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「口移しでお飲みになりますか?」

「殿。さっきから私の胸をご覧になっておりますが、ご用がおありですか?」

「え⁉︎ あ、いや」

「お揉みになりますか?」

 そう言って胸元をはだけようとするお萌をおれは慌てて止めた。

「いいから! 脱がなくていいから!」

「ご遠慮なさらず」

「ごめん! 確かに胸は見ていたね。でも、揉みたくて見ていたわけじゃないから」

「もしや、お吸いになりたいのでしょうか?」

「それもないから!」

「そうですか」

 お萌は襟元を整える。まったくなにを考えてるんだ……。

 このお萌は200人目の徳川家康であるおれの世話係だ。

 身の回りの世話以外にも、家臣たちとの打ち合わせの調整や江戸城の案内や江戸の町の案内……そういったことの面倒をもろもろと見てくれる。この時代の教育係も兼ねていて、さきほどの「徳川家康の歴史」もお萌から聞いたものである。

 歳は19で、おれより1つ上。家康になったばかりのおれをサポートしてくれる心強い味方なのだが……少しばかり問題なのは、お萌が大変な美少女で、しかも巨乳だということだ。さらには襟からのぞく白い肌が妙に艶めかしかったりする。

 ちなみにお萌の本職は「くノ一」だそうだ。つまりは忍者。


「殿。喉がお渇きではございませんか?」

「あ、うん。ちょっと渇いてるかなー」

「お水をご用意しております」

 お萌は背後に置いていたお盆をスッと移動させ、ガラスの水差しからコップにこぽこぽと水を注ぐ。

「口移しでお飲みになりますか?」

「なんで? いや、自分で飲めるから」

「そうですか。では、どうぞ」

「ありがと」

 ごくごく。あ、うまい。

 この時代の水は全部が天然水なのだろうから、やっぱり美味しい。

 おれは「ふう」と一息ついて窓の外を見る。

 空は晴れていて、白い雲がぽっかりと浮いている。

「ちちち」という鳥のさえずりが聞こえた。

 空が近く感じられるのは、ここが江戸城の上層階、本丸御殿だからだ。

(昨日も確か、こんな朝だったよな)

 と、おれは学校の教室の窓から外を見ていたことを思い出す。


 季節は秋で、空が高かった。

 おれは高校三年生だが、エスカレーター式で系列の大学に進学することが決まっていたので、気持ちにはゆとりがあった。

 退屈を感じていた高校生活だったものの、あれはあれで貴重なものだったんだな……と改めて感じ入った。

 思わず「ふう」とまた溜息をつく。


「殿。お水のおかわりは?」

「うん、ありがと。でもいいや」

 そう言った瞬間、お萌はスッと後ろに下がり、両手をついて頭を下げる。

「え、なに?」

「殿。私に至らない点があれば、いつでもおっしゃって下さい。お萌はすぐにでも自害する覚悟にございます」

「自害⁉︎ どうしたの、急に?」

「殿はいま続けて二度も溜息をつかれました。水も一杯しかお飲みになりませんし、お萌の口移しも拒否なさいました。これすべて、お萌の不徳のいたすところ」

「いや違うから! ぜんぜん違うよ?」

「殿はお優しい……」

 お萌は目を潤ませる。

「あのさ、ちょっと聞いてもらっていい?」

「それもです」

「え、どれ?」

「殿は決して私の名前を呼んで下さいません。それもこのお萌にご不満があってのこと」

「えーと、それも含めていまから話すからさ。聞いてくれる?」

「はい」

 お萌は顔を伏せる。

「その状態だと話しにくいし、離れすぎているから、もうちょっとこっちに寄ろうか?」

「はい!」

 次の瞬間、お萌はおれの隣にぴったりと密着していた。

 うん、さすが忍者。でも近すぎる。

「もう少し離れよっか?」

「ふふ。殿は意外とわがままですね」

 うつむいたお萌は横目でおれを見る。

「いいから、そこに座って」

 おれは少し離れた場所を指さす。本題に入る前にどうしてこんなやりとりで疲れなきゃならないんだ。思わず溜息をつきそうになって、とどまった。

「あのさ、お萌さん」

「さん?」

「お萌ちゃん」

「殿。お萌は殿にお仕えする身。呼び捨てで」

「分かった。じゃあ、お萌」

「はい」

「あのさ、おれがこの時代に来たのって、昨夜だったよね?」

「どんな方がおいでになるのか、お萌は楽しみにしておりました」

「お萌にとってはあらかじめ分かっていたことだったんだけど、おれには突然の出来事だったわけ。分かるよね?」

「うーん……なんとか」

「いや、そこはちゃんと分かろうよ」

「はい、分かりました!」

「………」

 本当に分かったのかどうかは不明だけど、話を続けよう。

「おれは昨日の夜、風呂に入ってたんだよね。今日も一日頑張ったなーって。いや、ほんとはそこまで頑張ったりはしてなかったんだけど、退屈でしかないいつもの日常を過ごしていたんだけど、それでもその日常に満足はしていたんだよ。本を読んだり身体を動かしたり、あちこち出かけたりするくらいしか趣味はなかったんだけどさ、それでも不満はなかった。話、ついてこれてる?」

