piece3-1*【聖騎士団】
────……。
時の流れは風化を生むが、彼女の感情はむしろその高まりを増すばかりだった。彼女、アイリスは自身の肉体に“呪い”を埋め込むことで感情が風化しないようにしていたのだ。
幼少時代、彼女は戦争というものを知った。魔術機関に属していた彼女の家系は機関が設立した魔術都市で暮らしていた。魔術都市とは世の陰に潜んで発達せねばならなかった魔法を、都市というある程度孤立させられる社会の中で研究しようと機関が設立したものだ。都市と名付けられてはいたが、そこは都市と言うよりは村に近かった。魔術の性質上、巨大な研究都市はリスクが高いからだ。そこで彼女は生まれ、そして彼女もまた魔術を学ぶこととなった。自らの人生を一つの魔術の探究のために捧げる。それが魔術師の家系として生まれた、機関の中に生まれた者の絶対の運命だった。それは当時の彼女にとって、なにか誇らしいことにさえ感じられていた。自分の生きた証が後世に一つの魔術として語り継がれるのだと教えられていたからかもしれない。
「お父様、わたし、きっと立派な魔術師になります!」
そう言うと父はティーカップを置いて微笑んだ。この一連の流れは何か日課のようなものにさえなっていた。私は書斎にいる優しい父が好きだった、研究所にいる父はいつも怖いのだ。恐らく、この優しい父の笑顔がなければ私は魔術をあきらめていたと思う。それほどにかつて子供だった私を魔術は苦しめたのだ。特に魔力の開発は体に何本もの管を通したり、全身を針が駆け巡るような痛みも伴った。あの時代、魔術はあらゆる面において原始的だったのだ。開発、定着、錬成、変換、放出。これらの過程をスムーズに行えて、そこからが魔術師見習いだと父は言っていた。私もそれができるようになれば、父と共に研究ができると毎日励んでいた。
そんな、異質で平穏な私の日常が焼かれたのはある日のことだった。魔術都市は禁忌を研究した痕跡を消すために機関の手によって襲撃され、そこを魔術機関に異を唱える者たちによって保護されたのだ。一生を捧げるつもりだった魔術の研究は中断され、それどころか機関は隠蔽のために私たちを殺そうとした。私はその夜、魔術の恐ろしさを目にした。紅蓮の炎に包まれる村を見ていることしか私にはできなかったのだ。今でもあの光景が脳裏に浮かぶ。笑いながら全てを焼き払うあの男の姿が。死ぬはずだった私を救ったのは聖騎士団と名乗る組織だった。彼らは私の傷を癒しながら、私の魔術を見て私を仲間に誘った。村を焼いた魔術師──焔の魔術師を殺すために私は彼らの誘いを受けた。そして、聖騎士団と名乗るこの集団の中に生きていくと誓ったのだ。
私は自らの肉体に呪いを埋め込んでいる。
鉄分子で構成されたソレは普段両腕を籠手として覆っているが、魔力と錬金術によって増殖変形し戦闘時には武器として扱う。変形の速さと使いやすさからワイヤーとして扱うことが多いが、武器を創造することも容易い。元々は魔力を増強し、それに伴って少し身体能力を上昇させる程度の代物だった。コレの痛みを感じる度に、私は復讐心を蘇らせる。
「アイリス、ヴェナブルズの情報は正確な様よ、二人を発見したわ」
「……そう、なら行きましょう、死期を遅らせる理由は無いでしょう?」
◆
5月11日。 曇り。 午後2時半頃。
彼女たちが出会ってから数週間は経っていたが、まだ行動を共にしていた。普通なら任務に支障をきたす一般人の介入、いやそれ以前に魔術師として一般人と触れ合うことすら疑問に思う二人が未だ若月真希波という因子を切り離さないのは、彼女が命を救ってくれたからだ。そして、真希波もリリィとクリフからしばらくは離れようとは思わなかった。魔術という神秘を体感した人は、いずれも皆永遠に浸っていたいと思うものなのだ。
「おい、真希波、テメェ食い過ぎなんだよ……私達の金なんだぞ」
「そんなの魔法で増やせば良いんだよ」
「それは罰則、犯罪なんだよ」
「リリィよりは、食い意地張ってないと思うよ」
「ハッ、真希波、それ以上言うならそのフィレ肉丸焦げにしちまうぞっ」
「昼から牛を食べるのは良いが、少しは大人しくしろ」
名高い高級レストランの奥、他の客の非難の視線を浴びながら三人はテーブルを囲んでいた。興奮する真希波とそれに絡むリリィとは逆に、クリフだけは高級店の客の顔をしている。
「私のはカロリー消費が激しいんだから仕方無ェだろ」
「それは分かっているが、……リリィ、アレは持ってるんだろうな?」
「ん? 持ってるよ、全部を生成するのは効率が悪い」
「そうか、扱いには気をつけろ、今回は人の多い場所になるかもしれないんだ」
「わかってる、適量だろ適量」
「やっと仕事か?」
「あぁ、その肉が最後の恩返しになる」
その言葉を聞いて、とうとう別れがきたと真希波は確信した。
「最後なら、……食っておかなくちゃな」
「そうさ、好きなだけ食いな!」
言って、二人はまた騒がしく目の前の料理に手をつけ始める。
◆
5月13日、とあるマンションの住人達は意識を取り戻した。いや、住人達は無意識に部屋から出ることを拒み、外出中だった住人は無意識に自宅に帰ることを拒んでいただけだ。無論、“そうしたい”という意思や気持ちはあったが、それを強制的に排除され逆にそういった意思や気持ちを拒むようにされたのだ。
結界、術者の妨げになるものの出入りを禁ずるもの、また世界に一定の区域を定めるもの。つまり、境界を創り世界を内側と外側とに隔てるものである。魔力と魔術によって定められるその境界を魔術結界と呼ぶ。今回の場合、住人と部外者の出入りを禁じ術者の宿として区域を設けたというところか。
住人達は意思を取り戻し、ゆっくりと元の生活へと戻るだろう。彼らに違和感などは無い、ただ外へ出たい、家へ帰りたいと思わなくなっていただけなのだから。そして彼らは知る術もない、異物が数ヶ月の間マンションに住み着いていたことなど。
「おい、クリフ」
「なんだ?」
「大丈夫なんだろうな、長く結界を維持し過ぎてたんじゃないのか」
「それはお前たちのせいだろう、問題はない魔術師ならともかく彼らには直感することもできない」
数ヶ月住み着いた宿を背にリリィとクリフは歩きながらそんな会話をしていた。
「良いじゃねェか、どうせ連絡がくるまでは待機だったんだ」
「別にあのマンションで待機する必要はなかっただろ、隠れるなら人の少ない所の方が結界も安く仕上がる」
「地脈も良いし、目標も近いって言ってたじゃねェーか」
「それは妥協点であって、俺が選んだ訳じゃない」
