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My Sweet Beast  作者: 柚木エレ
本編
6/12

Vol.6


 ギャラリーを兼ねた廊下の端には、展示物をゆっくり眺められるよう大きなソファがしつらえてある。

 深いエンジ色のビロードでカバーされた、クッションの良いものだ。

 ほんの少し腰掛けただけで体がグッと沈み込む。

 油断すると後ろへひっくり返りそうになるのを、ラピスさんはそっと支えてくれた。

 腹筋に力を入れて前かがみの姿勢を保ちながら彼の方へ向き直ると、ふわりとした獣の手が私の手を引いてくれた。

 これで腹筋の力を緩めても、ひっくり返らないで済む。

 彼の手はほんわか温かい。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 さりげなくこういう事してくれちゃうところがニクイっていうか、何だか照れくさいというか。

 あくまでも自然にやってのけちゃうしね。

 頬が熱くなっちゃうのは私だけなんだもの、ちょっとクヤシイ。

 だけどそんな気持ちを表に出すのはもっと恥ずかしいから、私も気にしないふりで手を引いていてもらうことにする。

 聞きたいことがたくさんあるんだから。

「ねえラピスさん、どうして口調を変えてたの?それに「そなた」なんて呼んだりして」

「少しでも威厳がある方がいいと言われたからだ。気さくな話し方ではちっとも怖くないと言われたよ」

 妙なアドバイスをしたのは間違いなくお父さんね。

 本来のラピスさんは心地よいテナーで、語りかけるように話をしてくれる。

 堅苦しさも気難しさもないし、荒々しさなんてもってのほか。

 最初からこの調子で話をされたら、私もきっと怖がる必要なんてなかった。

 いや、外見だけを見ればやっぱり怖がったかもしれないけど、多分話しているうちに「何か違う」と思っただろう。

 お父さんは私がそう思うことを知っていたんだ。

 だから怖がらせるために演技をさせたのね。

 自分も最高に怯える演技をした上で。

「一体お父さんとどんな話をしたの?あの手紙の文章もお父さんが考えたんでしょう?」

 言えばギクリ、彼の表情が強ばる。

「あんな悪党めいたセリフ、あなたには似合わない」

「そ、そうか?」

 気まずそうでいて嬉しそうな、複雑な表情を浮かべた。

 そんな仕草はイエスって言ってるのと同じ。

 今まで彼を「人食い野獣」なんて言いふらした人ははっきり言って大馬鹿だわ。

 彼が本当は優しい人だってこと、一晩も経たないうちに分かっちゃうのに。

「で、どうしてお父さんは囚われたふりを?」

 そう問いかけると、彼は急に真剣な表情に戻ってまっすぐこっちを見た。

「困ったな」

「え?」

「言わない約束なんだ」

「約束?」

「彼は私のことを他言しない。代わりに私も彼の事情は君に話さない」

「どういうこと?」

「彼の望みだよ。ただ、彼は君をあの家から解放したいと言っていた。そのためにはこうでもしないと君は彼を助けるためにあの家を出ないだろうからと」

 頭をガツンと殴られるくらいの衝撃だった。

 彼の口から語られたお父さんの思いは、予想もしていなかったから。

「私を、解放?」

「あのままだと君は一生継母たちにこき使われて、花咲く時期を何の楽しみもなく過ごしてしまうことになる。彼は君に自分自身の人生を送って欲しいと願っていたよ」

「自分の、人生を…」

「モンスターたちの言いなりになるしかなかった彼は、自分自身を責めていた。君を巻き添えにしてしまったから。彼は今でも君の亡くなったお母さんだけを愛しているんだよ。その思い出と君を守るために再婚した」

「何ですって…?」

 急激に怒りがこみ上げてくる。

 あの人はまさかお母さんと私を人質にしたの!?

 どうしてそんな…どうして…?

 感情が渦巻き始める。

 元から嫌いな人間に怒りを向けるのは簡単だ。

 憎しみだって楽に倍増される。

 無意識に握り締めた拳は爪が食い込んで血を滲ませていた。

「リリー」

 その手を、温かな手が解いていく。

「ラピスさん…?」

「いけない、自分を傷つけては」

「あ…」

「激しい怒りや憎しみは瞳を濁らせる。真実が見えなくなってしまうよ?」

 小さな子供をあやすように宥められればそれが尤もだと頷ける。

 昂った感情は思考を鈍らせるだけ。

 あの人の思うツボなんて絶対にごめんだ。

 だとしたら、今の私にできることは何?

 やらなきゃいけないことは?

「助かるならみんな一緒よ」

「うん?」

「あなたは魔法から、私とお父さんはあの人から。みんなが解放される方法を考えなくちゃ」

「…全てを叶えるのは難しいと思うが」

 碧い瞳が曇る。

 酷く悲しげな痛みが浮かんでいる。

 ラピスさんはきっと魔法は解けないと思ってる。

 長い間解けずにいるのだから無理もない。

 でもね、毒には必ず解毒剤があるのと同じ。

 どんな魔法だって絶対に解く方法があるはず。

 一人じゃどうにもならないことも、一緒ならどうにかなるものだから。

「きっと見つかるわ。元の姿に戻る方法が」

「…ああ」

 歯切れの悪い返事だ。

「どうしたの?ラピスさん」

「ん、いや…そうだな、リリーが言うなら見つかるかもしれないな、私が戻る方法も」

「うん」

 ラピスさんは不意に眉を顰めて、微苦笑を浮かべようとした。

 それは失敗して悲しげな顔になっていたけれど。

 どうしてそんな顔をするの?

 心に浮かぶ問いかけを、口にすることは出来ない。

 呼び止めることもできないまま、少し肩を落とした彼はそのままどこかへ立ち去っていった。

 寂しげな後ろ姿を残して。







 続く

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