彼岸花の咲く季節
これは私が十年前に出会った、不思議な子たちの話です。
当時私は小学四年生で、一つ上の姉がいました。年が近いこともあって、私たちは喧嘩ばかりしていました。といっても、泣かされるのはいつも私でしたが。
あの日も、思い出せないくらい些細なことで姉と喧嘩をした私は、感情のままに家を飛び出しました。残暑らしい、じりじりと照り付ける夕日が鬱陶しかったのを覚えています。
姉がいる家から離れたい一心で、私はひたすら走りました。どこに行くかなど考える余裕はありませんでした。ただ必死に走って、気づいたら私は鳥居の前に立っていました。
今思えば、この時私は彼女たちに呼ばれたのかもしれません。その神社はほとんど来たことのない場所で、立ち止まるまで存在さえ忘れていたのですから。
周りが林に囲まれているそこには橙色は届かず、薄暗さの中、狛狐は静かにたたずんでいました。
私は怖くなって神社に背を向けました。というのも、ここで幽霊が出るという話をたびたび聞いていたのです。昔、そこで火事が起きて子どもが亡くなりました。だから夜になるとその霊が「熱いよ」と助けを求めてさまようとか。
まだ夜じゃないから大丈夫、いるわけない。心の中で唱えながら一歩踏み出したときでした。私の耳に、歌声が重なって届いたのです。あれは村歌だったと思います。最後に聞いたのが小学生の頃なので、もう覚えていませんが。
どの声も明らかに子どものものだったので、私は不思議に思いました。私の小学校で好んで村歌を歌う子どもなんて見たことがなく、珍しいと思ったのです。その声は後ろの方から聞こえてきました。振り返ってみますと、後ろには神社の社しか見えません。あの後ろか。私は社に向かいました。それまで不気味に見えた狛狐の横を素通りしました。そんなものは私の目に入りませんでした。それほど私の関心はその歌声に向いていたのです。
社に近づいていくと、赤がチラチラと覗いてくるのに気付きました。その下には緑の線がみえたので、すぐにそれが花だとわかりました。
それがなんの花なのか気づいたとき、私の足はすくみました。綺麗だけど不吉な印象のある花。彼岸花です。一瞬であの噂が思い出されて、冷や汗が流れました。その時になってやっと、先の道路の街灯がついたことに気づきました。もう夜が近づいていたのです。
帰らなきゃ。引き返そうとして足を踏み出したとき、私は足元にあった枝を踏んでしまいました。
しまった。血の気が引くのを感じた瞬間、歌声がピタッとやみました。しばらくひそひそ話しているのが聞こえました。私は怖くて動けずにいました。
「いるなら出てきなよ」
女の子の声が聞こえてきました。私は出ていけませんでした。しばらくして、次はもっと幼い女の子の声が聞こえました。
「こわくないよ? 一緒にあそぼうよ」
私はおそるおそる顔を出しました。そこには彼岸花が何本か咲いていました。そのすぐそばには、小学生と思われる少年少女が立っていました。女の子は二人。男の子が二人。はじめに声をかけてきた女の子は近づいてきて、私を物陰から引きずり出しました。
私をほかの三人の前に立たせると、彼女は私に言いました。
「私は神原蛍。五年生。あんたは?」
「か、柏なずな……四年……」
「なずなか。よろしく」
蛍ちゃんはニッと笑うと、「じゃあ、みんなも自己紹介しよう」と三人に目を向けた。
一番先に口を開いたのは、もう一人の女の子と手をつないでいる、この中で一番背の高い男の子でした。
「僕は白戸誠。神原さんと同じクラスだよ。こっちは妹のかなえ」
「よろしくね、なずなちゃん!」
誠くんはさわやかな笑顔を浮かべました。つられて私も微笑みました。
かなえちゃんは見たところ、二年生か一年生かでした。紹介で言われなかったので、実際はわかりません。もしかしたら小学校にもあがってなかったかもしれません。
最後に自己紹介をしたのは、終始ずっとにこにこしていた男の子でした。彼は当時の私よりも少し背が低かった気がします。
