第2話:ようこそ、新人
ダンジョン。迷宮と今に伝わったのは、いつからだろうか。根を張るように地中へ成長する空間は、人々に富を与えてくれる巨大な宝物庫であった。この世界でダンジョンの成り立ちを知る者がいるとすれば、それは世界を創り上げた存在くらいのものだろう。
確かに言えることは、大地の創造物が人々にもたらす恩恵が過去の歴史を紐解いていく上で重要なものであるということだ。ダンジョンの中に潜むモンスターを狩れば、手に入る肉は市井の胃を満たし、角や爪、牙だろうと毛皮であろうと需要はどこにでもあった。ある者は武器に、またある者は自身を華やかに飾る装飾品の素材として大枚を叩いて掻き集めた。
ならば、ダンジョンの中を奔走してモンスターを狩るのも立派な職業と言えよう。
「す、すいません! 遅刻しました!」
冒険者ギルドの酒場、苦笑いを浮かべる冒険者に向かって頭を下げるのは冒険者――の見習いであるミールであった。やはりあの酔っ払いの絡みが致命的であったらしく、ミールが冒険者ギルドに到着したのは待ち合わせに指定されていた二度目の鐘が鳴り終わって少し経った後であり、冒険者デビューとしての幸先はあまりよろしくなかった。
ある程度、この結果を予想していたらしい。今回、ミールが世話になる三人組のパーティのうち、リーダーと思われる短髪の男の声はとても平坦なものであった。
「どうせ、あのシスターが朝帰りで絡んだんだろ……。むしろ、予定より早いくらいだ。遅刻は遅刻だが、こんなところで説教しても晩飯が一品増えるわけじゃないしな。まあ、今日の働きで名誉挽回してくれ、新人君」
あのシスター、というところで厳つい強面の冒険者は哀れみの視線をミールに寄越した。周りにいる同業者も同調するように頷き、肩身の狭い思いをしながらも「すみません……」と、か細い声でミールは本日二度目の謝罪を口にする。酒場にいる大半の冒険者は事情を把握しているようで、「ああ、あの……」や「可愛そうに……」といった、あまり想像したくない噂をする声が聞こえ、この醜聞が一体どこまで広がっているのかと想像するのがミールは恐ろしく感じた。
「さて、まずは冒険者デビュー、おめでとう。ギルドの斡旋とはいえ、この五日間は毎日顔を合わせる仲だ。職業柄、縁ってやつを大切にしていてな」
す、と傷だらけの右手を冒険者はミールの目の前に差し出す。その行為が一瞬、ミールには不可解なものに映ったが、それが冒険者たち特有の文化であると理解すると、目の前の冒険者と同じように手を差し出した。
そのおどおどした様子がどこか微笑ましさを感じたらしく、年期の入った冒険者の表情も柔らかい。ゴツゴツとした戦士の右手は、がっちりと新たな冒険者の手を握りこむ。
「初々しいもんだな。……覚えておいてくれ。ただ手を握るだけだが、こっちの世界では、これは信頼の証だ。形骸化してはいるが、俺達は利き手で握手したやつは信頼するんだ。忘れるなよ? たった五日間とはいえ、俺達は命を預け合う仲間だ」
「……! はい! よろしくお願いします!」
どうやら悪い人達ではないようだ――冒険者という職業が、血の気の多い人間の職業であるという印象と偏見がミールに無かったと言えば嘘になる。失礼な話ではあるが、今回の遅刻の件を静かに咎めるだけで終わるとは思っていなかった。目の前の冒険者は、ミールが思っているよりも理性的であったのだ。
「ギルドから話を聞いているだろうが改めて。俺がこのパーティの団長をやっている、フレイグ・アーダンだ。役割は前衛から後衛、必要ならなんでもやる器用貧乏だが、強いて言えば頭脳役をやらせてもらっている。君に多くは求めないが、俺の指示には従ってくれ」
フレイグ・アーダンと名乗った男は、やはりパーティの中で重要な位置にいるらしい。戦士だ、と見れば一目でわかるほどに隆起した筋肉、磨かれた軽装の鎧から肌の見える四肢に至るまで幾つもの細かい傷が残っている。前衛で戦う者が持つ、特有の傷跡である。ミールは知らぬことだが、このような傷を持つものは往々にして短気であったり、血気盛んな部類の人間が多い。しかし、フレイグの持つ双眸には、常に理性的な光が宿っていた。器用貧乏と謙遜する自己評価を彼は下しているが、そこには歴戦の戦士という評価を裏付けるのに十分な証拠があった。
簡単な自己紹介を終えたフレイグは、一つ咳払いをするとミールを一瞥する。言外に自己紹介を促しているのだ。
「ミールです。街はずれの孤児院で過ごしていました。年は十四歳です。前衛とか後衛とか、役割はよくわからないですけれど……とにかく、頑張ります!」
背筋を伸ばし、自己紹介を簡潔に述べる。三人の冒険者に囲まれているという状況が、彼の緊張を口元まで伝えている。
「じゃあ、次は俺かな。俺の名前はバレス・グウェイン。後衛の弓兵さ。本職ほどじゃないけど、魔法も使えるぜ。後衛に関することなら何でも訊きな!」
次に口を開いたのは、バレス・グウェインと名乗る好青年であった。本職は弓兵と名乗るだけあり、彼の背負う弓は素人目でも射ることが出来ればかなりの威力を発揮するであろうことが伺える。決して、剣のように刃があるわけではない。だというのに、洗練された長弓の形は無駄な装飾がなく、張り詰めた弦の存在感は鈍らの武器では比較にもならない。
得物を担ぎながら飄々としているバレスの身体をよく見れば、確かに傷跡は見受けられないだろう。しかし、その筋肉の付き方はフレイグにも勝るとも劣らない。言うまでもなく、彼もまた猛者の部類である。
フレイグのゴツゴツとした手とは異なって、意外にも柔らかいバレスの右手をミールは握り返すと、最後の一人に目をやる。
「……………」
その人物は、あまりにも異質であった。外見だけを見たまま伝えるならば、身長の低い人間である。十四歳になるミールの臍の少し上ほどに、その人物の額が来るほどだ。性別は不明である。というのも、外見的特徴は全て、全身を覆う装甲によって隠されているのだ。
担いでいるのは斧槍。その巨大さは小柄な体形に似合わず、主に代わるようにギラギラと殺意を振りまいていた。
その主はというと、対照的に右手を差し出している。表情は見えないだけで、彼(?)は友好的なようである。
「あー。こいつのことはグリントとでも呼んでくれ。鎧の下の顔は誰も知らないが、意思疎通はできるんでな。実力はギルドも保証しているから俺たちも信用して前衛を任せている。いらん心配はしなくていい」
困ったように頭を搔きながら、団長であるフレイグが付け加えた。
冒険者の暗黙の了解で、彼らはお互いに過去を詮索しない。それは、冒険という常に危険と隣り合わせの状況で、面倒な物事を持ち込まない、作らないためである。
先輩であるフレイグの言葉である、ミールは素直に従うと、グリントから差し出された右手を握り返す。
「よろしくお願いしますね、グリントさん」
コクコク、と重い頭部の鎧を器用に揺らしながら、グリントは頷き返した。
……全身装甲のその先輩に、なぜか小動物的な可愛らしさをミールが感じてしまったということは、口が裂けても言えなかった。