「ハッ、えらく悪く言うもんだな」
「リリィ、もうすぐ終わるんだ、そうカリカリするなよ」
「支障がなけりゃそれでいいんだよ」
二人は今日で任務が終わるんだと思いながら、再び任務内容を頭に繰り返した。そう、これは簡単に終わる任務のはずだったのだ。小娘1人を機関に連れ帰れば済む話なのだから。
◆
午前11時、桐原あすかは少し懐かしい友人と再開していた。
「えーすごい! なんで? なんでバイク!?」
病院の外で会う、それに見慣れない私服姿でバイクにまたがる真希波の姿はあすかにとってすごく新鮮に映った。
「仮出所ってやつ? まぁ、あすかの様子を見にきたんだ、少し予定は狂ったけどな」
冗談混じりで笑いながら若月真希波はそう言った。
「マキちゃんは退院じゃないの?」
「私はまださ、遊びにきただけ」
「そうなんだ……、すごいね! バイク乗れたんだ」
「イカしてるだろ」
自慢気な顔で真希波はあすかの手を引いて、バイクに乗せる。あすかには少し大きくて不釣り合いだ。
「はじめて乗ったかも……」
「運転してみるか? ハハっ」
「死んじゃうよ、あ、今友達が来てるんだ」
「そうなんだ、それじゃあ、その友達とこの町を紹介でもしてよ」
「別に何にもないよ? 、ちょっと待っててね」
あすかは真希波の手を借りてバイクから降り、家に居た麻紀を呼びに入る。三人はあすかも知らない変わった町を散策することにして、街へ向かった。風景の変わった大通り、景色を遮るビル郡、変わらない商店街。そして好奇心に押されて巨大な橋を渡り、街とは色の違う旧市街、工業住宅街にまで散策は及んだ。
「昔はこっちの方が都会って感じだったのに」
「あすかのいない間に色々変わったのよ」
「でも遊園地があるんだろ」
「小学校の時行ったなー」
「ちょっと行ってみるか?」
「真希波さんって結構気分屋」
「草の中に秘密基地とか作って遊んだんだよ」
「遊園地の? 私は楽しけりゃ良い人だからね」
「遊園地じゃなくて、市民プールの裏の」
「あすかが退院できたのって、真希波さんのおかげかもね」
「すっごい、ここお化け屋敷みたい」
あすかがそう言って見上げたビルは、かつて高級マンションとして売られる予定だった建物だった。今では取り壊すにも金のかかる廃ビル同然だ。何のかも分からない蔦やら草が壁面にへばり付いている。確かにお化け屋敷じみているかもしれないが、お化け屋敷とは言い過ぎの様な気もする。
「どこがよ」
「この蔓みたいなのとか」
ちなみに人が住んでいるはずである。
突然、むわっと熱気が突き抜けた────。
「これ以上行くと帰るのがめんどくさくなるよ」
「6時17分、か……」
────『■■■■──』。
「じゃあ、そろそろ帰ろっか」
「今、何か聞こえなかったか?」
────『and one more time ──』。
静かに、重く、女の声が空気を振動させている。
「なにーマキちゃん」
「いや、ほら……」
三人は静かに耳を澄まして静止した。
『──I desire all the moments once again.』
少しの温度上昇に三人は寒さを覚える。そして、景色の遠くに二つの人影があることに気付く。
『──one night and one more time.』
微かに、しかし確りと桐原あすかはその言葉を聞いた。
『I would like to feel another day another way.────』
「────!?」
遠くにあったはずの人影は目前に迫っていて、しかもその人物を真希波は知っていた。声をかけようかと思ったがしかし声がでない。いや、動かない──全てが動かせなかった。視線も、鼓動も、呼吸すらままならない。
「結局、私たちは出会う運命だった訳か、真希波。 ま、最初から敵対関係じゃなかっただけ幸運ってとこか」
二人はリリィとクリフだった。
後悔は全ての人間に取り憑くものだ。そして後悔は人生を硬直させ、現在を静止させる。
三人は魔法にかかっているのだ。
「桐原あすかの側にお前を見つけた時は驚いた、さすがにな」
空気が違う、真希波はそんな感じがした。今までの、真希波の知る二人は確かに異様だったがもう少し穏やかさみたいなものがあったはずだ。
「さて、魔力は撒いたから後はどうする、クリフ」
リリィはそう言いながら、あすかに手を伸ばす。捕らえるつもりで腕を引こうとして──。
「ちょ────っと……」
半歩下がって、あすかはリリィの手を躱した。
「!?──」
「おいリリィ、動いてるぞ」
「うるせェよ、失敗はしてないはずだ」
三人を魔術によって静止させていたはず、だがあすかはそれを破って今動いたのだ。
「どうなってる、術が解けてる訳でもないのに……」
しかし静止させる魔術は続いていた。またあすかは動けないでいる。
「瞬間的に、後悔を克服したのか?」
「ハッ、そんなことはどうだっていい、やっぱり始末しなくちゃいけねェ存在ってのが証明された訳だ」
今度は勢い良く、リリィはあすかに近づいて腕を取る。
「お前たち三人だけじゃない、ここは魔法の中だ。 リリィは焼くこと以外はあんまりだが、魔術師でもないお前たちにはどうすることもできないだろう」
「あんまりってのはどういうことだよクリフ!! 大人しく捕まるってんなら乱暴はしないぜ」
(しゃべれない──んですけど)
(くっそ、意味が分からねェぞリリィ……)
(魔法? ……あすかが危ない!?──)
「いざとなればここで封印していく」
「ならクリフ、あっちで魔術式を組み立てといてくれよ」
「わかった、なら少し術を弱めておけ、精神が壊れていてはものにならないからな」
「あぁ、わかって──!?」
リリィとあすか──二人と三人の間につむじ風が起きて、突風となりリリィを軽く吹き飛ばして両者を引き離す。
「なんだ? ──」
「っくしょう!!」
両者の間に少女と女が、あすか達をかばうようにして立っていた。伸長の倍以上はある巨大な剣を持った少女と、両手に銃身の長い手に余る銃を持った女だ。
「リリィ・エヴァンズ、クリフ・アッシャー、仲間の仇討たせてもらう!!」
今度は空から女の声が響く。見上げるとマンションの屋上に数名の人影と先頭に立つ女性の姿が見えた。
「ハッ、またお前らかよ!! お前らが襲ってきたんだろうが! てめェらの仲間は私を撃ちやがったじゃねェーか!!」
リリィが屋上にいる女に向かってそう叫んだ。いつだったか、ビルに居たリリィ、クリフ、瀬倉を襲撃してきたやつらだった。
(撃った? ……まさか、リリィが血だらけで倒れてた、その時の!?)
