※ただし、イケメンに限ります。
今日、彼氏と別れました。
スマホの画面を何度も眺めながら、わたし――藤堂佐奈は重い重いため息をつく。
別れた理由は実に単純明快だ。他に好きな女の子が出来たらしい。
明日は、彼氏がいないと困るというのに――。
先ほどお湯を入れたカップ麺は、そろそろ出来上がる頃合いかな。
箸の先を器用にくわえながら、ふたを開けた。
安っぽいが、こってりと美味しそうな香りが茶の間に広がる。
女子として恥ずかしいけれど、親が家にいないと、食事も自然と悲惨になるものだ。
夏の仕事休みを利用した旅行で、夫婦水入らずイタリアまで行っているので、あと五日は帰らない。
まだ少し硬い麺を箸でほぐしながら、わたしはぼんやりとため息をついた。
「どっかにイケメン転がってないかなぁ」
投げやりになって、ヤケクソなことを考える。
空から降ってきたり、ゴミ捨て場や路上に倒れていたりするのは女の子と相場が決まっている。「落ちもの」の定番だ。
ワケアリ美少女を拾ってくるのが野郎の理想かもしれない。
だとすれば、女子が期待すべきはお城の舞踏会に招待されるとか、実は自分がお姫様やお嬢様だったと判明することを期待するしか……ああ、乙女の理想って突飛過ぎて現実味ないわ。
潔く、事情を話して恥をかくしかないか。もう、それが良い気がしてきた。
「――――!?」
麺をすすろうとした瞬間。わたしは一瞬でちゃぶ台から飛び上がる。
麺が、光っていた。
正確には、安っぽいギトギト脂が浮いたスープの表面が電灯のように光り輝いている。
いったいなにが起こったのかわからず、わたしは大きな眼をパチクリと見開いた。
「な、なにこれっ」
わけがわからないまま、カップ麺に手を伸ばす。
一瞬、これがあれば節電と地球の環境問題に大いなる貢献が出来るんじゃないの? と思わなくもなかったが、それはどうでもいい。どうでもよすぎる。
「え……え、え? えぇっ!?」
みるみるうちにカップ麺の光源は増し、部屋中が白く塗り潰されるほど輝く。
あまりに光が強烈過ぎて、気分が悪くなるレベルだ。「ポ○ゴンは悪くないんです。光ったのはピカ○ュウの目なんです!」という某テレビアニメ事件を彷彿させる光だ。因みに、あの事件以来、ポリ○ンはアニメに一度も出ていない。どうでもいい話だが。
手に持っていたカップ麺の汁がしたたる。
火傷するほど熱くはないが、ビックリして思わず手を離してしまった。
「◎■♪△△◇○◎?」
テレビ、つけてたっけ?
耳慣れない言語が鼓膜を叩き、無意識のうちに閉じていた瞼を恐る恐る開ける。
刺激が強すぎたせいか、まだ目がチカチカして視界が点滅していた。
もうカップ麺の光はおさまっていたようだが、周囲がぼんやとしか見えず、気持ちが悪い。
徐々に目に映る世界が明らかになりはじめる。
なんの変哲もない畳の居間。
買い換えたばかりの無駄に大きな四二型の液晶テレビ。
わけがわからないよ、と言いたげに首を振り続ける扇風機。
そして、目の前のイケメン。
なんの変哲もない、我が家の風景――。
ん? イケメン!?
「えっと、どちら……さま?」
とりあえず、そんな言葉しか出てこなかった。
大破して転がるカップ麺の容器や、ちゃぶ台の上に海を作った汁などは、今は無視だ。
そこに立っていたのは、紛うことなき「イケメン」だった。
興味津津に辺りを見回す瞳の色は、まさにサファイア。
ハニーブロンドと呼ぶのだろうか、蜂蜜のように甘い輝きを放つ金髪は極上の絹のようにしなやかで美しい。
彫りが深くてハッキリとした目鼻立ちは、綺麗なのに女っぽくなくて、どこか貫禄がある。まるで、ハリウッドの映画スターを思い起こさせた。
誰が見ても超イケメン。しかも、外人である。
なんだか、RPGに出てくる魔法使いみたいに真っ黒のローブをまとっているが、それは気にしない。
惜しむらくは、頭の上に何故かカップ麺が乗っていること。
真顔で佇むイケメンの頭からニョロリと麺が生えるように乗り、汁がポタポタとしたたっている。
いや、それでも、全く残念な絵面に見えないのは、素材がいいから?
