Vol.4 闇夜の探検
住んでいた町の中央には噴水広場がある。
収穫祭に聖夜祭、季節ごとのお祭りが開かれる町一番の広場。
祭りの日には近隣の町や村からも人が集まり、広場は人の波に埋め尽くされる。
多分数百人以上の人が訪れるだろう。
そのくらい、広いと思うの。
でもね、ここは室内よ?
なのにどうしてこんなに広いのよーっ!!
と、心の中で叫んだ私は、どこぞの池か湖かと思うようなだだっ広いお風呂を独り占めして、とっても贅沢な入浴タイムを過ごした。
湯上りに用意されていたのはシルクの夜着と、何か動物の毛で作られたふかふかのガウン。
おかげで湯冷めすることなく部屋にたどり着けた。
部屋はシシリエンヌがすっかり整えてくれていて、ベッドの横にあるサイドテーブルの上には、心地よい眠りを誘うほんのり甘いホットミルクまで用意されていた。
室内の明かりはほとんどを消されているけれど、大きな窓から覗くまんまるの月が照らしてくれているおかげで、ちょうど良い明るさだ。
ぬくぬくしたベッドに潜り込んでも月が見える。
空には星が敷き詰められたかのように瞬いていて、静寂が広がる。
ふう、とついたため息が何だかひどく響く気がした。
お父さんはどうしているかしら。
無事に家までたどり着けたかしら。
あの人たちの我侭に振り回されていなければいいけど。
…なんて心配しても、もう届かない。
せめて私は無事だと伝えたい。
野獣さん、ううん、ラピスさんは私を食べるつもりはないって。
檻も必要ないし、このお城での生活も保証された。
今まで見たこともないような豪華な部屋とドレスに食事まで与えられて、薔薇が浮かんだお風呂まで入ったわ。
ベッドは天蓋付きのお姫様仕様だし、お世話をしてくれるメイドさんもいるのよ。
人形だけど。
初めて彼を見たときは絶望したけど、もうそんな気持ちもすっかり消えた。
ここまで大切に扱われたら、嫌な気分なんてしない。
疑問はたくさんあるけどね。
そう、考えれば考えるほど疑問はわく。
思い返せばあの手紙の文面とラピスさんが一致しないのもおかしいんだ。
あんなあからさまに悪党な文章で脅す人なのに、ことあるごとに私を気遣ってくれた。
ちょっとした仕草や言動から、彼は獣である自分の姿を気にしているようだし、何より動作の全てが上品だった。
本当に野獣か、と問えば「見ての通り」なんて答えたけど、今にして思えばちょっとはぐらかされた気もする。
この城の内装だって彼とはギャップがありすぎる。
おどろおどろしい悪魔より、天使のほうが似合うもの。
それにあのビスクドールたちの存在も、不思議極まりない。
普通じゃないわ。
「絶対何かある」
独り言をつぶやいて、完全に覚醒している体を起こした。
もう一度ガウンを羽織って、近くにあった燭台に火を灯す。
音を立てないように慎重にドアを開けると、そっと廊下に足を伸ばした。
やっぱり不気味だけど、女は度胸よ、いざ進め。
自分で自分を励ましながら、しんと静まり返った暗い廊下を歩き出す。
全神経を目の前に集中させながら辺りを見回すと、当然だけれど壁や天井の模様がぼんやり見えるだけ。
だから仕方なくどこまでどう続くか分からない廊下の先を進むことにした。
しばらく道なりに進むと、突然分かれ道に出た。
まっすぐ進むか、右の階段を上がるか。
ここまでいくつも角を曲がったから、微妙に方角が分からなくなっている。
窓もないから月の位置も確認できない。
城の外観も大きすぎて見えなかったから、この階段がどこへ繋がっているかなんて想像もできない。
さて、どうしようか。
と、迷っていた、その時だった。
ふっと背後に気配を感じてドキリと心臓が跳ね上がる。
直後、それがやけに近付いたのを感じた。
何!?
