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「ああ、ご無体な。そこはまだ殿にも許していないところ」

 それは思わず聴き惚れてしまうほどに豊かで素晴らしいメロディーだった。

 おれたちは驚きよりも感動で身動きが取れなくなっていた。足を止め、耳を傾けてしまっていた。

 その演奏者は、横笛を構えながら木の枝にちょこんと座っていた。

 亜麻色の髪をした色白の美少女で、やはり忍者装束に身を包んでいる。

 彼女も甲賀異人衆の一人で、あの笛の音は秘術に違いない。


 やがて演奏が終わり、彼女は枝の上から話しかけてきた。

「ご静聴、ありがとうございました」

 おれたち思わず拍手をし。

「ブラボー!」

 と叫ぶと笛の少女は「へへ」と照れたように笑う。

 その笑顔を見て「この子、ちょろそうだ」とおれは密かに思った。

「素晴らしい演奏だったね。いつもここで吹いてるの?」

「そんなわけないでしょ。あなたを捕まえに来たんですよ、徳川家康様」

「やっぱりばれてたか」

「先ほどはアベシがお世話になりました」

「アベシ? それがあの子の名前?」

「名乗りませんでした? それは失礼いたしました。私はデフ。甲賀異人衆の一人です」

「秘術はその笛?」

「その通りです。秘術『ハーメルン』」

「ああ、なるほど」

 ハーメルンの笛吹きか……。あの笛の音色なら、ついて行きたくなるのもうなずける。


 しかし、とは言え。

 素晴らしい演奏ではあるが、身体の自由を奪われるほどではない。その気になれば、逃げ切れる気もする。 

「うふふふふふ」

 そんなおれの思いを見透かすようにデフが笑う。

「徳川家康様はハーメルンの笛吹きの話をご存じのようですね」

「うん、知ってるよ」

「殿。それはどういうお話なのですか?」

 お萌が言って、ルエルも首を傾げている。

「ドイツのハーメルンという町で起きた出来事だね。ある時、大量のネズミが発生して、町の人たちを悩ませた」

「ネズミは困り者です。食べ物を根こそぎ奪ってしまいますから」

「ちゅーちゅーうるさいしな!」

「そこに一人の笛吹き男がやって来て、お金をくれるならなんとかしようと言ったんだ」

「いい方なんですね」

「でも、あの枝の上にいるやつは女だぞ!」

「町の人たちは笛吹き男の申し出を受け入れた」

「どうやってネズミたちを退治したのですか?」

「笛を吹いてネズミたちを集め、そのまま川まで連れて行って溺れさせたんだ」

「まあ、頭のいいこと」

 お萌は感心したように胸の前で手を合わせる。

「でも、この話には続きがある」

「ネズミは泳げたんだろ! それでまたちゅーちゅーって町に戻ってきた」

「うん、違うね」

「ぶー」

 ふくらませたノエルの頬をつつきながらおれは言う。

「町の人は約束を守らなかったんだ。怒った笛吹き男は今度は笛の音色で町の子どもたちを集め、どこかに消えてしまった……というお話」

「ということは」

 お萌がいつの間にか取りだした手裏剣を構えてキッと睨む。

「あの異人はネズミ使いということですね」

「え?」

 その発想はなかったが、そう言えなくもないのか。


 ん? ちょっと待てよ。

 おれは大量のネズミが襲いかかってくるシチュエーションを思い描いてしまった。

 いや、ネズミに限ることではない。ネズミを操れるなら、他の動物たちも操ることができるはず。

「まずいな」

 おれはつぶやき、お萌も同じことを考えているのだろう、ささやき声で言う。

「殿。手裏剣を使わせて下さい。あの者の笛を狙います」

「分かった。頼む」

 相手を傷つける可能性もあったが、この場合は仕方がない。

「くれぐれも殺さないように」

「御意」

 おれたちがそうささやき合っている間に、デフが笛を構えて言った。

「では、秘術『ハーメルン』の音色をとくとご堪能あれ」

 その瞬間、お萌が「させません!」と言って手裏剣を素早く投げた。

 ひゅん!

