7. あなたの仰せのままに
『もしもし、あおい?』
「もしもし、うん、私。実家着いた?」
『うん、今自分の部屋掃除してる』
あおいと裕の間には、月末の決まった時期にデートをする2人の約束事がある。
しかし、裕の父が引っ越しを考えている、なんなら引っ越し先も決めていると連絡を受け、引っ越し作業が急遽予定に入ってしまった。
「でもちょうど月末でよかったのかもね、私も手伝いに行けるし。真も来るの?」
『あ、あおいは来なくていいよ、真も来ないし』
「え?…引っ越しなのに真は来ないんだ?忙しいの?」
『いや、力仕事が多いから男の俺だけ呼ばれただけだよ。真の部屋は一人暮らしの時にすっからかんにしておいてるから平気だし』
「ああ、そうなんだ。でも最後に真と裕くんの家行きたいなあ、学生の頃を思い出したいし、何か手伝うよ?」
『いや…えっと、めちゃめちゃ急がないといけないし、事情があるから、申し訳ないけど来なくていいよ』
「え、あ、そっか…ごめん」
『いや、うん、ごめん。そろそろ作業したいから切るね?今週は一人でゆっくりしてて。今度埋め合わせするから』
「あ…」
ちょうど二か月前ほどから、彼の行動や発言を疑うようになった。
「あ、裕くん、携帯忘れてるじゃん」
玄関の棚の上に裕のスマホが置いてあった。
デートの帰り、あおいの家に寄って飲みなおし、終電ぎりぎりに裕は帰っていった。
飲みなおすとはいっても、ワインを一杯ずつ飲んだだけなので、2人とも酔いは回っていなかった。
にもかかわらず、スマホを忘れるのは珍しいなと感じた。
今日の終電には間に合いそうになく、届けるのは明日になってからでもいいかなと諦め、リビングのテーブルに置いておこうとスマホを手に取った。
すると、裕のスマホから通知音が鳴る。
あおいは画面をちらっと見て、通知の内容が目に入った。
そこには、知らない人の名前が書いてあった。
『Kanon 天野くん、来週どこか空いてない?また2人で飲みに行こうよ』
「かのん…?」
どう考えても女の名前。
高校時代、大学時代のクラスメイトの中にかのんという名前の人間はいたかどうか考えてみる。
「いや、でも、どういう連絡なのよ」
問題はそこではない。なぜ裕はあおい以外の女性と連絡を取り合っているのか?
あおいは束縛をするタイプではないが、内容が内容だけに見過ごすことはどうしてもできなかった。
また2人で、ということは、最低1回は2人で飲みに行ったことがあるということ…?
見間違いの希望を捨てきれず、もう一度通知を見ることにした。
間違っていない。
30分ほど悩んだ結果、勝手にスマホに触る勇気はなく、どうにかして眠りについた。
翌日、あおいは朝一で裕の自宅へと向かった。
幸いあおいと裕の自宅は1駅ほどしか離れていないので、急げば彼の出勤前に届けられるはずだった。
あれからあの女から連絡が来ている様子はなかったので、スマホの中は見ないでおいた。
裕を信じたかった。
「裕くん、おはよう、起きてる?」
「ああ、あおい」
マンションのロックを開けてもらい、部屋へと向かう。
「おはよう、はい、スマホ」
「ああ、マジでありがとう」
寝起きで髪がボサボサの裕にスマホを渡した。
「なんか電話とか来てなかった?」
「うん、大丈夫だと思う。てか見てない」
あおいは、裕の髪よりも通知を見た時の裕の反応を見逃さないようにしていた。
裕がスマホのロックを解除する。
「ん、なんもきてないか、よかった」
裕は表情を変えることなくスマホをスウェットのポケットに入れてしまった。
「マジありがとう、今度お礼する」
「ううん、気にしないで…」
「今日は普通に仕事?」
「そう、このままいくから大丈夫、じゃあね」
「おん、マジありがとう~」
「…はあ」
結局踏み込んだ話はできなかった。
裕は少々短気なところがある。
怒らせたくない気持ちと疑っていることを知ってほしくない気持ちがあおいの口を封じ込めた。
それ以降から、裕と会う機会が少なくなったような気がした。
「その日上司と飲み会」
「今日早上がり出来ない日なんだよ」
「ああ、その日は…ちょっと空いてないかも」
「その日無理、ごめん」
段々と、理由も話してくれなくなった。
スマホはまだ見ることができていない、部屋にも入っていないしまだ合鍵すらもらってない。
日を追うごとに裕への不安と不信感は募っていった。
私は今、裕くんの何だろう。
「…裕くん」
『…ん?』
「行っちゃダメ?」
『え』
「お願い、私、裕くんに言いたいことあるし」
『…そうなの?今、電話じゃダメ?』
「ダメ」
『うーん…』
「最後に会ったの、ちょうど先月くらいじゃない?どんどん会う頻度も減ってるし、最近何も話してくれないし…。仕事が忙しいだけ…なの?」
『俺が嘘ついてると思ってる?』
「いや、そういうわけじゃなくてさ」
『普通に忙しいの、頑張って時間作ろうとはしてるよ、でも厳しいんだよ。もう少しだけ待ってくれないか』
「…」
『もう少しだから、えっと、クリスマスは一緒に過ごそう』
「…もういいでず」
『…え?』
もういい。
私がどれだけ待ってるか、裕くんのことを気遣っているか、どうしてわかってくれないのか。
平和だった彼との生活がなぜこうも変わってしまったのか、あおい自身には心当たりがなく、どうしようもなかった。
こちらから電話を切り、すぐに電源を切った。
ついかっとなってしまったからか、頭が痛い。
ふらつきながら出かける準備を始めた。
裕に買ってもらったお気に入りのバッグに涙が落ち、慌てて手で拭った。