「僕は渡優太! なずなちゃんのいっこ下だよ」
名前に似合った優しい笑顔で、優太くんは私を見ました。私は「お願いします」の意味を込めて四人に頭を下げました。
そのあとの記憶ははっきりとは残っていません。たぶん学校の話とか家族の話とかをしたんだと思います。楽しかったことだけは覚えています。
日が完全に山に隠れたころ、私は家路に就きました。鳥居を抜けるまで、四人は私を見送ってくれました。
「明日も夕方はここにいるから、また来てね」
優太くんの声とみんなの笑顔が嬉しくて、私は明日もここに来ようと思いました。
あの日に帰りが遅くなったことは、親にこっぴどく叱られました。何時間正座させられたことでしょう。あの時の両親の顔を思い出そうとすると、どうしても足のしびれが先によみがえってしまいます。
喧嘩の原因である姉も、私に悪いことをしたと思ってくれたようで、夕飯に出てきたハンバーグをちょっと分けてくれました。
次の日、私はいつものように学校に行きました。隣の席の子に挨拶をしたとき、その子は戸惑ったような顔で私を見てきました。どうしたのかと尋ねると、彼女は小さな声で私に尋ねたのです。
「昨日の夕方、神社に行ったって本当? みよちゃんが見たって言ってたんだけど……」
その瞬間、周りの視線が私に集まったのを感じました。小さい学校ですから、クラスでの会話なんて、声を潜めても全員に届きます。
私は緊張しましたが、堂々と「行ったよ」と答えました。幽霊には会わなかったということもいうと、視線は散らばりました。
あの神社は、私の学校ではとても恐れられています。行くとなれば、「肝試しなんて罰当たりなこと、しちゃだめだ」と止められるほどです。
隣の子も、私の答えを聞いてから、「肝試しなんてやらない方がいいよ」と心配そうに言いました。
うなずくと同時に先生が教室に入ってきて、その話はそのままになってしまいました。
その日の帰り、私はまたあの神社に行きました。
あの四人を信用していないわけではなかったのですが、私はつくまでの道のり、とても不安でした。もし、昨日の場所に誰もいなかったら。
はじめの日と同じようにおそるおそる社の陰から覗くと、突然女の子の顔が覗き込んできました。
一瞬私たちの視線がぴったり重なりました。一拍おいて私が叫び声をあげると、向かいに出てきた女の子も叫びました。
「なずなも沙良ちゃんも怯えすぎだろ」
けらけらと笑う声が聞こえて、私は反射的にあふれた涙をぬぐって顔をあげました。声の主は蛍ちゃんでした。その場にいたのは、さっきの女の子以外は前日に会った四人でした。
女の子は「あ、この子がなずなちゃんか」とよろよろと立ちあがりました。叫んだ時にしりもちをついたようでした。
「なずなちゃんのことはみんなから聞いたよ。あたしは安住沙良。この中では最年長の六年生だよ。よろしくね」
「あ……よろしく……」
「よし、じゃあ今日は何しようか!」
沙良ちゃんはみんなの顔を見ました。リーダーシップがあって、いかにもお姉さんという感じでした。ただ、見た目はお姉さんっぽくなくて幼い印象でした。前髪を全部持ち上げておでこを出していたからかもしれません。
沙良ちゃんの呼びかけに、真っ先に蛍ちゃんが手をあげました。「鬼ごっこ! 鬼は私ね!」
優太くんは口を尖らせました。「蛍ちゃんが鬼だと怖いからやだ」
かなえちゃんも優太くんに賛成しました。みんなの話によると、蛍ちゃんは遊びに本気で、加減をしらないタイプのようでした。
「じゃあ、僕やろうか?」
「かな、お兄ちゃんと一緒がいい」
「かな……」
誠くんは困ったように笑いました。かなえちゃんのお兄ちゃん好きを、どうしようか悩んでいるようでした。いつものことなのか、ほかの人は全く気にしていませんでした。
「よし、なずなちゃんに鬼は任せよう」
「え、私?」
「それならサンセー! なずなちゃんなら大丈夫だね」
優太くんが手を上げると、蛍ちゃん以外も習って手をあげました。蛍ちゃんは「仕方ない」といった顔です。
