piece2-2*【悪魔】
全ての出来事が水面下で絡み合っていた。魔術機関は派遣した魔術師──リリィとクリフのことだが──からの連絡により何らかの敵勢力があることを認識し、新たに一名を日本に派遣する。そして、リリィとクリフは最終ミッションへ動き出した。
この最終ミッションこそ今回の任務の本命であると言っても過言ではない。強力な魔術的現象を引き起こす力を宿す者の保護、または封印。それは少しのミスが世界の破綻につながるミッションだった。 敵勢力の介入などあっては迅速にこなせぬもの。機関は敵勢力の排除役を新たに派遣し、リリィとクリフには対象の保護を優先させた。こうして、ある一部の都市に魔術を介するものが集いつつあった。だが、事件は日常でも起こっていた。 いや、日常と言うにはおぞまし過ぎる事件。
『連続放火事件』は、まだ終わっていなかった。4月末の短期間での連続犯行から期間をあけて五月、人々の不安の拭えぬゴールデンウィークが始まって事件は発覚する。もちろん「終わった」と思っていたのは放火魔の真相を知る極少数の人間だけで、それ以外の大多数は事件が終わったなんて思ってもいなかった。ただ、もう一人犠牲者が増えたというそれだけだ。そして翌日、人々の不安を逆撫でする報道がなされる。模倣犯の可能性──今までと違うと推察される殺害方法。今までは通常街中で扱えない程の火力で焼かれ、それが直接の死因だったが、今回の死因は背中から刃物で刺されたということ、つまり殺した後で焼いたということだ。それから、火力も石油に火を放った程度。真黒な炭の様な死体ではなく、皮膚と肉が焼け爛れているということ。奇妙な殺人現場などではない、乱雑な殺害方法。これらのことから警察は全く別の事件として、模倣犯の可能性も考えて捜査していくと発表した。それは人々にとって二人の殺人者が町を徘徊しているということに他ならなかった。
◆
連日上昇傾向にあった気温が、今日は雨のせいか肌寒い。頭上を覆う灰色の雲は、ゆっくりと動きながら雨を降らせていた。傘を叩く雨の音を耳触りに感じながら、繋がらない電話を切ってメールを打つ。返信はないかもしれない、と先月まで付き合っていた彼女の笑顔を思い浮かべた。別れたわけではないが、連絡のつかないこの状況ではもう振られたのかもしれないと思っているのだ。振られる理由は何度思考を巡らせても分からなかったが、きっとそれ自体が原因だとも思っていた。だけど、それにしても、こんな仕打ちをするような彼女ではなかった気がする。一つの支えを失って、宙ぶらりんになった心には無だけが渦巻いていた。最後のデートを思い出す……、ケイタイを開いてワンプッシュで電話をかける。
「うっ……」
突然の胸の痛みに、反射的に電話を切ってしまった。
「奏恵……うっあ」
続いて左半身の痛みが全身を突き抜け、左腕がジンジンと痛む。落とした傘を拾おうとして、奏恵の悲鳴が聞こえた。 ような気がした。
「かな──」
いつのまにか住宅街に居たのかと思い、道の奥で炎が上がっているのが目に焼きついた。たぶん、カップルだ。 そう思ったのはきっと、過去の自分たちを思い出していたからで、男の方が女の方に火を放っていた。一瞬、この奇怪な状況から彼らを救い出す自分を想像したが、気付いた時にはその場から逃げ出していた。
「ハァ、ハァ、……」
全身を雨に打たれながら走り、息を切らしながらケイタイを耳に当てる。呼び出し音しか鳴らないこの電話にも愛想が尽きてきた、まったく。と、電話がかかってきて誰からかも確認せずにでる。
「か、……なんだ健二か」
「悪かったな、用は別に無いんだけどな、元気にしてんのかって話さ」
「あぁ、まぁ、ぼちぼちだよ」
「そうか、最近大学でも会わないし、お前を見たってやつがげっそりしてて病的だったって話してたからさ」
「食欲が、治まってきたんだよ、体育会系は卒業したってだけだ」