まさに、イケ麺っ! いやいや、イケ麺系男子とか新しすぎるでしょ。と、心の中だけで一人ノリ突っ込みしてみる。
「◎◎■◇△?」
頭に麺を乗せたイケメンが喋る。
歌うように美しく、色香のある低音ボイスは声優さんみたいで非常に好みなのだが、残念ながら、なにを言っているのかわからない。
「えーっと、えーっと……は、ハロー? ないす・とぅ・みー・ちゅぅ? アナタ、ダレデスカー? ナンデココニイルンデスカー?」
壊滅的な英語力を呪いながら、わたしは必死で身振りを交えてイケメンに意思を伝えようとした。
英語の先生が言っていた。多少喋れなくても、ボディランゲージは最強であると。
だが、イケメンさんは不思議そうな顔をするばかりで、なにも答えてくれない。つまりは、伝わっていない。結論、ボディランゲージはカスだった。
だが、やがてイケメンさんは、なにかに気がついたようにポンと手を叩く。そして、流れるような動作で右手を持ち上げた。
白くてしなやかな腕がわたしの頭を掴んだ。
「えっ、ちょ、え、あ? えええ?」
大きな掌が包み込むようにわたしの顔を押さえ込む。
その動作があまりに自然で一瞬の出来事だったので、わたしには避ける余裕などなかった。
素早く、しかし、ゆっくりとイケメンの顔が迫る。
こうして間近で見ると、ますます神秘的で綺麗な顔立ちだ。
肌も毛穴が見えないくらいスベスベで、肌男俳優もビックリすることだろう。
思わず、喉を鳴らして唾を呑みこむ。
顔が迫り、額と額が、軽く触れ合った。擬音にすると、コツン。
控えめに触れ合った額と額から熱が伝わる。
「――――ッ。いったぁぁあああ!!!!」
瞬間、電撃が奔った。比喩ではなく、本当にそう思えるような衝撃が額に迸る。
わたしは驚いて飛び退こうと、イケメンの胸元を強く押して身体を引き剥がした。
さり気なく、服越しに立派な胸筋に触れてしまったが、気にしたり、ありがたく思ったりする余裕もない。
イケメンは平然とした様子で息をつくと、嫌味っぽく唇の端をつりあげた。
めちゃくちゃ癇に障る表情なのだが、不思議と絵になっているのは何故だろう。これがいわゆる「※ただしイケメンに限る」か!
「私としたことが……よもや、ルーフェイン公用語も話せぬ低俗民に呼び出されるとは」
るーふぇいん? カレーの上にかかっているアレと、コーヒーの中に入っているアレを掛け合わした何か的な名前だ。
とりあえず、日本語でお願いしたい。
「って、日本語か!」
いきなり言葉が通じていたことにビックリして、わたしは目を丸めた。
イケメンは呆れたような、見下したような表情でわたしを見ながら、麺の垂れたハニーブロンドを掻きあげた。
床に麺が数本ポトッと落ちるところさえ見えなければ、かなり色っぽい仕草なのに……勿体ない。それでも、イケメンさんだけど。
「不本意だが、合わせてやった。感謝しろ」
「えーっと、ありがたいような、なんかムカつくような……むしろ、言ってる意味がわかりません。アナタ、どっから来たんですか? っていうか、だれ。なんで、カップ麺被ってるの? 熱くない?」
矢継ぎ早に質問を繰り出すと、イケメンがうんざりした表情で答える。
「別に熱くないが?」
「一番どうでもいいからね、そこ。っていうか、食べ物頭に被っちゃいけませんって、お母さんに習わなかったの!?」
「ほう、これは食物なのか?」
「え、だからって、頭に乗った麺食べようとしないで! 頭に乗せたものは食べちゃダメ!」
「お前が食えると言ったのではないか」
「食べ物だって言ったけど、食べていいとは言ってないし!」
イケメンは頭から垂れ下がった麺をピローンと指先でつまみながら、興味深そうに観察していた。
しかし、食べてはいけないと言われた途端に不機嫌そうに唇を曲げて、わたしに麺を投げつけてきた。
いくらイケメンの上に乗っていたイケ麺でも、麺は麺だよ。汚いってば。
わたしは顔に張り付いた麺を叩き落としながら、「そうじゃなくって!」と声を荒げる。
「アンタだれ! 住所氏名生年月日、ついでに電話番号を言わないと警察呼ぶから!」
「デンワバンゴウとは、なんだ?」
「だから、なんで、言葉の中から一番重要じゃないところにピンポイントで反応するわけ!?」
言葉が通じたというのに、会話がイチイチ成立しない。これでは、英語やボディランゲージと大差ないではないか。
でも、待てよ?
今のご時世、携帯電話を持っていない絶滅危惧の人種はいても、電話を知らない人間はいないのではないか?
「はあ。まったく、こっちはこんな小娘の相手をしている場合ではないというのに……まさか、召喚魔法が妨害されて逆召喚されるとは」
「あの、日本語でお願いします。いや、人語で!」
「我が名はリーデロッド・アスタロッシェ・シェイン・ハーベリック・ベーコン・レタス・サンド」
「ごめん、ベーコンレタスサンドしか聞き取れなかった」
「ええい、名乗りの途中で口を挟むな! 我が名はリーデロッド・アスタロッシェ・シェイン・ハーベリック・ベーコン・レタス・サンド・トマト・キライ・キライ・ダイキライ。ルーフェイン王国魔法協会の公認魔術師だ」
どんだけ長い名前だ。
しかも、トマト嫌い嫌い大嫌いとか名前に入ってて恥ずかしくないのかな。
ベーコンレタスサンドはアリでも、BLTサンドはナシ派だと、密かに訴えたい?