了承する時間もなしに、鬼ごっこは始まりました。
「そろそろ帰ろうか」
蛍ちゃんの言葉に、走り回っていた私たちは足を止めました。気づけばあたりは暗くなっていました。
急いで帰らなければ、また親に怒られてしまう。私は社の傍に置いていたランドセルを背負いました。
その時、私はこの子たちの違和感に気づいたのです。
彼女たちは誰もランドセルを持ってきていませんでした。前日の話では、みんな私とは違う学校に通っているそうです。このあたりに住んでいるなら私と同じところに通うはずなので、少し遠くに住んでいるのでしょう。そしたら、ランドセルを家に置いてくると学校から直接来た私よりも遅く到着しないとおかしいのでは。
私は「みんなはどこにランドセルを置いてるの?」と聞きながらみんなのいた場所を振り返りました。そして、戸惑いました。
そこにはもう誰もいなかったのです。あれ、とあたりを見回しましたが、社と彼岸花しか見当たりません。
「おいてかれちゃった……」
さみしさをごまかすために呟くと、余計にさみしくなりました。
こういう時に限って、目につくのはさみしい光景ばかりなんですよね。私の目に、枯れかけている彼岸花が見えました。三本。そのうちの一本は、もう明日には完全に枯れてしまいそうでした。その三本を挟んでピンピンしているのがあったものですから、一層哀れに見えてしまいました。
「……帰ろう」
私はため息をついて社を後にしました。
次の日の夕方も私は神社に行きました。なんで昨日は置いていったんだと抗議するつもりでした。
社の裏に行くと、そこには四人の子どもがいました。
蛍ちゃん、誠くん、かなえちゃん、沙良ちゃん。優太くんがいません。それに、みんなの表情は前日より沈んでいました。
「仕方ないよ、今年は優太くんが一番早かったんだし」
悲しげな沙良ちゃんの声が聞こえてきました。どういうことだろうと思っていると、「あれ、なずな?」という蛍ちゃんの声がきました。慌てて顔を出すと、四人の表情に安堵が見えた気がしました。
「優太くんは?」
私が聞くと、「もう日が短くなったし、今日からは遊べないって」と誠くんが答えました。
さっきの沙良ちゃんの言葉に繋がらないとは思いましたが、私が聞くより先に蛍ちゃんが言葉を続けました。
「優太んちって心配性なんだよ。昨日先に帰ったのはそのせい」
「そうそう。お母さんが来ちゃって、一緒に見つかった私たちも連れて帰らされたんだよ」
「なずなちゃんは裏にいてよかったね。捕まったらたいへんだったもん」
沙良ちゃんとかなえちゃんは顔を見合わせて笑いました。
作り物感のある雰囲気の中で、私は無知の振りをしてみんなと遊んでいきました。
その傍らで彼岸花の花は秒単位で死に向かっていました。
次の日の帰り、私は教室でみよちゃんに声をかけられました。
みよちゃんは優太くんと同い年で、ほんの少し優太くんより小柄な子でした。神社の近くに住んでいるので、私が二日連続で神社に来ていたのを見たそうです。
みよちゃんは心配そうな顔をしていました。
「なずなちゃんはどうしてあんなところに行くの? 近所のうちらだって行きたがらない場所なのに。なにか、あったの?」
私は彼女に蛍ちゃんたちのことを言うか迷いました。みよちゃんのいう「なにか」とは、きっと幽霊を指していたのでしょう。幽霊がらみだと信じて疑っていない彼女に、みんなの話をしたらどうなるか。想像して、私は言ってはいけないと思いました。
しかもこの時の私は、彼女たちの話を誰にも言いふらしてはいけないような気がしていたのです。
どうにかして理由を作ろう。そう思った瞬間、私は一年生の時に行ったあの神社のお祭りを思い出しました。
女の神主さんが優しく微笑みながら挨拶をしていた記憶があります。内容を思い出そうとしたとき、無意識のうちに言葉がこぼれました。
「つらいことがあったら、神様が助けてくれる……」
神主さんの言葉にあったのでしょう。今の私にはそのお祭りの記憶さえありませんが、その時は自然と出てきました。