「まあ、あんまりやつれるなよ」
「あぁ」
「それで……告別式には居なかったみたいだけど、葬式には行くのか?」
「ん? あぁ、行くよ」
「そうか、それじゃあまた連絡するよ、じゃあな」
「あぁ、また────昔の担任でも亡くなったっけか」
正直、それどころではない。
家に帰って、郵便受けを見ておくか。
それから、もう一度電話とメールをして、家に帰った。
◆
5月6日午前9時頃。
朝起きて、麻紀の電話であすかはニュースを知った。再び恐怖に怯える麻紀に「麻紀が見た方はもう捕まったから、もう大丈夫だよ」と言って、あすかは家を出た。目的はもちろん瀬倉だった。自分に会うのが目的だったと言った瀬倉はしかし、あれからあすかの前には姿を現していない。
自宅近辺や公園から最初に出会った場所まで探したが、瀬倉の姿は見当たらなかった。事件が解決したからもういないのか、それなら連続放火魔の事件が再び起こったと報道があったのはなぜなのか。あらゆる想定も、頭の中で絡まるだけだった。
「瀬倉さん……」
「なんだ、俺に用か」
「な、ちょっと、なんなんですかもう!」
自宅への帰り道、瀬倉は現れた。
「なんだ違うのか、なら」
「よ、用はあります」
立ち去ろうとする瀬倉を呼び止めて、あすかは疑問を口にする。
「本当に、事件は解決したんですか?」
「やはり、そのことか……俺も行きつけの店が閉鎖されて暇になってな」
「え、暇だから首を突っ込むんですか」
「当然だ、お前は俺を捜査官だと思っていたんだったな。 魔術に起因する事件を調べるということに関してはあながち間違いでもない」
「瀬倉さん、変な話で誤魔化さないでください。 犯人は捕まえたんですよね?」
「──あぁ、根源は切り離したし、あいつは重傷で入院している。 今起きているのとは別だ、あんな状態では犯行は無理だ」
「入院、してるんですか。 それじゃ、」
「警察の言うように模倣犯だろう」
「そ、そうなんですか」
「だが、模倣犯だろうと危険なことに変わりはないんだ、もう気が済んだろ、家に帰れ」
言って、瀬倉はまた立ち去ろうとする。
確かめることは確かめた、でも、肝心の、あすかの胸にかかるものが消えたわけではなかった。
「犯人、捕まえるんですか……」
ただ引き留めたくて、本当に聞きたいことを聞けなくて、あすかはそう言った。
「捕まえる? 言っただろう、俺は警察じゃないし、真犯人は被害者として入院してる。 俺は、魔術に起因する現象……その根源を打ち消すだけだ」
「また、魔法使いだって話ですか、だったら、この状況を」
「言っただろ、俺はヒーローじゃない。 犯人を見つけて、それでどうするんだ、魔法でパパッと解決か? 犯人を殺すのか?」
「こ、殺すって、そんな……」
「──悪いが……、俺にも動かなければならない理由がいるんだ」
後ろを向いて、再び瀬倉は去ろうとする。
「なら、……ここに来た理由はなんですか? 最初に瀬倉さんをこの町に来させた理由は、なんなんですか?」
そのあすかの問いに、瀬倉は答えずただ立ち止まった。
「私に、会いに来たんですか?」
振り返った瀬倉の顔を一瞬だけ赤い夕陽が照らして、そして影に移りそのコントラストで表情が見えない。
「理由を、聞きたいんです」
「──様子を見に来た、ただそれだけだ」
「様子?」
「お前は信じちゃいないようだが、……俺には十分な理由だ」
「私たち、私と瀬倉さんは、会ったことあるんですか?」
「フッ何だその疑問は、お前の記憶に聞け」
そう言って、今度こそ瀬倉は姿を消した。 まるで空気に溶け込むように……。それからあすかは知った、自分の記憶野に瀬倉の見えなかった表情があることに。
◆
五月二日、住宅街付近で焼死体発見。
五月三日、マンションの地下駐車場で焼死体発見。
五月七日、市民病院内の中庭で重症者一名発見。
5月6日、午後10時半、市民病院4XX室。
