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第10話:2000年12月4日

「おばさーん。ハルは遅いですねえ。どこをほっつき回ってるのやら。」


「そうねえ。って、まだ5時じゃないのよ。

さすがにうちの馬鹿息子も、仕事はしっかりしてるんだから、そんなに早く帰ってこないわよ。」


道代は、美菜の元気がないことに気付いて、なるべく明るいノリで言った。









昨日、悠馬に別れを切り出して、今日は早速晴彦の家、通称駆け込み寺にやってきた美菜。

学校が終わってからすぐに来たため、晴彦が帰宅するのをひたすら待っていた。




「ミナちゃん元気ないわねえ。何かあったの?」


「うーん。ちょっとね…」


「そう。」


道代はそれ以上詮索せず、放っておいた。







しばらくして、急に美菜が話し出した。


「私さあ、悠馬と別れることにしたんだ。」


「ええっ!?」


さすがの道代も、悠馬と美菜が結婚すると信じて疑わなかったため、まさに寝耳に水の話だった。


「悠馬は、納得してないみたいなんだけどね。私は、もう決めたよ、おばさん。」





人生経験の差か、美菜の気持ちを察知して、軽く流すことにした。

真剣な相談は、晴彦にするのだから、自分は元気付けてあげるだけでよい。


「そうなのね。じゃあ、うちの晴彦と結婚してやってくれる?

