Vol.10 魔女
久しぶりに見る我が家は何だか小さく見えた。
急いで馬を降りると玄関に駆け寄る。
慌てているせいか足がもつれそう。
うまく動かない体を必死で動かして、小さなドアを勢い良く押し開ける。
「お父さん!!」
声が、奇妙にこだました。
家具一切が消え失せた居間。
食器も調理器具もホウキもない。
火の消えた暖炉は灰だけがこんもり積もっていて、およそ人の住んでいる家とは思えなかった。
「…お父さん?」
衣擦れの音一つしない。
一歩歩くたびにホコリが小さく舞う。
いくつかある部屋を全て探すけれど、どこもがらんどうになっていて、廃屋のよう。
そして最後の扉に近付いた時だった。
「…リー…」
微かに呻く声がする。
「お父さん!?」
ぐっとドアを開けて愕然とした。
「どうして、こんな…」
げっそりやせ細った体は骨と皮だけで、髪も真っ白になっていた。
目を開けようにも力が入らないらしい。
それでも何とか腕を動かして、骨ばった手が私を探していた。
「リリー」
「お父さん、私。ここにいるよ。帰ってきたの」
「かえ、って、きたのか…なぜ…」
「魔法の鏡で見たの。お父さんが苦しんでる姿を。だから」
「げ、なさい」
「え?」
「にげ、な、さい」
「逃げる?」
どうして?
「魔女が、お前を…ころ、そ…とし、ている」
「え…?」
「ユリアーナに、そっくりの、お前を…」
そう言ったお父さんの枕元には割れたフォトスタンドがあった。
私たち家族の写真。
幼い頃、まだユリアーナ母さんが生きていた頃の、三人の写真。
つまり「あの人」は、お母さんに嫉妬したっていうの?
だから似ている私を殺す?
「お父さん、わかったわ。でも逃げるなら一緒よ」
「リリー…」
「これを飲んで。ラピスさんがくれた解毒剤よ。これをくれたってことは、お父さんは毒を盛られたのね?」
そっと上半身を起こして、小瓶に入った液体を少しずつ飲ませていく。
お父さんは苦味に顔を顰めたけれど、抵抗することなく全てを飲み干してくれた。
即効性があるらしいそれのおかげで数分後にはお父さんの呼吸も落ち着き始めた。
「ラピスさんから聞いたわ。お父さんが再婚したのは私とお母さんとの思い出を守るためだった、って」
「そうか…。彼の言う通りだよ。そうしなければ彼女は幼いリリーを殺すと言った。さらに私たちの記憶からユリアーナとの思い出も消し去るとね」
「あの頃からずっとどうして再婚したのか疑問だったけど、ようやく全てつながった。ありがとうお父さん」
「お礼を言われる資格はない。父さんのせいでリリーを巻き込んでしまったんだ」
「ううん、お父さんは悪くない。でも、どうしてあの人はお父さんと結婚を?」
「歪んだ愛情、いや、執着と言った方が正しいんだろうな。若い頃、街に出稼ぎに行っていた時に見初められたらしいが、私には既にユリアーナがいた。実はユリアーナは聖女の血を引いていたから、彼女は手出しできなかったようだ。だからユリアーナが亡くなったのをいいことに、私たちに接近してきたんだ」
「じゃあお母さんも聖女だったの?」
「ああ。しかしユリアーナはほのぼのした性格とは反対に、教会で大人しくしている質ではなかったから、私と結婚して街を出たわけだが」
聖女とは代々神の加護を受け、聖なる力で守護されるという「巫女」のような存在だ。
ということは、そんなお母さんに手を出せなかった「あの人」は邪悪な存在…。
しかもお父さんを脅して結婚したってことでしょう?
お母さんとの思い出を消すこともできるなんて、まるで魔法つか…え?
「まさかあの人、魔女なの?」
その問いかけに、お父さんは静かに頷いた。
合点がいく。
ついでに言うならもう一つ理解ったことがある。
邪悪な力を操るのなら、それは魔法であって魔法じゃない。
まるで異質なもの。
「ラピスさんを野獣にしたのは呪いの力だったんだ…。だとしたら、その魔女は…?」
「魔女は魔力を持っている。殺されない限り数百年生きられるそうだ」
「数百年!?じゃああの人うん百歳ってこと!?」
それでお父さんを見初めたって?
どんだけショタコンなのよ!!
