第31話:報復の灯
孤児院に帰ると、すでに子供たちは寝ているようだ。先ほどまで燭台の蝋燭に火が灯っていたのだろう、糸芯は黒く焦げており、部屋の中に真っ白な煙と蝋の溶ける独特な匂いを漂わせていた。
暗い。ミールは火付けの手と呼ばれる魔道具で、蝋燭に火を点ける。ぼっぼっぼっ、と軽快な音を立てて部屋に明かりが灯されていく。
その様子を見たミールに、帰宅の安堵からか、先日のダンジョン帰りとはまた違った疲労が身体を襲った。緊張や、不快感。何よりも、ゼルドから感じた圧倒的な威圧だ。
彼の返事を断った先。周囲の冒険者の目の色が変わったのは今でも覚えている。ミールも覚悟はしていたことだが、ゼルドのスカウトを断ったということは忌み嫌われた獣人の味方をするということなのだ。
正しかったのだろうか。冒険者という、潰しのきかない職種において、横の繋がりは重要だ。
それを今、ミールは己の選択で切り捨てた。大手の派閥、『獣狩りの斧』の掛けた声に首を縦に振ることを、彼はしなかったのだ。
何より、バレスだ。心優しく、面倒見の良い彼がなぜ。なぜ、獣人を憎んでいるのか。
もし、グリントが彼の前で兜を脱ぐことがあれば、彼は迷うことなく彼女を殺そうとするのだろうか。
「いやあ、怖かった。大きな派閥のレギオンに目を付けられるとは、君も中々有名だねぇ」
そんな彼を慮ることなく、愉快そうに笑うのはナインだ。その言葉はまるで恐怖を感じているようには思えない。寧ろ、あの状況を楽しんでいたようにさえ見える。
「本当に、二度とあんな交渉はしないでよね……でも、ありがとう。助かったよ」
あの選択が正しかったのか。今のミールに答えは出せなかったが、目の前でナインが強引に割り込んでくれたからこそ、唯々諾々と伸ばされた手を掴むことなく、己の選択を叩きつけることができたのだ。
感謝している――が、次からは手段を考えて欲しい。それが、ミールの思いであった。
「ああ、勿論。次はもっと盛大にやろうじゃないか!」
どうにも、彼女の性分では目立たず、こそこそと策を練るのは不得手らしい。そういえば彼女はそういう人物だった、とミールは溜息を吐いた。
「おい、ミール。この酒乱はどうすればいい? 酒臭くて敵わん」
そう呟いたのは、マルチに肩を貸していたフレイグであった。
さすがに、酔い潰れたリネアとマルチを背負って帰れるほど、ミールも頑丈ではない。相棒と言っても差し支えないほど、愛着の湧いていた背嚢をギルドに返却してしまったことをここで後悔することになるとは。……手元にある、なんの変哲もない使用済みのゲロ袋を睨みながら、はぁ、とミールは溜息を吐いた。
「ああ、マルチ姉を運んでもらって、ありがとうございました。そこらへんに転がしておいて下さい」
「……意外に強かだな、お前」
ミールの言葉に、苦笑を漏らしながらフレイグはマルチをソファの上に横たわらせる。見てくれは絶世の美女そのものだが、酒瓶を抱きながらイビキをかく姿は、なんとも教育に悪い。慣れとは恐ろしいもので、人の好いミールも、物心つく前から彼女のその姿を見れば鍛えられるというものである。寧ろ、屈折しなかったことを褒めるべきだろうか。
「それにしても、よくゼルドの誘いを断れたな。お前の性格じゃあ、誘われればどこにでも入りそうだと思ったんだが」
「そんな尻の軽い女みたいに言わないで下さいよ……」
フレイグの言葉に、少し不貞腐れたような口調でミールは言い返す。
人畜無害。押しに弱く、頼まれれば大抵のことは引き受けてしまう、軟弱な性格であるということはミール自身が良く理解していることだ。
事実、ゼルド率いる『獣狩りの斧』の信条に獣人の排斥が掲げられていなければ、きっと参加していたに違いない。
ただ、納得できなかった。直感のような、頼りない自分の判断だが、ミールは彼のレギオンに賛同することは、できなかったのだ。
「フレイグ、彼も一人の男の子だ。自分の気に食わないことがあれば、首を縦に振らないのも道理だろう?」