「機関の魔術師であるお前たちに生きる場所などない! 我々がお前たち二人をここで殺す」
「リリィ、やはり魔術師殺しが目的の連中だ。 先に殺せ」
「命令すんじゃねェよ、クリフ!!」
そう怒鳴って、リリィは一歩下がって上空に飛び上がった。途端に熱気が辺りに広がる。熱と魔力を噴射して、彼女は離陸したのだ。
熱気から守る様に巨大な剣を盾にして、少女はあすか達の前に立つ。一歩遅れて二丁の銃を持った女性がクリフに向けて一発、二発、三発、弾を放った。クリフは視線を合わせ左手で一発目を弾き、二発目は右手で叩き落とす。三発目はクリフの左肩に当たったが、弾は鋼鉄にでも当たったかの様に跳弾した。
『release──■■■■──■■■』
巨大な刀剣を肩に担いだまま、少女はあすかたち三人にかけられた拘束の魔術を解く。
「Please come 」
そのままあすかの手を引いて、この戦場から逃がすように走りだした。
「日本語で言ってくれ……」
真希波と麻紀も着いて行く様に少女とあすかを追う。
「ついて来てって言ってるんですよ」
「Translation magic cannot be used」
「それくらいは分かる、なんだって?」
少女はできるだけ丁寧に、馴染みがありそうな単語を使って真希波に言ったが、しかし伝わっていないようだった。それに少女はこの緊迫した状況を打開するのに精一杯で会話にまで頭を回していられなかった。
「とりあえず、助かった……のかな?」
「そうじゃないの? 真希波さん、の知り合い?」
「二人組の方がね……」
(どういうことなんだよ、この状況は……、私の友達を拉致ろうとしてたってことか? リリィが……)
頭がパンクしそうなのは三人も同じであった。
動揺と術のせいか、三人の息がすぐに荒くなる。だが魔術に対しての動揺は少ない、三人とも。真希波は魔法を見ていたし、あすかも瀬倉の様子から信じられずにはいたがそんな存在を最近は頭の片隅に置いていた。麻紀は過去に見たことがあった、魔と魔の死闘を。
「桐原あすかを逃がすつもりか? それとも一般人を逃がしているつもりなのか、どちらにせよ──」
あすかと数メートルはあった距離を一気にクリフは詰める。
「──邪魔はしてくれるな」
(はや──過ぎる!!?)
直ぐ様立ち止まり、目前に立ち塞がるクリフに少女は大剣を向ける。刹那、数発の銃声が響いてクリフの気を反らす。的確に弱所を突いた銃撃、それはクリフが気を配っていなければ防ぐことはできないと、分かっていたのだ。数秒の時間は、あすか達をクリフから離し、女性をクリフに近づけた。
「あなたの魔術は単純な身体能力の強化、しかしその薬は魔法、人体の域を超えた人体ね……」
「分かっているなら何故距離を詰める、まぁ、鉛弾ごときで傷はつかないが」
体格はがっしりとしかしそれを諭さないクリフの身体が、背筋まで割れているのが見てとれるくらいの大柄の身体へと変貌していく。
「アイリス!」
廃ビルの屋上で大火の如し火炎が上がる。リリィの両脇の空から炎が巻き上がり、アイリスと呼ばれた女にその炎が襲いかかったのだ。
黒煙の切れ間から鎧に包まれた手が現れる。
「チッ、温度が足りないか……、なんだ!?」
黒煙から現れたのは全身を鎧に包んだアイリスであろうもの。黒く煤だらけの鎧が、すうっと元の輝く色に戻っていく。
「伸縮自在の変型自在でも、あれは有りか!?」
西洋の甲冑の姿。外見からはアイリスとは断定し難い、瞳も肌もブロンドの髪も、今の姿はそれらを否定しているような冷たい鎧姿。
「ここは任せて、一般人の救出か下の応援に」
「アイリス一人で大丈ぶ──ッ」
灼熱が突き抜け、続いて業火が屋上全体を包み込む。
「ハ、逃がさねェよ、広範囲攻撃なんでね」
「──行って、」
「な、」
炎が、鎧に吸い込まれる様に渦を巻いて中心の鎧姿のアイリスに集まって消える。
「──こいつと私は、やはり相性が良いみたい」
「ハハッ、相性? 最悪だろ、クソ鎧女」
辺りは暗くなり始めたが、この廃ビルはまるで蝋燭の様に時おり屋上に火が灯った。
リリィの手によって熱が満ち炎が生まれ、アイリスを襲う。今、屋上にはこの二人しかいない。他に誰かが居たとすれば、その者は熱波によって皮膚は焼け爛れすでに死んでいるだろう。そうでなくても炎に呑まれ、焼け焦げた焼死体となっているだろう。そしてこの屋上も生涯浴びることのなかったはずの量の熱を浴びて、黒くひび割れている。
「くッ、──そんな鎧を着ていれば普通は蒸し焼きだろうが……ハァハァ、」
(何が──炎を──)
何かが、自分の炎を無効化している、はずであるとリリィはその何かを思案しながら敵に隙を与えないよう、ただひたすらに熱を浴びせつつける。
アイリスもただ受けているだけではない、変幻自在の鎧を用いて攻撃に出ている。だがワイヤーは熱され溶かされて、生み出された刃やその他の武器もリリィは凌いでくるのだ。
「──ハ、質量は無限、のようだな」
(炎が防げるのはあいつの体を覆うものだけ。 鎧本体から離れるまで変幻自在だ、切り離されたものはもう操れないんだろうな……なら──)
「内側に直接ぶち込めば良い──」
そう言って、踏み込もうとするも近付かずに熱波を放って距離を取る。