別の方向でツッコミを入れたくなる。
「ちなみに彼女の母親は、ユリアーナの5代前の先祖に負けたそうだ」
「え?」
「もちろん、恋愛で」
「はぁ!?」
「因縁というやつだな」
いやいや、冷静に言われても困ります。
非常に迷惑な話だ。
それとこれとは別だろうに。
性悪魔女親子め。
と、心の中で悪態をつくと
「リリー、随分と体も楽になってきた。今すぐここを離れよう」
お父さんはベッドから起き出して、さっと支度を済ませていた。
ああそうだった。
殺されるから逃げろって言われてたんだっけ。
私も慌てて用意する。
と言っても持ち物なんてお城を出た時に持ってきたショルダーバッグ一つだけど。
あの人ってば私の持ち物も全部処分したのね。
腹立たしいけど仕方ない。
命の方が大切だもの。
お父さんは枕元にあったフォトスタンドから写真を取り出し、大事そうに胸元にしまいこんだ。
そしてしっかりした足取りで部屋を出る。
私もそれに続いた。
とにかく急いでここを出なくちゃ。
足早に玄関へ向かう。
外にはラピスさんが貸してくれた馬がいる。
あれに乗ればすぐお城へたどり着けるだろう。
そう思った、直後。
「あーら、どこへ行こうっていうの?あなたたち」
ぐらりと黒い影が揺れる。
思わず目を閉じた。
嘘でしょう?どうして、このタイミングで現れるのよ…。
「逃げようとしても無駄よ。リリー、あなたよくも邪魔をしてくれるわね。どこの野獣だか知らないけど、とっくに喰われたと思っていたのに、のこのこ戻ってくるなんて。しかも解毒剤まで持って!」
「どこの野獣だか、ってあなたが彼をあんな姿にしたんでしょう!?」
「昔の事すぎてどの野獣のことだかさっぱり分からないわね」
「何ですって?」
「これでも私、優秀な魔女なの。おかげであの頃はあちこちの姫君から引っ張りだこでね。そうでなくとも私を侮辱する男どもが多かったから、片っ端から魔法をかけてやったわ。今頃どうしてるかしらね」
「魔法なんかじゃないわ。呪いよ!この人でなし!!」
「人でなし?痛くも痒くもないわね、そんな言葉。欲しいモノが手に入らないなら、どんな手段でも使うわ。それにね、思い通りにならないものなんていらないの。せいぜい苦しめばいいのよ。私を苦しめたんだもの、当然でしょ!?」
そう言って目を剥く姿は魔女というより化け物だ。
醜い心は容姿に現れる。
「…だからよ」
「何?」
「そんな醜い心をしてるから、誰もあなたを愛したりしないのよ」
「…何…?」
憎しみと怒りを込めたどす黒い感情が彼女を支配する。
ギッと睨みつけてくる視線は鈍い光を放って、鋭く私の心臓を射抜く。
何!?
微かな違和感を覚えて手を動かそうとした時だった。
動かない。
体が硬直してる。
何なのよ、これ…ッ。
「所詮は愚かな人間の戯言よね。残念だけど遊びはもうおしまい。さあ私の可愛い娘たち、この愚か者たちを閉じ込めて押しまい!!」
「「はあ~い」」
彼女の背後から飛び出してきた二人は軽々と私とお父さんの体を抱え上げた。
「っ!!」
声さえ出せずに抵抗もできない。
ドカドカと足音をさせながら連れて行かれたのは、敷地内にあった倉庫替わりの地下室。
そこへドサッと放り投げられる。
階段を転げ落ちたいせいで体中に痛みが走った。
ガタンッ
入口の格子戸が乱暴に締められる。
途端に動けるようになった体で入口まで駆け寄れば、あの人がこちらを見下ろしていた。
絶対零度の微笑みで。
「最後に一つ教えてあげるわ。もうすぐ町の人たちが野獣狩りに出かけるの」
「えっ!?」
「当然でしょう?野獣がいたらいつまでもみんな安心して眠れないもの。それにあなたに手を貸したりして、私を怒らせたんだもの。償ってもらわなきゃ。」
「ちょっと待ってよ!!彼は何もしてない!!野獣狩りなんて今すぐやめさせて!!」
「ふふふ、せいぜいそこで悔やむことね。飢え死ぬまでちょうどいい暇つぶしになるでしょう?」
そう言って、ダンッと入口を蹴り飛ばした。
「ちょっ、待って!!やめて!!やめてッ!!」
力任せにガンガン入口を叩きつけるけどビクともしない。
それでも必死に叩く私の手を、お父さんの大きな手が止めた。
「リリー!やめなさい!」
「お父さん!?」
「血が出てる。骨を折る気か?」
「でもっ」
「分かっている。彼を助けたいんだろう?」
「うん。だって約束したの、必ず戻るからって。彼の魔法を解いて、元の姿に戻すからって」
「そうか。なら急がなきゃな」
「…ふえ?」
不意に笑みを浮かべたお父さんに、思わず間抜けな声が出てしまった。
どういうこと?
首をかしげている間にお父さんは地下室の壁を手でなぞり始める。
「元々この部屋は緊急避難用に作っておいたんだ。ユリアーナは心配症でね、何故かやたらと秘密の抜け道を作りたがったんだよ」
「抜け道?」
「何しろ好奇心が旺盛で冒険記が大好きだったからね、ワクワクすることにとても喜ぶんだ。おかげで色々作ったよ」
「そ、う」
なんというか、二人の様子がすぐさま思い浮かんでしまう。
きっと無邪気なお母さんは、一生懸命喜ばせようと頑張るお父さんを見てさぞ嬉しかっただろう。
その様子を目の当たりにしていたら呆れてしまうかもしれないけど、本当に仲がよかったんだね。
何だかちょっと嬉しくなる。
「ああ、ここだ」
お父さんは壁の一部分をぐっと押した。
するとガーッという重い音がして壁が動き、小さな階段が現れた。
「行きなさい、リリー。この先は家の裏手につながっている。今から急げば間に合うだろう」
「うん!でもお父さんはどうするの?」
「まだ体が痺れているんだ。もうしばらくここで休んでから後を追うから。安心しなさい」
「分かった。先に行って、ラピスさん助けて待ってるから」
「ああ。気を付けて行くんだよ」
「はい!」
勢い良く頷いて私は走り出した。
続く