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第28話:『獣狩りの斧』

 雄々しい歓声が時折、賑やかな酒場で湧く。周りにいるのが酔っぱらいだからだろう、酒場の中央は名だたる冒険者たちが修道女と挑戦者の腕相撲に白熱していた。

 観衆を驚かせたのは細腕のマルチが屈強な男共を圧倒する――あまりにも、現実離れした光景だ。


 一戦目はマルチと体躯があまり変わらない細身の男であった。どうやら、最近になって後援から格上げされた、新人を卒業したばかりの冒険者のようだ。グルーアの後輩でもあるらしい、その男は先輩の一言に逆らうことなくマルチの前に立つ。

 手を組む。一見すれば、挑戦者の方に分があるように思える。体躯に差が無いのであれば、あとは地力の差が物を言う。この世界の人間ならば、赤子でも分かる摂理だ。


 なぜならば彼ら冒険者はダンジョンの恩恵を受けて、時に超人的な力を発揮することもできるのだから。


 誰もが考えるのは、自分の孤児院の子供を出しにして飲み代を稼ごうとする、酒乱の惨敗。

 

 だが。 

 

「おいおい、手加減してのか? リック、お前の右腕に後輩の未来が掛かってんだぞ」


 グルーアの声は、修道女を相手に手こずる後輩へ送られたものだ。


「ちょっ、待ってくださいよ、この女ッ……!」


 微動だにせず。組まれた腕はマルチの方へ決して傾くことなく――


「終わりか?」


 ドスの効いた声音がリックと呼ばれた冒険者の肝を貫く。確かにリックは嘴が黄色い冒険者ではあるが、地上で生活を営む者よりは力があることを自負している。ましてや、酒場で暇さえあれば痛飲する女に負けるとは予想すらしていない。


 とん、とゆっくりとリックの手の甲が机に触れる。


「……あ」

「ほれ、お前の負けだ。ご馳走さん」


 銀の硬貨が十枚、過不足なくマルチの懐へと流れていく。それが一度、二度と続いて終わるならば、二十階層の先から帰還した実力を持つ期待の新人を抱き込めるいい買い物(・・・・・)だと言えるが――


「次の挑戦者は誰だ? そろそろ汗も出てきたから、もしかしたら今なら勝てるかもしれないぞ?」


 十人目の挑戦者の腕が、マルチによって薙ぎ倒された頃。ようやく、周囲の熟練冒険者達が重い腰を持ち上げた。

 グルーアだ。その巨躯が持ち上がったことにより、周囲では一層大きな歓声が沸く。


「おいおいおい、酒代にしちゃあ稼ぎすぎじゃねえか? マルチさんよぉ」

「はっはっは、可愛いミールをくれてやるんだ。まだまだ安いもんだろ?」


 どちらも目が笑っていない。試合場というには、あまりにも質素な机の上に広がるのは殺気にも似た何かだ。

 グルーアを立ち上がらせたのは、単純なものである。一言で表すならば、冒険者の矜持。命を懸けて迷宮を踏破する猛者の腕が、地上で酒を呷るだけの破戒僧に負けてはならぬという、男の矜持だ。


 グルーアの隆起した強靭な上膊を支える肘が、机の上にごとりと置かれる。先のマルチの台詞通り、彼女の細腕ならば文字通り真っ二つにできそうなほどに巨大だ。

 対するマルチの肘は、一戦目から全く動いていない。大の男の腕を十本も相手にしたとは思えないほど、その腕はあまりにも華奢である。


 それが、あまりにも不気味だった。


「グルーア、もう十枚、銀貨を払って手加減してもらったらどうだ?」

「テメエはどっちの味方だ、フレイグ!?」


 両者の腕に力が伝わる。ミールを懸けた腕相撲、その十一戦目が始まった。


◇◇◇◇◇◇


 悪夢である。教養のあまりないミールが、自らの辞書から引きだした表現はそれだった。ただでさえ、酒場に入り浸り、己の本業を蔑ろにした悪名高き破戒僧が冒険者を相手に金を巻き上げている。それも、自分を出しにして。


「よぅ、ミール。あっちに混ざらないのか?」


 そんなミールを視界に入れたのか、ふらふらとバレスがやって来た。昼頃に比べれば顔色は良くなっているものの、未だ全快というには心許ない。しかし、飲めるうちに飲むのが冒険者の(さが)なのか、不調を顧みずに彼が手に持つのは、黄金に輝く発泡酒である。