「ハハ、めんどくせェ」
近付けば、──アイリスの鎧は変幻自在──攻撃が来る。離れていれば、熱を放っていれば、アイリスの攻撃を防ぐのは簡単だが、接近すれば恐らく防ぎきれない。
「!!──」
炎の中をアイリスが突き進む、刃と化した鎧全身がリリィに接近した。リリィは炎の推進力で下がって、さらに左に躱す。
「リリィ!! 時間をかけていたら、目標を逃がされる!」
「わかってんだよ、んなことはァ!!」
突然、下からクリフの声が響いた。俺の方は喋れる余裕もあると、そういうようだった。
「クソクソクソッ、押されてんのは私の方か、くそったれ」
ありったけの魔力を術に注ぎ込む──。
魔力を術で熱量に変え、炎を生み、相手を焼き上げるのがリリィの基本スタンス。熱素と燃素を操り、空に熱と炎を生み出すのだ。だが、外側の炎は鎧によって無効化されている。ならば、鎧の内側へ熱を放って焼くしかない。しかしそのためには直接相手に触れなければならなかった。
「あなたのそれは知っている、私にその炎は効かない」
リリィが魔力を注いだのがわかったのか、アイリスは戦闘が始まってから初めてリリィに語りかけた。リリィの士気を削ぐためか、気を乱すためか。
「ハ、飾りは黙ってろ──」
熱の隠る冷血な視線のまま、にぃっとリリィの口が歪む。嗤っているのか。
『──on■■aomt──■■■adaw』
力を込めて踏み込み、両手に魔力を宿しながらリリィはそう発音した。
「────」
アイリスの身体が、硬直する。
アイリスの後悔が、思考を静止させる。
「──!!?」
赤い影が、みえた。
一瞬、アイリスの思考を遮断した魔術は効力を失う。だが、一瞬だったが、一瞬であると、一瞬で良いとしたが、しかし速かった。リリィの思うより速くアイリスの硬直が解けた。
「──Burst !!」
リリィの手はアイリスの鎧に触れたが、魔術を行う頃にはアイリスの呪縛は解け、アイリスは身を引いてリリィの手を体から離す。そんな一瞬の後、リリィは両手を前に突き出したまま灼熱の火炎を放った。
鎧が黒く濁る。火炎は屋上を削りながら斜め下にアイリスを打ち出した。熱波と魔力で空気が振動し、アイリスは地上に叩き付けられ、さらに地を抉りながら吹き飛ばされる。
「アイリス!!?」
地上でクリフと戦闘を行っていた仲間たちが声を上げ、熱の余波の跡にアイリスに駆け寄った。
リリィは体を空中に投げ出して落下し、魔力を放射して落下のダメージを軽減する。
「リリィ、大丈夫か」
「あぁ……尻を打った」
「遊び過ぎなんだよお前は、もう少し速くぶっ放せ」
「油断を、誘ったんだよ……」
「アイリス!」
「ハッ、炎は無効化できても、威力までは殺しきれなかったようだな」
熱で揺らぐ陽炎の中、黒く削れた地に仰向けに倒れているアイリスが体を起こす。
「まさか、小細工をしてくるとは、ね」
鎧は熱さえ殺しきれなかったのか、消し飛んでいた。アイリスは鎧が無くなって、煤で汚れ裸になっている。どうやら鎧の下の衣服も焼けて吹き飛んだようだ。そして左腕に籠手が残っていた。それも血を滲ませながら腕に絡み付き、肉の中にまで鋼鉄は絡んでいる。流動しながら鉄は一瞬青白く光り、本来の籠手の姿に戻った。
「鎧を剥けば素っ裸とは、ハ、とんだ淫乱女じゃねェか、ハッハ」
アイリスの仲間が二人、地に伏して死んでいる。
「その籠手、呪いと共に能力を付加したものだな」
アイリスはそれを見ながら、視線を外して立ち上がる。
「テーゼ、ニコル、また、……仲間を失った」
「ごめん、アイリス……」
「殺される前に吐け、何者か」
そう言ってから、クリフはアイリスの首に十字架がかかっているのをみた。
アイリスの籠手が流動して身体を包み、再び鎧を形成する。
「勝負がついた訳じゃない」
「その十字架、聖騎士団か」
「そうだ、神の名の下にお前たちのような魔術師は生かしてはおかない──」
「聖騎士団か──ハ、宗教と魔術を混同して考えてる連中だな、おめでたい輩だぜ」
「だまれッ! お前たちにアイリスは──」
「お前たちはよく庇うな、その女を」
「──なによ」
「呪いを負ってまで力を付加する理由、私怨で機関の魔術師を殺しているな。 何人かが犠牲になった報告は聞いている、──憎しみは、晴れたか?」
「なにが、わかる──だまれええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
アイリスは飛び出してクリフを殺しにかかった。
クリフは刃を生成したアイリスの突きを躱し、腕を取る。鎧の胴の表面が揺らぎ、二本の角が飛び出してクリフを貫かんとするも、アイリスの腕を掴んだままそれを軸にしてクリフは飛んでアイリスの背後に回ってそれを躱す。
「気が乱れ過ぎだ」
腕を離して、クリフはアイリスを背後から蹴り上げた。
「アイリーースっ!!」
アイリスは上空に蹴り上げられ、しかし身を回転させて腕から数本のワイヤーを廃ビルの壁に仕掛け、身を寄せて壁を破り廃ビルの中に身を隠す。
「そう遠くまでは逃げていないだろう」
「クリフ!」
「俺は目標を追う、あの女には気をつけろ、他は、四大魔術程度しか扱えない雑魚だ」
それだけ言い残して、クリフは獣の様に地を駆けてあすかを追って行く。透かさずアイリスの仲間がクリフを追おうとするが。──