イケメンなのに、後半の名前が残念すぎる。
いやいやいや、本当に突っ込むところは、そこじゃないけど!
「魔術師とか、アンタ電波さんなの?」
「人の術を妨害しておいて、よくもそんなことが言えたな。お前の描いた魔法陣のせいで、私の魔術が失敗したではないか。どうしてくれる」
「魔法陣とか、そんな厨二な代物描いた覚えないし。気持ち悪いこと言わないでよ」
「水面に描いただろう。ちゃんと光っていたはずだ」
光る、水面……? 今しがた、光る水面がどこかに存在しただろうか?
「あ」
記憶をたどった結果――思い当たってしまった。
あんなものが魔法陣?
むしろ、あんなものでいいの?
っていうか、あれで大丈夫なのか魔法陣。
しかし、そうだとすれば、目の前のベーコンレタスサンドなイケメンさんが麺を被っている理由も説明がつく。
「まさか、カップ麺混ぜたら偶然にも魔法陣描いてたとか、そんなアホなことじゃ……」
「ずいぶんと小さい上に濁りきった水面に呼び出されて、思わず器も壊してしまったぞ」
うっそぉ? わたしは愕然として言葉を失った。
そんな偶然なんて起こるものなのだろうか?
いや、もう偶然というか奇跡のレベル。
風呂の中から出てくるローマ人のオッサン漫画じゃあるまいし、なにこの状況。
いや、魔法なんてものは信じていないけれど。
でもでも、そうじゃないと、この状況を説明出来ない。いやいやいや、やっぱり、そんなのあり得ない。でもでもでもでも、じゃあ、なんで突然、電波で麺被ったイケメンさんが目の前に現れてるの?
「お前が術を妨害する陣を描いたせいで、私がここに呼び出されてしまったのだ。これでは、異世界の勇者を召喚して世界を救ってもらうという大役が果たせないではないか」
「なにその、ありきたりでベタベタで古臭すぎるけど、いかにも深刻で急を要する事情」
「責任をとって、私に願いを叶えさせろ」
「ごめん、状況が全然把握出来ないんだけど」
ベーコンレタスサンドなイケメンさんは呆れたような、憐れむような視線でわたしを見下ろす。
その態度がイチイチ鼻につくが、「※ただしイケメンに限る」効果は絶大で、なにをされても絵になるから困る。
まだ頭から数本麺が垂れたままだけど。
「召喚された者は召喚師の願いを叶えなければ、元の世界には戻れない。だから、お前は私に願いを要求して、早く帰らせろ」
突然、そんなことを言われても困る。
わたしは口ごもってしまい、なにも言えなくなった。
「なにも願いがなければ、勝手に解釈させてもらうぞ」
すぐに願いを口にしないので苛立ったのか、ベーコンレタスサンドなイケメンさん(どうでもいいけど、そろそろこの呼び方も疲れた)は唐突にわたしの顎をつかむ。
わたしは驚いて、身を硬直させてしまった。
白くて長い指先が、リップの塗られた唇に触れる。
そして、ゆっくりと顔が近づいて――、
「ちょ、アンタなにすんの!?」
いきなり、イケメンさんは頭に乗っていた麺を一本つまみ、わたしの口の中に垂らしてきた。
「お前がこの奇妙な食物に気を取られていたことは知っている。食したいのだろう?」
「んなわけないでしょ!? ってか、そんな願いでいいわけ!?」
確かに気を取られていたけど、人の頭に乗って何分も経つカップ麺を食べたいと思う乙女がどこにいようか。いや、いない。
「アンタとは失礼だ。名で呼ぶのが礼儀だろう。私の名はリーデロッド・アスタロッシェ・シェイン・ハーベリック・ベーコン・レタス……最後まで言うのが面倒だから、略してロッドと呼べ」
「自分で面倒だと思うなら、最初からそう名乗ればいいのに」
「嫌なら、ベーコンでいいが?」
「なんで、そこをピックアップしたわけ!?」
ベコーンレタスサンド改めロッド(ベーコンは却下)は、悪びれる様子もなく、つまんでいた麺をポトリと床に落とす。
ああ、あとで掃除するの誰だと思ってんの?
「さっさと願いを言うのだ」
ロッドに迫られて、わたしは困惑する。
いっそ、適当に家の掃除でもさせるか……いやいや、それはなんか勿体ない。
――明日、勿論連れて来るんだよね?
「あ……」
頭に浮かんだ言葉。そうだ、明日は――。
「明日一日、彼氏のふりしてくれる?」