「……まさか、賞品が挑戦するわけにはいかないですからね。それにリネアもいますから」


 隣で自身の肩に身を預けているエルフの少女を一瞥し、ミールは苦笑いを浮かべる。


「そいつはまた、難儀だな」

「マルチ姉は絶対に許しませんが、リネアにはダンジョンの中で助けてもらいましたから」

「なるほど。律儀な奴だな」


 くつくつと笑うバレスは、「よっこらせ」と呟いてミールの空いた隣に腰を掛ける。所作がどうにも年齢不相応で、ミールの笑いを誘う。


「お酒、大丈夫なんですか?」

「ばーか。大丈夫なわけねえだろ。どうにも魔力枯渇症だと胃が酒を受け付けねえ。ああ、自重すりゃあ良かったよ……」


 などと言いながら、ちびちびと酒を飲む姿は歴戦の弓兵とは思えないほど穏やか姿である。


「……どうだ、今回の冒険で英雄の夢には近づけたか?」


 その一言に、どれほどの意味が込められていたのだろうか。先ほど、フレイグから冒険者というものの何たるかを説かれたミールは、少し困ったようにバレスの問いに答える。


「うーん……。近付いたような、遠のいたような、不思議な気分です」


 冒険者の見習い、という出発地点から見れば、確かにミールは成長しただろう。今ならば、あの巨大な背嚢を背負って先輩冒険者に追いつくことなど、容易に出来るだろう。

 それは誰もが成長と認めるべき事実だ。だが、ミールはそれが自分の知る小さな世界の中だけであることを知ってしまったのだ。

 彼の目を覚まさせたのはナインの存在だ。彼女の本物の強さと、目指すべき先の答え――見せてくれたものは、そのどれもがミールには足りないものであった。

 もしも、先の冒険が二十階層で安全に引き返すことができたものであれば。英雄の何たるかを知らぬまま、ダンジョンの中でつまらない素材を集めて一生を終えたことだろう。


 一歩近づいた、と満足するだけならばミールに英雄の二文字は重すぎるだろう。

 慢心はなく、貪欲に。あまりにも遠すぎる答えを見つめながら、ミールは己を戒める。


 そんな答えは意外だったのか。バレスはほんの少し驚いたように目を見開いた。


「なんだ、らしくないな。少し前なら自信満々に答えたろうに」

「うぐ……ち、近づいてはいますから! しっかりと! 一歩ずつですけれど!」

「そうかあ? 無鉄砲なところが俺の弟に似ているからな、お前は。英雄になる前にくたばっても知らないぞ」


 バレスの言うように、後先考えずに行動すれば英雄どころか足手まといになりかねない。返す言葉も見つからず、ミールは誤魔化すようにジョッキを傾けてやり過ごそうとする。

 だが一つ、ミールは会話の種になることを聞いた。


「弟さんがいるんですか?」


 兄弟や姉妹という家族関係は、ある種ミールにとって興味深い話題であった。孤児院の年長者であるミールは、年下の子供達の良き兄として彼らに接してきたが、血の繋がりがある兄弟という関係は一体どういうものだろうか。それは純粋な疑問であった。


「あー……」


 歯切れが悪い。まさか、触れられるとは思わなかったようだ。バレスは困ったように頬を指で掻くと、言い辛そうにポツリ、ポツリと言葉を零していく。


「……正確には、いた(・・)、だな。王都カルグの外、辺鄙な村だったが、そこに俺達はいたんだ」

「いた……?」


 ただ、それは酔いが作った弓兵の隙か。バレスの横顔は、どこか哀愁の漂うものであった。大会の喧噪に揉まれて、その変化をミールは見逃しそうになる。

 

「いけね、酒が入るとどうにも脆くなる」


 バレスは左手で目頭を抑え、一度、二度と頭を揺らして溢れそうになった感情を誤魔化す。後輩の前で見せるようなものではない、バレスは「ふぅ」と息を吐くと、いつもの調子で語り出した。


「五年ほど前に、俺達の村が盗賊に襲われたんだ。物心つく前から両親のいない俺にとって、弟は唯一の肉親だったんだが……俺が狩りから帰ってきたら、まあ想像の通りさ。弟も他の連中も、皆死んでたよ」

「そんな……」


 衝撃の事実であった。飄々と振る舞う彼の過去に、そんな出来事があったとはミールも想像できなかった。少なくとも、新人教導期間の中で、そのような素振りは一度も見たことは無い。

