再起
ドクン。
心臓が、不自然に跳ねた。
指先が止まる。
呼吸が、途中で引っかかる。
『……生きてるよね?』
たったそれだけの一文。
なのに。
視線が画面に縫い付けられる。
胸の奥が、ざわつく。
嫌なざわめきじゃない。
もっと、別の――
「……なんだよ……」
喉が乾く。
違和感。
既視感。
得体の知れない引っかかり。
名前を見る。
アイコンを見る。
文章を見る。
その全部が、妙に――
「……知ってる……?」
次の瞬間。
――ズキン。
頭の奥で、鈍い痛みが爆ぜた。
「……っ……」
視界が揺れる。
部屋が歪む。
スマホの画面が、にじむ。
「……なんだ……これ……」
痛みじゃない。
圧迫感。
記憶の奥底を、無理やりこじ開けられる感覚。
――やめろ。
反射的に拒絶する。
だが、止まらない。
◆
白い壁。
蛍光灯の冷たい光。
小さな相談室。
机の上に置かれたパソコン。
マグカップの底に残った冷めたコーヒー。
疲れた顔の男が、椅子に座っている。
無精髭。
くたびれたシャツ。
四十三歳の、俺。
「……あ……」
理解が追いつかない。
だが、記憶は容赦なく流れ込んでくる。
電話の着信音。
静かな振動。
画面に表示される文字。
『相談受付』
息が止まる。
喉が、強く締め付けられる。
――自殺相談センター。
受話器を取る。
「はい……こちら――」
低い声。
間違いなく俺の声。
ノイズ混じりの、向こう側の沈黙。
微かな呼吸音。
震える気配。
「……どうされましたか?」
できるだけ穏やかに。
できるだけ優しく。
いつもそうだった。
それが仕事だった。
そして。
あの声。
小さく。
か細く。
壊れそうな。
『……あの……』
「…………」
『……死にたいんです』
何百回も聞いたはずの言葉。
なのに、あの時だけ。
異様に、重かった。
『……もう……無理で……』
「…………」
蘇る。
鮮明すぎる。
震える声。
押し殺した嗚咽。
言葉の端々に滲む絶望。
「……落ち着いてください」
機械的じゃない。
本気だった。
あの時の俺は、確かに。
本気で。
『……学校が……』
教室。
視線。
笑い声。
無視。
暴言。
孤立。
断片的に語られる現実。
『……誰にも……言えなくて……』
胸の奥が、締め付けられる。
『……名前……聞かれますか……?』
「……無理に言わなくていいですよ」
そう言ったはずだ。
いつもそう言っていた。
無理に言わなくていいですよ。
落ち着いてください。
俺の癖みたいな言葉。
だが。
『……相沢……みずき……』
――ドクン。
鼓動が、強く鳴った。
◆
ベッドの上。
女子高生の身体。
スマホを握る細い手。
だが、思考は完全に過去へ引きずり込まれていた。
「……相沢……みずき……」
乾いた声。
震える唇。
全部、繋がる。
違和感。
名前。
この感情。
この悪夢。
「……お前……」
喉が詰まる。
「……お前だったのか……」
胸の奥で、何かが崩れ落ちた。
◆
思い出す。
あの夜。
長時間の通話。
必死に言葉を探した自分。
『……ごめんなさい』
彼女の声。
『……ありがとうございました』
最後の言葉。
通話終了。
沈黙。
そして、翌日から続けたチャット相談。
視界が滲む。
呼吸が乱れる。
「……助けられなかったのか、俺は」
だが。
「…………」
今。
この感情。
この絶望。
この身体の拒絶。
「……いや。まだ……終わってなかったのか」
震える声。
押し殺せない感情。
◆
スマホの画面。
『みずき、大丈夫?』
「…………」
理解する。
はっきりと。
容赦なく。
「……俺だ……」
喉の奥が、強く震える。
「……これ……俺の文章だ……」
言葉の癖。
文の呼吸。
いつも最後に付ける「無理に言わなくていいですよ」の距離感。
全部、間違いなく――
「……俺じゃねぇか……」
背筋が、凍りついた。
◆
なぜ忘れていたのか。
そんなことは、わからない。
わかるのは、ただひとつ。
俺は。もう一度。
この子の人生に関わっている。
偶然じゃない。
逃げ場のない事実。
◆
胸の奥で。
ゆっくりと。
だが、確実に。
ひとつの感情が形を取る。
罪悪感。
後悔。
そして――
決意。
「……ふざけんなよ……」
かすれた声。
だが、芯だけは異様に硬い。
「……こんなの……」
スマホを強く握りしめる。
白い指が震える。
送信ボタンに、指が触れそうで――触れられない。
一瞬の迷い。
「今、俺が返信したら……彼女はどう思う?」
胸の奥で、もうひとりの鼓動が、微かに揺れた。
「……見捨てられるわけねぇだろ……」
震えながら。
決意が、静かに。
だが、確実に。
胸の奥で、もうひとりの鼓動が、少しだけ強く、応えた。




