そのあと、立派な裃を身にまとった徳川家康が現れた。
慶長六年(1601)一月一日。
この日、おれは大坂城にいた。
関ヶ原の戦いから三か月がたっていた。
つまりはおれが召喚されてからそれだけの時間が過ぎたことになる。
「これでいよいよ終わりか」
と思わずつぶやく。あっという間の三か月だった。
それなりに感慨深いものがある。
いま、おれは大坂城の大天守閣から外を眺めている。
眺望はバツグンに良かった。
江戸城よりも遙かに規模が違うのだから当然と言えば当然だ。
豊臣秀吉のスケールの大きさを身をもって知ることができた。
「せつや、知ってるか。お前が元いた世界の大阪城は、この大坂城とは違うんだぜ」
おれの隣に億良さんがやって来て言う。
彼の名前は「億良」と書くそうだ。「山上憶良の憶良じゃないぜ、一億二億の億のほうだ」とのことである。
「徳川家が建てたんでしょ。大坂の夏の陣のあとに」
本来の歴史では大坂城は徳川軍によって火を付けられ焼失した。
その後、新たに徳川家によって再建されたのだ。
「ちっ。知ってたか」
「そのくらいは」
おれの言葉に応えず、億良さんはのんびりとした顔で大坂の街を見下ろしている。
「夏の陣では足軽たちがひでーことをしやがったんだ」
「ひどいこと?」
「略奪、殺人、強姦、好き放題だ。げたげた笑いながら赤ん坊を刺し殺した奴までいる」
「………」
「そういうのを食い止めることができて良かったよ」
「確かにそうですね」
「おれ、大阪生まれなんだ、実は」
「そんな江戸言葉遣いで?」
「いろいろあんだよ、おれにも」
「ふむ」
確かにこの人にはいろいろありそうだ。
「でも実際にはそういう悪逆非道なことは起きてなかったのかも知れませんよ」
「それは言えるな、いまおれたちがやっていることを考えると」
「案外、億良さんが考え出したことだったりして」
「ははは。あり得るぜ、それも」
徳川家への天下の譲渡と、それにともなう豊臣秀頼の身の保障、ルエルとスイスの再会にIKB10の身元引き受けなど、この時代における諸問題はそれぞれに解決している。
それでもただ一つ、未来から来たおれたちには見過ごせない問題が残っていた。
タイムパラドックスだ。
おれたちは歴史を変えた。関ヶ原の戦いは西軍が勝利を収めることになった。
ここで一つの問題が起きる。
いまのこの時代より後に生まれた億良さんとおれが、なぜこの時代に起きなかった「関ヶ原の戦いで徳川家康が勝った」という史実を知っているのか、ということだ。
「ま、パラレルワールドというのが妥当な線だろうな」
以前そのことについて話した時に億良さんは言った。
「しかし、それだとお前さん、安心して元の世界に戻れないよな」
とも億良さんは言った。
このままおれが未来に戻るとして、そこが元々の世界なのか、それともこの時代の未来なのかはハッキリとしない。
もし、関ヶ原の戦いで徳川家康が負けた時代の未来に戻ったら……そこも別世界だ。
「だからまあ、できる限りの対策は練っておこう」
というのが億良さんの考えで、具体的には歴史を改ざんすることにした。
あったことを、なかったことに。
なかったことをあったことに。
そこで億良さんは、本来の歴史(おれたちが知っている歴史)になるべく近づけるように専門チームを作って正史を編纂することにしたのだった。
億良さんによると、どの時代にもエリート層はいて、彼らが国家の屋台骨を支えているとのことだ。歴
史の表舞台には出てこないが、歴史を支えている優秀な人たちである。
いま、その彼らが「もし関ヶ原の戦いで徳川が勝ったら?」という前提のもとに歴史を「構築」しているところなのである。
それぞれの戦国大名の関係や立ち位置などを含めてシミュレーションをし、必要に応じて具体的な対応も取っている。
例えば関ヶ原で敗者となった石田三成は処刑されることになるはずだから隠棲してもらうとか。
そんな調整があちこちで起きている。もしかすると、この大坂城も建て直しされるかも知れない。
まさに「歴史は勝者によって記される」である。
及ばずながらおれもそのチームの一員として、自分の日本史の知識を提供してきた。
ここしばらくはその業務で忙しく、お萌やルエル、IKB10のみんなにもほとんど会えなかったくらいだ。
億良さんは歴史の辻褄合わせ以上におれが安心して元の世界に戻れるようにと配慮してくれている。
「なんつったって、お前さんは最大の功労者だからな」
と過分な言葉もいただき、少しくすぐったくなったりもした。
最大の功労者はもちろん、億良さんのほうなのだ。
億良さんがおれを功労者と言うのは、これから始まるセレモニーに関係している。
そのセレモニーの主役となるのが、おれが先日江戸城で閃いた人物なのである。
で、今日これから始まるそのセレモニーというのは……。
徳川家康の征夷大将軍の任命式
朝廷から宣旨を携えた使者がやって来て、家康を征夷大将軍として正式に任命する。
この大天守閣こそが、そのセレモニー会場なのだ。
おれは振り返って会場を見渡す。
会場には豊臣・徳川のおもだった関係者が集まっている。
前田利家、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家、石田三成、加藤清正、島津義久、徳川秀忠、徳川四天王、そして淀殿。その他もろもろ。
いずれもこの国のトップクラスの人たちだ。戦国オールスターズだ。
そうした人々にまじってお萌やルイル、スイス、IKB10たちも後ろのほうにいる。
彼女たちが参列は億良さんの一言で決まった。
「あの子たちも関係者だ。せっかくの機会だから入れてやれよ」
確かに征夷大将軍の任命式というのはレアだからね。
その任命式がいよいよ始まろうとしたので、おれたちは指定の位置に腰をおろす。
厳かな雅楽の音色が流れる。
整列する人々の中央を通って現れたのは白い宮廷装束に身を包んだ朝廷からの使者だ。
彼は最前列に置かれた壇の前に立ち、一同を見渡したあと軽く一礼をした。
そのあと、立派な裃を身にまとった徳川家康が現れた。
落ち着いた足取りで居並ぶ面々の視線を集めながら大広間を進んで行く。
堂々としていて、それでいて品のある態度におれは素直に「かっこいいな」と思った。
大広間に居並ぶ全員の注目を集めて、徳川家康は朝廷からの使者の前に立ち止まった。
その使者が高らかに宣旨を読み上げる。
「権大納言、源朝臣徳川家康。勅を奉るに件の人、よろしく征夷大将軍になすべし」
家康は使者に一礼をし、くるりと向きを変えて大広間にいる人たちにうなずきかけた。
ふと気付くと、淀殿が目に涙を浮かべてそんな家康を見ていた。
淀殿は、おれのいた時代でも充分に通用すると思えるほどの美貌の持ち主だった。
彼女のその美しい表情はいま感動に包まれている。まさに感無量といった趣だ。
おれは彼女の表情からこの先の時代が平和なものになることを確信した。
おそらく天下へのこだわりは彼女の中では雲散霧消したことだろう。
かくして徳川家康は征夷大将軍となり、天下人として新時代の幕を開いたのだった。
二百二人目の徳川家康にして豊臣秀吉の息子、豊臣秀頼の一世一代の晴れ舞台だった。




