第12話:潜む絶望
いつもより枕が硬い――寝起きのミールが最初に感じたのは、そんなどうでいいものであった。相も変わらずダンジョンの中は静かであり、先程の孤児院の光景が夢の中のものであることをミールに伝えてくる。
現実は冷たい。本当に、冷たかった。ダンジョンからひしひしと伝わる、全ての要素はミールに味方しない。
僅かな休息で取り戻した体力、思考力は万全ではない。それでも、起きなくては――ダンジョンは悠長に睡眠を取らせてくれるほど、優しくはないのだから。
――というか。
「グリントさん……あの、すごく硬いです……」
膝枕。思春期の少年ならば、誰しもが憧れるシチュエーションではないだろうか。孤児院の子供達、特に女の子におままごとで膝枕をする側であったミールにとって、それは新鮮な経験であった。
だが、相手は全身甲冑のグリントであれば話は変わる。高反発――いや、硬反発の膝枕には、ミールも涙を流さざるを得ない。
どうやら、向こうで背嚢を枕代わりにして、すやすやと眠るリネアの膝を要求するのは贅沢な注文であったらしい。
「……(ムス)」
「いや、あの、ありがとうございました……?」
小柄な戦士は不機嫌そうに頭を傾けた。自分が何をしたというのだろうか? ミールは彼(?)がなぜ、不機嫌なのか理解出来なかった。
◇◇◇◇◇◇
リネアが目を覚まし、パーティ(と呼ぶには不安であるが)は行動を再開した。と言っても、上層へ戻るための階段がどこにあるのか分からない現状、迂闊な行動は却って危険である。何より、ミールの足が重い理由は、この階層の異様な静けさであった。
ほんの少し、とはいえ自分達は休息をしていたはずだ――だというのに、この階層に潜むであろうモンスターは一匹たりとも姿を現さない。上層と中層の間にある安全地帯をミールは思い出す。確かに、ここが安全地帯であればモンスターが現れないのも道理である。
だが、そんなに楽観的でいいのか? 落とし穴の先は安全地帯――などという希望的観測を、冒険者である自分達が持っても良いのだろうか? 尽きぬ疑問の答え合わせをするように、ミール達の前に影が現れた。
ひたり、ひたり、と何者かの足音が静寂の上を歩いて来る。慣れたような足取りだ。次にミールが感じたのは、濃厚な死の香り。くるくる、と聞こえる音は、その存在の声か。ざらついた舌で首筋を舐められたような、不快な感覚にミールは思わず音の方向に視線を向けた。
だが、ミールが音の主を見ることはなかった。グリントが彼とリネアを近場の岩陰に押し込んだからである。続いてグリントは小さな体を器用に二人の間に収め、ミールとリネアの口に手を置いた。
突然のグリントの行動でミールとリネアは動転するが、彼の尋常ならざる雰囲気で落ち着きを取り戻す。それを確認したグリントは、そっと手を離すとハンドサインで「声を出すな」と伝えた。
岩陰からゆっくりと頭だけを出し、ミールはその化け物を視界に入れた。
――入れて、しまった。
その異様な姿は、これまでのモンスターの中で群を抜いておぞましい。五指の先に生える爪は異常に長く、体毛は一切ない。透明な肌には血管が浮き上がり、巨大な尾を引きずりながら二足歩行で何かを探すように、ゆっくりと歩き回っている。
なにより目を引いたのは、その化け物の顔である。醜悪、そう表すには言葉足らずである。なんと、その顔面の面積の大半を占めているのは口であった。歯並びを無視したかのように生える牙は、無数。
くるくる、と不気味な鳴き声を発しながら、立ち止まる。どうやら、探していたものを見つけたらしい。その目の前には、ミール達が必死の思いで倒したドラゴンの死骸があった。
まさか、と思いながら眺めるミールをよそに、その化け物は死骸に齧り付く。あんなにもミール達を苦しめた頑強な鱗は、その化け物の牙をあっさりと受け入れ役割を放棄していた。
ミールは恐怖で悲鳴を上げなかった自分を褒めたかった。あのドラゴンよりも格上の化け物、それも不気味な姿だ。できることなら、今晩の夢に現れないことを願うばかりである。
――いや、夢を見ることはできるだろうか。
無理だ。誰一人欠けることなく、ここから生還することは難しいだろう。二十階層のモンスターを相手に、ようやく互角というグリントが、今ここにいる最大戦力。ナイフの手ほどきを受けた新人と、回復要員という荷物を背負いながらグリントが上層に帰還するというのは、無理難題である。
だが、目と鼻の先。あの化け物がミール達を見つけるのも時間の問題である。
「逃げろ」と、グリントは斧槍を振り、ミールに合図を送る。いつもであればミールの返事を確認してから行動するグリントが、今回は振り返ることなく動き出した。
「待って」――その一言すら許さない、グリントの後ろ姿にミールは息を呑んだ。
グリントは一つ、大きく息を吐きだす。斧槍の柄を握る力は強く――グリントは前傾姿勢から矢の如く一直線に獲物へと飛び掛かった。
先手必勝。首を刎ね、屠る。言葉にすれば、たったそれだけ。力任せに振るわれた斧槍の刃は――しかし。
「……!」
僅かに触れた。化け物の気色の悪い肌を薄く切り裂く。だが、たったそれだけだ。
武器を振るうタイミング、死角からの一撃、相手の逸れた意識――全ての要素は完璧であった。だが化け物の反応速度が、グリントの揃えた全てを上回った。経験、技術、グリントの培ってきた全てを、化け物は嗤うかのように不気味な笑みを浮かべた。
必殺の一撃は掠っただけだ――その事実をグリントは瞬時に受け入れると、すぐさま防御の構えを取る。速度は化け物が上回った。ならば討伐は諦め、ミール達が逃げる時間を稼ぐ――グリントの判断は一度の敗北で曇るものではない。
それさえも、化け物は嗤った。
全身装甲のグリントの防御は、生半可な攻撃であれば完全に防ぐ。キラーハウンドの戦いでグリントが捨て身の特攻を行っても無傷であったのは、偏に防具の性能によるものである。無傷で撤退できるとは考えていない。だが、グリントは自身の防御力をもってすれば、それも可能である――そのように考えていた。
嗤う、嗤う。回避不能な速度で、化け物の長く鋭利な爪が一直線にグリントの左肩を貫く。その一撃はグリントの思考を驚愕で染めた。防御など意味がないではないか――目の前にいる化け物に、覚悟はしていたものの、グリントは圧倒され始めた。
激痛に歯を食いしばる。貫いた爪を抜かなければ――グリントは爪を叩き折ろうとするが、それよりも早く、化け物はグリントを壁や地面に叩きつけた。
まるで幼児が人形にするように。嗜虐的で、一方的な、とても戦いとは呼べない、純粋な暴力がグリントを襲う。
あれだけ強かったグリントが、まるで赤子のように嬲られている。あまりの惨状にリネアは目を覆い、ミールは見ていることだけしかできなかった。
串に刺さった肉を外すように、化け物はグリントを蹴り飛ばした。ミールとリネアの目の前に転がって来たグリントは、ああ――動かない。
何も出来ない。何も、出来なかった。
――くるくる。
その現実を嗤うように、絶望はまだ、そこに佇んでいた。




