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第19話:現在(4)


現在に戻ってきました。

晴彦登場です。

ちなみに現在の晴彦は30歳になろうかというところ。

「じゃあそういうことで。」


「はい。よろしくお願いします。」


晴彦は、取引先の担当者に頭を下げると、会議室を後にした。





自分の会社でもないのに、勝手知ったるという様子で廊下を歩く晴彦は、ふと前方に、見覚えのある背中を見つけた。


「ナベさん!」







雅典は、残業前の休憩から戻る途中だった。

背後から声をかけられた雅典は、聞き覚えのある声に振り向いた。


「お、ハル。もう終わりか?」


「はい。ナベさんは?」


「俺はもう少しかかりそう。」



雅典の会社に、出張に来ている晴彦。


とっくに出世した雅典はもう担当者ではなかったが、プライベートでは仲良くしていた。

今夜も、2人で飲みに行く約束をしているのだ。


「じゃあいつもの店で先に待ってますよ。」


「わかった。悪いな、なるべく早く片付けるから。」


「いえ、じゃあお先に。」


晴彦が左手を上げ、薬指にはめられた指輪が蛍光灯に反射してきらめいた。


「おつかれ。」


雅典はそれを見るたび、純粋に羨ましい気持ちと嫉ましい気持ちが湧き上がるのを抑えられないが、ポーカーフェイスを装ったまま返事をした。











「ナベさん、こっちこっち!」


「おつかれ、待たせて悪いな。」


「いや、先に一人ではじめてましたから。そっちこそお疲れ様です。生でいいっすか?」


ああ、と答える前に、既に晴彦が店員を呼び注文していた。

その間に、スーツのジャケットを脱いで席につく。





「その後、どうですか?ミナのこと。」


「いいや、なんにも。」


「え、手紙も届いてないんですか?たしかもう1年経ってますよね?」


「ああ。」



昨年の10月、雅典に衝撃の事実を伝えた美菜から手紙。

あれから既に1年以上経ち、美典も1才の誕生日を迎えたはずだが一向に次の手紙が届く様子はない。





一気に暗くなってしまったテーブルの空気を打ち破るかのように、アルバイトと思われる若い店員が元気な声とともにジョッキを運んできた。

そこで気を取り直した晴彦が、明るい声で言う。


「とりあえず、乾杯しましょう!かんぱーい!」


「乾杯。」



既に散々飲んでいるとは思えない飲みっぷりを披露した晴彦に、雅典も釣られて一気飲みした。



「っぷはー!やっぱ仕事終わりの一杯はたまんねー。」


「お前は既に一杯目じゃないだろ。」


「まあまあ、細かいことは気にしないで。それにしても、なんか久しぶりですね。」


「そうだな。前回ハルがこっち来たときは俺が出張で出てたから、2ヶ月以上か。」



入社以来何年経っても相変わらず、ほぼ月に1回は東京に来ている晴彦であった。







美菜がいなくなった時、雅典が真っ先に連絡したのはやはり晴彦だった。


しかし美菜の失踪は晴彦にも寝耳に水の話だった。

他にも美菜の両親や大学の友人、雅典が知り得る限りの知人に聞いて回ったが、美菜の行方を知る者は誰もいなかった。



その後両親のところには送り主の住所が書かれていない手紙だけが届いたようだったが、その内容は雅典に宛てたものと同じようなことしか書かれていなかったそうだ。


それまでの22年間生きてきた中で知り合った友人や、自分の親にさえ居場所を隠している美菜。

そこまでしなければならない原因を作ってしまった自分が、心底憎い。





「本当にミナのやつ、どういうつもりなんですかね?こんなに大勢の人に心配させて。」

「いや、美菜は悪くない。俺がいけなかったんだ。」


美菜を責めるような口調で言う晴彦に、雅典が素早く反論した。

そんな雅典の気持ちはわかっていると言わんばかりの表情で、息をひとつつきながら晴彦は言う。



「たしかにミナは悪くないですけど。ナベさんも、そんなに自分ばっかり責めること無いですよ。

ナベさんが悪くないとは言いませんけど、一番悪いのはあの子でしょ。俺はああいう女は嫌いです。

あれだけのことをしておいて、のうのうと暮らしているかと思うと腹が立ちます。あの女は今も元気なんですか?」



「…。やっぱり、一番悪いのは俺だよ。」




雅典とて相手を恨む気持ちが少しもないと言えば嘘になるが、それ以上に重い罪の意識がのしかかっているのだった。







「でもまあ、親のところには今もちょくちょく手紙が届いてるんでしょ?」


