選択肢が少ないということは、幸せから遠ざかることでもある。
舞台変わって、ここは伊賀の里。
山を背景とした平地に開けた、一見のどかな農村だ。
家々が点在する中のひときわ大きなお屋敷におれたちは通されていた。
ここでおれはオドロキの事実を知った。
なんとお萌は伊賀の頭領である服部半蔵の娘だったのだ。
「え、マジ?」
「卍? 殿はやはり手裏剣のことを……」
お萌が恨めしそうな上目遣いでおれを見る。
「あ、いや。そうじゃなくて」
頭領の娘となると、ご令嬢のようなものではないか。
そんな身分の人に仕えてもらっていたとは……。
「なにをおっしゃいます。殿は徳川家康公ではないですか」
お萌は不思議そうな顔をする。
なぜ伊賀のお嬢様が家康の世話役を務めているのかと言うと「実績」になるかららしい。
「家康公の世話をした」というプロフィールは、今後のキャリア形成の上で役に立ち、さらには服部家のためにもプラスに働くようだ。
お萌は自ら世話役を希望したとのことである。
ある意味、打算的と言えなくもないが、おれはむしろそのことにホッとしていた。
これまでお萌が寄せてくれていた好意は「業務上必要なこと」であり、それならば別れる時も彼女が気持ちを乱すことはないと考えたからだ。
ちなみに頭領の服部半蔵さんは伊賀の里にはおらず、江戸城に勤めている。
いまこの里にいるのは、先代の服部半蔵さんだ。
服部家の当主は現役のうちは江戸城で働き、引退をしたら伊賀の里に戻るシステムになっているとのことである。
その先代(白く長いヒゲをたくわえていた)がおれたちに言った。
「関ヶ原のことは聞いております。殿、なにはともあれご無事で良かった。しかし早々に江戸に戻り、軍勢を立て直さなければなりませんな」
「そうですよね」
とうなずくと、お萌が「殿、言い方」と注意をする。
「そうだよね。明日にでも出発する。でも、今日はゆっくり休ませてほしい」
「もちろんでございます。出発の際には護衛もつけますので、ご安心下さい」
「それは助かる。ありがとう」
二日間の強行軍をクリアして、おれたちは伊賀の里で一晩休めることになったのだった。
「殿。伊賀の里には温泉が湧き出ています」
「へえ、そうなんだ」
「これからご案内いたしますね。ルエル様もご一緒にどうぞ」
「うん、行く!」
「はい、ちょっと待つ」
「いかがなされましたか?」
「まさかみんなで入ろうって言い出すんじゃないよね?」
「なにをおたわむれを。ほほほほほ」
お萌が口に手をあてて笑う。
「あはははは!」
ルエルも対抗して腰に手をあてながら笑い出した。
ほっ。どうやらおれの勘違いだったようだ。
実は江戸城にいた時、お萌とルエルが風呂に入ってこようとしたことが何度かあったのだ。
それを思い出してのことだったが、考え過ぎだったみたいだ。
「いや、それならいいんだ」
「伊賀の里では一緒に温泉につかるのが掟です。そんな当たり前のことを改めて確かめられるとは、殿もおたわむれが過ぎますこと」
「………」
ということでおれたちはいま一緒に温泉につかっている。
陽が暮れているのがせめてもの救いだった。
明るい中での混浴など、マジで目のやり場に困ってしまう。
それでもお萌もルエルも肌の白さがほんのり浮かび上がっていてドギマギしてしまった。
温泉はぬるめで、長湯をしてものぼせる心配はなさそうだった。ゆったりつかれば疲労も回復するだろう。
「ほえ〜。いい湯だなあ」
間の抜けた声を出していると、ルエルがざぶざぶと湯を掻き分けて近づいてきた。
「イエヤス、教えてくれ!」
「ん、なにをだ?」
「今日、甲賀異人衆と戦った時に思った。イエヤスはいろんなことを知ってるな!」
「いろんなこと? ああ、ブロッケンの妖怪とかハーメルンの笛吹きとかのことか?」
「あと魔女狩りのこともスペインのこともドイツ語も知っていた。身体が大きくなったら重さを支えられないことも知ってた。あれがなかったらブロッケン女を倒せなかった」
それは事実だけど、なんか面映ゆい。
「子犬のケルベロスを召喚するというお考えもお見事でした」
と言いながらお萌も近づいてくる。
えーっと、二人とも近すぎないか? ちなみにこの時代、バスタオルというものはない。
「無事に伊賀の里に着いたのはイエヤスのおかげだ! 教えて欲しいのは、イエヤスの時代の若い男はみんなそんな風にいろんなことを知ってるのかどうかだ!」
「ああ、そういうことね……」
おれはどう話せばいいか一瞬悩む。変に自慢話にとらえられても困ると思ったのだが、この二人なら大丈夫かと思い直す。
「正直、おれの生きていた時代の若い奴がみんなそうだったとは言えない」
「ふむ」
「おれは比較的裕福な家に生まれてさ、まわりの子たちよりも手にする選択肢が多かったんだ」
「せんたくし?」
「選べる種類。例えば、甘いものが食べたいって時、普通の人はお饅頭かお団子のどちらかしかないけど、おれは他にも羊羹とかカステラとか金平糖を選べたってこと」
「カステイラはお萌も選択したことがございます。おいしゅうございました」
「裕福だと、たくさんの中から自分の好きなものを選べるってことだな、イエヤス!」
「そうだね。意に沿わない選択をすることが減ってくる。選択肢が少ないということは、幸せから遠ざかることでもある」
「幸せではなくなるのか?」
「これはおれの父親が言っていたことなんだけど」
と前置きをしておれは話す。
いまの時代(おれのいた時代)は弱い人間でも生きていけるようにシステムが整っている。しかし弱い人間は幸せになることはできないし、自分が幸せではないことに気付く機会も与えられていない。
だから「勉強が大切なんだ」というのが父親の考えだ。
その勉強というのは学校のそれもそうだが、それ以外にさまざまな知識や知恵を蓄え、活かせるようになることも含まれる。また、フィジカルな強さも欠かせない(だからおれは剣道と空手を小さい頃から習わされた)。
「弱くても幸せになれるんじゃないの?」
とおれが父親に言うと「ふん」と鼻で笑われたことがある。
「そう思わされてるだけだよ」
「言い方」
「ま、上から目線ではあるな。それは認める」
「それで?」
「弱い人間に限って自分には自分の生き方があると言うが、そのほとんどが模倣だ。それ以外の生き方を考えようとしない。考えると怖くなるからだ。上から目線でもなんでもいいけど、せつや。おれは親としてお前に幸せになってほしいと思っている。だから、言い訳の少ない人生を過ごしてほしい。たくさんの選択肢を持てるようになってほしいんだ」
「選択肢が多いことが幸せなの?」
「そうだ。選べることは大切なんだよ。自分で考え、判断して、決断する。それが生きるってことだ」
「ふーん」
あまり納得した風でないおれに父親は「ふふん」と笑ってキメ顔で言った。
「奴隷は自分の意志を持つことが許されない。持ったとしても活かす知恵も手段もない」