 と、空気を切り裂いて卍型手裏剣が飛んでいく。


 しゅるるるる。

 るるるる。

 るる。

 ぽと。


「………」

「………」

「………」

 おれとルエルとデフが言葉を失っていると、お萌は「こしゃくなマネを!」と叫んで、次の手裏剣を放った。


 ひゅん!

 しゅるるるる。

 しゅるる。

 る〜。

 ぽと。


「………」

「………」

「………」

「最後は決めます!」


「いや、お萌」

 とさすがにおれは止めた。

「手裏剣がもったいないから、もういいよ」

「しかし殿」

 お萌は涙目になっている。

「あとで一緒に拾いに行こ?」

「……はい」

「ルエル」

「呼んだか?」

「うん、いま呼んだよ。すぐ隣で」

「私の召喚魔法の出番か?」

「ケルベロスを呼んで欲しい。ネズミが出てきても、ケルベロスを見れば驚くだろう。その隙に逃げよう」

 そう言っている間にデフが演奏を始めた。


 ♪〜♪〜♪〜♪♪


 間に合うか。間に合ってくれ。

 おれが祈る思いでルエルを見ると、ルエルは顔を赤くして言った。

「そ、そんなに見つめるな。やりにくい!」

「あ、そうなの? ごめん」

 この窮地にそんなやりとりをしている場合ではなかったのだが、この時ばかりはそれが正解だった。

 と言うのも、笛の音にのって現れたのは……。


「わーい!」

「きゃはははは!」

「ぐおー!」

「たあ! とお!」

「ぽぴぽぴぽぴ〜!」


 笛の音が呼んだのはネズミではなく、幼児たちだったのだ。

「そうきたか」

 相手が幼児なら乱暴なことはできない。ケルベロスを出していたら幼児たちはパニックを起こしていたことだろう。

 その点では良かったのだが……しかし幼児という「敵」はあまりに厄介だ。


「あそぼー」

「なにするー?」

「おんぶしてー」

「だっこしてー」

「犬になれ!」

「すもうしよー」

「おにごっこ!」

「かくれんぼ!」


 幼児たちは身体を使って遊ぶことが大好きで、しかも無限のパワーを持っているのだ。

 幼児が敵にまわった時にできること。それは全力で逃げること。

 なのだが。

 おれの背中にはすでに二人の幼児が乗っており、さらにもう一人がよじのぼろうとしていた。おれの右足で相撲を取っている子がいると思えば、左足にキックをくらわせている子もいる。