「おい、起きろ、斎藤雄也……起きろ」
呼吸音以外に、返答はなかった。個室にあるベッドに、あらゆる延命措置を施された斎藤雄也が横たわっている。
「おい……」
斎藤雄也を揺さぶりながら、常識では考えられないが瀬倉は重体患者を叩き起こそうとしていた。そして、目を覚ますはずのない斎藤雄也の首筋に手を当てる。眩しい発光と共に、魔力が雄也に流し込まれた。
「ん、なんだ……あんた」
「久しぶりだな、斎藤雄也」
信じられないことに雄也は目を覚ました。
「!? ──殺しに……きたのか」
「罪の告白さえできないとはな」
「な、あれは……蝶がやったんだ、あの蝶が僕を操ってた……そうだろ?」
「確かにそうは言ったが、だがお前の力でもって殺した人間もいるだろう」
「……」
「お前に懺悔のチャンスをやりにきたんだ」
「懺悔だって? ……、そうさ僕が人殺しだってことに違いはない……ぼくは」
久方ぶりの現実はやはり雄也にとって心地の良いものではなかったが、瀬倉はそんなものは御構いなしに話を続けた。
「最後の仕事だ、模倣犯を止めろ」
「なにを? どういう……」
体をうまく動かせないどころか、火傷の痛みがまだ微かな意識をはっきりとさせる。魔術とはつまり、元来こういうものだった。
「お前にもう一度魔力を与えた、今は流れ込んだ意思から状況を推察してくれ」
「ハァ……、バカかあんた、僕を、ぼくを」
「別に頼んでいる訳ではない。 いずれお前を探し当てて殺しに来る模倣犯への対抗策を一つやるだけだ」
「模倣犯ってのは、なんなんだ」
漏れる息から必死に雄也は言葉を紡いだ。
「お前の模倣犯さ、もっともあれは模倣と呼ぶには雑だが。 お前の行いを乱雑に模倣することで、お前を侮辱しているつもりなんだろう」
暗い病室の中、二人の男の声だけが静かに響いていた。始めそれは別人のもののように意識しづらいものだったが、だんだんと雄也は自分の身体を認識し始めていた。自分を殺しに来る模倣犯がいるんだということ以外、雄也は理解しきれていない。そんな状況でさえ彼は「感じろ」という。
「魔力が切れるまでは動けるだろうから、対峙したらなんとか時間を稼げ」
「体が動いたって、今の僕は精神の方が問題なんだ……」
「バカか、どっちも被害者なんだ、そんなものは後で補い合え」
それだけ言って瀬倉はそそくさと病室を出て行ってしまった。今までに二度目覚めたが、夜に起こされるのは初めてだった。
◆
5月6日、午前12時45分、アパートの一室。
「何も食べていないんだって?」
知らない男が部屋の扉を開けながら、そう切り出して部屋に入ってきた。誰であるかなんて興味は無かったが、防犯的にはどうなんだろうなとは思った。
「あぁ、食欲はない」
もしかしたら自分が呼んだ誰かかもしれないと顔を上げようとしたが、やはりやめた。
「冷蔵庫も、空っぽと」
男は勝手に冷蔵庫を開けたり、乱雑な部屋を物色したりし始めた。
「睡眠薬か? 眠れないのか」
机の上に転がっていた薬を眺めながら、男は言った。
「寝る暇なんてない」
「どうして?」
「奏恵は、最初別れたいんだと思った……けどおかしいんだ、色々……奏恵は行方不明なんだ」
「かなえ……岩崎奏恵さんのことか?」
「そうだ」
「彼女が行方不明だって?」
「あぁ、間違いない、色々なんだかおかしいんだ」
「色々、ね。 それで、寝ずに捜し歩いているのか」
男は部屋を見渡しながら、隅に蹲っていた俺に目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「そうだ。 あんた、探してくれよ」
「彼女の両親とは知り合いじゃないのか?」
「実家はここじゃないんだ、どこだったか……最近は奏恵と俺の家で泊まりあっていたから、奏恵のものも散らばっているだろ」
「ん……いや、それらしいものは」
そう言って洗面所へ行って、男は顔を出した。