 言葉に出来ない感情がミールの心中で交差する。かけるべき言葉があるのかもしれない。だが、ミールにはそれが何なのか、あまりにも難しい問題であった。


「王都の外じゃそんなもんさ。ほんの少しの不幸な出来事で命を落とす過酷な環境だ。王都には整備されたダンジョンがあるが、外はそんなものはない。つぐつぐダンジョンはありがたい存在だと実感させられるよ」


 淡々とした言葉をバレスは酒の力で押し流す。もう終わったことだ、と物語の語り部のように、どこか冷たさを覚える口調で淡々と片付けてしまう。

 王都で盗みを働く者は殆どいない。金を得るならば、ダンジョンに潜ればいいのだから。上層で生えている草や木の実を拾うだけで、裕福とまではいかなくても一日の飢えを凌ぐことはできるだろう。

 だが、王都カルグの城壁の外。未だミールの知らない世界では、そうもいかないらしい。


「悪いな、こんな話しちまって。まあ外のことを知るいい機会だったと聞き流してくれ」

「いえ、ありがとうございます。外に出るときは、気を付けます」


 月並みな言葉しかでなかった。たとえ先輩であろうとも、握手を交わした仲間であるバレスの何か力になれるならば。

 

「何か、その盗賊の外見的な特徴ってないんですか?」


 烏滸がましいかもしれないが、それくらいは一人の王都カルグの人間としてできることだろう。盗賊であれば、法の裁きを受けさせることもできるはずだ。


「……さてね。どこぞの盗賊であるはずだが、何にも手がかりが無いんだ。横顔でもみることができれば良かったんだが。……ま、今頃どこぞの酒場で酒を呷っているかもしれないな」


 手がかりはない。そういうバレスの目は、冷たく、ジョッキに映る自分の顔を静かに眺めていた。


◇◇◇◇◇◇

 

「おや、こんなところに居ましたか。バレスさん」


 漂う空気を入れ替えるように、ミールとバレスに近寄ってくる者がいた。

 中肉中背の男だ。話す口調は冒険者にはそぐわない気品のあるもので、酒場の喧噪から浮いたものである。全身を外套で覆い、携えた杖から推測するに冒険者ではないようだ。

 それだけであれば、身なりの良い男という印象で終わるのだが、ミールの視線は男の顔を注視してしまう。

 仮面だ。口元は辛うじて見えるが目元は完全に覆われており、その相貌ははっきりとしない。伺えるのは僅かに覗いた口元に浮き上がる年期の入った皺が、彼という人物の経た時間を表していることだけだろう。


「……っと、すみませんね、旦那。ああ、彼が期待の新人のミールです」


 バレスはゆらりと立ち上がる。どうやら彼の知り合いのようだ。背中をバレスに叩かれて、慌ててミールも立ち上がった。


「ミールです。ええっと」

「バレス、今日は無礼講でしょう。ミール君ですね、そのまま座って構いませんよ」


 許しを得て、ミールは座る。どうやら目の前の老人はバレスと何らかの関係があり、そして彼よりも有力な存在であるらしい。軽口ばかりを叩くバレスが、柄にもなく緊張している。


「私はレギオン『獣狩りの斧』の団長、ゼルド・スティグマと言います。もう冒険者は引退してしまいましたが、分不相応の席に座らせてもらっている老骨ですよ」

 

 どうやらミールの想定を大幅に上回るほどの大物のようである。レギオンの団長といえば、規模によるものの、レギオンに所属する冒険者のトップだ。到底、ミールが肩を揃えていい相手ではないだろう。

 

 『獣狩りの斧』といえば、カルグ有数の大手レギオンである。世情に疎いミールも時折耳にする名だ。冒険者であれば、まず知らぬ者はいないだろう。


 そんな人が何故自分に? ミールの疑問は尤もであった。

 

 自らの現状をミールが理解するよりも早く、ゼルドは右手を差し出す。まるで、ミールの思考を断つように突き出された手はナイフのように鋭利な印象を彼に与えた。


「単刀直入に言って、君の保護者を説得するのは難しそうなので貴方に直接お話をしようと思いまして。酒の席で堅苦しい話をして申し訳ありませんが、この機会を捨てるには非常に惜しい。ですので簡単に申し上げましょう――私は君を勧誘しに来ました。我がレギオン、『獣狩りの斧』にね」

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