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藤原家の人々との日々

作者: WAIai
掲載日:2026/09/27

「ーただいま戻りました」

珠は御簾越しに伝えると、中にいた紫式部が声をかけてくる。

「あら、珠。どこに行ってましたの?」

「自分の邸です。ちゃんと伝えたと思うのですが…」

「そうなの? ごめんなさいね。夢中で書物を読んでいたものですから」

「紫式部様が謝ることはございません。珠が至らず、申し訳ございません」

「いいのよ。ほら、早く上がって」

「はい」

珠はそう言うと、御簾の中へ入る。

するとすぐに紫式部の娘ー賢子がやって来て、抱きついてくる。

「お帰り、珠」

「はい。ただいまですわ、賢子様」

珠は嬉しくなり、心から笑顔を浮かべると、賢子の頭を撫でてあげる。

「えへへ」

賢子は笑い、珠に質問してくる。

「これ、何を持っているの?」

「ああ、これは旬のものですよ」

「旬…? それって、何?」

賢子が聞くと、紫式部も興味があるのか、立ち上がってやって来る。

「まあ!! それは…」

「はい。柿と栗ですわ。紫式部様に召し上がってもらおうと思いまして。受領の父親が持たせてくれました」

珠は誇るように胸を張ると、紫式部がほほと笑う。

「いい形をしていて、艶がありますわ。これは彰子様も喜びそうですわね」

「え、彰子様に、ですか? うーん、どうしましょう。我が家の力で手に入れたものなので、下手なものではありませんが…」

「まず私どもが味見しますか? ー珠、よろしく」

「はい。栗は後でいいですか?」

「茹でなければなりませんものね。とりあえず柿だけいただきましょうか」

「わあ!! やったあ!!」

賢子がうさぎのように跳ねるのを微笑ましく見、珠は柿を剥こうと厨房へ向かおうとする。

すると琴の音が聞こえてきた。

「あれ、もしかしして…」

「この音は彰子様ですわ。鳥の鳴き声にも負けずに、美しい音。心が軽やかで、澄んだものになっていきますわ」

「そうですね。御上手です」

珠は耳に手を当てると、琴の音にしばらく集中する。

ー彰子様の御心が綺麗だから、琴の音もそれを表して、皆、笑顔になりますわ。

主人の紫式部はもちろん、その上にいらっしゃる中宮彰子は珠にとって雲の上の人だった。

紫式部にお供して、彰子のいる藤壺に訪れることもあるのだが、まともに顔を見たことがなかった。

ー声音が優しい御方なんですわ。正義感も強いですし。良い成長をなさっているとしか言えませんわ。

一条天皇との仲も睦まじいと聞くので、理想の夫婦像だった。

紫式部は夫を早くに亡くしているので、娘の賢子といる姿が多く見られる。

珠は賢子のことを、妹のように思っており、一緒に遊んだり、いたずらしたりと、仲が良かった。

「…あれ。笛の音が」

「あら、本当ですわ」

紫式部が手を合わせ、目を輝かせる。

誰の音色かすぐに分かったようだった。

「紫式部様、笛の音を奏でているのは、もしかして…?」

「ふふ。一人しかおりませんわ」

笛の音は琴の音と相まって、秋晴れの空へと上がっていく。

皆、つられたように空を眺め、その眩しさに目を細める。

鳥が歌うように過ごしていき、笛と琴の音はぴったりと息が合っており、離れそうになかった。

「…笛の名手ですもの、一条天皇は」

「そうなんですか? …はあ、いいものを聞かせてもらっています」

ありがたや、ありがたやと珠は手を合わせ、こすりつける。

十歳の賢子がその真似をし、紫式部がにこやかに笑う。

「お二人の仲の良さが分かりますわ」

「そうですね。注がれている光は、二人だけのもののように、美しく輝いています」

「あら、珠も美しく表現できるようになりましたわね。物語でも書いてみますか?」

「え…あの、その」

珠は紫式部に仕えながら、書き物の弟子だった。

まだ日記を書く程度の力しかないが、いずれは紫式部が手がける源氏物語みたいに、長編を書いてみたかった。

「あ、やんだ」

ふわりとした空は、一条天皇と彰子のようで、ゆらりと流れていく。

珠は紫式部と向き合うと、真面目に言う。

「私もいつかは物語が書きたいのですが、今は紫式部様の元で勉強させていただきたいですわ」

「そう? 私が家庭教師で役に立つかしら?」

「当然です!! 源氏物語、面白いですもの!!」

力強く言うと、賢子が嫌がる素振りをした。

「珠、痛い」

「あ、ごめんなさい、賢子様。…じゃあ、柿を剥いてきます」

「ええ。行ってらっしゃい」

珠が下がろうとすると、御簾の外から声がかかる。

「ーいい音だったね、紫式部」

「…そのお声は…」

来客の登場に、珠は膝をつこうとして止められる。