ナインは、自分の息子の成長を喜ぶ母親のような、実に朗らかな笑みを浮かべてフレイグに語り掛ける。馴れ馴れしいと思うべきなのだろうが、柔軟なフレイグにとっては、彼女の言動を不快に思うことはないようだ。
「なるほど。男の子、か」
マルチの身体に毛布を被せながら、フレイグはぽつりと呟く。
隣でリネアをソファに寝かせるミールの横顔は、覚束ない足元を確認しながら歩く旅人のようであった。
不安もある。畏れも、悲哀も。――それでも、決して足を止める気配はない。
「ここで足を止めるような子じゃないことを、君だって知っているだろう?」
「……ああ、そうだな」
ナインの言葉に一つ頷くと、フレイグは腰に差した長剣を机に立てかけて、何かを決意したような面持ちでミールに尋ねる。
「ミール、俺ともう一度だけパーティを組まないか?」
◇◇◇◇◇◇
暗がりの中、ぼうぼうと魔力で生み出された炎が部屋を照らす。張り詰めた空気は、緊張か。男の背筋に冷たい汗が、なぞるように垂れていく。
レギオン『獣狩りの斧』の本拠地。その一室は今、二人の男がいた。
「ミール君の勧誘には失敗しましたね」
何の感嘆もない、事実だけを述べる部屋の主に、男――バレスは歯噛みした。
「ダンジョンの中で勧誘するべきでした」
もっと早く。どこの誰とも知らない女――ナインの横やりが入る前に、自分が動き出しておけば良かった。有望な人材であったが、部屋の主であるゼルドは、この教導期間よりも前に目を付けていたのだ。
新人ミールを『獣狩りの斧』へ、加入させる。それが、バレスのこの冒険の中での目的であった。
機を見て、彼は『獣狩りの斧』へミールを勧誘するつもりだった。最大手のレギオンなのだ、断る理由も無いだろうと高を括っていたのが運の尽きか。
いや。獣人を狩ると述べたときのミールの反応を見れば、元々縁の無い話だったのだろうか。
終わってしまったことを、後から言っても詮無いことだが。それでも悔やまずにはいられなかった。
「貴方の働きには感謝しています、バレス。ですが、そうですね。彼をダンジョンの中層まで落としてしまったのは頂けない」
ゼルドの言葉に、びくりと身体を震わせる。
「……二十階層にて、竜種の出現は想定外です。そして、パーティリーダーのフレイグが穴に飛び込まなかったのを確認して、俺も撤退を判断しました」
「ええ、ええ。ですが、貴方には私が与えた、魔法で覆せないものを覆す力――魔術があるでしょう?」
仮面で見えないゼルドの視線が何を語っているのか。バレスは十分に理解していた。
左腕に刻まれた、臙脂の刻印。バレスは震える指でそっとなぞりながら、息を吐く。
「グリントが突入したことで、俺まで飛び込めばパーティ全体の帰還が困難になると判断しました。彼はレギオンに未加入の、素性もわからない男でしたので。何より、グリントの戦闘力ならば、竜の討伐は無理でも新人二人を連れての帰還は可能なはずです」
尤も、その想定は落ちた先が二、三階ほど下の階層であればの話だ。まさか、バレスも彼らが落ちた階層が、化け物のひしめく四十三階層とは思いもよらなかったが。
そんな彼の言い分を聞いてなお、ゼルドの表情は変わることがなかった。読み取り辛い口元だけが、静かに微笑んでいる。
「貴方に与えた魔術刻印は、私と貴方の望みを叶えるための道具なのですよ。私はミール君が欲しい。貴方は肉親の仇――フレイグ・バーダンを殺したいのでしょう?」
フレイグ・バーダン。先日まで、パーティを組んでいた男の名に、バレスは歯噛みし、左腕の刻印を強く掴んだ。
「ええ、必ず。必ず、殺しますよ。だからもう一度、機会を下さい」
飄々とした、彼の姿はもうない。口から洩れていく言葉の一字一句は全て、怨嗟にも似た、憎しみに爛れた言葉だ。
「いいでしょう。ですが、二度の失敗は許しません」
表情が変わることは無い。しかし、その台詞を聞いたゼルドの口端は――歪なまでに曲がっていた。