「はい!」

 元気に返事をするということは誤魔化している可能性が高いが、いまは気にしないでおこう。

「でさ、風呂でリラックスしてると、いきなり」

「りらっくす?」

「のんびりって意味ね。風呂でのんびりしていたら、いきなり変な感じでまわりが歪んで、ふと気付いたら大勢が見ている中に素っ裸のまま放り出された」

「はい。召喚は成功いたしました!」

 そんな明るい笑顔で言われても……。

 ちなみにおれが召喚された時、その場にいたのは徳川四天王とその他数人の武士、お萌、そしておれを召喚した魔道士だ。

「ともかく、お萌たちにとっては成功なのかも知れないけど、おれにとっては青天の霹靂なわけ。なにがなにやら分からなくてひどく混乱したわけ。理解できるよね?」

「はて?」

「なんで首をかしげるの⁉︎」

「多少は驚かれたかも知れませんが、殿は栄えある徳川家康公になられたわけですし、むしろ喜ばれるべきでは?」

「おれがいつ頼んだんだよ、家康にしてくれって」

「ほほほほほ」

「え、そこ笑うとこ?」

「徳川家康公になりたいと願う者は数え切れないほど。それこそ老若男女一族郎党。それらの者を尻目に家康公になられたわけですから、これを喜ばずになにを喜べと?」

「………」

 これはもうなにを言ってもムダなパターンだ。この連中にとって徳川家康になることはなによりも優先されるべきこと、光栄に思うことなのだ。これでは理解しあえない。

 それでもおれは、もう一度あえて言ってみることにした。

「あのさ。もしお萌が突然にだよ、平安京の時代に召喚されてだよ、今日からお前は紫式部だと言われたら、どう思う?」

「お萌は清少納言のほうが好きですが?」

「あー、うん、それでいいよ。もし清少納言になれって言われたらどうする?」

「お萌を選んでいただいたということは、なんらかの神仏のご意志があるはずです。精一杯務めさせていただきます。春はあけぼの、ようよう白くなりゆく山際、少し明かりて」

「あ、いいよ。そこまでで。ありがとね」

 やはり理解はしあえない。

 また溜息が出そうになったが、なんとかこらえた。


 ということで、おれが正気を失ったとしても、それを責める人はいないはずだ。我ながらよく正気を保っていられると思う。

 でもこれは、変化が急激すぎて逆に冷静になってしまったからなのかも知れない。スパッと切られた傷は痛まないと言うではないか。

 ともあれ、昨日の夜に江戸城に召喚されたおれは状況説明を受け、詳しくは明日ということで、それからは寝た。混乱や不安はあったが、こういう時は寝るに限る。

 で、一夜明けていま、お萌から家康についての話を聞いたというわけだ。

 おれが一番気にかかっているのは「元の世界に戻れるかどうか」である。それには「なんのために召喚されたのか」を明らかにする必要がある。

 この時代には家康になりたいって人がたくさんいるのに、どうしてわざわざ未来からその候補者を召喚しなければならないのか。そこには明確な理由と目的があるはずだ。

 その目的を果たしたら「お役御免」となって元の世界に戻してもらえるかも知れない。

 で、その目的をお萌に聞こうとした時。

 いきなり「たーん!」と勢いよく襖が開いて魔道士が入ってきた。

「イエヤス! 起きてるか!」

 黒いマントを身にまとい、頭にとんがり帽子をかぶった魔道士は甲高い声を出した。手には太い杖を持っている。

「ルエル様が朝の挨拶に来てやったぞ!」

「そっか。おはよう、ルエル」

「元気そうだな、イエヤス!」

「まあね」

 その名前からも分かるように、この魔道士は外国人だ。青い目をした金髪の美少女で、おれを召喚した張本人。年齢は16歳ということだ。だが、小柄なので幼く見える。

「ふむふむ」

 ルエルがおれに近づいてくる。

「なんだよ」

「どれ。ちょっと身体をチェックさせろ」

 そう言って手を伸ばしてきた。

「やめろよ。くすぐったいだろ」

「なにを言うか! 私はお前の生みの親のようなものだぞ。身体の心配をするのは当たり前だ!」

「ルエル様。お手伝いいたします」

 お萌も手を伸ばしてくる。

 二人から同時に身体を触られるので、くすぐったくてしょうがない。思わず「あひゃひゃひゃ」と情けない声を漏らしてしまった。先ほど着せてもらったばかりの着物がはだける。

「ふむふむ。イエヤスは思ったよりがっしりした身体をしているな」

「そうですね。鍛錬のあとが感じられます。ほら、このお腹のところとか」

「あひゃひゃ。そこ脇腹。そこ弱いとこ!」

「この胸の分厚さも相当だぞ。ふむふむ」

「背中もご立派です。まさに主君にふさわしい厚み」

「足もこんなだぞ、ほら!」

「うひー。なんで足の裏に⁉︎ くはー!」

「では、私も」

「やめてー。もうやめてー!」

 とそんな風に身体をチェックされていると「ごほん」という咳が聞こえた。

 ルエルとお萌の動きが止まる。見ると、一人の若い武士が廊下に片膝をついていた。

「どうしました?」

 お萌が冷静な顔で声をかけると武士は言った。

「評定のお時間です」

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