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My Sweet Beast  作者: 柚木エレ
本編
9/12

Vol.9 王子と魔法と真実と

 テラスは少し冷たい風が吹いていた。

 熱くなった頬を冷ますにはちょうどいいかもしれない。

 けれどリリーの細い肩はすぐに凍えそうで心配で、来ていたジャケットをかけてやると彼女は嬉しそうに笑って礼を言いながら、私の肩にちょこんと寄りかかる。

 もう他の音など聞こえないほどに私の鼓動はうるさく鳴り続けている。

 ダンスは互いの心を近付けるとはよく言ったものだ。

 大人しく抱きしめられていたリリーは頬を寄せてくれた。

 額へのキスも許してくれた。

 全て嬉しい誤算だ。

 しかしあれ以上そばにいれば、先を求めてしまそうだった。

 貪欲に、今の自分を忘れて想いを告げようとしてしまいそうだった。

 ともすれば溢れそうになるこの想いを押し込めるのは大変だ。

 そこへ来て今の状況となれば、予想外もいいところ。

 我慢大会になりそうな予感を抱きつつ、それも幸せな試練だと、肌寒そうなリリーを少しでも温めたくて肩を抱きしめた。

 リリーの瞳が不意にこちらを見上げる。

「ラピスさんはどうして魔法をかけられてしまったの?」

 当然の問いかけだった。

 いつか聞かれるだろうと思っていたが、隠す必要もないだろう。

 私は古い昔話を紐解くことにした。

「心から愛する人と結ばれたいと願ったからだよ」

 そう告げれば彼女瞳はみるみるうちに丸く見開かれる。

「かつて私にはまだ思い人もなく、愛や恋というものがどんなものか分からなかった。そこへ結婚を申し込まれたが、とても乗り気になれず丁重に断りを入れた。それが相手の気持ちを逆なでしてしまったらしい。ある日魔女が現れて、突然魔法をかけられたんだ。この城ごと、魔法が解けるまで永遠に苦しむがいいと言ってね」

 この城は私の檻。

 醜い獣の姿で永久を生き、苦しむための場所。

 城を明るく飾っていた天使の彫刻や天井画は全て悪魔や魔物に変わった。

 壁に這っていた緑の蔦は、触れた者全てを傷つける茨に変わり、辺りの森は悪霊がさまよう朽ちた森に変化してしまった。

 来訪者を遠ざけるためではない。

 私を世界から隔離するためだ。

 そうである以上希望など持てるはずもなかった。

 本当は諦めていたのだ。

 元に戻ることも、ただ長らえるだけの寿命を終えることも。

 淡々と過ぎていく日々を、もう長い間過ごしていたから。

「けれど、君が来た。本当は飛び跳ねるほど嬉しかったんだ」

「本当?」

「もちろん。だから懸命に恐ろしい野獣を演じたけれど、冷酷無比な姿を貫くことは出来なかった。君を傷付けたくなかった。絶望した顔を見た途端、後悔したよ。例え君のお父さんのアイディアだとしても、言う通りにするべきじゃなかったと」

 私と同じ絶望感など、抱かせてはいけなかったんだ。

 それからはどうすればリリーの心を癒すことができるか必死だった。

 今までにないほど。

 初めて微笑んでくれた時は本当に嬉しかったんだ。

 しかもリリーは自ら魔法を解こうとしてくれた。

 だから希望が持てたんだ。

 もしかしたら、と。

 でもね、君はこのままで幸せかい?

 元から自由の身なのに、魔法が解けるまでここにいることが君の幸せなのか?

 私はまた間違えようとしているんじゃないのか?

 大切な人を巻き添えにしようとしている。

 そんな身勝手な思いは本当の愛とは違う。

 …だから。

「リリー、一つだけ正直に答えて欲しい」

「え?」

「家に帰りたいと思うか?」

 解けるかどうかわからない魔法のためにここに残るより、君を思う父親の元に、生まれ育った街に戻った方が幸せなんじゃないのか…?