「待て──」
炎が壁の様に辺りを包み込んで行く手を阻む。
「私だって、まだやれるんだよ」
◆
海の上、街と街を繋ぐ大橋の上に少女に導かれながら走るあすか達の姿があった。
「はぁはぁ、ちょっと、もう追ってこないんじゃない?」
あすかはそう言いながら、少女の肩をたたいた。少女は理解したのか、振り返って歩みを止める。
「あすか、あの人たち……」
「あすかに会う前に街で知り合ったんだ、血だらけのところを助けたんだけど」
「何者なの?」
「魔法使い、本当だ、この目で見たんだからな。 血だらけだったのに、ほら女の方だよピンピンしてただろ?」
魔法使い、普通そんなのは会ったこともないし、知り合いにもいないだろう。だけど真希波の言葉には嘘はない。動悸が穏やかではないがそれは嘘をついているからではない。三人共が、金縛りみたいなのにあって、そして不気味な視線を感じたからだ。殺されかけた訳でも、燃える虫に襲われた訳でもないが、明らかな敵意と恐怖が感じられた。
異様なのは目の前にいる外国の少女もだ。身の丈に合わない巨大な凶器を背負っている、こんなのは普通じゃあない。
「魔法使いって……本当に?」
「本当だとして、あの人たちは私に用があったんじゃないの? なんか、びっくりして勢いで逃げてきたけど」
「まぁ……確かに、リリィとこいつらが敵対してるのは明らかだけど、タイミングが悪かったって話か?」
「でも、逃げてきたのは正解だと思うわ。 どう考えてもあの場に巻き込まれてたら危険だもの」
何者で、何が目的なのか、どちらかが敵で、それともどちらも味方なのか、さっきの一瞬に起きた全てが整理のつかないまま、あすかの頭を掻き乱していた。
「どう考えても殺し合いの道具だもんね」
「魔法使いって、どういう人たちなの……」
「とりあえず向こうまで行ったほうが良いんじゃ────……」
「真希波さん?」
「どうしたの、?」
真希波の顔から色が抜けていく、混乱で整理のつかない頭が一つの事実を今真希波に突然突き付けたのだ。
敵か、味方か。
(リリィが、言ってた……)
「最初から敵対関係じゃなくて良かったってのは、今は敵対関係ってことか。 なら、私らをあそこから避難させたこいつらの方が味方ってことか?」
だいたい自分にとって相手の敵味方とは何なのか、そんな勢力図みたいなのが存在するのか、そんなことすらよく分からない真希波だが、リリィの言葉に影響されてか敵味方なんて表現が頭に浮かんできていた。
「あぁ、確かに言ってた」
「そうだよ……あすかを、始末するって、言ってた」
「そっ、あいつらは魔術師の殺し屋で、今回のターゲットがあなたって事で多分間違いないと思うわ」
「!!──」
何か、整理が着きそうだった所に、ふいに背後から声がして三人は一瞬警戒したが、彼女の言葉は三人の頭をさらに白くさせる。
「サーシャ、よくやったわ。 この子たちを向こうまで送りましょう、後はアイリスの到着までこの子を守るのが仕事よ……それと、テーゼが殺られたわ」
「!!、テーゼ……」
聖騎士団の仲間の一人だろう女だった。
「おい、あんたどういう意味だよ今の……リリィが」
「あなた知り合い? 殺しを生業としてる連中よ、あいつらは」
「殺されるの? 、私……」
「私たちが守るわ、さあ、早く橋を渡りきりましょう」
半ば強引に、彼女は話をきって三人の手を引いて歩き出した。
殺し屋に狙われる理由など思い当たりもしないが、あすかはあの時麻紀はこんな気持ちだったのかもしれないと思った。いや、麻紀はこんな風に思考する余裕もなく突然狙われたんだったな、とも。そう思えばあまり思い出したくはないけれど、自分は何故あの連続少女誘拐事件に関わったのか。
「瀬倉さん……」
「ん?」
「瀬倉さんだよ、あの人ならきっと」
「私は、あすかほどあの人を信用してない」
「麻紀……」
「あの人にどうにかできるはずないよ、そりゃあ魔法使いなんかより警察の方が信用はできるけど」
「ちょっと、大丈夫よ、あいつらに殺させはしないわ」
「……魔法使いだって、言ってた」
「え?」
「リリィは簡単に諦めがつくやつじゃないよ、多分。 だったらどうすんだ? あんたらがリリィを殺してでも止めるのかよ」
「マキちゃん……」
「私は友達を殺された、機関の魔術師に。 私たちはあなたたちのために動いてるんじゃない、私情よ」
「なら、あんたたちと一緒にはいられない」
「どうするつもり?」
ちょうど橋を降りたところで、女は振り返って足を止めた。
「リリィのところへ戻るよ。 あすかはその瀬倉って魔法使いのとこへ行きな、あんたらの私情に付き合わされるのは、私は御免だ」
真希波の発言はやっと出来上がったパズルを壊す様な、彼女たちの間を引き裂くようなそんな空気を作りだしたがそれは錯覚だ。彼女たちは団結していた訳でもなく、助け助けられるという一つの共存の形を成せていたわけでもない。
「マキちゃん、危な過ぎるよそれは……あの人たちのこと悪くいう訳じゃないけど」
「あすか、リリィはあすかを狙ってる。 それは多分あってる、だからあいつらのことを無理に庇うな」
「……ごめん、でも」
「リリィが狙ってるのはあすかなんだ、私は殺されないさ」
