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第1話:いつもは、とても新鮮で

 世界はこんなにも蒼かっただろうか。この世界で自分を知ったとき、少年は己の感想をひどく陳腐で凡庸なものだと評価した。


 視界に映る色を見たとき、自分という存在がどれだけ無色の世界を彷徨っていたか――自覚するたびに、自虐的な感想しか思い浮かばず、緩んだ口元から息が漏れた。


 誰か。果てしなく遠い世界の誰かの過去を見ていた気がする。それを自分のことのように思えるのが不思議だ。一夜で見た、永く短い夢の結晶がするりと自分の中で溶けていくのを実感する。


 ――ああ、おはよう。


 独白は短く。意識してしまえば、どうということはない。


「どうしたの、ミル兄? ぼーっとしちゃってさ」


「へ?」


 それは少年にとって、いつも見る朝の光景だった。決して広くはない孤児院の食堂で、子供達が各々の皿を持ち朝食を取っていた。何とも猥雑な空間である。ミル兄と呼ばれた少年は、この喧しくも暖かい空間を愛していた。


 しかし、なぜか新鮮に感じる。ガチャガチャと食器のぶつかる音、子供達の笑い、時折聞こえる年長の子供が叱る声……連鎖する雑音は聞き慣れたもののはずである。


 隣の少女の声もそうである。毎日のように聞いていた声も、少年のミールにはまるで初めて聴いたような錯覚を感じてしまう。


 なぜだろう――逡巡する間は、どれほどだっただろうか。


「いや、なんでもないよ。……ルルカ」


 拭えない心地の悪い違和感を飲み込んで、彼はいつものように微笑む。咄嗟に目の前の少女の名前が出て来なかったという恐怖を忘れるように。


 何の特技もない、あと四回ほど夜を迎えれば十五歳になる平凡な少年。それがミールという少年を最も的確に表現した言葉であろう。もしも特徴をあげるとすれば、気の良い少年であることか。人畜無害、その評価を伝えれば彼はきっと複雑な顔を浮かべるだろうが、彼を知る人々はそのように感じていた。

 

「それよりも、ミル兄。ルルカとお話してていいの? 今日は特別な日じゃなかったっけ?」


 ルルカ、という少女はミールを慕う年下の孤児である。彼女のようにミールを慕う子供達は多い。それは十四歳のミールが孤児院の中で年長者であるということで、こうして年下の子供達の面倒を見る……というよりは、ぐうたらなシスターの使い走りをしているのだ。

 

「……まずい」


 血の気が引く、とはこのことか。つーっと冷や汗を流すと、彼は急いで目の前の皿に盛られた朝食を胃袋にかきこみ、慌てて席を立った。


「どうしたの?」


「今日は冒険者の先輩にダンジョンへ連れて行ってもらう日だった……!」


 答えるや否や、ミールは自室に駆け込み冒険者として最低限の装備――剣や弓といった上等な装備はない――を身に纏うと、急いで孤児院から飛び出した。


 飛び出した先、何かにぶつかる。鼻頭を強く打ち付けたミールは少しよろけ、ぶつかったものに思い至り何かに観念するかのよな、諦めた表情を浮かべた。浮かべざるを得なかった、という方が正しいだろうか。目の前に立つ人物は、今、この瞬間に彼にとって出会いたくない存在であったからだ。


「よぉ、ミール。朝っぱらから急いでどうしたんだあ?」


 目に入るのは、着崩された修道服。次に映るのは赤ら顔で、声の主からむわりと漂うのは強烈な酒の残り香。とても朝、それも孤児院を任された聖職者が持ち込んで良い臭いではないだろう。しかし、ミールは認めたくなかったが、彼女こそが件のシスターであることは揺るぎのない事実であった。


「出たな、諸悪の根源め……!」


「おいおい、随分な口を利くじゃねーか。ん? もういっぺん言ってみ?」


 するり、と酔っ払いにしては洗練された滑らかな動きでシスターはミールに近づくと、腕と脇で彼の頭を挟み、そのまま締め上げる。俗にいう、ヘッドロックと呼ばれる締め技だ。彼女の細い腕のどこにそのような力があるのか疑問だが、ミールの頭蓋を容赦なく挟み込む。


「痛いし臭いって! もう、急いでいるから酔っ払いに付き合っていられないんだよ!」


 破戒系ぐうたら修道女、シスター・マルチ。王都カルグに本拠地を構える最大派閥の宗教教団、アルティア教に所属する一介の修道女である。背格好はスラリとした長身で、孤児院の最年長者であるミールよりも頭一つ大きく、顔も均整のとれたもので、作られた芸術と本人が憚らないがそこに誇張はない。


 最も、その酒癖の悪さが全ての魅力を殺しているのだが。


「おいおいおい、私のどこが酔っているんだ? どこからどうみても素面だろ」


「酔っ払いの常套句じゃないか……! いい? 今日から五日間、僕がいないからって羽目を外さないでよ。絶対に男子寮に酒瓶を持ち込んで騒ぎを起こしたりしないようにね!」


「やけに具体的だなあ。そんなことするわけないだろー? ほれ、私の曇りなき眼をみるがいい」


 見る。ぐでんぐでんと揺れる焦点は定まらず、健常者のそれではない。酒の入った口からでる言葉を信じるのは、同じ酒の席に座る者くらいだ。生憎、ミールは飲んだくれの言葉を真に受けるほど酔狂ではなかった。

 

「……くそう、もういいよ。その言葉は信じないけれど、最低限の良識はあるって信じているからね!」


「おーう、行ってこい若人よ。お土産を楽しみにしているぞー」


「ないよ!」


 ミールはマルチの拘束から逃れると、不安そうな色を表情に残しながら孤児院を後にした。

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