7.止まったままの時計
ルフランの柱時計は、澪が店に入った瞬間、ちょうど午後三時を告げた。あの日と同じ音、同じ光景。けれど、澪の心は以前とは少し違っていた。
彼が生きている——その可能性が見えた今、過去ではなく“今”を追いかけたいと、そう思った。
席につき、アイスコーヒーを頼むと、マスターが静かに言った。
「この前、来てたよ。君と同じ時間に。黒い帽子をかぶってた青年。」
澪の指がピクリと動く。
「いつですか?」
「二日前。声はかけなかったけど、君の席を見てた。すぐに帰ってしまったけど。」
鼓動が速くなる。遼は、ここに来ていた。自分のすぐ近くまで。
「……何か、残していきませんでしたか?」
マスターは一瞬考えた後、カウンターの奥から封筒を差し出した。今度の封筒は、少し折れた角と、にじんだインクがあった。雨に濡れた形跡。
澪はその場で封を切った。中には短い手紙、そして小さな写真。
> 澪へ
君の笑顔が、どんな薬よりも僕を生かした。
でも、君の涙は、僕の中の時間を止めてしまう。
僕のことを探さないで。
君は前を向いて、ちゃんと生きてほしい。
あの夜の約束を、僕はずっと覚えていた。
でも、君には、もっと明るい未来があるから。
写真には、二人で並んで笑った海辺の防波堤が写っていた。見覚えのある風景。誰かに撮られたものではなく、セルフタイマーで撮ったものだ。
その瞬間の自分の笑顔が、まるで他人のように見えて、澪は息をのんだ。
「遼……そんな顔、させたかったんじゃない……」
澪は、手紙を胸に当てて目を閉じた。
止まったままの時計——それは、きっと遼の中にあったのだ。
時が止まることを恐れて、彼は距離を取った。でもその中でも、澪を何度も思い出し、想い、言葉を遺した。
それは、“さよなら”ではなく、“ありがとう”だった。
それでも、澪の中で何かが叫んでいた。
——これで終わりにしたくない。