第4話:ルビーラビット
ダンジョンの一階層は広大な狩場であった。円錐状に広がる空間は下に行けば行くほど危険になるが、それは小型のモンスターも例外ではない。弱肉強食という食物連鎖の底辺に存在する、力の無い小さなモンスターはダンジョンの上層で繁殖していることが多く、見習いはここで安全に戦闘を学ぶことが基本である。
見れば、ミールと同じように巨大な背嚢を背負った何人もの若者が、額に脂汗を流しながらベテランの冒険者の後ろを追いかけている。どこも自分と似た状態のようだ、と同族を発見したミールは少しだけ安堵する。
冒険者、という職業は見栄えはよくとも肉体労働であることに変わりはない。幼い頃、枕元で母に聞かされた伝説ーー勇者の冒険に憧れて、ギルドの門を叩く者は多い。
だが、その実態は泥臭いもので彼らが憧れる伝説の勇者という幻からは程遠いものにあった。
ダンジョンに不慣れな身体に、軽減しているとは言え巨大な荷物を背負うというのだ。新人たちに掛かる負担は想像に難くない。
「ほら、ミール。あいつらがモンスターだ。上層にいるやつらは小さいやつばかりで狩っても金にはならないが、下に行くほどデカくなるんだぜ? まあ、そのデカさに比例して報酬も多くなるけどな」
バレスの指さす方向、確かに小型のモンスターが群れるようにしてこちらを警戒している。ギルドが貸し出している図鑑の最初の方、危険度《低》と記された項目に彼らが解説されているのをミールは思いだす。
なんと言ったか――ああ、赤目の牙兎である。新人たちが単独でも狩れる、低ランクモンスターだ。特徴と言えば、ほどほどに素早く好戦的である。そして繁殖力が非常に高く、その姿はそこかしこで見られる。数が多く、好戦的だが弱い――これらの要因が彼らに何をもたらすのか。新人の冒険者の晩飯には、必ずと言っていいほどルビーラビットの肉が出るほどだ。しっかりした装備で挑めば、群れで襲われても傷を負うことは少ないだろう。討伐報酬は推して知るべしである。
まるで値踏みするかのようだ。ギラギラと光る赤い眼光の数は、両手の指を越えている。これが戦闘。相手は低レベルのモンスターだ、と自分に言い聞かせても相手は自分の命を奪おうとする存在なのだ。
「本格的な後援の仕事は中層に入ってからだ。ここでバックを下ろせ、ミール。油断はするなよ、これは冒険だ」
フレイグの声音は先ほどと変わらない、重みのあるものだった。
その言葉に背中を押される形で、ミールも懐から質素なナイフを取り出す。手の中に武器がある――それを覚悟したとき、ミールはあまりの緊張に吐きそうになった。
これは、命のやり取りだ。
「……」
ぽん、とミールの尻のあたりを誰かが優しく叩いた。
「グリントさん……」
「……(ぽんぽん)」
落ち着け、とミールにはそう言っているように見えた。全身甲冑の小柄な戦士は、巨大な武器を構えなおすと一歩、歩幅を大きく開き足に力を込めた。
――吶喊。
全身甲冑。何度でも言うが、全身甲冑である。全身甲冑とはそもそも、守りに重きを置くものだ。前衛を任されたグリントは、やはりパーティの守備を担うのだろうと戦闘が始まる直前までミールは認識していた。
だが、現実は。
「いつ見ても頭おかしいな、アレ」
「頭と言えばいいのか、身体能力と言えばいいのかわからんがな」
先輩達のぽつりと呟いた言葉に、ミールも同意せざるを得なかった。
伝え聞く城塞に備えられた大砲の砲弾とは、グリントのことか。脚力のみで発射されたグリントは、ルビーラビットの群れに着弾。その後、構えていた斧槍を縦横無尽に振り回し、次から次へと獲物を捕らえては原形も残らないほど切り刻む。残ったのは、血と肉片。何を回収しろというのか。