私もお父さんも、ミナちゃんなら大歓迎よ?」


それを聞いて、美菜は今日はじめて、心からの笑いをこぼした。


「そうだねえ。おばさんとおじさんの娘になるのは楽しそうだけど、ハルの奥さんにだけは、なりたくないわ。ごめんねー。」


道代もあっはっは、と大きな口で笑った。



「そうよね。ミナちゃんには、晴彦なんかじゃもったいないものね。

こんなにきれいでかわいくて、頭もいいんだから、引く手数多よねー。」


「ふふっ、おばさん、おだてても何も出ませんよー?」



道代が言ったことは、本心からの言葉だった。


事実、今通っている進学校での成績も上位につけているようだったし、大人っぽくきれいな子だった。

今時の高校生のようにキャピキャピした部分も持ち合わせているが、本来の姿は落ち着いた大人の女性という感じがした。

そういう芯の強さを感じさせるところが、道代は気に入っていたのだ。




「またまた。謙遜しちゃって。晴彦がいつも言ってるわよー?」


「なんて?」


「ミナちゃんに言い寄る男どもを排除するのも、回数が多すぎてもうコツをつかんだって。」


「コツなんてあるの?ハルさすがだねえ。」


2人はそのまま、晴彦が帰宅するまでどうでもいい話題で盛り上がっていた。









7時を回った頃、ようやく晴彦が帰宅した。


「ハル、おかえりー。」


「おー、お前もう飯食った?」


「食べたよ。道代’sディナー。」


「なんだそれ。じゃあ、俺の部屋で待ってろ。」


「らじゃー。おばさん、ごちそうさまでした。今日もおいしかったよ!」


「お粗末さまでした。冷蔵庫から好きな飲みもの持っていっていいわよ。」


「わーい。ありがとう!」



美菜は、好きなアップルジュースを見つけると、コップと一緒に持って晴彦の部屋に入った。







十分もしないうちに、夕食を終えた晴彦が戻ってきた。


「ハル、もう食べたの?」


「うん。」


「早食いは良くないんだよ。気をつけたほうがいいよ?」


「お前が待ってるから急いで食ってきたんだろ?いつもは普通だって。」


「あっそ。それはスミマセンデシタ。」


「っとに、お前ってやつは。」


晴彦が手に持っていたのは、ウーロン茶だった。

美菜が真剣な話をするときは、いつもこうだ。


普段は必ずビールを持ってくるくせに。





「で?今日は何?」


ウーロン茶を一口飲むと、晴彦は美菜を促した。


「うん、驚くかもしれないんだけどさ。私、昨日悠馬に別れて欲しいって話したんだ。」



「…そうか。」



晴彦は僅かに声を詰まらせはしたが、美菜が予想したほど、それこそ道代のようには驚かなかった。




「驚かないの?」


「いや、驚いてるけど、でもその可能性はあるとは思ってたから。」


すぐに美菜は勘付いた。



「…ナベさんに、なんか聞いたでしょ?」


「よくわかったな。お前が東京に行く前にも聞いてたし、お前がナベさんのとこから戻ってきたあとにも聞いた。」


「…筒抜けってことね。」


「いいじゃねーか。そもそも、ナベさんは、俺の、先輩なんだぞ?」


「先輩が後輩に恋のお悩み相談?」


「別に相談されたわけじゃない。

俺が、言ったんだよ。ミナのこと、好きなのかって。」


「なんで?私ちっとも気付かなかったんだけど。」


「俺だってまさかとは思ったけど。」


「で、ハルはナベさんになんて言ったの?」


「自力で頑張れって。俺は悠馬の親友でもあるから、どっちも応援できないってな。」



事実とは少し違ったが、そう言っておいた。

美菜の味方だなんて、ここで言うことじゃない。




「そう。ハルは、どう思う?悠馬と別れること。」


「お前が、考えた末に、それしかないと思ったんだろ?ならそれでいいんじゃないのか。」


「でも、悠馬は別れたくないって。」


「そんなの、最初からわかりきってる。

あいつがお前のことどれだけ好きか、知ってるだろ?知らないとは言わせねえ。

俺は最初からずっと、そんなあいつを見続けてきたんだ。」


「わかってるよ。…ごめんなさい。」


「いや、わりー。お前が謝る必要なんてない。

悠馬は、好きすぎて接し方を間違えたんだ。自業自得。

それで、ミナの気持ちがナベさんに移ったとしても、誰も責めないよ。」



「私、ナベさんのこと、好きなのかな?」


「え、じゃあなんで悠馬と別れるんだよ?」


「ナベさんに言われて、考えて、悠馬は私の運命の相手じゃないなって気付いたから。ナベさんのことは、また別だよ。」


「そっかー。」


「うん。」







少しだけ、沈黙したあと、晴彦が聞いていた。


「お前さ、俺の奥さんにだけはなれないんだって?」



「うん?

なに、まさかハルまで私のこと好きとか言うわけ?」


「バカか。んなわけないだろ。」


「だよね。確かに、さっきおばさんにそう言ったけど。」


「じゃあ、ナベさんとなら結婚できるのか?」


「…そんなの考えたことないよ。」


「だから今考えてみろよ。悠馬とは、違ったんだろ?ナベさんだったら、どうだ?」


「話が飛躍しすぎ!わからない。」


「じゃあ、もしこのまま何も進展がなかったら。

お前達は、疎遠になる。

そうじゃなくても、いつかはナベさんの隣にはお前じゃない、他の女が並ぶ時が来る。

お前はそれを祝福できるか?」



「…ッ!」



「…そういうことだろ。

そうじゃなくても、お前は、今ナベさんと会えないのを寂しいって感じるんだろ?

だったら、そこから始めればいいじゃねーか。」



「いいの?もし違ったら?ナベさんも私の運命の人じゃなかったら?」


「そんなこと言ってたら一生結婚できねーぞ?

別に、結婚を前提にってわけじゃないんだから。今の気持ちを大切にしろよ。」







「…。私、ナベさんに連絡してくる!」


そう言って立ち上がった美菜の腕を、晴彦が掴んだ。


「ちょっと待て。電話するなら、ここでしろ。」




「は?ここで?ハルの目の前で?」


「そう。相談料がわり。」


晴彦はにやり、と意地悪く笑った。


「面白がってるでしょ。」


「がってない、がってない。早くしろよ。ナベさん、待ってたぞ。」


仕方なく、そのまま雅典に電話をかける。





―プルルルル、プルルルル、プルル…カチャッ



『もしもし?』


「あ、もしもし。ナベさん、今大丈夫?」


『うん、あっいや、ちょっと待ってて。一旦切っていい?すぐかけ直すから。』


「うん、わかった…って、え?」


返事を言い終える前に、電話は切れていた。











雅典はちょうど、家の玄関に到着したところだった。


商社に勤める雅典は残業も多く、これくらいの時間に帰宅することもよくあるのだ。

美菜の話がこのあいだの返事である以上、落ち着いて聞きたいと考えた雅典は、急いで中へ入り、着替えを済ませてソファーに陣取った。


その上で、覚悟を決めて、美菜を呼び出した。



『もしもし。もう大丈夫?』


「ああ、ちょうど家に着いたところだったからさ。」


『相変わらず働いてるね。』


「俺仕事できないから、それぐらい働かないと追いつかないんだよ。」


『あー、それじゃあ仕方ないね。』


2人は笑った。

実際は、雅典が仕事の出来る人であることも、同期では一番の出世頭であることも、美菜は知っていた。

晴彦からの情報であったし、美菜が知っていることを、雅典も承知していた。


しかしそんな冗談でも言わないとやってられないくらい、この激しい心臓の鼓動を持て余していた。





「で、答え。…出たのか?」


『うん。

私さ、あれから本当にずーっと考え続けて、学校の勉強でも使わないくらい脳みそ使って考えたんだけど、やっぱりわからなくてさ。』


「うん。」


『そしたら、ハルがあっけなく答えに導いてくれたよ。』


「ハルが?」


『うん。ハルに言われて気付いた。

私、ナベさんが運命の相手かどうかはまだわからないけど、とりあえず今、一緒にいたいのはナベさんだよ。』




「ミナちゃん、それは告白の返事がイエスだ、って思っていいの?」


『うん。

10も年下のガキだけど、ナベさんロリコンだと思われちゃうけど、それでも、いい?

