6. 雨も運命のうち
「おとうさん、おかあさんは?」
「真、もうその話はしないって約束だろう?」
お父さんは、いつも私の言葉を遮った。
「おにいちゃん、おかあさんにあいたい」
「まこと、その人のはなしはやめようね」
お兄ちゃんは、いつのまにかお父さんと同じようなことを言うようになった。
「おとうさん、おかあさんにあいたいよ…」
「真」
「…」
「お母さんは、すっごく悪いことをしたの。真を危険な目に合わせて、お父さんを裏切った。だから、もうあんな人とは関わらないんだよ。真は、いい子だよね?」
2人は、まるでお母さんが悪者のように話していた。
「真、お誕生日おめでとう!」
「真、おめでとう!」
「ありがとう、おとうさん、おしごとは?」
「今日は早めに帰れたんだ。前までは忙しかったからな。これから毎年頑張って早く帰っておいしいケーキみんなで食べような!」
「よかったな!真!」
どんどん2人は優しくなっていく。お父さん、今まで私の誕生日なんて知らなかったくせに。
「…お兄ちゃん?どうしたの?」
「…え?あ、いや」
「目が赤いし、泣いた?ほっぺたも腫れてるよ…?」
「どうしたんだ?真」
「…お父さん?」
「ああ、お兄ちゃんな、ちょっとさっきころんじゃったんだ。ちょっと腫れて痛いよな…」
お父さんとお兄ちゃんは私抜きで行動することが多くなった。帰ってくるたびに、お兄ちゃんの顔は曇っていった。
目を覚ます。
アルバムを抱えたまま、1時間ほど寝てしまっていた。
私らしくないな、と思った。
明日は月曜日。
仕事だから寝ないと。
アルバムを棚にしまい、リビングの電気を消す。
スマホのアラームをかけようとすると、涙でぐちゃぐちゃの自分の顔が映った。
我に返り、洗面所の鏡で自分の顔を見る。
泣いたからか、目が腫れ、頬にはアルバムの跡がくっきり残っていた。
寝よう。
水で顔を洗い、涙の跡を消す。
ベッドに体を預け、カーテンの下から夜空を眺めながら、瞼を閉じていった。
「おはようございます」
「天野さん、おはようございます。いよいよ今日ですね」
「…え?なんでしたっけ」
「あれですよ!新しい方が来る日!」
「ああー、そういえばそうでしたね」
「さっき課長が、面談の時顔見たけどイケメンだったって言ってたんですよね。課長のセンスはあてにならないってこの前分かったんで今超心配です」
「ふふ、そうですね」
「教育係って天野さんですよね?」
「そうです。私です」
「頑張ってください!私もサポートするんで!」
「ありがとうございます」
同僚と軽くしゃべりながら自分のデスクを整えた。
「朝礼始めます、今日から新しく仲間に入る斎藤君の紹介から始めます」
課長の声で社員が席から立った。
「初めまして。本日中途採用で編集部に配属されました。斎藤誠と申します。皆様、これからよろしくお願いいたします!」
きらきらとしたまぶしい笑顔の彼の言葉から、一日が始まる。
「初めまして。教育係の天野真と申します」
「よろしくお願いします!…下の名前まことっていうんですか?」
「そうです、真実の真です」
「僕、まことっていう名前の方と出会ったことないんです」
「そういえば私もないですね、斎藤さんが初めてかも…」
「ちょっとうれしいです、これからお願いします!」
鼻筋が通り、くっきりと二重が目立つ濃い顔立ちだが、話し方や接しやすい雰囲気が、和やかなオーラを作り出しているように感じた。
話をしてみると、よく気が合うタイプの人だった。
「情報系の大学にいたので、その流れでIT系の会社に就職したんですが、どうも自分に合ってると思えなくて。で、学生の時に自分磨きの一環でよく読んでいたファッション雑誌を久しぶりに買ったら、自分のやりたいことってこういうジャンルかなと直感で感じたんです」
「もしかして、その雑誌がうちの会社のものってことですか?」
「実はそうです、STYLEです」
「そうなんですね。実は私も小さいころSTYLEを読んでファッションに興味を持ったんです」