いつものように笑って、真希波は橋へと足を戻す。
「サーシャ、もう一度この子たちを頼んだわ」
そう言って、女も橋へ戻る。
「あんた……」
「私も行くわ、機関と知り合いみたいだけど、一般人を一人で行かせるわけにはいかないから」
「ありがとう、そうと決まれば早く行こう。 あすかと麻紀はそいつと街へ逃げるかしな、もう夜になる、家に帰るならそれもいいかもしれな──」
真希波の言葉が詰まる。大橋の先にクリフの姿を捉えたのだ。
「おい、クリフが……はやく逃げ」
「ガッッ────、」
真希波の視界の端で、女が吹き飛んだ。
「ッ!?」
「クリフ……」
熱していたクリフの身体が冷えていく。筋肉の活動が、平常時のものへと移行いていく。
「逃げるな」
その一言は、その場を硬直させる。
少女が、吹き飛んだ女の方へ駆け寄った。
「追うのはまた、面倒だ。 桐原あすか、悪いようにはしない、俺に攫われろ」
「クリフ!」
その横で、真希波だけが感情を噴き出していた。
「殺し屋なのか、お前もリリィも、……あすかを、」
「殺し屋ってのは、古い表現だな。 殺しはしない、おとなしく機関に従えば」
「機関……お前たちの組織、だったっけか……あすかを攫う理由ってのは」
「これは本来極秘任務、リリィも俺も気を抜き過ぎた。 第三勢力の介入も許した。 俺達は一刻も早く桐原あすかを、できれば生きたまま持ち帰りたい」
「そうか、残念ですがお客様、当店はテイクアウト禁止です──だ」
そんなことしている場合じゃない、そう思いながら強張った声で真希波はそう言った。
「言っておくが容赦はしない、素人が殺し屋に盾突いて──ッ!!」
突然、槍がクリフを襲った。そしてクリフの前に槍を放った者が立ちふさがる。
初撃の槍を左手で弾き、右腕を打ち込む──防ごうとする左手辺りの空間の揺らぎに危険を感じて、クリフは右腕を引きながら後退する。そして魔力がクリフの力を増強し、踏み込んで右腕を打ち込むも相手の槍と弾き合い、相殺された。
「瀬倉さん!」
「時の……魔術師」
「この辺りは近頃危険だと、言ったはずだろう」
突然、唐突に現れたのは魔術師瀬倉だった。いつものロングコートに、右手に紅い槍を持った瀬倉はあすかたちを庇う様に槍を構え、クリフの前に立っている。
「……何者?」
「どうして、……また、やっぱり助けに来てくれたんですね」
「こ、こいつが、魔法使い?」
「あの人、ホントに来た」
少女が女に寄り添って立ち上がらせる。
「クリフ・アッシャー……」
真希波は瀬倉を見ながら離れて、あすかの方へと歩み寄る。
「お前が、何故味方する?」
「質問したいのは俺だ、機関が何故こいつを狙う」
本当に心当たりは無いのか、とクリフは一瞬思った。しかし本当に、ただの女を何故機関が狙うのかと、瀬倉は思っている。瀬倉にとってただの女ではないが、自分以外の関わりのないやつが彼女を狙う理由などないと。
「問答する気はない。 お前が関わっていた時点でそいつはただ者ではないということになる」
「……、確かにキャパシティは常人より高いが、ただそれだけのことだ」
「何か隠している様だが? まあいい、質だよ問題は」
「質? 彼女は魔術を開拓してはいない」
「……なるほど、気付かない訳はないが気付けない訳も理解できる。 桐原あすかとお前が発している魔力は似ている」
「!?────」
瀬倉は振り返ってあすかの方を見る。
視認しなくとも魔力は確認できる。だが瀬倉は敵から視線を外して背を向けてまで確認したかった。彼女が、桐原あすかが狙われている理由────自分の所為ではないのか。
「魔力が似る理由、偶々か、開拓者がお前か、だ。 ……そいつがお前の弟子だというのなら、話は変わってくるが?」
瀬倉と、あすかだけではなく、クリフ以外全員がその言葉に驚きと戸惑いを露にする。
瀬倉はゆっくりとクリフに向き直る。
「……」
「お前は気付かない様にしていた、気付きたくないというのは、何か後ろめたいことがあるからだ」
「…………」
「機関への反逆者、魔術師殺しであるお前が弟子を持っているとなれば──」
「残念ながら弟子じゃあない。 偶々の方だろう」
「なら我々から身を隠していたい筈のお前が何故まだこの街にいる、何故今、俺の前に姿を晒してまでそいつらを守る? 機関の敵だからか? 敵の敵は味方というやつか? 違うな──」
「問答は、必要ないんじゃなかったか?」
「──話が変わると言っているだろう」
会話を続けながら、二人は互いの動きを見つめていた。
攻撃のタイミングを図りながら、瀬倉は背後にも気を配る。
「……まさか、お前たちの仕事が桐原あすかを封印することとはな」
「暗殺部隊である筈の俺たちが、こうも派手に動くのは久しぶりだよ」
「俺が敵に回ったのは予想外だったろ?」
「……ほんの、少しの誤算だよ──」
「────ッ、」
クリフが踏み込み、左腕を放った。そして、瀬倉が構えた槍を切っ先から掴む。槍が手のひらを貫いたがそのまま掴んで槍を瀬倉の手から奪い、後方へ投げ捨てた。
(こいつ、左手を──捨てた──)
そのまま、右拳を瀬倉に打つ。
「ぐゥッ────」
左腕を盾にして、しかし御しきれずに瀬倉は後ろへ弾き出される。
「瀬倉さん!」