…ッ、うっさい!黙っててよ!』


突然、美菜が受話器から顔を離して、誰かに文句を言っていた。



「ミナちゃん…?」


『あっ、ごめんね。今となりにハルがいて。ちょっとうるさかったから。』


「ハル?なんだよ、あいつ。盗み聞きかよ。」


『そうなの。こっちは真剣なのに、ハルったら面白がってるんだから。』



雅典は、美菜が眉間に皺を寄せて不満そうな顔をしている様子を思い浮かべて、微笑んだ。


美菜は頬を膨らませるような、女の子らしい仕草はしない。

でも雅典は、そんな美菜の顔もたまらなく好きだった。





「ハルのやつ、今度会ったらいじめるしかないな。」


『ほんとだよ。というより、もう仲間に入れない。』


「ははっ、それいいな。」


『わっ、ちょっとハル!…』


「ミナちゃん?」





『ナベさん、ちょっといいっすか?てか話が長いんですよ。』


電話の向こうが、晴彦に代わっていた。



「お前、邪魔すんなよ。」


『あー、そういうこと言うんだー。ミナと付き合えるのは誰のおかげかなー?』


「はいはい、ハルのおかげです。で?」







『…。ミナのこと、よろしく頼みます。俺の大事な妹なので!』




携帯を横取りされて怒っていた美菜は、それを聞いた瞬間涙ぐんだ。


晴彦はそれに気付いたが、照れくさくて見ないふりをしていた。




雅典は、そんな2人の様子を想像しながら、言われた言葉をかみ締めた。



「…ああ。わかってる。ハルを敵に回したくないしな。

お前は、ミナちゃんの味方なんだろ?」


『そうですけど、それはあんまり言わないでください。こっ恥ずかしいんで。』


「ははは!あんだけ堂々と宣言しておいて今更かよ。」


『…まあ、それはともかく!まだ話は終わってないんです。』


「なんだ?」



『悠馬は、まだ別れることに納得してません。前にも言ったように、あいつは手ごわいですよ?』


「そうか。…必要なら、俺が話を付けに行く。」


『必要なら、じゃなくて、来てください。…俺も行きますから、4人で、話し合いましょう。

ナベさんを紹介したのが俺である以上、俺も悠馬に何も言わないわけにはいきません。』


「ハル、そんなことしたらお前らの仲が…」


『だからって、嘘をついたままあいつと付き合っていくのは違うから。

これで壊れる仲なら、それまでだったってことです。ナベさんが責任感じる必要はありません。

悠馬は手ごわいですから、3対1で、攻めましょう。

っていうのは冗談で、ちゃんと話してわかってもらいましょう。』


「わかった。ハル、恩に着る。」


『恩に着る、って。ナベさん、古いっすよ!』


晴彦がゲラゲラ笑い出した。

雅典もようやく、いつもの調子に戻って返した。



「どうせ俺はもう年だよ。悪かったな。」


『まあまあ、大丈夫ですって。

さっきもミナに言ったんですけど、ナベさんとミナ、2人並んでも同年代にしか見えないですよ?』




雅典は童顔ではないが若く見えるし、美菜は大人っぽい顔と雰囲気をしている。

そこに晴彦も並べば、3人同級生でも通るだろう。


「それって喜んでいいのか?」


『いいんですよ。とりあえず、ミナと色々話したいとは思いますけど、今日はもう諦めてください。』


「わかったよ。」


晴彦にも色々と思うことがあるのだろうと察した雅典は、潔く引いた。









晴彦が電話を切ったのを見ると、美菜は勝手に切ったことに文句を言うのも忘れ、急いで涙をぬぐった。



「うわ、みーすけ泣いてやんの!」


美菜が泣いてる理由がわかっていたが、照れくさい晴彦は、いつも通りにからかった。


「うるさいなー。ハルのばーか!もう、こんな家さっさと出て行ってやる!」


美菜は晴彦の不器用な優しさに、余計に涙を止めることができなくなり、早々に立ち去ることにした。



「はいはい。また落ち着いたら、話しようぜ。ナベさんにも、また明日にでも電話してやれよ?」



わかった、とだけ返事をすると、美菜は部屋の出口に手をかけた。

そして、一瞬立ち止まると、振り返って言った。



「ハル、ありがとう。」


「なにがー?」



わかってはいたが、とぼけた晴彦に、美菜は一瞬考えて、そして言った。



「…ジュース!」



それだけ言って美菜は部屋を後にした。





晴彦は、予想もしてなかったことを言われ、あっけに取られていた。

いや、心当たりはあるのだが、まさか美菜が気付いてるとは思わなかったのだ。







美菜が冷蔵庫から持ってきた、大好きなアップルジュースは、まだ未開封だった。


前の日の電話越しに、美菜の気落ちした声を聞いた晴彦が、道代に言って用意させたのに違いない。

そういった細かな心遣いが、美菜がこの家になついている所以だった。












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