みよちゃんは驚いたように目を丸くしたかと思うと、「てっきり、幽霊にあったんだと思ってた。ごめんね」と言って教室を出ていきました。私に悩みがあって、どうしようもなくなったから神頼みをしていると思ったのかもしれません。そう思わせたかったので、私は安心しました。
これで堂々と神社に行ける。私はランドセルと手提げを持って、教室を出ました。
その日はどんよりとした雲が浮かんでいました。
夕方には雨が降る、と母が朝に言っていたのを思い出しながら歩いていくと、今日も社の裏に彼岸花は咲いていました。三本は完全にしおれています。その前には、憂い顔の沙良ちゃんと蛍ちゃんがいました。誠くんとかなえちゃんの姿はありません。
「今日、二人はいないんだ」
私がそう言いながら二人の方に歩いていくと、沙良ちゃんは笑いました。
「かなちゃんを遅くまで連れ出すなって怒られちゃったらしいよ。で、自分だけ遊んでいくわけにも行かないって、誠くんも今日から来られないんだよ」
「本当に?」
私は無意識のうちに尋ねていました。それが嘘で塗り固められた言葉だと、漠然と感じていたのかもしれません。
釣り気味の蛍ちゃんの目じりが、一気に下に引っ張られたように垂れました。丸っこい沙良ちゃんの目は伏せられていました。
黙って二人の反応を待っていると、蛍ちゃんの頬を水滴が走っていきました。涙かと思いましたが、蛍ちゃんは空を見上げて呟きました。
「雨だ」
雨なんて、と私が言いかけたのを遮って、沙良ちゃんも「本当だ」と空を見ました。
「本降りになる前に帰ろっか。なずなちゃん、またね」
「あ……うん、またね」
私は複雑な気分のまま鳥居をくぐりました。雨が降ってきたのは、私が家についてからでした。
次の日になっても雨はやみませんでした。しかも風まで吹いていました。台風が近づいていることもあったのでしょう。たしかその時、強い台風が近づいていました。いつ休校になるかという話でクラスが盛り上がっていました。
私はずっと沙良ちゃんと蛍ちゃんが気になっていました。微妙な雰囲気で別れたことと蛍ちゃんの涙の理由が、どうも引っかかっていたのです。
学校がおわったら神社に行こう。窓ごしに見た雨風はまさに台風の日のそれでした。
傘を盾に歩いていくと、社の横の建物に明かりがともっているのが見えました。その建物は、神主さんがお仕事をする場所だよとお父さんが昔言っていたものだった気がします。
蛍ちゃんと沙良ちゃんに会いたいと思っていたのに、その時なぜか私はその建物に向かっていきました。やっとの思いで入口の前まで来ると、突然玄関みたいなところが開かれました。一瞬蛍ちゃんかと思いましたが、もっと大人の女の人でした。その人は私を見て、少しつっている目を丸くしました。
「話はあとできくから、とりあえず中に入りなさい!」
引きずられるようにして私は建物の中に入り、体についた雨をふきました。彼女は温かいココアを持ってきてくれて、「あなた、どこの子? うちは近いの?」と聞いてきました。
私はうなずいて、「柏なずなです」と自己紹介をしました。すると「あ、柏さんちの! 大きくなったなあ」と嬉しそうな顔をしました。
「私は神原環。ここの神主だよ」
かんばらたまき。口に出してみたとき、蛍ちゃんの自己紹介を思い出しました。あの子も神原だったなと。もしかしたら、蛍ちゃんと神主さんはなにかしら関係があるかもしれない。そう思って私は、蛍ちゃんのことを聞こうとしました。しかし、神主さんに先を越されてしまいました。
「そういえば、最近女の子がここに来てるって話聞いたんだけど、もしかしてなずなちゃんのこと?」
「あ……たぶんそうです」
「そうなんだ! 小学生が神社に通うなんて、大したもんだなあ」
うんうんと嬉しそうにうなずく神主さんに、通う本当の理由を言うわけにもいかず、私は黙っているしかありませんでした。
しばらくして、彼女の目に何かを懐かしんでいる色が浮かびました。
