衰弱
「……あ……」
喉から漏れた声が、弱々しくて、自分でも情けなくなる。
世界が遠い。
目の前の男の口がまだ動いているのに、言葉が意味を成さない。
「……あ……」
視界の端が暗くなる。
血の気が引く。
立っていられない。
壁に手をつく。
細い指。
白い手。
他人の身体。
「……大丈夫?」
男の声が、ようやく届く。
「顔色……」
「……いえ……」
声が震える。
掠れる。
息がうまく吸えない。
「……すみません……」
逃げるように頭を下げて、その場を離れる。
廊下。
エレベーター。
揺れているのは、俺の身体だ。
◆
外気。
冷たい風が肺に刺さる。
なのに、息苦しさは消えない。
「……くそ……」
頭がぐちゃぐちゃ。
俺は死んだ。
確定。
否定できない。
「……じゃあ……俺って、何なんだよ……」
女子高生の姿で、生きている。
意味がわからない。
考えれば考えるほど、思考が滑る。
帰る。
とにかく帰る。
“あの家”じゃない。
今の家。
「……相沢みずき、の家……」
言葉にすると、奇妙な感覚。
他人の人生を、なぞっている。
でも、今はそこしか居場所がない。
◆
駅前。
人の流れ。
夕方のざわめき。
その中で。
ふと、視界に引っかかる色。
「……あ……」
改札の向こう。
同じセーラー服。
スカート。
笑いながら歩く、数人の女子高生。
「…………」
瞬間、心臓が異常な跳ね方をする。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
音がうるさい。
視界が狭まる。
胸の奥が、ざわめく。
――やだ。
声。
はっきり。
――見ないで。
「……お前……」
――無理……無理……無理……
感情が、洪水みたいに流れ込む。
拒絶。
恐怖。
絶望。
吐き気。
視界が歪む。
足元が揺れる。
「……っ……!」
胃がひっくり返る。
喉の奥が焼ける。
「……うっ……」
膝が崩れて、その場にしゃがみ込む。
スカートの裾が地面に触れて、冷たい。
細い腕が震える。
頭の中に、映像が弾ける。
廊下のざわめき。
無数の視線。
机の端を叩く音。
冷たい笑い声。
『キモ』
『調子乗んな』
『いなくなればいいのに』
「……やめろ……」
俺の記憶じゃない。
なのに、胸が抉られるように痛い。
――嫌……嫌……嫌……
「……くそ……っ……」
吐き気が限界を超える。
「……うっ……!」
歩道の端で、胃の中身を吐き出す。
涙が滲む。
止まらない。
俺の意思じゃない。
彼女の恐怖。
彼女の拒絶。
彼女の絶望。
「……はぁ……はぁ……」
身体が動かない。
力が入らない。
世界がぐにゃぐにゃ。
◆
「――大丈夫?!」
女の声。
現実に戻る。
顔を上げる。
制服姿の女性。
婦警。
心配そうな目。
「……え……」
言葉が出ない。
「顔色、真っ青よ」
腕を支えられる。
温かい。
現実の温度。
「立てる?」
「……すみ……ません……」
情けない声。
完全に弱り切った、女子高生のそれ。
「……ちょっと横になりましょう」
抵抗する余力はなかった。
◆
警察署。
椅子。
白い壁。
消毒液の匂い。
「……」
ぼんやり座る。
頭が重い。
身体が鉛みたい。
婦警が優しく声をかける。
「お母さん、呼んだからね」
「…………」
母親。
あの女性。
胸が、妙にざわつく。
◆
バタバタという足音。
ドアが開く。
「みずき!!」
顔色が悪い。
息が荒い。
次の瞬間、強く抱きしめられる。
「よかった……!」
震えている。
身体ごと。
胸の柔らかい感触が、俺のものだって実感して、余計に惨めになる。
「……本当に……」
嗚咽。
押し殺せていない涙。
「……ごめんなさい……」
自然に漏れる言葉。
俺の言葉か。
彼女の言葉か。
もう、区別がつかない。
「……ごめんなさい……」
「……いいの……いいのよ……」
背中を撫でられる。
温かい手。
「……生きててくれれば……」
その言葉が、深く刺さる。
俺は死んでるのに。
この身体は、生きてる。
◆
自宅。
静かなリビング。
「……」
ソファに座る。
毛布。
湯気の立つお茶。
母親が何度も様子を伺う。
「……大丈夫?」
「……うん……」
少女の声。
弱々しい。
「……今日は、もう休みなさい」
「……うん……」
◆
部屋。
静寂。
ベッド。
スマホ。
「……」
手に取る。
画面を開く。
ニュースアプリ。
無意識に指が動く。
目に飛び込んできた文字。
『横断歩道で男性はねられ死亡』
「…………」
喉が乾く。
震える指。
記事を開く。
写真。
見覚えのある交差点。
本文。
『会社員・相沢みずきさん(43)が、トラックの衝突により……』
――ドクン。
世界が。
静かに。
音を失った。