「歯ブラシはあるようだ────さすがに引き取らなかっただけか」
「歯ブラシか、黄色のやつがそうだ」
男が他に何か言ったような気がしたが、しかし気にせずに会話を続ける。
「それで、近頃夢は見ないか?」
突然、男が妙な事を聞いてきた。 いや、聞き取れなかった部分とは繋がった会話だったのかもしれない。
「寝てないって言ったろ」
「寝ていなくても夢は見るものさ」
「……夢は見ないが、最近殺人現場によく出くわすな」
「殺人?」
「ニュースのやつさ、たぶん。 放火魔の」
「あぁ、アレね。 どこで?」
「どこで? 一番最近は……、隣のマンションの地下駐車場だったか」
「あの如何にも金持ちが住んでそうなマンションか、そういえば発見されていたな」
「そうだろう」
「通報しなかったのか?」
「当然さ、あんなのに関わっている時間はない」
「彼女を探しているからか」
「そうさ、あんたも手伝ってくれ」
「それは……無理な話だ」
「なんでだ。 奏恵は今この瞬間だってきっと俺が来るのを待ってるんだ」
「……そうだろうな」
そのぶっきらぼうな返答に腹を立てて、男に掴みかかって壁に押しのけた。
「おい、ここでのことは全て裁判材料になる、あまり過激な行動は慎め」
「何が裁判だ、こんなことで訴えんのかよ」
「……君は──」
「探しに行く。 もう出てってくれ」
男を部屋に残したまま部屋を出て、奏恵が行きそうな場所を頭に巡らせる。何か、決定的なものが失われているような気がした。
◆
5月7日、午前1時頃、市民病院4XX室。
斎藤雄也の個室が開いて、青年がゆらりと入ってくる。その目は虚ろで、生気が無い。
「──!!!?」
青年はサバイバルナイフのようなもので寝ている雄也の腹部を突き刺した。昏睡ではなく眠っていた彼を起こしたのは、そんな痛みだった。
「な、なんだ」
「……」
青年は口を開かず、ナイフを引き抜いて再び突き刺そうとする。痛みを堪えてベッドから寝返りをして離れ、起き上がって自分を刺した人物を目視した。もちろん、見覚えなどなかった。ナイフを振りかざす青年と、血の零れる腹部を気にしながら対峙する。なぜか痛みが今は消えているような気がした。
「も、模倣犯……か」
“先ほどの”瀬倉の言葉を思い出す。
(つまりコイツの相手をしろってことか)
しかし、凶器を持った男をなんとかできるほど、今の彼とて正常ではなかった。社会に自分の歩くべき道を敷けずにいた彼は虫にまでこけにされ、今ここでこの青年に殺されてもどうでもいいと思っているのだ。けれど、生への執着を捨てるのと死を懇願することは同じではない。彼は生きる道を失い、いつ死のうとも構わなかったが、死を恐れていないわけではなかったのだ。
「ハァ、ハァ……」
息を吐き出しながら、青年は雄也を見据えていた。よく見ると薄汚れて泥の付いた衣服、表情も顔もどこか病的だった。
「なんで……、お前は僕を殺しに来たのか? お前も僕を否定するのか?」
魔力を動力とすることで雄也は今生きてはいるが、重度の火傷と今負った傷は確かに雄也を死へ近づけていた。身体の痺れと徐々に失われていく体温から、雄也はそれを感じずにはいられない。
「けど、死にたいわけじゃ──ないはずなんだ!」
力強く、雄也はそう叫んだ。 自分自身の意思を確かなものにするために。
「────」
それは、魔力を魔術にする。
白い蕾が、比喩ではなく雄也の身体から生え成長した。皮膚を貫いたが皮膚と溶け合うように、右肩に重く芽生えたのだ。雄也の曖昧な想いが、魔術を再構築する。かつて自信に溢れ、興奮さえ覚えたそれは確かに、再臨した。
「揺らげ──」
熱の揺らぎが青年を襲い、青年はたじろぐ。瞬間に、雄也は青年の脇を通って廊下に出て暗闇に走って行った。青年も熱をふりほどいて雄也を追う。
「か、なえ」
ある少女との思い出だけが、この青年の頭を支配していた。