「そういえば、私の姉もここに通っていたんだよ。なずなちゃんと同じくらいのころかなあ」
「え、そうなんですか」
「私と喧嘩したときは必ず来てたよ。『つらいことは、だいたい神様が何とかしてくれる』っていつも言ってた」
それが神主さんの心にまだ残っているんだと私は思いました。そして、この人も私と同じように姉と喧嘩していたのかと驚きました。
「神主さんも喧嘩とかしたんですか」
「そうだよ。姉は加減を知らない人だったから、二つ下の妹にも容赦ないの。それで私がいつも泣き出して……」
私と同じような喧嘩の状況に、私は思わずクスリと笑ってしまいました。姉妹の喧嘩って、こういうものなのかもしれませんね。妹が泣き出して終結する喧嘩。神主さんの場合、加減を知らなくて妹に力量差と劣等感を感じさせる姉だったようです。私の姉は加減しすぎて、逆に私の反感を買うタイプでした。
神主さんの話を聞いていると、私はなぜか蛍ちゃんを思い出しました。加減ができないって性格が連想させたのかもしれません。神主さんの釣り目が蛍ちゃんと重なったからかもしれません。そして、思い出すたびに私の胸には黒い靄みたいなものが広がっていきました。神主さんの瞳に悲しげな色が強くなっていくのに気付いてしまったからです。自分でも不思議なんですけれど、この数日間だけ私の観察眼は長けていました。それまで、人の表情なんて全くわからなかったんです。
話を戻しましょう。私はどうしてそんな悲しい顔をするのか、神主さんに聞いてみたのです。すると彼女は窓の外を見ました。きっと社を見ていたんでしょう。口元に微笑みを浮かべたまま、彼女は言いました。
「昔、ここで火事が起きたのは知ってる?」
「……はい」
「あれで私の姉は亡くなったの。友達と社の後ろで遊んでいたみたいでね。たしか……たばこのポイ捨てで社に火が燃え移って……」
神主さんの顔はさっきと変わりませんでしたが、手が小さく震えていました。当時を思い出していたのでしょう。震える声が、彼女の思いを語っていました。
私は「友達」と「社の後ろ」という言葉に引っかかりました。すぐにあの五人の顔が浮かんできました。やっぱり、と心の中で呟きました。
「その友達はどうなったんですか?」
私は服の裾を強く握りました。神主さんは私を見ました。
「姉以外に四人いたんだけど、みんな亡くなったよ。社の裏は狭いからね、逃げ場がなかったのかも」
今となってはわからないけれど、と付け加えた声はとても弱弱しいものでした。
私は確信を持つために、最後の質問をしました。「神主さんのお姉さんって、なんていうんですか?」
神主さんは、私の予想通りの名を答えました。
次の日、空には綺麗な青が広がっていました。台風は昨日の夜のうちに通り過ぎたという話でした。 がっかりしているクラスの声を聞き流しながら、私は放課後を待ちました。こういうときって、時間が過ぎるのがとても長く感じますよね。たった七時間くらいの学校が、私には十時間くらいに感じました。
放課後になって急いで神社に行くと、社の裏からすすり泣きが聞こえてきました。
「沙良ちゃん……」
小さいけれど、それは確実に蛍ちゃんの声でした。覗いてみると、蛍ちゃんは彼岸花の前でしゃがみこんでいました。沙良ちゃんはいません。
「蛍ちゃん」
私が近づいていくと、蛍ちゃんは慌てて私を振り返りました。蛍ちゃんの手には、茎の折れた彼岸花が一本横たわっていました。残りの花を見ると、茶色くしおれていました。ただ、かろうじて一本だけ赤みが残っていました。
その時私はわかりました。彼女たちがこの彼岸花とリンクしていたことを。
私は蛍ちゃんの横にしゃがんで彼岸花を見ました。
「私ね、昨日ここの神主さんと話したんだ」
「神主さん?」
なんでそんな話をするのか。蛍ちゃんの目がそう訴えていました。私はそのまま続けました。
「神主さんのお姉さん、ここの火事で死んじゃったんだって。友達と一緒に遊んでいたときだったみたい」
