プリメロとロコ
死んだらこんな感じだろうかと、陽介は溜息を吐いた。
辺りは自分の身体すら認識する事が出来ないほど暗い。
FEOで頼れる五感は視覚と聴覚の二つだけである。五感の内、触覚が無いからには自身の状態を認識する方法は視覚しかない。
だというのに、現在陽介の視覚は用を成してはいない。
辺りの様子が解らなければ、自分が地面に立っているかどうかすら解らず、自分自身を視認出来なければ身体が在るかどうかすらも怪しい。もしも、こままま此処に居続けたなら、自分はこの闇に溶けてしまうのではないかとすら陽介には思えた。
仮想の死、FEOでの死とは復活までの待機期間に過ぎない。後ほんの数分もすれば此処から放り出され、始まりの町プリメロへと陽介は送り届けられ復活する。
そこに痛みは無く、失う物は死んだことによる仮想の身体に掛るペナルティーでしかない。
例え、仮想世界でどれほど恐ろしい目に会って死んだとしても、容易くプレイヤーは生き返る事が出来る。
氷室陽介がどれほど死ぬ間際に恐怖しようと、それはそれだけのことである。ドラゴンの足による圧死を視覚的に体験しようと、身体にはなんの影響も無い。
現実ではなく仮想なのだから、それは当たり前のことなのだが……。
(仮想、か……)
リアリティーが高ければ高いほどに、何も残らないという事が、仮想世界だと雄弁に語ってくる。
仮想世界での出来事が現実世界で影響してしまっては、それはもうゲームとは言えない。言えないのだが、仮想世界で感じた自身の感情すらも、無かったことにされてしまうようで陽介は……。
唐突に僅かな効果音と共に『00:00:30』とタイマーが表示され、それがカウントされるごとに視界が明るくなっていき、ほどなくして視界は光の白に塗り潰され、なんらかの輪郭が徐々に浮かび上がっていく。
白い石で出来た建造物と通路に噴水、とても現実では見ることのできない多種多様な格好をした人々、空は青く何処までも広がっている。
FEOプレイヤーなら誰もが最初に訪れる街プリメロ。
陽介は、その街並みをざっと見回してから自分自身へと目を向けた。
薄茶色のダボっとしたズボンに、薄手の型崩れしたシャツ、腰には短剣をぶら下げたホルスターが付けられている。
それらは盗賊という職業の初期装備であり、陽介がチュートリアル以前に選択した格好そのままであった。
両手両足が確かに動くことを確認し、陽介はほっと一息吐くと、噴水へと駆け寄り水面を覗き込んだ。
FEOではキャラクターの容姿は現実の身体に大きく左右される。
体格や顔はその最もたる所で、仮想と現実の身体の違いにプレイヤーの脳とプログラムの双方に不具合が生じてしまう為、大幅な変更が行えない。それでも体格が操作出来なくても仮想の身体にシミや傷なんてものはないし、システム上に問題のない部分はある程度の変更が可能に成っている。もっとも最適にプレイしたいのなら、可能な限り現実に近づけた方が良いとされている。
「おぉ!」
頭に巻いたバンダナが前髪を持ち上げているが、やや長めの髪はゆったりと垂れ下がり、そこかららんらんと輝く黒い瞳が覗いていた。
青年というにはあどけなさが残った顔付きは、現実の陽介とは似ても似つかない物に成っていた。
その姿をマジマジと見つめたまま陽介は言った。
「宜しくな、辰星」
照れ臭そうに陽介は笑い。水面に浮かぶ辰星も同様に笑った。
陽介こと辰星が顔を上げると、そこには水面を覗き込む多くのプレイヤーが居た。その表情は多種多様だが、誰もが楽しげに見える。辰星は所在無さげに頭を掻き、どうしたものかと辺りを見回し始めると、唐突にウィンドウが表示された。
【念話 ツヴァイ 応答しますか? 】
辰星がYESを選択すると。
『あぁ、陽介で合ってるか?』
「……あの何処のアホでしょうか?」
『いやいや、要らないからな? 今そういう冗談、マジしゃれにならんから』
「で、何処に行けば良いんだ? ツヴァイ」
『北門に来て欲しいんだが分かるか?』
陽介はメニューウィンドウからマップを開き、自身の位置を確認する。
「正直、良くわからんけどマップ見て上に進めば良いんだろ?」
『そそ、早くしてくれよ。みんな待ってるからさ』
「……はい? お前一人じゃねぇの!?」
ツゥーツゥーと念話が切れたことを知らせる効果音が響き、辰星はクシャクシャと頭を掻いて、大きな溜息を吐き出した。