「ああ。連絡先は書いてないけどな。」


「それなら、元気に暮らしてるってことなんですからとりあえずは安心じゃないですか。

でも、なんの仕事してるとかどこに住んでるとか、そういうことは一切書いてないんですよね?」


「ああ。」



「…あいつ、ほんとに水商売でもしてるのかな。」


「…。」




20代のシングルマザーが、子供を育てながら生活していくのは容易でない。

だから晴彦がそう思ってしまうのも無理からぬこと。

雅典も有り得ないとは思うものの、頭の片隅では否定できないでいるのも事実だった。





「そんな落ち込まないでくださいよ!冗談ですって、ミナが水商売なんて。いくら子供のためとは言っても。」


「そうだよな。美菜が水商売なんてするわけないよな。」


雅典は、そう言いながら自分に言い聞かせた。







美菜は、「女」を売りにするような仕事を嫌っていた。


だからといってそういった職業に就く人を軽蔑していたわけではないが、少なくとも自分の性には合わないと常々言っていた。

かわいこぶったり媚びたりしている自分が気持ち悪いのだそうだ。





美菜が水商売をしていたとしても、雅典の気持ちは決して揺らぐことはない。


しかし国立大学を優秀な成績で卒業し、一流企業で活躍できる能力を持った美菜が、自分のせいで水商売をしているのは耐えられない。





――やはり早く美菜を見つけなければ。



雅典がそんなことを考えて表情を硬くしたのを見た晴彦は、正面に座るいい男の肩を軽くたたきながら言った。




「またそうやって根詰めすぎるのもよくないですよ。」


「…ハル、エスパーか?」



自分の密かな決意を見破られた雅典が驚いて言った。





「ナベさんの考えることなんてわかりますよ。というか、前もおんなじことありましたよね。」



美菜を探し続ける雅典が周りが見えなくなる度に、こうやって肩の力を抜いてくれる晴彦。


晴彦がいるから、こんなに辛くて苦しい時間を耐えることが出来ているのだと、改めて雅典は感謝した。




「ハル、サンキューな。」


「どういたしまして。俺はナベさんの味方ですから!」


冗談っぽく笑いながらそう言った晴彦だったが、雅典はだいぶ昔に、似たようなセリフを聞いたことがあった。

晴彦もそれを承知で、こういう言い回しをした。




「お前は、美菜の味方じゃなかったのか?」


「ははっ!やっぱり覚えてました?

でも、そんな俺に一言も連絡よこさないような奴はもう知りません。だから、今はナベさんの味方です。」




これからは、ではなく、今は、というあたりが晴彦らしい。


きっと、美菜が戻ってきたらまた美菜の味方になるのだろうと思った。







「息抜きと言えば、ナベさん知ってました?」


「何が?」


「伊吹が、1日限りの限定ライブするらしいですよ。」


雅典が伊吹のファンであることを知っている晴彦は、今日はこれを話そうと思っていたのだった。





「知ってる。もうとっくにアルバムも予約してある。」


アルバムの発売日は12月5日。もう数日後に迫っているのだから当然だった。


「なーんだ。さすがナベさんっすね。でも、未だに不思議です。ナベさんがなんで伊吹にこだわるのか。」


晴彦とて伊吹の歌は嫌いではないが、雅典ほどではない。

まして晴彦は、雅典がいつもはジャンルの全く異なる音楽を好むことを知っているため、最初にファンだと聞かされたときはなかなか受け入れることが出来なかった。




「俺にもわからないけど、なんでか聞いてると癒されるんだよ。」


「ライブ行けるといいですね。やっぱ生で聞くと全然違いますから。

俺もアルバム買って応募しますから、当たったらナベさんにあげますね。」


「あたったら、な。かなり難しいだろうけど。」





今回のライブはアルバムの購入者のみが、そのアルバムに封入されているシリアルナンバーを使いインターネット上で応募できるシステムになっていた。


発売前から、かなりの倍率が予想されている。



最近のこの業界の販売戦略とは逆行しているが、一人で何枚もアルバムを購入するのを防ぐため一人につき1回の応募と制限されていた。

だが家族や知人から名前を借りて、何度も応募する人が続出するのは必至だ。



雅典はそこまでするつもりはないが、それでも当選してくれればと願っていた。








次回は美菜が大学3年生、2004年の冬のお話です。

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