蛍ちゃんの目が大きく開かれました。脳裏には妹の顔が浮かんでいたに違いありません。私が、「神主さんは環さんっていうんだ」というと、両目からまた涙をこぼしました。
「環……神主になったんだ……」
「お姉さんがなりたがってたから、自分が代わりにここの神主になろうって思ったみたいだよ」
「私、この神社が好きだったからさ、ずっと憧れていたんだよ。ここで神様に仕えるのに」
その時の蛍ちゃんは、お姉さんを語る神主さんと同じように遠い目をしていました。遠い、何十年も前の記憶をさかのぼっていたのでしょう。あの環が神主か、と口元をほころばせていました。
「環がいるから、私はここに戻ってくるのかもしれないな」
蛍ちゃんは微笑んだまま、手元の彼岸花を見ました。蛍ちゃんは続けました。
「毎年、彼岸花が咲くのと同時に私たちはここに戻ってくるんだ。それで、花がしおれるのと同時に消える。今年の沙良ちゃんは、しおれる前に折れちゃったけどな」
いつもの強さはどこにも見当たりませんでした。この日の蛍ちゃんは、涙もろくて弱弱しい女の子でした。
蛍ちゃんは一度大きなため息をつくと、私をしっかりと見つめました。そして、にっこりと笑いました。
「なずなが来てくれたおかげで、今年はいつもと違った一週間を過ごせたよ。ありがとう」
蛍ちゃんの穏やかさは、彼女の時間が残されていないことを暗示していたのでしょうか。蛍ちゃんの考えはわかりませんでしたが、私にはそう思えました。
「私、みんなのこと忘れないよ。また、必ずここにくるから」
考えなしに、私は蛍ちゃんに言いました。忘れない自信があったのです。来年も、再来年も、私は必ずここに来る。根拠などない確信だけを持っていました。
蛍ちゃんは笑いました。「いいや、なずなは忘れるね。賭けてもいい」
信頼のなさに傷ついて私はむくれましたが、蛍ちゃんはそう言ったあと、でもと言いながら立ち上がりました。
「もしまた来てくれたら、みんな歓迎するよ」
またね。そう言って去った背中を私は目に焼き付けました。あれ以降、彼女にはあっていません。
その次の日、私はまた神社に行きました。思った通り、社の裏には誰もいませんでした。寂しくしおれた彼岸花が立っているだけ。私がそれを眺めていると、「なずなちゃん」と後ろから呼ばれました。振り返ると、神主さんが立っていました。
こんにちはと挨拶を交わすと、神主さんは「これ、あげる」と右手を差し出してきました。
「この神社、好きなんだよね? だかれこれはあなたが持っているべきだと思ったの」
それは少しさびている白い狐のキーホルダーでした。今ではもう壊れてしまったので、使わずに家の棚の中にしまってあります。
私は神主さんを見ました。神主さんははにかみました。
「これ、昔ここで売っていたみたいなの。姉がもらったものみたいなんだけど、よかったら使ってあげて」
私はキーホルダーをひっくり返しました。そこにはつたない字で「蛍」と書いてありました。
涙が溢れそうになって私は勢いよく頭を下げました。ずっと大事にしよう。そう思いながら狐を握りしめました。
あれから何度も神社には足を運びましたが、彼女たちに一度も会えた試しがありません。
私が行ったときには大抵、彼岸花はしおれてしまっているのです。まるでもう会えないんだよと言っているようでした。
それが悲しくて、いつからか私はそこに行くこともなくなってしまいました。
しかし、私はこうして当時を語ることで彼女たちとまた向き合うことができました。会いたい気持ちもよみがえってきました。
私は明日あの神社に行くつもりです。もう二十歳になる私に、みんなが気づいてくれるのかはわかりません。
でも私はいいのです。またあの子たちの村歌に迎えられて、一緒に遊ぶことができるのなら。
終わり。
童話大賞に送ろうとしたんですが、長くなりすぎて断念したものです。
pixivに載せたんですが、あそこって創作載せる場所じゃないですよね……あとで消そうかなと思っているので、ここに載せてしまおうと思いました。
キーワード付けに苦戦しました……。