ってあからさまだったから。」


雅典を見たことがない亜梨には、いまいちイメージがわかないらしい。


亜梨がなんと返そうか考えているうちに、いつもの店に到着した。





―カランッ


錆びたベルがつけられた、木製の扉を開く。



「おっ、いらっしゃい。」


入ってすぐのカウンターに座っていた店主が二人に気付き声をかけた。

もともとこんな若い客は珍しく、おまけに毎月かかさずやってくる美菜と亜梨はすっかり顔と名前を覚えられていた。



「おじちゃんこんにちはー。」


「お久しぶり。いつもにまして暇そうだね!」


「おう、今日はまだ誰も来てへんぞ。ミナちゃんとアリちゃんが一番乗りや。」


「わーい、じゃあ貸切りだね!」


亜梨が大げさに万歳して喜んだのに、店主は苦笑した。



「ま、次の客が来るまでやな。いつもの部屋でええか?」


いつもの部屋とは、カウンターに最も近い部屋のことだ。

その部屋から漏れて聞こえる二人の歌声を聞くのが店主は好きらしかった。


「うん、おまかせする。」


美菜はそう答えると、今時手書きの伝票を受け取り、案内されるまでもなく慣れた様子ですぐそこにある部屋へと入っていった。







東京に上京したばかりでまだ街にも詳しくない頃には繁華街にある大型店舗などを渡り歩いていたが、あるとき偶然見つけたこの店がすっかり気に入り、それ以来ここを行きつけにしていた。


この店を、どんなきっかけで見つけたのかは思い出せない。

そもそもこの駅自体、若い女の子が喜び勇んでくるような駅ではなく、それでも二人はなにかしらの用があってやって来て、時間が余ったのでたまたまそこにあった寂れたカラオケ店に入ったのだった。

