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プロローグ:永い夢から

 人が思うほど、この旅は簡単なものではないだろう。砂を踏み込む足が痛切に訴えている。吹き荒ぶ風が彼の身にあるもの全てを奪い去り、肉も血も全てを削ぎ落していた。

 

 ああ。

 

 僅かばかりの襤褸(ぼろ)の布と、かつての友たちから譲り受けた無骨な杖。それが彼の持つ財産の全てであった。彼の在りし日の姿を知っている者が、今の彼を知ればどう思うだろうか。

 

 (くぼ)んだ双眸(そうぼう)に光はなく、全てを失った彼の身体は原形を残していない。まるでこの世の未練があるかのように動く四肢は、骨のみである。


「……変わってしまったのね。もう諦めたものだと思っていたのだけれど」


 なにかに嘆くように、そう囁く声があった。骨はその声に対して、口を開く。


「久しぶりだね、アージュ。そっちの時代は繁栄したかい?」


 意外にも骨から響く音は若い男の声だった。相対する声は、妖艶(ようえん)な響きを持っている。轟轟と吹く風の中でも骨は彼女の声に哀れみが含まれていることを感じ、骨は噛み合わなくなった口でおどけてみせた。


「そうね、あなたのおかげで。……優しいだけだと思っていたのだけれど」


「照れるなあ。僕は何もしていないよ。いや、女の子を泣かせちゃったからね。やっぱり、君が思うほど僕は優しくないよ」


 どこを見ているかも分からない、骨の眼光は彷徨(さまよ)いながら歩調を変えることはしない。永遠に続く贖罪しょくざいを、一歩でも、一瞬でも早く終わらせたい――そんな矛盾を孕んだ骨の旅路は、声を掛けられただけで止まるものでなかった。


簒奪(さんだつ)の魔王、ナイン」


 その一言に、永く続いていた彼の歩みが一瞬止まった。


 簒奪の魔王。それは最後の魔王が遙か昔に捨てた肩書であり、ナインとは人々の歴史から忘れられた、魔王の名前である。

 

 簒奪の魔王、ナイン。その名は骨が捨て去ったものの一つに過ぎない。


「今の僕は()で十分だよ」


 かつての魔王は何の感慨もなく呟いた。

 

 永い時間。罪を贖う旅の途中で、こんな辺境で友の声を聞くことすら本来は許されなかっただろう。それでも、その声に応えたのはアージュと呼ばれた女性の働きに報いたかったためである。


 アージュの時代に彼は存在しない。いや、過去でも未来でもなく彼が存在した/する/するだろうという世界は存在しない。本来であれば、彼を見つけるということは不可能なのだ。


 もしもアージュと骨が今、声だけとはいえ出会っている(・・・・・・)という事実を知る者がいれば、それを奇跡と称え、そして彼女の偉業を畏怖するに違いないだろう。



 なにせ、彼女は僅かな時間、それも彼との会話のためだけに片目を代償にしているのだから。

 


「いいえ。ナイン、魔王としてのあなたにお願いがあるの」


「何もできないよ。本当に、何もできないんだ」


 アージュの痛切な声を聞いても、間髪入れずに骨の口から響く言葉は情けないものであった。しかし、彼の存在する世界と彼女の存在する世界の間は、距離で測れるものではない。助けたくても、助けられない。そんな葛藤が、乾いた骨の心の中で燻っていた。


「――大丈夫、私がこちらに招くわ」


「! やめるんだ、アージュ! もう何か払っているんだろう!? それに魔王級の存在を異世界から召喚するなんて、生半可な命じゃ幾らあっても足りないぞ!」


 骨が我が事のように叫ぶ。先ほどの余裕もどこへやら、彼の反応は情けない若人のそれであった。とても魔王とは思えない、そんな言動を懐かしむようにアージュは微笑みながら、作業を進めていく。


「懐かしいものね。あの子も私も、そうやってあなたが困っている姿を見るのが好きだったわ」


「やっぱりか! ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ僕の罪悪感、薄れちゃうよ!?」


 会話の最中、骨の足元には幾重にも規則性を持った模様が描かれ始める。骨は生まれて初めて見る光景だが、古い知識がこれを召喚魔法と呼ばれる中でも高度なものであることを告げてくる。


「ふふふ、その魔法陣から出てしまえば召喚魔法は失敗するわ。どうする?」

「……卑怯だなあ」


 骨が何も知らず、ちょっとでも足を出してしまえばアージュは死んでいただろう。今や使う人間も存在しない召喚魔法、その全てを知る彼に対しての、アージュのささやかな意地悪だった。


 もはや肉のない、頬骨を困ったように指でかく。今も変わらない、彼が困ったときによくする癖であった。


「もう一度世界を救って、ナイン」


 それは、残された世界の悲鳴。骨を動かすには十分な、友の声だ。


「――ああ、わかったよ。もう一度気前よく世界を救おうじゃないか」

 

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