3.彼の影を追う
夜の帳がすっかり下りた部屋の中で、澪は机に肘をつき、封を切らぬ手紙を見つめ続けていた。照明の淡い灯りに照らされた白い封筒は、そこにあるだけで空気を重くする。
「まだ、言えていないことがある。」
あの紙片の言葉が脳裏にこびりついて離れない。それは彼が自分に残した“続き”なのか、それともただの偶然の悪戯なのか。
その夜、澪は夢を見た。春の光が差し込む喫茶店。そこに遼がいる。窓の外を眩しそうに見つめながら、少し疲れた顔で言う。
「澪、ごめん。全部、話す前に——」
そこで目が覚めた。時計は午前4時を指していた。手の中には、無意識に握りしめていた封筒。息が詰まりそうだった。まるで、彼が夢の中で続きを伝えようとしていたようで。
その日、澪は珍しく大学のゼミを休んだ。足が向かったのは、あの小さな書店。もしかしたら——あのメモと同じように、何かが残されているかもしれない。
誰もいない午前の店内。澪は遼がよく立ち寄っていた棚の前に立つ。小説の背表紙をなぞりながら、ゆっくりと指先で隙間を探っていく。
そのとき、二冊の文庫のあいだに、何かが挟まれているのを見つけた。黄ばんだ映画の半券。そして、裏にはまたしてもあの文字でこう書かれていた。
「思い出せる? 二年前のあの夜。」
澪の胸に、一つの記憶がよみがえった。夏の夜、雨に濡れながら観たあの映画。あのとき遼は、上映後に言っていた。
「澪と一緒なら、どんな終わり方でも怖くない。」
——それが、何かの伏線だったのか。
封筒、メモ、半券。すべてが今、澪を“過去”へと引き戻そうとしている。そしてその先には、きっと——彼の“真実”がある。
澪は決めた。次に彼の痕跡を見つけたら、今度こそ逃げずに、向き合う。そうしなければ、彼の時間も、自分の心も、永遠に閉じ込められたままになる。
夜。再び机に戻った澪は、深く息を吸って、ゆっくりと封を切った。