古い店で、十数部屋あるがいつもせいぜい2、3組しか入っていない、おまけに防音も中途半端なところだった。


しかしいくら設備が整っていても、大勢の客でごった返している店よりは、静かでおまけに気のいいおじさんのいるこの店が二人は好きだった。









「ふうっ、ちょっと休憩しない?」


「そうだね。」


二時間ほど歌い続けた二人は、昼食を取ることにした。


この店には飲み物しか置いていないので、予め弁当を持参している。



「飲み物追加する?」


「うん。電話するわ。」


そう言って、亜梨がドア横に設置されたインターホンに向かって歩き出した。




すると突然、ドアが開いて知らない男の人が入ってきた。



「はっ?なに!?」


とっさに亜梨が強気な声を出しが、すぐに怯んだ。


男は50代の店主よりは若いが、それでもおじさんと言える年齢で、明らかにただの会社員ではない雰囲気を纏っていた。

亜梨が急いで美菜のところまで駆け寄り、二人は堅く手を握り合った。


カラオケボックスの部屋の中にいきなり知らない男が侵入してくるだなんて、一昔前に大きな問題になっていたな、と古い記憶が呼び起こされ身の危険を感じた。




「あの、なにかご用ですか?」


恐る恐る、美菜が声をかけた。



ゆっくりと二人の正面まで迫ってきていた男は、口を開いたかと思うと先ほどまでの張り詰めた空気が嘘のように、急に申し訳なさそうに表情を変えた。


「いや、怖がらせちゃってごめんね。僕は、こういうもんなんだけど。」


そう言って亜梨と美菜に、一枚ずつ名刺を渡した。


「鵜飼さん、ですか?」


「えっ、この会社…」


そこに書かれた会社名は、日本人なら誰でも知っている、2大レコード会社の片一方だった。



「さっき最後に歌ってたの、どっち?」


「…ミナじゃない?」


亜梨がそう言いながら美菜を指差した。



「やっぱりか。で、君がミナちゃん?」


「はい。…やっぱり?」


「おっちゃんが言ってたんだよ。たぶんミナちゃんの方だって。」


「おっちゃん?」「おっちゃんって?」


亜梨と美菜が同時に問いかけた。



「ここのおっちゃんだよ。おーい、おっちゃん!やっぱりミナちゃんだって!」


ドアから外に顔を出してカウンターにいると思われる店主に話しかけた鵜飼。すぐに店主も部屋に入ってきた。



「ごめんな。勝手に入れてしまって。こいつがどうしても言うから。言い出したら聞かへんのよ。」


店主は鵜飼の頭を小突きながら苦笑した。


「こんな機会逃すわけにはいかないじゃないですか。こっちだって商売なんですから。」


そう言ってふてくされる様子は、とても40代の中年男には見えなくて、拍子抜けした。




「おじちゃん、この名刺本物?」


亜梨はそれでも信用できないのか、用心深く確認した。


「正真正銘の本物や。こいつもうちの常連。こんなんやけど、音楽業界では割と名の知れたやつなんやて。」


「こんなんってなんですか、こんなんって!」


「もうええから。はよ本題入らな、ミナちゃんら困ってるやろ。」


「そうだった!座ってもいいかな?あ、君達もそっち座ってよ。」


そう言って許可も得ないうちに美菜と亜梨の向かいのソファに腰掛けた。

店主もそれに習い、男の隣に座った。





「ミナちゃん、だっけ?君さ、歌手になる気はない?」


戸惑いながらも二人が腰を下ろすなり、鵜飼は身を乗り出して言った。


「えっ?ありません。」


「即答かよ…」


鵜飼ががっくりという音が聞こえてきそうなほどはっきりと、うなだれた。



「もしかしてこれって、スカウトってことですか?」


亜梨が尋ねると、鵜飼は勢いよく顔を上げ捲くし立てる。


「そう!君からも言ってやってくれないかな?ミナちゃんほどの歌を世に出さないのはこの国にとって、大きな損失だと思わないかい?」


「いや、大げさすぎるやろ。」


店主が呆れたようにつぶやくと、今度は店主に詰め寄る。


「そもそも俺に盗み聞きするように言ったのおっちゃんじゃないか!最後まで責任持って説得してくれよ。」


「え、そうなの?」


美菜は驚いて店主の顔を見た。


「いや。俺はただ、あそこの部屋に歌がうまい二人組がおるって言うただけや。まさかスカウトしだすなんて思わんかったわ。」


「おいおい、そりゃないだろ。まあきっかけはともかく、ミナちゃんの歌をもっと多くの人に届けたいんだ。」


「そんなこと言われても。無理ですよ。」



「今いくつ?平日にいるってことは学生?」


「22歳の大学4年です。」


「てことは、もう就職先とか決まってるのかあ。」


「いえ、私は就職しないので。」


「院に行くってこと?それなら、学業に支障のないようにするし!」


「違う違う!ミナは卒業したら結婚するの。」


亜梨がすっかりタメ口で言った。




「け、結婚っ?」「おう、そうなんか?それはおめでとう。」


鵜飼は予想外の言葉に言葉を詰まらせ、店主は暢気に祝福の言葉を述べた。



「ありがとう。」


美菜は照れ笑いを浮かべた。




「えっと…結婚か、そうか。その、結婚相手っていうのはミナちゃんが働くことには反対なのかい?」


鵜飼はまだ自分のペースを取り戻せないようだった。


「いえ。働きたいなら反対はしないって言ってました。」


「じゃあ、問題はないんじゃないかな?ミナちゃんは、歌手になるのはいや?」


「いやっていうか、考えたこともないです。」


「でも、歌うことは好きだろ?」


「もちろんです。」



「君は、えっとアリちゃんだったかな?アリちゃんは、どう思う?

ミナちゃんの歌とこのルックスなら、いけると思わないか?」


鵜飼は見込みのない店主を諦めて亜梨を味方につける作戦に変更した。



「ミナの歌聞くのはすごく好きだけど。でも私もプロの歌って生で聞いたことがないからよくわかんない。」


「でもミナちゃんの歌を聞くのは好きなんだろ?アリちゃんがそう思うなら、絶対他の人たちだってそう思うさ。」


「ま、私はミナが歌手になるのは嬉しいし、応援するけど。」


「だろ?ミナちゃん、どうだろう?考えてみてくれないかな?」


「考えてみたら?美菜、家庭に入るの嫌だって言ってたじゃん。」


亜梨が後押しする。



「嫌だなんて言ってないよ。一度くらい働いてみたかったって言っただけで。

それに、そういうお仕事って、忙しくなるかもしれないんですよね?私、家庭最優先なので不規則だったりするのは無理です。」


「いや、どうしても無理なら、ミナちゃんの都合に合わせて仕事をすればいいよ。昼間だけとか。

この世界、そのへんは融通きくから。それは今後の話し合いで詳しく決めればいい。」


「ミナ、とりあえずやるだけやってみたら?なんか、ミナが歌手になるの見てみたくなってきた!」


「見てみたいって、無責任な…。

たしかに、このまま何もしないっていうのはそうかなって思ってたので。やってみたい、っていう気持ちはなくはないですけど。」


「じゃあ、前向きに検討してくれないかな?また詳しい話は後日進めよう。」



「…わかりました。」




鵜飼は美菜の連絡先を聞きだし、意気揚々と帰っていった。

店主もあとはごゆっくり、と言って出て行った。









「えー、なんかすごいね!スカウトなんて。あれじゃない?1年の時に渋谷でスカウトされた以来じゃない?」


美菜と亜梨がまだこの店を見つける前。

渋谷のカラオケに行った際に、二人してモデルのスカウトに遭遇したことがあった。



「そういえばそんなこともあったね。って、アリほんと他人事なんだから。」


「だって他人事じゃん。でも、私ミナの歌ならCD買うよ。」


「ん、ありがと。でも、このことはまだ誰にも言わないでね!ちゃんと決まるまでは恥ずかしいし。」


「言わないよー。というより、私とミナに共通の友人なんていないじゃん。」


「まあね。」


高校の時の友人で今でも頻繁に連絡を取っているのは亜梨だけだし、二人の大学は別なのだ。




「雅には言うの?」


「んー、雅にもとうぶんは秘密にしておく。」


「なんで?」


「だっていきなり歌手になるって言ったって、頭おかしくなったと思われるのがオチでしょ。」


「あー、雅とカラオケ行ったことないんだっけ?おかしな話だよね。5年も付き合ってて結婚の約束までしてるのに。」


「だって付き合いだしたときはもう雅は27歳だったし。カラオケなんて話に出たこともないよ。」


「そういうものなのかね?」


「そうだよ。アリの彼氏はまだ学生だから違うのかもしれないけどさ。」


「まあね。でも私も彼氏とカラオケ行ったことないけど。誘われても断るし。」


「私ももし誘われても断ってたと思う。」


「私たち本気で歌いすぎちゃうから、たぶんひかれるよね。」


「そうそう。かわいらしいとかそういうの通り越してるよね。」



そんなことを話しながら食べ損ねていた昼食を取り、その後は何もなかったようにカラオケを再開した。







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