「いや、いい。そのままで」

「し、しかし…。…あ、あの、紫式部様、この御方は…?」

「あら、珠は初めてだったかしら?」

紫式部はそう言うと、その場に座り、手をつく。

「ー頼通様、いらっしゃいませ」

頼通、と珠は口にすると、やはり素早く頭を下げる、

藤原道長の長男で、将来は父親と同じく、政の中心になるともくされている人物だった。

ー噂には聞いていたけれど…。

賢子と手を繋ぎ、隅のほうへ行くと、紫式部が大丈夫と告げてくる。

「頼通様は温和で真面目な御方ですから」

「そうなのかい? 私のことを皆、そう思っているのかな?」

頼通の質問に、紫式部は「はい」としっかり答える。

「道長様の血を受け継がれている御方ですもの。将来は立派な采配をふるうと、皆がおっしゃっていますわ」

「そうか。それは嬉しいことだ」

ほほと頼通が笑い、裾で口元を隠す。

珠は緊張しているのだが、頼通の物腰は柔らかいようで、嫌な感じはしなかった。

「それで頼通様、今日はどんな御用で…?」

「いや、お姉様の元へ行こうと思っていたのだけれど、邪魔するわけにはいかないからね。野暮な男は近づくのをやめたというわけだ」

「まあ!! 野暮な男なんて…!! そんなことは言ってはいけませんわ」

紫式部がたしなめると、頼通はますます上機嫌になる。

「紫式部は? 今、忙しいの?」

「いいえ。今は休憩中ですわ。その、お供の者が旬のものを持ってきたので、くつろごうかと」

「旬のもの? 何だい?」

「柿と栗ですわ。彰子様に差し上げる前に、味見をしようと思ったところですの」

「なるほど。私も一口、いただいていいかな?」

「ー珠、柿を頼通様にお渡しなさいませ」

「は、はい…!!」

ざるから栗を避けると、御簾越しに差し出す。

頼通の姿を見ないように俯きながら下がると、明るい声がしてくる。

「いい形をした柿だね。これ、私がもらっても…?」

「頼通様がもらってくださいますの? それでしたら、もっとあったほうがいいと思いますが…。珠、柿はまだありますの?」

「あ、あります…!! 行って来ましょうか?」

「いや、これだけでいい。お姉様の口にも入れたいから、私が味見するよ。いいかな?」

「え…。その、もし渋かったら…」

「こら、珠。失礼ですわよ」

「は、はい…。申し訳ございません」

「いや、いい。無理を言っているのは、私だから。お姉様には私から、ちゃんと誰から受け取ったものか伝えておくから。いいね?」

「もちろんです」

「…柿、もうないの?」

「賢子様、しっ。また持って来ますから」

珠は賢子をたしなめると、彼女は静かにうなずく。

頼通はその光景を目にし、ほほと笑う。

「賢そうな娘だ。名は賢子というのか」

「はい。まだ十ですので、お許しくださいませ」

「いや、いい。…さて、そろそろお姉様のご機嫌うかがいに行ってもいいかな」

「そうですわね…。どうしましょうか」

一条天皇と彰子が抱き合っている姿が想像でき、珠としては後のほうがいいのではと思ってしまう。

ーでも、弟君だったらいいのかな…?

駆け引きややり取りは分からないが、紫式部をちらりと見れば、外の眩しさに目を細め、頼通に告げる。

「しばらくここにいらっしゃいますか? 物語などを読まれたりなさったりしてはいかがでしょう?」

「物語? 源氏物語ができたのかな?」

「まあ!! それでしたら、まだですわ。あと少し、何かが足りませんの。申し訳ございません」

紫式部が心から謝罪すると、頼通がよいと手を振る。

「楽しみにしているよ、いつも」

「ありがとうございます。期待に応えようと思いますわ」

二人はほほと笑うと、頼通が御簾から離れる。

「じゃあ柿はもらっていくから。そのお返しに、反物でも渡そうか?」

「いいえ。そんな高価なものはいただけませんわ。また私どもは後でいただけばいいだけですし」

紫式部が遠慮したので、珠ももったいないとばかりにうなずく。

「はは。じゃあ失礼するよ」

「はい。またお越しくださいませ」

紫式部が丁寧に言うと、頼通は機嫌良く去っていく。

足音が聞こえなくなるまで待つと、珠はふーと息を吐き出す。

「珠? どうなさいましたの?」

「どうなさいましたって…とても緊張しましたわ!! 私の柿でよろしかったのでしょうか?」

「こら。自分のものを卑下しないの。自信をもちなさい」

「は、はい」

珠は静かに言うと、紫式部が残った栗に触れてくる。

「大粒ね。美味しそうだわ」

「早速、茹でて来ましょうか?」

「そうね。お願い」

珠は頭を下げると、部屋を後にしたのだった。



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