岩崎奏恵とこの青年とは中学時代からの友人であり、高校では恋人同士だった。彼らは一つひとつの呼吸すらも同じようにし、お互いの全てを受け入れあっていた。きっとこの人と一生を共にするのだとお互い心から思いあっていたし、なにものにも二人の間は引き離せないとさえ思ってもいた。だが、4月中旬頃、それらは打ち砕かれた。青年は行方をくらました岩崎奏恵を追っては殺人現場に出くわし、そして逃げ出す。そんな非日常の中を彷徨っていた。しかしそれは青年が見ている夢の話なのだ。
青年は理解していない、岩崎奏恵はもうこの世にはいないということを。
青年は知らない、自分が模倣犯だということを。
青年は気付いていない、左手と半身の火傷の痕に。
そう、彼は魔的なまでに病気だったのだ。
4月中旬、青年と岩崎奏恵はデート中に斎藤雄也〈火燃蟲〉と運悪く出会い、そして成す術も無く彼女を焼かれ、自身もかなりの火傷を負った。青年が生き残ったのは、それは単なる不幸中の幸いというやつだった。そして青年は病院で意識を取り戻し、無事に退院するも現実を受け止めきれなかった。強烈なまでの「死」のイメージ、奏恵の最後の声、それらが青年の精神〈こころ〉を蝕んだ。
事件前後の記憶を失い、夢をみながら現実を彷徨い模倣する。
死んだはずの彼女を探して────。
それが青年の行き着いた果てだった。周りはその“異常”に気付いていたが、あまり近づこうとしなかった。荒い犯罪はすぐに犯人を突き止め、そして医師の診断が下された。重度の精神疾患と医師は判断した。事件時のフラッシュバック、過覚醒状態、身体運動性障害、感覚の麻痺、記憶の異常、これらの症状からそう判断したらしい。裁判でもしこの病状が証明できたなら、罪が軽減されるかもしれないような重い病気だった。彼自身は無意識のまま、彼は犯行を行っている。通常ではありえない筋力で押さえつけ、そして殺して焼死体を作り上げる。 これが彼の犯行だった。そして、彼はとうとう目的の人物へと行き着いた。これですべての事に決着が着くと、青年の深層意識は思っていたのだ。
◇
覚醒した雄也の魔術は全てを灰にする炎となって青年の道を阻んだが、青年は燃えることなく雄也を追い続けていた。
「くそ、体が……揺らげ!」
「───……」
何も発せず、ただ息を荒げて青年は魔術を躱しながら手にしたナイフを振りかざす。
「ち、くしょー……僕の力はこんなもんだってのか」
嘆きながら必死に体を動かして、ナイフを避ける。ナイフは刃を削りながら、病院の壁を剥いでいった。階段を駆け下りて、精度の落ち続ける魔術を力いっぱい放出する。
「ガ……」
青年の手首から先が燃えて灰と化す。ナイフで手首の内側を抉り、青年は炎を振り払った。
「なんて、無茶苦茶なんだ」
横目で状況を確認しながら雄也は非常階段を下りて、出口に手をかける。
「あ、開かない!?」
外への扉は鍵が閉まっていて何度ドアノブを回しても開かない。
「クソ、くそ、燃えろぉぉおおおおおおおおおおっーーーーーー」
絶叫と共に、扉は炎に包まれて灰と成る。
「ハァハァ、っ……」
そこは院内に設けられた中庭だった。雄也は庭へ駈け出したがしかし、力尽きたのか地面に崩れ落ちる。
「上出来だ」
そこに、瀬倉の姿があった。
「おまえ、いたのかよぉ……」
「桐原あすかに言われてな、あいつに影響しうることは排除しなければという理由ができたのさ」
瀬倉の言葉は、今の彼らにとって“桐原あすか”という人物がどれだけ必要な存在であったかを斎藤雄也に伝えた。
「あの時の、女の子か」
「事件の裏側はもう調べがついてる、後はお前たち次第さ」
「僕たち次第だって? いいか、意味が分からないままこんな事になってるんだ、説明してくれ」
「発火能力〈パイロキネシス〉がお前に宿った理由の方が俺には不可解だ。 まあ、そうだな、簡潔に言うと──」
簡潔に言うと、二人は魔力より生じた虫の被害者だった。