「左腕の骨は裂けたな」
「ハァハ……、少し見ない間にでかくなったその体は、見かけ倒しじゃない様だな……」
「増強の魔術だ。 ……この左手、完治が遅いが、あの槍やはり形状からしても即死系の類いだな?」
「ふぅ、そこまで強い魔術じゃないが、そんなところだ。」
(自己治癒強化の延長と言ったところか、……自身を魔術で強化して戦う肉弾戦タイプ、嫌いじゃないが……)
ゆっくりと、血に濡れ風穴の空いたクリフの左手が完治していく。
「時の魔術師、師弟共に俺が殺してやろう」
「アドレナリンの出過ぎだ、所詮は機関の暗殺役、奇跡使いには程遠い──」
クリフの体から蒸気が昇る。重なる肉体の改変から、体が熱せられているのだ。筋肉が皮膚を伸ばし、骨は裂けてまた完治し、より強固な骨へと成長していく。普段の面影は無い、屈強な大男へと。
対して瀬倉の方は特に普段と変わらない、左腕の骨が折れて武器も手から離れ、焦っている風にも見える。
「────称号など、ただの飾りにすぎないッ」
言って、クリフは右足を上げた。蹴りが、瀬倉の左半身を強打し、続いて左腕が打ち出される。刹那に、瀬倉の右手辺りの空間が歪み、右手に黒い短槍が現れた。いや、槍と言うよりはただ先が平たく尖った棒の様な、武器としてはお粗末なもの。
「ぐ──」
痛みが瀬倉の脳を揺らす。
尖った先を打ち出されたクリフの腕に突き刺して、そのまま押し退けて軌道を反らす。構わず、クリフはそのまま今度は右腕を構える。
「はやい、な」
突き刺した棒を支えにして、瀬倉は右側に飛び退いて拳を躱した。体を起こして体勢を立て直す。
「硬度も上げておくべきだったな……」
クリフは左腕に刺さった黒い棒を抜き、落として足で踏み砕く。
「体に傷を付けても無駄か」
瀬倉はクリフの治癒していく左腕を見ながらそう呟いた。
「見切りの速さは認めるが──」
地を蹴って、瀬倉との距離を詰めるクリフ。
「くッ────、」
クリフの手刀が瀬倉の脇腹を突き刺した。ゆっくりと引き抜いて、間を置かずに蹴りあげる。
「!!?────」
瀬倉に直撃であったはずの蹴りが、空を斬る。
(消えた!?──間違いない、消えた──)
構えて、周囲の気配を伺う。巨大な鉄橋の出入口、道路と、陸と陸とを繋ぐ橋。本来なら大量の車が通るこの広い道路に隠れる場所など多くはない。下り階段で繋がっている歩道がこの場所からだと影になって見えないが、そこに視線を向けても気配は感じられない。
(魔力痕も見えない、)
「逃げたのか?──」
ゆるやかに、首を回して辺りを見る。強化されているのは筋力や力という面だけではない、あらゆる運動、感覚神経、視覚もまた強化されているのだ。
(──ッ!?)
攻撃の気配を後方空中から感じてクリフは体を捩る。そしてその空間に目を向ける。
(なん、だ……)
視界に納める前に気配が消えていたのは感じていたが、それでもクリフは目を向けた。
一瞬、確かに自分を攻撃する気配を感じた。だがそれは本当に一瞬だけ現れて消えた。恐らく、避けなくても攻撃は当たっていなかっただろう。つまり、攻撃、いや気配はクリフが振り替える一瞬の間だけあったことになる。
「がッ──」
そんな思考の一瞬に、唐突に痛みを感じた。左腕に刺さっている、黒い短槍が。
(また、くる──)
また気配を後方から感じて、今度は振り替えるのと同時に後ろに蹴りを放つ。しかし脚は当然のように空を斬るだけ。
「ハァ、ハァ、どこから──」
一瞬だけ現れる瀬倉の気配、攻撃をしてくるのか、それともただのフェイントなのか、その境はまだクリフには感じられない。
「空間転移系の魔術か?……しかし、それにしてはぐッ!?」
右肩に、槍が突き立てられていた。
「くっ……んぬおおオォォォォ!」
再びの気配に、苛立ちからの雄叫びを上げながらクリフは腕を振り回す。
「タイムウォーカー、……」
突然、クリフの身体から血が吹き出て体を伝って滴れる。身体がひび割れる、地震で崩壊する地面の様に。割れた肉片は重力に裂かれる様に地面に落ちていく。余分な肉や骨が削がれているのだ。
「これで、少し動きやすい。 思考もすっきりする」
剥がれ落ちた肉片の中からクリフの身体が形を現す。血や組織、体液で濡れて滑りのある身体から熱を発してか蒸気が昇っている。すぐに皮膚が形成され、元のクリフの姿に近いものになっていく。それでも、普段よりは筋肉質に見える。もちろん今の状況において余分なものを捨てただけで、強化された身体であることに変わりはない。
「確かに、俺は興奮していた様だ」
風の流れ、熱、匂い、音、敵意。それらを自然に、静かに、クリフは感覚する。一瞬の、ざわめき。それを感じたがしかし、クリフは動かない。そして、次いで感じた気配にクリフは体を向けた。
「…………」
「──ッ」
一瞬、目があって瀬倉の姿は消えた。瀬倉が振るった槍をクリフは受け止めたのだ。一度目のフェイントに少しでも反応していれば、クリフの首は刎ねられていたかもしれない。
(いつのまに、あの槍を──)
クリフが投げ捨てた紅い長槍を瀬倉は今手にしていた。攻撃の合間に拾い上げたのだろうか。約30ミリ秒以下の攻撃とフェイント、それをクリフは感覚だけで見切ろうとしている。
(──時間稼ぎ、か?)
