6.閉ざされた声
潮風が冷たくなり始めた頃、澪は防波堤に腰を下ろしたまま、動けずにいた。空はもう星を隠し始めているというのに、心だけがあの夕暮れに取り残されたままだった。
「遼……」
彼の名前を呼んでも、答える声はない。聞こえてくるのは波の音だけ。カーディガンを抱きしめると、そこにわずかに残るぬくもりが、余計に切なかった。
帰りの電車はもうない。だが今夜だけは、この海と彼の痕跡に包まれていたかった。
それでも澪の中には、まだ確かな疑問があった。
——なぜ彼は、こんなにも丁寧に痕跡を残すのか。
まるで宝探しのように。一つ一つ、澪が過去を辿るように仕向けながら、けれど決して姿は現さない。
その矛盾が、澪の心を締めつける。
翌朝。小さなバスに乗って、澪は町を離れた。もう遼がここにいるとは思えなかった。それでも、この場所でひと晩過ごしたことで、何かが変わった気がした。
——受け止めるって、約束したじゃない。
その言葉を胸に繰り返す。
数日後、澪は大学の図書室で、ふとある新聞記事を見つけた。2ヶ月ほど前の地方紙。小さなベタ記事の片隅に、見覚えのある名前。
「篠原遼さん、都内の病院にて休養中。公的には詳細非公開。」
目が霞んだ。休養。病院。詳細非公開。
まさか——そういうことだったのか。
遼は何かの病気を抱えていた。それを、自分には隠していた。だから、「隣にいる資格がない」と、あの日の手紙に書いたのだ。
でも、どうして打ち明けてくれなかったの?
その夜、澪はすべての手紙とメモを広げ、机に並べた。繋がりのなかった言葉たちが、一本の線を描き始める。
「ちゃんと話すよ」「隠し事なしで」「まだ言えてないことがある」
彼は——自分の病を、最後の最後まで、言えなかった。
声に出してしまえば、現実になるから。きっとそれを恐れたのだ。
けれどそれでも、彼は澪に会いたかった。だから、言葉を遺した。痕跡を残した。
それは、届くかもわからない、たったひとつの祈り。
——声を閉ざしながら、彼は澪を探し続けていたのだ。