 口にした途端胸が締め付けられて、思わず彼女を抱きしめる腕に力が入ってしまう。

 これでは引き止めているのと同じだ。

 彼女を解放したいのに。

 いつまでリリーの優しさに甘えるつもりなのだ、この体も心も。

 早くも後悔の念で一杯になる。

 が、不意に彼女の細い指先が私の頬に触れた。

 くるりとした瞳が真っ直ぐこちらを捉えている。

「私、帰らない」

 きっぱりと、そう言った。

 一瞬耳を疑う。

 帰らない?

 その時の私はよほど間の抜けた顔をしたのだろう。

 リリーはクスクス笑って私を見つめた。

「だって私はあなたの希望でしょう?それなら魔法を解くまでここにいる」

「しかし」

「お父さんだって私が家に戻ることを望んでいないわ。あの家から離すためにわざわざラピスさんを巻き込んでひと芝居打ったのよ?そこまでしてもらったのに、途中で放り出して家に戻るのなんて嫌よ。…でも」

「リリー?」

「お父さんには会いたい、かな」

 少し寂しげにそう告げた。

 たった一人の肉親だ、会いたくないはずがない。

 それならばと、ヴィスコンティを呼んであるものを持ってきてもらう。

 星空を映し出すそれは、ガラスで出来た大きめの手鏡。

「見たいものを願って鏡を見るとそれが映る。魔法の鏡だ」

「魔法の、鏡…?」

「私と外界を結ぶ唯一の道具だ。願いを言ってごらん」

 そう促すと戸惑いながらリリーは鏡を受け取り

「お願い、お父さんに会わせて」

 躊躇いがちに口を開いた。

 鏡は淡い光を放ち、次の瞬間、そこには思いも寄らない光景が映しだされていた。

 寝室に置かれた簡素なベッドの上、苦しげな呼吸を繰り返し横たわる、彼女の父親。

「う、そ…お父さん…お父さん…!?」

”リリー…”

「嘘、嘘でしょう?お父さん!私はここよ、ここにいる!ね、返事をして!」

”すまない…リリー”

「どうして?何でそんな姿になってるの?ね、お父さん!!」

「リリー、君の声は聞こえない。多分うわ言だ」

「そんな…お父さん、あんなに元気だったのに。どうして?一体何があったっていうの…?」

 ひどく取り乱すリリーを宥めるように抱きしめれば、彼女の頬を伝う涙がこぼれ落ちてくる。

 それを指でそっと拭ってやりながら、髪をなでた。

 あの継母の正体を知らないリリーには想像もつかないだろう。

 けれど私は知っている。

 どうすれば彼を助けられるかも、様子を見れば大体分かる。

 私に出来ることは、ひとつだけ。

「リリー、今すぐ支度をして家に戻りなさい。彼を助けられるのは君だけだ」

「でも」

「大丈夫。私も手伝うから。城にある解毒剤を持っていくといい。それから、これも」

「えっ」

 彼女の手に手鏡をしっかりと握らせた。

 唯一私とリリーをつなぐもの。

 きっともう二度と会えなくなる。

 それでも今を逃せば絶対に後悔する。

 だから。

「お父さんを助けてあげるんだ。君ならできる」

「うん。助けたら、必ず帰ってくるから。だから待っててくれる?」

「もちろん、ずっと待っているよ」

「ありがとう、ラピスさん!」

 ぎゅっと抱きつく彼女をしっかり抱きしめて、それからそっと解放する。

 ずっと待っている。

 魔法が、呪いが完成すれば恐らくこの城は全てのものから私を隔離するだろう。

 それでも、それでも。

「シシリエンヌ!すぐにリリーの支度を!ヴィスコンティは解毒剤と馬を用意してくれ!」

 二人に告げて私はリリーの背を押した。

 何か言いたげな瞳が振り向くけれど、引き留めはしない。

 そうして支度の整ったリリーはすぐに城を飛び出していった。

 窓から見えるのは遠ざかる小さな背中。


 …これほど、苦しい想いがあるとは思わなかった。

 人を愛することが、こんなに切ないものだと思わなかった。

 けれどはっきり分かったことがあるんだ。

 リリー。

 君のおかげで私は幸せだったよ。

 共に過ごした温かな時間を、ずっと胸に生きていける。

 永久の苦しみを抱くことになっても、君との思い出があれば大丈夫。

 リリー…。

 最後に一言、告げたかった。

 許されるのならば、ひとつだけ。


 愛していると…。







 続く

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