「くっ。こ、殺せ!」
翌日。
おれは爽快な目覚めを迎えた。
前日の強行軍で身体は疲れているはずなのだが、きっと気が張っているからだろう。
「殿は普段から鍛錬を怠っておられないからでしょう」
と微笑むそのお萌もくノ一として基礎体力ができているのか、疲れが見えない。
しかしルエルは違った。明らかにやつれている。
それでなくても小柄なのに、なおさら小さくなったように思えた。お萌が採ってきた木の実もあまり食べようとしない。
「ルエル、大丈夫か?」
「大丈夫だ!」
とルエルは虚勢を張る。
こいつは魔道士だから身体を鍛える習慣はないのだろう。昨日の強行軍もキツかったはずだ。それなのに不平や不満は一切口にしなかった。意外に根性がある。
昨日は少しでも遠くに逃げることを最優先にしたので、ルエルのことを気遣うゆとりがなかった。その申し訳なさもあり、ルエルがいじらしく思えた。
「ルエル」
「なんだ、イエヤス!」
「おぶってやる。ほら」
おれが背中を向けるとルエルは「いらん! 自分で歩ける!」と叫んだ。
「いいから、ほれ。ほれほれ」
「必要ない!」
なぜか意地を張るルエルの肩をお萌が優しく叩く。
「ルエル様。ここは殿に甘えてもいいでしょう。一歩でも早く進むことが大切です」
「私を背負ったら遅くなるし、イエヤスが疲れるだろ!」
……まったく、そういうことをひっくるめた上で背負うと言っているのにな。
「分かりました。では殿、代わりに私を」
お萌がおれの背中に乗ろうとした。いや、なんで?
「ダメーッ!」
と、ルエルがおれの背中に飛び乗る。その勢いで顔から地面にぶつかりそうになった。
やれやれ。ま、ここはお萌の作戦勝ちといったところか。
では、出発。
……おれたちが「敵」に遭遇したのは、それから間もなくのことだった。
お萌は今日は歩きやすい道を選んでいた。
おれがルエルをおぶっていることに加えて、昨日かなりの距離を稼げたからだろう。追っ手のことはさほど心配しなくてもいいようだ。
しかしその考えは少しばかり浅かったと言わざるを得ない。
おれたちは「追っ手」のことしか考えていなかった。
だが「待ち構えている敵」もいるのである。
ついさっきまでは快晴だったのに、急に霧が出てきた。
山の天気は変わりやすいというのは本当だ……と思った矢先だった。
霧の中から不意に。
木の上に、その敵は現れた。
木の上に立っていたというのではない。
木の上からヌッと顔を出したのだ。
巨大な美少女が。
「マジ⁉︎」
おれは驚きのあまり、ルエルを落っことしそうになった。
ルエルもお萌も言葉を失い、その敵を見上げていた。
その美少女は銀色の髪をした外国人だった。白い衣装に身を包んでいる。
「あの装束は……甲賀」
お萌がつぶやく。え、甲賀?
「お前たちは、ここで、なにをしている?」
銀髪巨大美少女は日本語で言った。声にはエコーがかかっている。
その質問から推測するに、どうやら彼女はこちらの正体には気付いていないようだ。よし、ここはなんとか誤魔化そう。
「ピクニックだ!」
おれは声を張り上げる。ウソも堂々と口にすれば通じるものだ。
しかし、この場合はダメだった。
「ウソを、つくな!」
銀髪巨大美少女は木の間から出てきて、おれたちを踏み潰そうとした。
おれはルエルを背負ったまま素早くよける。お萌もまたさっと飛びすさっていた。
ずーん!
と、大きな音がした。あの足に踏まれたらひとたまりもないな……。
そう思いながら森の中に逃げ込む。お萌も横に並ぶ。
「逃げられ、ないぞ!」
ずーん! ずーん!
足音を響かせながら銀髪巨大美少女が追いかけてくる。
確かにこの状況では逃げられない。なにしろ歩幅が違う。視点も高いので、おれたちを見失うこともないだろう。霧にまぎれて隠れるというのも難しそうだ。
くそ、どうする?