「ひゃ・・」
あ!!って、叫ぼうとした私の口は、大きなもふもふしたものに塞がれた。
声と空気を一瞬にして押さえ込まれる。
燭台を握ったままだったのは奇跡だ。
瞬間的にパニックになったけれど、見知った瞳を見た途端急激に冷静さが戻ってくる。
大人しくなった私に安堵したのか彼はそっと手を離してくれた。
「ラピスさん?」
「いかにも。こんな夜中にどうした?そなたの部屋はずいぶん遠くにあるぞ?」
「…あ、あは」
正直に言ったら怒られちゃうかしら。
笑って誤魔化してみるけれど、ラピスさんは動じない。
「眠れずに探検ごっこか?」
あらら。バレていたのね。
「ごめんなさい」
観念して頭を下げる。
と、ふわり、肩に何かかけられた。
顔を上げると鼻の頭をちょいっと指で突かれる。
いたずらした子供をたしなめるみたいに。
「そんな薄着では風邪をひく。眠くなるまで案内してやるから、それを着ておきなさい」
そう言うと、ラピスさんはくるりと背中を向けて歩きだした。
え、え、え?
「あ、待って」
慌てて彼の後ろを歩いていく。
案内って?
彼はいつの間にか私の手から燭台を受け取って、先を照らしながら階段を上がり始めた。
どこへ行くのかしら。
こうして行き先も分からない夜のお城探検が始まった。
階段を上がってすぐの廊下はギャラリーのようだった。
等間隔に肖像画や風景画が飾られている。
少し進むと芸術品と呼ばれるたぐいの宝飾品がガラスケースに収められている。
一つ一つに簡単な説明を加えて、ラピスさんは明かりで照らしてくれる。
その中の一つ。
やたらと目を引く美男子の肖像画がある。
不意に私は足を止めてそれを見上げた。
「リリー?」
「あ…」
「気になるか?その絵が」
「はい。とっても気品溢れる素敵な方ですね…」
思わずほうっと息を着くと、なぜかラピスさんのしっぽが大きく揺れた。
ん?
どうしたんだろう。
そう思ったけど、ラピスさんはすぐ
「次の場所へ案内しよう」
と口早に告げて立ち去ってしまった。
私もそれにつられて足を動かすけれど、目の端にある文字が映った。
「ル?ラ?」
肖像画の下に金色の絵の具で何かが書かれていたのだ。
あれは多分名前。
作者の名前か、それとも肖像画の彼の名前か。
どちらにしてもこの暗がりでは、咄嗟に読み取るのは難しい。
なぜかもっと眺めていたくなる絵だったけれど、遠ざかってしまったラピスさんの背中を追いかけることにした。
ラピスさんはまだしっぽを大きく揺らしている。
そうして彼に導かれてたどり着いたのは、大きな真紅の薔薇が咲く小さな部屋だった。
「この薔薇は?」
「魔法の薔薇だ」
言われてみれば、薔薇は鉢植えにされることもなくガラスケースの中でふわふわ浮いている。
魔法?
「全ては魔法なのだ。この薔薇も、私たちの世話をしてくれる人形たちも、何もかも…この城にも魔法がかかっている」
少しだけ忌々しそうだ。
つまりこの城にかけられたらしい魔法は悪い魔法なのだろう。
彼にとっては。
そして全てが魔法なら、ビスクドールたちが喋ったり動いたりするのも納得できる。
もしかしたらこのお城が隅々までピカピカなのも魔法が関係しているのかもしれない。
だってたった二人の人形とラピスさんだけでは、このお城をここまでキレイにするのは無理だもの。
例え全てに魔法がかかっていても…ん?
そこまで考えてふと気付く。
何もかも魔法がかかっているなら、まさか、彼も…?
「ラピスさん、あなたにも魔法が?」
問えば、ピクリと彼の耳が動いた。
しかしすぐに彼は私の頭に大きな手をおいて、優しく髪を撫でる。
「リリー、これはきっと夢だ。考える事が好きな君の、夢の中の話だよ。さあ、もうベッドへ入っておやすみ」
私の小さな体は瞬時抱き上げられて、そのままどこかへ連れて行かれる。
「ラピスさん」
呼びかけても彼はもう答えてくれない。
その代わり。
笑顔をくれた。
泣いているのかと一瞬ドキリとするような、切ない笑顔を。
続く