なにが起きているのかは分からないが、なにか妙なことが起きている……。
翌未明。
江戸城に詰めていた武士たちは、遠くから「ずーん! ずーん!」という重々しい足音が近づいてくるのを耳にした。
跳ね起きた者たちが窓の外を見ると、城の周囲は濃い霧で覆われている。
一人が、空を見上げて叫んだ。
「つ、月がこっちを見ておる!」
霧に包まれているのは城の周辺だけだった。
上空はきれいに澄み切っており、そこにはまん丸の月が浮いていた。
そして、その月には少女の顔が浮かび上がっていた。
城内はにわかに騒がしくなった。
就寝していた武士も寝ずの番をしていた武士もどたどたと走りまわり始めた。
なにが起きているのかは分からないが、なにか妙なことが起きている……。
誰もがそんな胸騒ぎを覚えていた。
江戸城の正門である大手門では門番たちがのけぞっていた。
霧の中から銀髪の巨大な少女がぬっと顔を出したからだ。
「………」
月光に照らされたその姿に門番たちは思わず言葉を失う。
巨大少女は不敵な笑みを浮かべながら、そんな彼らを見下ろしている。
と、どこからともなく美しい笛の音が聞こえてきた。
「な、なんだ」
門番たちは心地よいメロディーに思わず耳を澄ます。
その笛の音に混じって「ちゅーちゅー」という鳴き声が聞こえた。
「ねずみ?」
と一人がつぶやき、他の一人が「ぎゃあ!」と叫んだ。
その視線の先には、押し寄せてくる大量のネズミたちの姿があった。
腰を抜かした門番たちを尻目に巨大少女は正門をまたぎ、内側から門を開いた。
その門をいち早く通り抜けたのは、小柄な影だった。月光が揺れるウサ耳を映し出す。
敷地内にいた武士の一人が影に気付いて叫んだ。
「曲者がいるぞ!」
次の瞬間、その武士は激しい一撃をくらって「ぐふっ!」と悶絶した。
小柄な影に続いていくつもの影が門を通り抜け、敷地を横切り、城内へと侵入した。
「敵襲!」
「豊臣か!」
「人数は!」
「出合え出合え!」
大手門へと向かっていた武士の一人は、途中で「ぎょっ」と立ちすくんだ。
門の周囲には甲冑に身を包んだ軍勢がびっしりと並んでいたのだ。
微動だにしないその姿は無言の威圧感を放っていた。
軍勢の背後にはオレンジの髪の美少女が潜んでいたのだが、武士は気付かなかった。
彼は蒼白な顔をしてきびすを返し、元来た道を戻り去った。
城内。
豪胆で知られる一人の武士が廊下を曲がったところで異様な風体の少女に出くわした。
白い衣装の上に薄い黄色のちゃんちゃんこ、西洋の服だろうか……と、武士は思った。
少女は壁にもたれかけ、手にしている四角い板を見ていた。
「なにやつ!」
と鋭い声で誰何すると、少女はちらっと目をあげて言った。
「うざ」
「………」
言葉の意味は分からなかったものの、なぜか武士は心にダメージを受けた。
「き、貴様」
「きも」
「ぐ」
「マジ意味分かんない」
「……あうう」
かつて経験したことのない気持ちに陥った武士は、目を伏せて少女の前を通り過ぎた。
城内の別の場所。
階段の途中で、一人の武士が緑色の髪の少女に出くわした。
「何者だ!」
と叫びざまに刀を抜き、少女の前に切っ先を向ける。
ふと顔をあげた少女のその緑色に光る目を見た途端……。
「あわわ……」
武士は全身をガタガタと震わせ始めた。
底知れぬ罪悪感と自己嫌悪が身体の奥から湧いてきて、全身を包む。
手にしている刀で自身の首を切り落としたい気持ちになった。
いや、実際にそうしようとした。
しかしその時、少女が刀をひょいと取り上げ、武士の腰に差している鞘に収めた。
「死んじゃダメ」
とだけ言って緑色の髪の少女は階段を上っていった。
あとに残された武士はその場にうずくまり頭を抱え込んだ。
少女の背後には、そんな風に身じろぎできなくなった武士たちが続出した。
城内のまた別のところでは。
「おい、なにをしておる! そんなことをしている場合か!」
一人の武士が同僚に叱責されていた。
その武士は廊下に出現した鏡の前で自身の姿を見つめていた。
まるで、鏡に映る自分に見入っているように、ニヤニヤと笑いながら。
だが、本人にそんなつもりはなかった。
「ち、違うのだ。身体が動かぬのだ」
「ニヤニヤしておるではないか」
「勝手にこうなってしまうのだ」
「いいから、来い!」
同僚は腕を引っ張るが、逆に抵抗されて投げ飛ばされた。
「貴様!」
と鏡の前で二人は取っ組み合いを始める。
いつの間にか鏡は消えていたが、二人がそれに気付くことはなかった。
城内のさらに別のところでは。
普段は食事をとる場所として使用している部屋から甘い匂いが漂い出ていた。
その匂いを不審に思って部屋に入った数人の武士たちは、そこに色とりどりのお菓子が並んでいるのを目にした。
虹色の髪をした少女が彼らを手招き、言った。
「どうぞ、好きなだけ召し上がって下さい」
初めて口にする甘いお菓子に彼らはつい夢中になってしまい、その様子を少女は微笑みながら見ている。