おれは焦りを感じたが、焦りはなにも生み出さない。それより打開策を考えろ。
すぐに結論は出た。逃げられないなら戦うだけだ。
「殿。ここは私が。その隙に逃げて下さい」
お萌も同じことを考えたのか、そんなことを言った。
「いや、いっしょに戦うよ」
おれは前方のぽっかりと開けた場所へと向かう。
「あそこで迎え撃とう」
「分かりました」
ずーん! ずーん!
足音が背後に迫る。
その音から考えるに、銀髪巨大美少女は相当な体重があるようだ。
「ん?」と、そこでおれはあることに気付く。「いや、まさか。しかし、でも……」
おれは足を止め、地面に手をふれる。
ずーん! ずーん!
「殿。どうなさいました?」
お萌も立ち止まり、首を傾げておれを見る。
「ちょっと思いついたことがあってさ。お萌、ルエルを頼めるかな?」
「承知いたしました」
再び立ち上がって開けた場所に駈け込んだあと、おれはお萌にルエルを託し、銀髪巨大美少女が追いつくのを待った。
「二人は下がってて」
「しかし殿」
「ケルベロスを召喚しようか?」
「おれに考えがあるから、ここは任せて」
おれが言ったと同時に銀髪巨大美少女が現れる。
「覚悟は、決めたか。ちょこまかと、逃げおって」
「大丈夫だ。もう逃げないから」
「ふふん。わが秘術『ブロッケンゲシュペンスト』から、逃れることができた者は、かつて一人もいない。覚悟、せよ」
その秘術名で、おれは自分の考えが当たっていることを確信した。
「死ねい」
銀髪巨大美少女が足を踏み下ろしてくる。
「殿!」
「イエヤス!」
お萌とルエルが抱きついてきた。
おれは頭上を見上げ、近づいてくる足に両手を伸ばす。
銀髪巨大美少女は素足に草鞋を履いていた。
おれはその草鞋をつかみ、
「えい」
とひねった。
「きゃっ!」
という悲鳴がして、すぐそばに銀髪美少女が転がって倒れた。
等身大に戻った少女が。
「え?」
「あ?」
とお萌とルエルが呆気にとられた声をあげる。
しかし、お萌はさすがにくノ一だ。すぐに我に返り、銀髪美少女を押さえつけた。
素早くボディチェックをして手裏剣と短刀と縄を取り上げた。
その縄で銀髪美少女を後ろ手に縛り上げる。
「く……不覚」
少女はおれを睨みつける。
「そんな顔するなよ。可愛い顔が台無しだぞ」
「な!」
銀髪美少女はバカにされたと思ったのか、顔を赤くした。
「くっ。こ、殺せ!」
「殺すわけないじゃん。それよりさ、教えてほしいことがある」
「話すと思うか」
「思わない。でもイエスかノーかでなら答えられるんじゃない?」
「同じことだ!」
「だったらヤーかナインでもいいけど」
銀髪美少女の目が驚愕で開かれる。
「こいつ、ドイツ人なのか?」
ルエルが言う。
「そうみたいだね」
ヤー・ナインというのはドイツ語のイエス・ノーだ。銀髪美少女はおれがそんな言葉を知っているとは思わなかったのだろう。
ルエルも外国人だけあって、その程度の知識はもっていたようだ。そのルエルが言う。
「どうして分かったんだ、イエヤ……えーと、ハンス」
いや、ハンス?
ルエルなりに「イエヤス」と呼ぶのはまずいと考えたのだろうが(なにしろ、おれの首は超弩級のレアだ)、それにしてもハンスて。
ドイツ人の男の子の典型的なやつじゃないか。「太郎」みたいな。
と、その言葉を聞いて銀髪美少女はうつむき、肩を震わせた。
もしかして笑ってる?
