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第1話:現在(1)


第1話は現在(2007年)のお話です。

今原美菜(いまはらみな)は、ほとんど独り言のように、目の前の存在に優しく語りかけていた。



「あの時はすごく恥ずかしかったな。あとでパパにたくさん文句言っちゃった。

ふふっ、…みのり?」


相手は、四方を柵に囲われた小さなベッドの中で寝入っていた。

名前を呼んでも目を覚まさないのを確認すると、静かにその場を離れた。





子守唄がわりに毎晩聞かせている話。


話の内容なんて、もうすぐ1歳になる今だって少しも理解できていないだろう。

それでも、美典(みのり)が産まれたその日から、暇さえあれば聞かせてきた。


今日した話はもう何度目だろう。

話すたびに、その思い出が自分の中でちっとも色褪せていないことを確認する美菜であった。




――パパには会わせてあげられないけど、この先2度と会うことはないけれど。

――あなたは間違いなくママとパパが愛し合って生まれた子なのだと、わかってね。











次の日は2ヶ月ぶりに仕事があった。


朝食を済ませると、愛娘を連れてマンションを出る。

マンションの下には迎えの車が既に待ち構えており、後部座席に乗り込んだ。


「おはようございます。」

「おはよう、伊吹(いぶき)。みのりちゃんも。」


運転席から振り向いた尾崎洋二(おざきようじ)が、美菜にあいさつを返した後、チャイルドシートにのせた美典に笑いかけた。

美典はキャッキャと笑い声を上げている。




「どう?子育ては順調かい?」


車をスタートさせ、前を向いたまま尾崎が話しかけてきた。


「ええ。子供って本当にあっという間に成長するんですね。

前回尾崎さんに会ったときはやっとおすわりができるようになったところでしたけど、今では伝い歩きもするんですよ。」


「だろ?一時も目を離せないって感じだよな。」


「はい!どんどんできることが増えていくのが、楽しくてしょうがないです。

尾崎さんもやっぱり自分の息子さんの時はそうでした?」


「もちろん。

まぁ僕は仕事してるから大事な瞬間は逃してしまうことも多かったけどね。

奥さんもその頃は楽しそうに子育てしてたよ。」



尾崎の息子は今年で5歳になる。

周囲に子育てを経験した友人がいない美菜にとって、尾崎の存在は貴重だった。











車が向かっているのは都内のレコーディングスタジオ。



美菜は「伊吹」という名前で歌手活動を行っていた。

昨年の8月にデビューし、人気ドラマのタイアップと事務所の大々的なプッシュのおかげで新人としては異例のヒットを記録した。

その後もコンスタントに新曲を発表し、今では単なる流行りで終わることなく、人気者としての地位を確立している。


今月ももうすぐ5枚目のシングルの発売を控えており、今日からしばらくは、4ヵ月後に発売予定のファーストアルバムのレコーディングに入るのだった。






また、伊吹が話題となったのにはある特殊な事情もあった。

伊吹は、その伊吹という名前と澄んだ歌声以外の、全ての情報を非公開にしていたのだ。


それは、美典の子育てに集中したいという美菜の希望を事務所が叶えてくれたためだった。

しかし、もうひとつ、大きな理由があったのだ。


たった一人の人物に、「伊吹」=「今原美菜」だということがばれて欲しくないという、大きな理由が。










「そういえば来月みのりちゃんの誕生日だよね?

みっこが良ければうちで誕生日パーティーやらないかって言ってるんだけど。」


尾崎の妻、充子(みつこ)は専業主婦をしており、美菜が困った時など色々と助けてもらっていた。

時には家にもお邪魔させてもらい、母親同士で息抜きをしたりもする。

ただし、贅沢な働き方をしている美菜とは違い、他にも担当を持つマネージャーの尾崎が在宅していることはまずないが。



「いいんですか?たしかに私と2人きりよりは尾崎さんのお宅でお祝いしてもらえた方がうれしいですけど。」


「いいに決まってるだろ。悠真(ゆうま)もみのりちゃんのこと気に入ってるしな。遠慮なんてしなくていいぞ。」


「ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えさせてもらいます。みっこさんにもあとでメールしなきゃ。」



尾崎の息子の名前が、美菜の遠い記憶の片隅にある名前と同じ「ゆうま」だと聞いた時は、少し変な感じがした。

しかしそれもすぐに馴染んだ。


幼稚園児の悠真は、美菜と美典が家に行くたびに美典をかわいがってくれている。










「それで、もうすぐ1年経つけど


…みのりちゃんの父親に手紙書くのか?」



尾崎が、先ほどの話のついでかのようにさりげなさを装いつつも、少し言いにくそうに切り出した。

おそらく誕生日パーティーの話を出したのも、最初からこの話をするためだったのだろう、と美菜は感じた。


尾崎が、この件に関して、心を砕いてくれているのはわかっている。

それについては、本当に感謝してもしきれない美菜であった。



しかし、今はそれについて考えたくなかった。




「…わかりません。」




それだけ答えると、もう何も聞かないで欲しい、というように目を閉じた。














タイトルの由来についてここに書いておきます。どこかに書いておかないと意味不明なので…


かたかご【堅香子】…カタクリの古名。花言葉は「寂しさに耐える」。きれいな花を咲かせるまで7〜8年かかる。


2人が出会ってから8年目ということと、お互いに寂しさに耐え続ける2人が恋が再び成就するまでの物語だということでこのタイトルにしました。

でも、一番の由来は、ただなんとなく字面が気に入ったからです(笑)



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