 左右の手にはそれぞれ一人ずつがぶらさがっていた。

 お萌はおれがまだ触れてもいない胸を含めてもみくちゃにされているし、ルエルはルエルで幼児たちの踊りの輪に入れられていた。

 この状態が続けば遅かれ早かれ体力は消耗し、動けなくなる。

 そこに他の甲賀異人衆が現れたら目も当てられない。なんとかしなければ……。


 笛の音色は続いている。

 いまはその美しさを称えるゆとりはない。あの笛の音さえ止めることができれば……。

 なにか方法はないか。

 大声を出して静かにさせる? 逆効果だ。泣き出されたら収拾がつかなくなる。

 子どもたちが興味を持ちそうなウサギでも出てきてくれたらと思ったが、そんなに都合良く……。

 ん? 待てよ。

「ルエル」

「な、なんだ」

 と踊りながらルエルが答える。

「ケルベロスを出せるか?」

「だ、出せるけど、この子たちにけしかけていいのか?」

「ケルベロスの小さいのを出すんだ」

「ん?」

「子犬だよ、子犬のケルベロス。できれば何匹か」

「分かった。やってみる!」

 ルエルがそう言って、踊りながら杖を振りかざす。

「ああ、ご無体な。そこはまだ殿にも許していないところ」

 というお萌の声が聞こえたが、いまは耐えてもらうしかない。

 ルエルがなにごとかをつぶやき、そして不意に空気が揺らぐ。

 やがて。


「わん」

「わん」

「くーん」

「きゃん」


 子犬のケルベロスが現れた。そこら中に。

 成犬と同じで首は三つあるものの、小さくて可愛い。

 そのケルベロスたちが「わんわんくーん」と尻尾を振りながらあたりを駈け回る。

「うわあ!」

 子どもたちの関心は一瞬でそっちに向かった。

 おれたちにまとわりついていた幼児たちは子犬のケルベロスたちに心を奪われ、ともにじゃれあいだしたのだ。

 よし、成功!

 その途端、笛の音色が大きくなった。デフの焦りを感じさせるかのようだった。

 あとは、あの笛を止めることだが……。

 おれは演奏しているデフを眺めるうちに、ふと閃いた。

 そして近くに落ちている木の枝を拾ってデフを見上げる位置に立つ。

 デフはそんなおれを見ながらもなお笛を吹いている。

 デフのいる場所まで木をよじ登っても、相手は忍者。おそらく素早く逃げるだろう。

 逃げながらも演奏は続けるはずだ。

 子犬のケルベロスの効果もどれくらい続くか分からない。

 だからおれは別の手段を取ることにしたのだった。

 笛の調子を狂わせる。デフのリズム感覚を乱れさせる。

 おれは笛の音に耳を傾け、それが四拍子であることをとらえる。

 そして手にした木の枝を指揮棒にして振った。三拍子のリズムで。


 ♪〜♪〜♪〜♪♪

 ツ、タ、タ。

 ♪〜♪〜♪〜♪♪

 ツ、タ、タ。

 ♪、♪、♪♪〜♪、

 ツ、タ、タ。

 ♪♪、♪、♪♪〜$&#♪


 楽器を演奏する者は反射的に指揮棒に反応するはず……という予測は当たった。

 デフはしばらく持ちこたえていたが、やがて調子っぱずれの音を出した。

 一度乱れるとあとは早かった。

 豊かで美しいメロディは耳障りな音となり、デフ本人がそれに耐えられなくなったようで、演奏は止まった。

 ……と、同時に幼児たちの姿も消えた。

 すかさず動いたのはお萌だ。

 すたたたたと木に駈け寄り、呆然自失状態のデフを一瞬で捕獲した。


 アベシもそうだったが、デフも潔く負けを認めた。

 このあたり、ヨーロッパの騎士道精神と関係があるのかも知れない。

 それはともかく、おれたちはデフとあまり長く話していられなかった。

 甲賀異人衆がこちらに向かっていることが分かったからだ。

「どうして一人で追いかけて来たの? もしかしてアベシはおれたちに負けてショックを受けているの?」

 と半笑いを浮かべながら言ったら、デフがむきになってこう答えたのだ。

「ご冗談は困ります。アベシはいま、甲賀の里で異人衆を集めています。すぐにあなたたちに追いつくことでしょう」

「ほう」

「その時があなた方の最後です」

「ん、分かった。ありがとう」

 おれは木に縛りつけられているデフに言って、お萌とルエルに「急ごう」とうなずきかけた。


 おれのことを徳川家康だとデフが知っている理由は一つしかない。アベシから聞いたのだ。

 ということは、木に縛り付けられたアベシを、あれからすぐにデフが見つけたのだろう。普通ならそこで二人がて追いかけてくるはずだが、しかし現れたのはデフだけ。

 二手に別れて一方は応援を呼びに行ったと考える方が合理的だ。

 その可能性を確認するためにカマをかけてみたのだが、見事に「語るに落ちる」になったわけである。

「じゃ、みなさんによろしく!」

 とおれは背中を向ける。

 アベシと違ってデフは引きとめることはしなかった。

 あと、お萌の手裏剣はちゃんと回収しておいた。


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