虫に操られた斎藤雄也が青年と岩崎奏恵を襲い、そして青年は精神を侵され“悪夢”を消し去ろうと模倣し殺人を繰り返した。単に、それだけの、しかし複雑な事件の全容。模倣犯が何をしようと、それは病気のせいではあっても魔術によるものではない。根源的な原因が魔であろうとも、青年自体に魔が取り憑いた訳ではなかった。だから、それは魔術師〈瀬倉〉ではなく、人が解決することなのだと、瀬倉は思っていた。もちろんそれは間違いではない。過剰な魔術側からの接触は、良いものではないからだ。だがそんな事より、瀬倉は彼女の望みを受け入れたかった。自分も、魔術師であるまえに一人の人間だった時もあったのだと、彼は思ったのだ。
「なら、」
「あぁ、あいつが友を思って俺に助けを求めなければ、こんな事にはならなかったな」
「やっぱり、ぼくは、もう生きているしかないのかもしれない、ただ生きているだけしか」
扉の奥に出血に耐えられず、意識を失った青年が壁に寄り掛かっていた。
「あいつを救うことくらいはできるはずだろう?」
「あいつを?」
「言っただろ、確かに虫がお前を選んだのは偶然だが、理由がなかった訳じゃない。 今のお前の力は元々備わっていたものと魔術が混同したものだろうよ」
「じゃあ、ぼくにも何かあるってことか?」
「さあな、あいつの病気を“焼く”ことくらいはできるかもな」
雄也の瞳の翳りが晴れ、そして力尽きそうでありながら確固たる何かを信じて、彼は体を起こして青年を視界に収める。
「だったら、僕にも今まで生きてた意味があったってことだよな」
「別に助けてやる義理はないんだぞ」
「お前から言っておいて、今さら止めるのかよ」
「いや、確かに……お前の求めていたものは今この時にしか手に入らない」
「そういうことだろ?」
言って、雄也は青年を見据えた。
「あの“怪物”だけに留めておけよ、病まで消すとあいつにとっては厄介だ」
「そんな器用な真似ができるかは分からないし、完全に消すほどの力が僕にあるのかも分からない。 けど、それでもやるだけやって死ぬんだ……」
「そうか、なら後は任せた」
「用があったんじゃないのか?」
「俺のはもう必要ないさ、お前の超能力〈才能〉は想定していなかったからな」
「……そうか」
そうして瀬倉は立ち去り、斎藤雄也は青年に能力を仕掛ける。
「きっとぼくらは……虫に食い物にされるくらい酷くはなかったはずなんだ──……」
雄也の体温が上昇していく──。青年の中を蠢く闇と、雄也の意志が連結し、力が流れ込む。
「ぼくには蝶に見えていたよ、やっぱり……、アイツは僕が特別だって教えてくれたんだ」
雄也の体から蒸気が立ち上り、青年を陽炎が包み込んだ。
「ハァハァ、体が熱い……」
きっと、死にかけの身体は雄也の能力に耐えきれない。それを分かっていても彼は青年の“闇”を無くしてやろうと必死だった。これで自分も彼も救われると信じているのだ。
「……父さん、母さん────今なら、死は怖くない」
力が集束して一気に青年を貫き、それと同時に斎藤雄也の身体は烈火の閃光となって燃え尽きる。青年の顔に生気が戻り、闇は灰と成って青年の身体〈こころ〉から打ち出された。
◆
朝になって、彼は職員によって発見された。事件の概要は迷宮入りのまま、重傷者を処理するのみに留まった。皮肉にも連続放火事件の影に隠れてこの事件はそう大々的には報道されなかったのだ。しかしながらゴールデンウィークが明けてしばらく経つと、人々は徐々に恐怖から解放されて事件の真相は闇に眠っていった。そしてただ一人明らかになった模倣犯すら、世間はテレビの向こう側の出来事としてしか受け止めなかったのだ。
5月9日、一人の魔術師が来日する。
陰に潜んだ者たちが姿を現しつつあった。
罪を背負い続ける者の永遠の懺悔が世界を変えていくのだとしたら、我々は感謝せねばならない。
その者の罪の告白と、犠牲者たちに。