「がッ!!!!」
クリフの左太股に、短槍が突き立てられた。桐原あすかの方へ、一瞬意識を向けた隙を突かれたのだ。
(これ以上硬度を上げれば動きに制限が出る──硬度強化に意味はないか?──なら)
「その時間稼ぎは、意味が無いだろう──」
突如、クリフが目をあすかへ向けた。そして、跳ねる。今までの速さを超えた初速、通常なら体が引き裂かれる程の速度。
「別に、先にこちらを始末しても問題はなかろう──」
そのクリフの言葉が空気を伝わるのとほぼ同時に、クリフはあすかの前へ移動した。すでに構え引かれた右腕が、あすかへ放たれる。
「あす────」
あすかに反応できるはずもない。
右腕が目の前に迫った時、あすかはクリフの右足の膝から下が無いことに気付いた。
「ぐがァァッ※※※※ッ────!!」
声を上げたのはクリフ。右足が瀬倉に斬られたからではない。右腕が、空に弾き返され、腕をもぐ衝撃が血飛沫を上げさせる。衝撃は体を引っ張り、片足を失っていたクリフは地に倒れ込む。
(結界!?──先手を、打たれていた!?)
「あすか!」
あすかはそのまま地に腰を落とす。
「思考はのろまだな、クリフ」
瀬倉がクリフの顔を覆うように掌を構えていた。
(そうか、あの女……最初に桐原あすかを連れて戦線を離れた……)
魔術戦争において最も重要視されるべきは医療部隊ではなく、結界師。より巨大な魔術を行うため、その魔術が世界に与える影響を最小にするため、結界師は最も重要視されるのである。世界と魔術の間に結界を創り、魔術師が最大限の力を引き出せるようにするのが結界師なのだ。
「──リリィ、加減をする必要はなくなった、殺せ……」
瀬倉の掌がクリフの額を掴む。
暗転────。
暗闇。
微かな明かり。
焦げた匂いと血の香り。
全身に感覚が戻ってくる。
腕が動く、足が動く、体が動く。
頭が動く、思考が戻ってくる。
冷たい、固い感触。
「なんだ……」
身体を起こす。
「誰だ」
「うっ……ううっ」
「リリィ!?」
暗闇の中にリリィの気配を見つけて駆け寄る。
「なんだ、どうした!!」
右腕は肘から下が無く、両足も無い。
「しくじった……あの女……」
「どうなってる、これは、」
左腕と半身、頭部のみが存在している。
「クリフ、あいつを殺してくれ、私をこんなにしたあの女を」
クリフは現状が飲み込めない。
「待て、止血して、傷を治す」
「無、理だ」
「常温は保っているだろうな!? 菌は熱で殺しているな?」
「待てよ、クリフ……生きてるのがおかしいくらいだ」
「────」
確かに、声の震えだけが生きていると思わせる唯一だ。それが無ければ、死体だと横を過ぎるだろう。
「理解が、追い付かないぞ、リリィ」
「ハッ、熱くなるのは私の専売特許だろ」
「リ──」
明転────。
「──あっ゛」
仰向けだった体を捩って、クリフは嘔吐した。
「はぁはぁ、どうなってる、頭が……」
まるで夢から覚めた様な感覚。体を意識した途端に右足からの痛みが脳を劈いて、次には痛みと言うよりは熱さが脳を支配した。
「良い未来は見えたか?」
「……」
声の方へ顔を向けると瀬倉が地面に座り込んでいる。
「み、らい?」
「あぁ、お前の意識を一瞬だけ別の時間へ飛ばした」
「意識を? 別の、時間に?」
「気絶している間は傷は治らないようだな」
「──、どういうつもりだ。 お前は俺の動きを封じた訳だな、殺さずに……結界までは頭が回らなかったようだ」
瀬倉が手にしていた槍の切っ先をクリフの顔へ向ける。
「桐原あすかを守るのが、俺のやるべきことだからな」
「なるほど……」
クリフが体を起こす。同時に右腕と右足の治癒が始まる。
「あの結界は物理的な、規定量以上の力が加わった時、その衝撃を跳ね返すものだ。 魔術的なものには通用しない代わりに、物理的なものには最大の防御を誇る」
「呪術的な仕掛けはないから安心して治癒しろ、という意味か?」
クリフの問いを無視して、瀬倉はクリフに問いかける。
「……俺は、桐原あすかに会いに来た。 お前達は彼女を封印しに、聖騎士団なる組織は機関の人間であるお前達を殺しに、……それだけの、ことなのか?」
「……さあな、それ以上の事は知らない」
「そうか、まだ、続けるか?」
「お前が本気になれば、俺に勝ち目はない……だが、機関から別の人間が来るだろう──俺はリリィの手助けに行く」
「──追いはしない、」
そう言って、瀬倉は槍を下ろす。
「未来、と言ったな?」
「あぁ、不吉なものだったか?」
「──」
(リリィ……)
だんだんと夢を思い出す様に、クリフの体に先ほどの記憶が戻ってくる。震えと焦り、血の匂いに体の冷たさ。
「その結界師、生かしておけよ」
「──いいのか?」
サーシャと名乗る結界師の少女に瀬倉が語りかける。
「Duty is protecting……」
「そうか、」
クリフの姿はもうない。渡ってきた橋をもう一度クリフは走っていた。長距離、最高速を維持できる身体へと、クリフの身体は作り替えられている。
(熱が……)
橋の向こうの空は高く上る積乱雲で満ちている。静かに、クリフの身体に雨が当たった。そして途端に雨は激しく降り始める。視界が悪く、雨が身体を叩き、脚が上手く運べない。
「アレは……」
橋の3分の1まで来て、クリフは足を止める。
はっきりと見える、橋の終わり辺りに巨大な炎が立っていた。