顔をのぞき込もうとしたら、ぷいと顔をそむけられた。
「いま笑ってた?」
「笑ってない」
「ほんとかな」
「本当だ」
「僕、ハンス」
「ぶはっ!」
銀髪美少女はすぐに「しまった!」という顔をする。
「君、名前は?」
「言うと思うか」
「だって、おれは名乗ったぜ」
そう言うと、彼女は半笑いになったが、どうにかこらえ、吐き捨てるように言った。
「ウソの名前だろうが!」
「僕、ハンス」
「うっぷぷ……ふん!」
「じゃ、いいや」
と、おれは立ち上がる。これ以上粘るのは時間のムダだ。
「行こう」
お萌とルエルに言う。お萌が銀髪美少女の短刀を鞘から抜きながら言う。
「ハンス。私が聞いてみましょうか」
「そんなのしまえよ。物騒だな」
「しかしハンス。この者は敵です。私たちを殺そうとしました」
「殺そうとなんかしてないよ。単に驚かせただけだ」
「そうでしょうか?」
「踏まれたと思わせて、気絶でもさせようとしたんだろうよ。そうだろ?」
銀髪美少女に言うが「ふん」と横を向かれた。
「ま、いいや。君も忍者みたいだから、縄くらいは自分で解けるだろ? 悪いけど、しばらくそのままでいてくれ」
「………」
「あと、おれたちはただピクニックをしていただけだからね」
念のために銀髪美少女は木に縛り付けておくことにした。
おれたちが立ち去ろうとした時、銀髪美少女が口を開いた。
「一つだけ教えてくれ」
「いいよ。なに?」
「なぜ、私の秘術『ブロッケンゲシュペンスト』を見破ったんだ!」
「それ『ブロッケンの妖怪』って意味だろ? おれはその現象のことを知ってるんだよ」
「………」
「ハンス。それはどういう現象なのですか?」
「太陽の光が霧に反射して人の影が巨大に見える現象。ドイツにブロッケン山というところがあるんだけど、そこでよく見られたことからついた名前だね」
「そう言えば、さっきまで霧が出てましたね」
霧はいまは晴れている。あの霧はこの少女が操っていたのだろう。
「この子が巨大化したのは、ブロッケンの妖怪の現象を利用したから。忍術なのか魔術なのか分からないけど」
「ハンスはなぜそれが分かったのですか?」
「この子が追いかけてくる時、ずーんずーんて足音がしただろ? でも、地面はぜんぜん揺れなかった。だからおかしいと思ったんだ」
それに気付いたのは、銀髪美少女の体重について思いが及んだ時だ。あんなに大きな足音がするんだから、よほど体重があるんだろうなと思った瞬間に閃いた。
何キロか何トンあるかは知らないけど、それだけ重かったら自分で自分の体重を支えることができないのでは、と考えたのだ。
「だとすると、あの音はフェイク?」
そう考えた途端、足音の割に地面が揺れないことに気付いたというわけだ。
銀髪巨大美少女のゆったりした喋り方も巨人らしさの演出だったのだろう。
決め手は、銀髪美少女が口にした秘術名。
すでに言ったように、おれはその現象を知っていたので(ブロッケンだけで見当がつく)、先ほどの大きすぎる足音とあわせて考えれば、怖れることはないと判断したわけだ。
ざっとそんな説明をすると、お萌とルエルは感心した顔をし、銀髪美少女は唇を噛んでうつむいた。
「じゃ、そういうことで」
と今度こそ立ち去ろうとすると、銀髪美少女はまたもや言った。
「待て」
「なんだよ、もう」
「お主、ただ者ではないな」
「ただのハンスだよ」
「それはもういい」
「ま、そうだね」
「今回は私の負けだ。それは認めよう」
「そりゃどうも」
「だが、私には仲間がいる。その者たちは私よりずっと手強いぞ。覚悟しておけ!」
「ふーん。それを知ったら逆に用心するようになるんだけど? 君って実は親切な人なの?」
おれの言葉に銀髪美少女は口を半開きにする。
「あ、そっか」
素の表情になった少女に「じゃ」と手を振って、今度こそおれたちは立ち去った。