「自分の好きな話題で話すの楽しいですね、周りの友達にはファッション雑誌買ってるような人いなかったんで」
「分かります、話してて楽しいですよね」
「いただきます」
午前中はつきっきりで後輩の教育を行ったので、いつもよりもバタバタしてしまった。
社内の食堂で自分で作った弁当を広げた。
「あ、真!今日昼休み一緒だね、ここ座っていい?」
「麻衣おはよう、いいよ」
違う部署に所属する同僚の麻衣が真の正面に座る。
入社式で席が隣になったことがきっかけで仲良くなった。社内では一番の友人。
「ねえねえ、新しく入った斎藤君ってさ、教育係真なんでしょ?」
「よく知ってるね、そうだよ」
「ええー、やっぱりそうなんだ、かっこいいかもってこっちの部署で話題になってるんだよね」
「かっこいい『かも』なんだ?」
「え、やっぱ中身も大事だし。でも若手の中でずば抜けて見た目の印象が良いと思わない?今年入った新人の子たちとかさ、マッシュにすればいいかな的な雰囲気ない?さわやかな印象を感じないのよ」
「ふふ、一応社内なんだから小さくね」
「ああごめん、でさ、彼女いるかどうかは真は聞いてないよね?」
「うん」
「だよねー、じゃあ今月末の歓迎会で聞こうかな」
「え、こっちの部署の会なのにわざわざ来るの?」
「いや、最近複数部署に新しい人が入ったからまとめて下のお店貸切ってやろうぜって話になってるらしいよ」
「へえー、まあでも印象良い子だったし、明るい子だからなんとなく麻衣と気が合うと思うよ」
「えー、今月マジで仕事がんばろー」
「ふふ、ほんと単純ね」
「よし、キリいいので今日はこの辺で終わりにしましょう」
「天野先輩、今日は本当にありがとうございました!明日からも頑張ります」
「お疲れ様です。今日はこれから雨降るらしいので、早めに帰った方がいいですよ」
「はい!」
「私も早く帰らないとな…間に合うかなー…」
「天野、ちょっといいか」
「はい、課長」
2人で資料を片付けているときに課長に呼ばれた。
「はい、よろしくお願いいたします、失礼します」
「電話ありがとうな天野、お疲れ」
真が担当のお得意様からの電話だった。普通に17時過ぎに電話するなよと心の奥底でクレームを入れる。
「お疲れ様です」
「あ、まじか」
少しの時間の差で雨が降り始めてしまった。
電話が来なければ確実に傘を使わず帰れただろう。
今朝、泣き疲れた顔をどうにかしようとして、折り畳み傘をカバンに入れるのをすっかり忘れていた。
とは言っても、ビルの隣にあるコンビニに行けば平気かと思い、外に出ようとした。
「先輩!」
声のする方向を見ると、斎藤が傘を差しながら走ってきた。
「え、斎藤さん、帰ったんじゃなかったんですか?」
「駅向かう途中で雨降ってきて、先輩が『間に合うかな』って言ってたのでもしかしてと思いまして」
「そうだったんだ…。ええ、ありがとうございます、わざわざビニール傘買ってきたんですか?」
「はい!どうぞ!」
斎藤は自分が差していた傘をそのまま真に渡した。
「本当にありがとう、斎藤さんも雨濡れないように…って自分の傘はありますか?」
「…あ、傘一つしか買ってない…」
「…ああ」
「マジですみません、傘入れてもらっても、というか僕が持つので、駅まで良いですか…」
「ふふ、いいですよ、私に気なんて使わなくていいから」
「すみません、本当に」
今更コンビにあるぞと言うのも面倒だったので、斎藤と駅まで歩いていくことになった。
斎藤さんの肩がだんだん濡れていく様子に気づいた。
「斎藤さん、肩濡れてますよ」
「いいです、まずは先輩が風邪ひかないようにしないといけないので」
「…ありがとうございます」
弱くはあるが、傘を差さないと濡れてしまうほどの量の雨が降り続いている。
街灯の明かりで照らされたビル街をゆっくり2人で歩き、気まずさもあるが、真は心地よかった。
「傘助かりました。ありがとうございます」
「あの」
「はい」
「もしかして、会社の隣にあったのってコンビニですか」
「…」
「本当にすみません」
「本当に気にしないで」