美しいとさえ思える。それは洗練された暴力の芸術であった。狩るため、冒険するため。身体を鍛え続けた冒険者たちの技量は、ここまで至るのか。
だが、おかげでミールの緊張は解けていた。良くも悪くも衝撃的な光景が、結果としては良い方向に働いたらしい。
「大丈夫だ、ミール。他は俺達が相手をする、一対一で勝ちに行け」
「グリントほどじゃないが、俺達もいるんだ。安心して嚙まれて来い!」
先輩達の心強い言葉を聞き、ミールは一つ呼吸を置くとナイフを構えなおす。
「――行ってきます!」
◇◇◇◇◇◇
「もうちょっとどうにかならないもんかね?」
バレスの呆れたような声を聞き、ミールは歯形だらけの身体を引きずりながら「すみません……」とか細く呟いた。
結果だけ言えば、ミールはルビーラビットに勝った。いや、勝ちと評価するにはどうなのだろうか。低レベルのモンスターをフレイグ達が囲むようにして一対一という状況を作り上げ、ミールはそこでたっぷり時間をかけてモンスターの体力を削った。動物虐待と奴隷の剣闘士の試合を足して割ったような、熱い光景が低レベル階層であったと誰が信じようか。
「でも、勝ちは勝ちです……!」
「うん、まあ、そうね」
バレスは左手でポリポリと頬を掻くと、曖昧な返事でミールの言葉を受け止める。初勝利なのだ、後輩のミールの勝利は喜ぶべきなのだろうが、あの戦いを見たバレスはどう褒めたものかと思案していた。
「勝ちは誇れ、ミール。それが勝者の責任だ」
言葉数の少ないフレイグが、剣を収めながら口を開いた。
「敗者は全霊を賭してお前に負け、お前は命がけで勝ちをもぎ取ったんだ。そして次の相手とは、命とこのルビーラビットに勝利したという誇りを賭けて戦え。それが勝者の責任だ」
ミールは狩ったルビーラビットたちを捌き終わると、解体したその肉を眺めてみる。重さは、だいぶ軽くなってしまった。今日の晩御飯の一品になってしまうのだろう。情とか、強敵への敬意ではなく、今のミールの未熟な心には勝利したという安堵しかなかった。
「僕が、この勝利を背負う……」
「説教臭くなったな。今は勝ちを喜べ。そして、次の一歩を冒険のために進めろ」
厳つい顔に柔和な線が浮かぶ。フレイグの時々見せる、暖かい笑みは彼が温厚な人柄であることを物語っていた。
自信があるわけではない。初めての戦闘ということを差し引いても、先ほどの戦闘はミールの自信を挫くには十分すぎるものであった。
それでも、僕は冒険をしてもいいのだろうか。そんな葛藤は、ダンジョンに踏み込む前から心の中に存在したものだった。
「……誰だって最初は強いわけじゃないしな。始めたばかりじゃ向き不向きなんて誰もわからないもんだよ。まあ、ちょっとナイフの扱い方は勉強してほしいけどね。何事も努力と挑戦あるのみさ」
フレイグも苦笑いは浮かべているものの、ミールは彼の応援を素直に受け取った。努力しよう、そうすれば今より悪くなることはない、とそれは先達からの骨身に応える助言であった。
「(とんとん)」
「あ、グリントさん」
先ほどまで甲冑に付着した返り血を拭い取っていたグリントが、どうやら帰って来たらしい。励ましているつもりなのだろうか、先の戦闘でグリントの猛撃によって飛び散った肉片の、どうにか食べられそうな部分を拾い集めたらしい。塊にしてみると、中々に見応えのあるオブジェだ。
「あー……」
言葉がでない。まさか、これを食えと言っているのだろうか。
「気持ちは受け取ってやれ、ミール」
フレイグの笑いを堪えた声が援護になり、ミールはなんとかその肉塊を食べずに済んだ。
中層に向かう道中、グリントが不機嫌だったのは言うまでもない。




