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第12話:現在(3)


現在に戻ります。



「ライブ、ですか?」



美典が昼寝をしだした頃。

美菜のマンションを突然訪ねてきた尾崎が、思いも寄らない提案をしてきた。




「そう。ライブ。」


「でも、契約では…」



美菜と事務所が契約する際、レコーディング以外の活動は本人の許可なく進めない、という条件をつけてもらった。

だからこれまで、美菜は宣材写真やジャケット用の写真すら撮ったことがない。

正真正銘、レコーディングとそれに付随する打ち合わせしかしていない。



「もちろん、わかってるよ。だから、伊吹が嫌なら断ってくれてもいい。」


「どうして、そんな話が出てきたんですか?」


「ファンからの要望だよ。あまりにも多くて、無視できそうにないんだ。

だから、ファーストアルバム発売を機に、1日限りの限定ライブをしようっていう話が出てな。」


「そうですか…」





「こちらとしても、かなり綿密な計画を立てるつもりだ。

まず、当然マスコミは一切シャットアウト。

それから、観客のカメラ持込を取り締まることの出来る、ギリギリの規模の会場だ。

呼べる客は少なくなってしまうけど、あまり大きな会場だと、どれだけ見張りがあっても全ての客を監視することは出来ないから仕方がない。」




美菜は、頭の中でリスクを考えた。


カメラが入ることがないのなら、美菜の顔を見ることができるのは当日訪れたほんの僅かな観客のみ。

ライブとなれば、普段は最小限に抑えているスタッフの数も増やさざるを得ないが、音楽業界の人間に雅典の知り合いがいるとも思えない。

それならば、そのライブに参加した者以外には以前のままでいられるのだ。




しかし、美菜にはひとつだけ、懸念することがあった。


「でも、そんな風にライブをしたら、また最初のようにマスコミが騒ぐんじゃないでしょうか。」







デビューした当時、伊吹の神秘性をマスコミが取り上げることも多く、話題だけで売り上げた歌手だと言われていた。


今はそのころに比べれば少しだけ売上は落ちたが、それはむしろ純粋に歌を評価されている証拠だった。

おかげで仕事上の心配も減り、ようやく美典の子育てに力を注ぐことが出来るようになった。


こうして、これからも娘と2人で生きていこう。美菜はそう思っていたのだ。




そこに来ていきなりのこの提案。美菜は戸惑った。


ファンが望むのなら、ライブをしたい気持ちはある。

だが騒がれてしまえば、美菜の正体を暴こうとする者だって現れるだろう。

今の平穏な生活が脅かされてしまうのではないか、それだけが不安だった。





「そうだな。それは免れないと思う。でも、伊吹なら、またすぐに認められる。

正体を隠そうがなんだろうが、伊吹は伊吹なんだって、みんなすぐにわかってくれるさ。」



尾崎は、その点には自信があった。

美菜の歌には、それだけの力がある。

そもそも、事務所やレコード会社が、こんな異例の契約を許してまで、手放したくない人材なのだ。

それなのに、美菜はその実力に全く気付いていない。



――あの時、あのカラオケ屋に行った鵜飼(うかい)さんに感謝するよ。



美菜は、歌うことは好きだったが、だからといって歌手になろうとも、まして自分が歌手になれるとも思っていなかった。


レコード会社の鵜飼に偶然見つかり、スカウトされなければ、今の美菜は存在しなかっただろう。





「それに、どれだけマスコミが騒ごうが、俺達が全力で守るから。」


尾崎の力強い言葉に、美菜も顔を綻ばせた。




そのとき、奥の部屋から美典の泣き声が聞こえた。


「起きちゃったみたいだな。」


「ですね。ちょっとすいません。」


尾崎に断り、美典の元へ向かった。









美典に母乳を飲ませながら、いつもの如く語りかけた。


「みのり、尾崎さんがママにライブをやらないか、だって。どうしたらいいと思う?

…ママね、パパに見つかりたくないからって、事務所の人たちにたくさん迷惑かけてるの。

だから、その恩返しが出来るのなら、この話受けたいとは思う。

それに、ね?

どうせパパは、ママが歌うような音楽、全く聴かないのよ。

パパは、聞いていて耳が痛くなるような曲が大好きなの。それだけは、ママと趣味が合わなかった。」


美菜は切なげな表情で笑った。




「1日だけ、それも人数限定のライブなら、パパや、他の知り合いの人が来る可能性なんて、ないわよね。」


美典は、再び眠りの世界へと入っていた。その安らかな顔を見つめながら、美菜は決断した。









「お待たせしてすいませんでした。」


美典をベッドに寝かせてリビングに戻ると、尾崎に声をかけた。


「いや、大丈夫。みのりちゃん寝た?」


「はい。もうすぐ母乳も卒業ですね。」


「そうか。みのりちゃんも、このまま大きくなっていくんだね。」


尾崎の言葉の裏に、父親のいないまま、という意味を読み取った美菜は、悲しそうに微笑んで、そうですね、と言った。







「尾崎さん、ライブやります。みなさんが望んでくださっているのなら、やらせていただきます。」


「伊吹、本当にいいのか?」


「はい。

今の時点で、どれくらい話が進んでいるんですか?」




「実は、日にちと会場はもう決めてあるんだ。」


「えっ、会場までおさえてあるんですか?」


「ああ。あまり時間の余裕はないからな。

アルバム発売が12月だけど、さすがにそんなにすぐだとチケットの抽選とか、いろいろ無理がある。だから、来年の1月の第2月曜日。」


「それって、成人の日じゃあ?」


「そうだ。成人の日なら、芸能ニュースは他にもあるし、できるだけ伊吹の話題を最小限に抑えられると思って。」


「そんなことまで考えてくださってたんですね。ありがとうございます。」


「だから言っただろ?全力で守るって。」



尾崎の笑顔が、これまでにないほど逞しく思えた。






こうして、3ヵ月後のライブ開催が決定した。













次回から、過去の話に戻ります。

前回から1年以上経過した、2002年の話です。

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