ともあれ「徳川家康の時代」は終わった。
手柄話をするつもりはないが、結果的にはそうなってしまうのだろう。
秀頼を徳川家康にするというアイディアを捻り出したのは、おれだ。
億良さんは腹を抱えて笑い、他のみんなは絶句したけど、その方法によって淀殿を説得できるし、四天王への牽制にもなると思ったのだ。
そもそもは徳川秀忠の頼りなさそうな姿から思いついたアイディアだった。
彼が徳川家を継いだあとは強力なサポーターが必要だと思ったが、それを四天王に任せるわけにはいかない。
せっかく身を引いた秀頼を殺しかねないからだ。
だったら、いっそのこと豊臣側の人間を引き入れればいいのでは……と閃いた。
豊臣側の人間なら天下の運営経験もあると考えたわけである。
「豊臣を徳川に」
という道筋ができると、自然に「秀頼を家康に」というパターンも浮かんでくる。
そこからは早かった。次の徳川家康を秀頼にすれば、すべてが解決する。
天下を譲ることに抵抗を覚えている淀殿のことも、天下を受け取ったあとに秀頼の命を狙うであろう四天王のことも。
まず淀殿だが、息子が征夷大将軍に任命される点に魅力を感じるはずと考えた。
征夷大将軍と言えば、歴史的なステータスだ。
坂上田村麻呂や源頼朝、足利尊氏などそうそうたる顔ぶれが並んでいる。
そこに息子が加わることは、淀殿の虚栄心を大いに満たすに違いない。
ネックとしては豊臣秀頼の名前で任命されるわけではないことだが、任命式に参加する者たちは、それが秀頼であることを知っている。
そのほうが重要なのだと強調すれば押し切れるのではないか。名よりも実だ。
それに、秀頼が家康として開く幕府はその後、三百年の平和な世を作ることになる。
その創始者として秀頼は永遠に語り継がれることになる……と、ここも強調する。
実際は語り継がれることはないのだが、ウソも方便だ。
自身が天下を譲ることで平和な世を実現した、と美談に持って行けば淀殿は食いつくはずだ。
で、実際にそうなった。
淀殿の説得にあたってくれたのは億良さんで、決め手は「これだけの偉業を成し遂げた人間は日本の歴史上、一人もいないんだぜ」というセリフだったようだ。
「あの太閤さんでさえ、できなかったことだ」と付け加えたことも功を奏した。
淀殿は天下を譲ることを受け入れた。むしろ身を乗り出す勢いだったそうだ。
一方の四天王だが、彼らには主君に尽くすという習性がある。
したがって、秀頼が家康でいる限りは身の保障が守られる。
秀忠に家督を譲ったあとが問題だが、ここは「神君」に祭り上げることで保障が続けられると考えた。
神君というのは一種の尊称で、特に死後の徳川家康に対して用いられる言葉だ。
家康は死んだあと神様扱いされるのだ。それを秀頼に重ね合わせる。
史実では家康は徳川幕府を開いたあと、鷹狩りのときに食事に出された鯛にあたって死んだことになっている。
今回もそうする。もちろんお芝居だけど。
そのあとすぐに家康を神君にして聖なる存在にする。
秀頼は生き続けるが、その身は神様を兼ねている。
四天王と言えど、まさか元主君にして現神様を殺すわけにはいかないだろう。
無理筋であることは認めるが、なんとか押さえ込めるだろうと思った。
で、実際にそうなった。
四天王も天下への執着ぶりを億良さんに叱られたことで少しは反省したらしく、家康を降りたあとの秀頼には手を出さないと誓った。
天下を手に入れた上に主君が神になるのだから、それ以上は望まないというわけだ。
それに彼ら自身も徳川家康を作り続けることに無理を感じていたとのことだ。
かくして豊臣秀頼は徳川家康として江戸時代の幕開けを果たし、そして自身は自由の身になったのである。
われながらアクロバティックな着地点だとは思う。
後世の歴史家が知ったらひっくり返るに違いない。
ま、そうならないように専門チームが歴史を再構築しているわけなんだけど。
ともあれ「徳川家康の時代」は終わった。
混乱を招くことなく、穏やかなムードの中で。
このあとはセレモニーに集まった大名たちが協力しながら天下統一を進めていく。
互いに争いはやめて、人々が安心して暮らせる国づくりに取り組むことになっている。
めでたしめでたし、良かった良かった。




